day3.飛ぶ

 迷子になった。

 引っ越してきたばかりとはいえ、この年になって情けない。

 が、もとはと言えばサークルで好きな作家についての話が盛り上がり過ぎたのがいけない。日の入りが遅い夏だというのに、気がついた頃には外が真っ暗になっていたのだ。

 そこから寄り道もせず、真っ直ぐにマンションに向かって歩いてきたはずだ。なのに全く見知らぬ路上で、今時あまり見かけなくなった傘付きの街灯に照らされている。

 本来の帰り道は新しい綺麗な住宅やコンビニが並ぶ明るい、人も車も多い通りなのだが、ここは古い木造の家や煤けた板塀が並んで人気がない。暗かったせいで、曲がる道を間違えたのだろうか。

 スマホで地図アプリを開いても、電波が悪いのかバグっているのか、現在地が誰かの家の上から動かない。

 山で遭難したのだったら、あまりその場から動かない方がいいと教えられたが、こんな都会のど真ん中で遭難したときはどうすればいいのだろう。

 思い切って灯りのついている家で道を尋ねてみようか、それも恥ずかしいな、などと不審者さながらに路上をうろうろしていたら、チュイッと鳥の鳴き声がした。

 声のした方を向くと、ちいさな黒い何かが横切った。それが暗闇の中でひらりと身を翻し、もう一度眼前を横切った時にようやく燕だと分かった。

 燕って、夜でも飛ぶんだっけ? 実家には毎年巣を作りにくるが、日中にしか飛んでいるのを見たことがない。

 軽快な動きを目で追っていると、また「チュイッ!」と今度はカナメの方を向いて、なんだか強い調子で鳴いた。まるでついてこい、とでも言うかのように。

 そんなはずはない、のだがスマホも役に立たない今、燕に頼ってみるのも悪くないかもしれない。

 これでダメだったら民家を訪ねて道を聞けばいいし、歩いている内に地図アプリが復活するかもしれないし。

 暗い中で黒い体を追うのは大変かと思ったが、街灯をキラリと青く反射する翼のおかげで難なく後をついて行くことができた。

 そもそもカナメの歩くスピードに合わせるように、燕は何度も同じ場所を往復するように飛んで、まるで見失わないように気を遣ってくれているようだった。

 そうして後をついて行くのに夢中になっていると、急に目の前が明るく開けた。

 夜闇の中煌々と存在感を放っているのは、カナメが住むマンションのすぐ近くにあるコンビニだった。本当に、燕を追っていたら見知った道に戻れてしまった。

 安堵で全身から力が抜ける。もうミルワームを一パックでも買ってきて、ここまで連れてきてくれたお礼にあげたかったが、野鳥に餌付けするのはよくない。せめてちゃんと感謝を伝えようと周囲を見回すと、燕はひらりとカナメの右肩に舞い降りた。

「たまには敏郎にも連絡してやれ」

 右の肩口で、男の声でそう聞こえた。直後、音も立てずにちいさな黒い翼は夜の中へと飛び去っていった。

 敏郎、というのは祖父の名である。空耳にしては、あまりにもはっきりと聞こえた。

 そういえば、引っ越した初日に電話して以来、実家に連絡していなかった。その時も祖母と話したきりで、祖父とは言葉を交わさなかった。

 よく分からないが、とにかく明日の朝になったら祖父に電話しよう。そう思った。

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