day5.琥珀糖

「あなたはいい人ですね。私を見ても悲鳴も上げないし、振り払おうともしなかったですし」

 正直、叩き付けられるくらいは覚悟していたのですけど、隣に座るタコはうにょうにょと足を蠢かせる。もしかしたら一種の感情表現なのかもしれないが、カナメにはそれを読み取る素養がなかった。

 パニックになってどこかも分からないバス停で飛び降り、どうしたらいいか分からず右往左往するカナメを、タコは「あの、勝手にリュックにお邪魔してすみませんでした。少し事情を説明させていただけないでしょうか」と冷静な声で語りかけ落ち着かせた。今は、近くにあった公園のベンチに並んで腰掛けている。

「いえ、あんまりびっくりして、頭真っ白でとりあえずバスから降りちゃっただけなので……」

「そういった時にこそ、その人の本性が現れるものです。あなたはいい人です」

「はあ……、なんか、すいません」

 いつのまにかタコが言葉を話していることを受け入れてしまっているが、かなり異常なことが起こっている自覚もある。会話も自然、おっかなびっくりになってしまう。

「実は私、追われている身でして、あなたが来てくれなければ大変なことになるところでした。本当にありがとうございました。……そうだ、お礼の品があるので良かったらお納めください」

 お納めください、と言いつつカナメのリュックの中からごそごそと何かを取り出す。おそらく、逃げ込んだタイミングで一緒に入れたのだろうが、追われているにしては随分と準備がいい。

「はい、どうぞ」

 タコが渡してくれたのは、透明な箱状のパッケージに入った、真っ赤な半透明のお菓子だった。散々魚を見てきた後なので、ぶつ切りにされた赤身魚の切り身に見えなくもなかったが、受け取るとからからと乾いた音がして、どうやら琥珀糖のようだった。

「助けていただいたあなたには事情を説明したいのです。よかったら、召し上がりながら聞いてください」

 特に助けた覚えもないが、なんだかどっと疲れて否定する気力もない。カナメはおとなしく、タコが話すに任せることにした。

「あなたに声を掛けたあの男、あれは鮫人――いわゆる人魚の一種族なのですが、その手の者なのです」

「人魚? 普通に脚があった気がするけど」

 もう人魚が出てこようが何が出てこようが驚かない。ありえない出来事を処理し続けている脳が糖分を欲して、ちょっと怪しく思っていた琥珀糖にも手を出してしまうくらいだから、きっとどこかが麻痺してしまったのだろう。

「近頃、自由に人の脚と人魚型を行き来できる術ができたようなのです。人魚の姿だと浅瀬では動きづらかったり、人間に見つかる恐れがあるので今まではあまり浜辺の方まで来なかったのですが、その術のせいで海の近くはどこも危険になってしまいました」

「そもそも、なんでその鮫人? 人魚? はあなたを追っているの?」

「私が人魚を食べてしまったからです」


 海の底には人魚達の国があります。彼らの国は厳格に統治されていて、特に葬儀について厳しい決まりがあるそうです。

 なぜって、人魚の肉を食べた者は不老不死になりますから。死体の取扱には細心の注意を払うようですね。人魚たちは死ぬと頑丈な棺に納められ、彼らしか知らない墓所に封印されると聞きます。うっかり海の掃除屋に食べられて、不死のサメやグソクムシが大量発生してしまったら大変でしょう?。

 そうはいっても、何事も例外が出てくるものです。仲間の手の届かないところで行き倒れ、そのまま死んでしまったひとりの人魚がおりました。その頃は私も一介の浅ましいタコでしたので、それを見つけて食べてしまったのです。

 当時は何が起こったかなど知る由もありません。サメに襲われようが銛で突かれようが生き続けてしまったので、何かおかしいと思っていた矢先、武装した人魚の一団が私の前に現れました。彼らは掟に従い、不法に人魚の肉を食して不老不死になった者たちを処分している、と名乗りを上げました。私に罪を理解させる、というよりは、半ば形骸化した、法で決まった儀式だったようです。

 その頃には、タコにしては長く生き過ぎたせいなのか、人魚の肉の力なのか、彼らの言葉が理解できるようになっていましたし、話すこともできるようになっていました。ですので「嫌、やめて」と叫び声を上げたときには、彼らはとても驚いていました。その一瞬の隙を突いて、私は逃げ出すことができました。死にたくない、というよりはとにかく痛いのは嫌でしたから。以来、私は人魚の王国の始末人たちに追われているのです。


「た、大変でしたね……」

 あまりに現実離れした話で、そう返すのがやっとだった。つまり目の前のタコは、人魚の肉のおかげでこうして地上でも自由に動き回ることができて、言語コミュニケーションも取れている、と。

「そうなのです。例の術のせいで彼らの行動範囲が広がり、より内陸へ逃げなければならなくなったので……」

「大変ですね……」

 インコのように同じ言葉を繰り返すことしかできず、誤魔化すように琥珀糖を口に運ぶ。ふと、中身が少なくなってきて、底にシールが貼ってあることに気づいた。なんとなく気になったので持ち上げてのぞき込むと、実はこちらが上面だったようで、貝殻モチーフのかわいらしいラベルが貼られていた。そこには銀の箔押しで『人魚の肉』と書かれている。

「あ、そちらもちろんジョークグッズでして、正真正銘の琥珀糖なので安心してお召し上がりください」

「は、はは……」

 あるはずのない磯の匂いと生臭さが、喉の奥からせり上がってくるような気がした。

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