外伝:巨人の最期
王国宇宙軍の最大の艦艇は〈エンケラドス〉である。神話の巨人の名を冠したその軍艦はモニター艦と呼ばれる特殊な艦種で、小惑星をくり抜いて動力プラントや砲台などを埋め込んで造った宇宙船である。小惑星の分厚い岩盤をそのまま装甲として利用し巨体に大量の砲塔を取り付けたモニター艦は、圧倒的な火力と防御力を誇る。ただその巨体ゆえ移動速度は極端に遅く、機動力は皆無に等しい。軍艦というより移動も可能な砲台と言った方が適切で、拠点防衛専門の艦種である。
火力と防御力に比べると建造費は格安だが、その巨体ゆえに維持費は高く、汎用性がないということもあって、帝国海軍はモニター艦を保有しておらず、王国宇宙軍もモニター艦は〈エンケラドス〉一隻しか保有していなかった。
〈エンケラドス〉は予備役艦として惑星サザーランドの衛星軌道に置かれていた。軍艦としての役割は期待されず、資源採取用の小惑星として活用する予定だったが、王国宇宙軍が戦略を見直したことによって、急遽現役に復帰することになった。艦内の膨大な余剰スペースに大量の補給物資を積み込み、惑星サザーランドを発ってスピンワード基地に向かっていた。
スピンワード基地は、恒星アマテラスと惑星サザーランドの公転方向のラグランジュポイントにある。現在は王国本土がある惑星サザーランドと帝国本土がある惑星レンベルクの中間点に近い位置にスピンワード基地はあった。この状態はあと四ヵ月ほど続く(二つの惑星は異なる公転周期で運動しているので、時間が経つと位置関係は変わる)。
開戦前は短期決戦を想定していた王国宇宙軍は、最初は戦力を分散配置していた。戦力を集中配置すると平時でも目立つ。帝国に開戦の意図を悟られないよう戦力を分散配置し、開戦と同時に各地の艦隊を惑星レンベルクに進軍させ、同じタイミングで到着するようにして、一気に帝国本土を攻略するつもりだった。
ところが王国は戦争の序盤でつまづいた。最初の誤算は開戦初頭のサザーランド沖会戦で第二戦隊が全滅したことだった。退役間際の巡洋艦一隻を相手にまさかの敗北。しかも全滅という最悪の結果だった。会戦の情報を持ち帰る生存者がいなかったため、第二戦隊の敗因がわからないというのも最悪だった。
しかも誤算はこれだけではなかった。第二戦隊の近くにいた第五戦隊と第三戦隊も相次いで全滅した。いずれも第二戦隊と同じように単独の巡洋艦による襲撃を受けて全滅した。この三回の会戦のときに観測された、敵艦の重力エンジンが放射する重力波の特徴が一致したことから、王国宇宙軍は同一の艦による仕業だと断定した。その艦の名は〈ロスバッハ〉、帝国海軍元帥のマルガリア第一皇女が座乗していると思われる、艦齢およそ三十年の老朽化したはずの巡洋艦だった。
〈ロスバッハ〉一隻によって艦隊戦力の三分の一を失った王国宇宙軍は、戦略の転換を余儀なくされた。残った戦力を惑星レンベルクに集結しても攻略はおぼつかない。そこで短期決戦は諦めて長期戦に舵を切り直した。人口と工業力は王国の方が上である。当面は本土防衛を優先して、国家の総力を挙げて艦隊戦力を再建する。体力に物を言わせたゴリ押しだ。かなり長く苦しい戦いになるが、戦略が破綻した王国が勝つ道筋はこれしか残されていなかった。
そして本土防衛のためには、当面はスピンワード基地が必要不可欠だった。レンベルクからサザーランドに帝国の艦隊が侵攻する場合、必ずスピンワード基地の近傍を通らなければならない状況が四ヵ月は続くからだ。
王国宇宙軍は残存艦隊のほとんどをスピンワード基地に集結させることにした。集結した艦隊に必要な補給物資は〈エンケラドス〉に積んで輸送させる。到着した〈エンケラドス〉はそのままスピンワード基地の防衛に就かせる。モニター艦を撃沈できるのはモニター艦だけなのだから、それがもっとも堅実な策だと考えられたのだ。
帝国海兵隊のハウザー准将は麾下の部隊を率いて、強襲揚陸艦〈ジェスターク〉で命令された軌道を航行していた。
海兵隊とは上陸戦を専門とする部隊である。敵の基地や施設を制圧する歩兵部隊を陸軍から、彼らを運ぶ軍艦とそれを操る軍艦乗りを海軍から引き抜いて統合して創られた。陸軍と海軍の特徴を合わせ持った海兵隊は基本的には海軍の指揮下に置かれているが、かなりの独立性を保障されている。
〈ジェスターク〉の乗組員も二部門に分かれている。操艦を担当する海軍出身者と上陸を担当する陸軍出身者に。両方を束ねて指揮するハウザーは陸軍出身だった。海軍軍人は艦の安全を最優先にする傾向がある。宇宙の海で艦を失ったら乗組員は一蓮托生で死ぬしかないのだからそれは当然なのだが、海兵隊としては艦の安全を優先して上陸部隊を見捨てるようでは困るので、海兵隊の指揮官は陸軍出身者から選ばれることになっている。
海軍の軍艦の最高指揮官は艦長だが、海兵隊の軍艦の場合は艦長の上に統括指揮官が置かれている。海兵隊には『陸軍出身の統括指揮官の最大の敵は、海軍出身の艦長である』という本気とも冗談とも区別がつかない格言があるが、ハウザーは〈ジェスターク〉のコーネル艦長とはかなり上手くつき合っていた。
その二人と航海長は、〈ジェスターク〉の艦橋で航行中の軌道について議論していた。
「てっきりスピンワード基地を占領する作戦だと思っていたんだがな」
ハウザーがそう考えたのもの当然だった。もしスピンワード基地を占領できれば、惑星サザーランド侵攻への重要な足がかりができることになる。
「軍艦乗りの意見を言わせてもらえれば、スピンワード基地周辺の制海権を確保するのは困難ですな」
艦長の意見ももっともだった。だがスピンワード基地が目的地でないとすると、海兵隊がこの海域にいる理由が説明できないのだ。
「現在の軌道は明らかにスピンワード基地が目的地ではありませんし、欺瞞軌道とも思えません。むしろこいつとのランデヴー軌道と考える方が妥当でしょう」
航海長がそう言って示したのは、王国宇宙軍の軍艦だった。
「〈エンケラドス〉? モニター艦だと!」
〈エンケラドス〉はその巨体のせいで、帝国海軍から姿を隠すことはほぼ不可能だった。
「まさかモニター艦に乗り移って占領しろっていうのか?」
「〈ジェスターク〉単独では接舷どころか接近することもできませんよ」
艦長は遠回しに否定したが、ハウザーはそれを鵜呑みにするほど楽天家ではなかった。
「海軍は上陸部隊の隊員に宇宙遊泳でもさせる気か」
「自分は今の軌道だとこうなると言っただけですよ」
ハウザーの剣幕に、航海長が思わず言い訳をする。
「〈エンケラドス〉が到着したらスピンワード基地は難攻不落になるから、その前になんとかしたいということなんでしょうが……一時間後に命令書の
艦隊司令部から送信されてきた命令には電子的な封緘が施されていて、肝心な部分は設定された時刻になるまで読めないようになっていた。ハウザーはコーネル艦長に同意するしかなかった。
一時間後、封緘が解けた命令書を読んだハウザーとコーネルは、唖然とした。
「海軍の参謀というのは、とんでもない作戦を思いつくものだな」
「おそらくですが、参謀本部の発案ではないですね。こんな破天荒な作戦を発案できるのはマンシュタイン長官でしょう」
「海軍最高の頭脳という評判は聞いているが、そんなに凄い人物なのか?」
「参謀本部の参謀たちが束になっても、
「悪いが俺には実行可能とは思えない」
「少なくとも今まではそうでした。今回もそうであることを祈りましょう」
「ふむ。上陸部隊に同行する機関科と航海科のメンバーの人選は艦長に任せる」
「了解です」
〈ジェスターク〉はステルスモードで〈エンケラドス〉に探知されないギリギリの距離を保って、作戦開始を待っていた。
「本当に友軍は来るのかね」
何度目かわからないが、ハウザーが呟いた。
「来るのを待つしかありませんよ」
律儀にコーネル艦長が答える。
「どんな艦隊ならあのデカブツを無力化できるのか、想像がつかん」
ちょっとためらったが、艦長はそれにも答えようとした。
「心当たりが無くもないですが……」
「ほう、その心当たりとは?」
だが艦長が答える前に、船務長が正解を告げた。
「高速で接近する友軍の艦を探知。識別コードは独立艦〈ロスバッハ〉!」
それを聞いたハウザーは思わずシートから身を乗り出した。
「他には?」
「〈ロスバッハ〉一艦だけです」
「……まさか本当に来るとは」
艦長の呟きは小さかったので、驚いていたハウザーには聞こえなかった。
〈エンケラドス〉に護衛の艦は同行していなかった。その必要を王国宇宙軍は認めなかったからだ。〈ロスバッハ〉を探知した〈エンケラドス〉は、直ちに迎撃を開始した。
〈エンケラドス〉の主砲はレールガンである。四門のレールガンが正四面体の頂点のように〈エンケラドス〉の表面から突き出ている。通常の軍艦では搭載できない長大な砲身から撃ち出される砲弾には、どんな戦艦の装甲やシールドも一撃で貫通できる運動エネルギーが込められている。その砲弾は船体となっている小惑星を内側から削り取った岩石を原料にして、艦内の工場で生産している。敵から見れば無限にも思える量の砲弾を撃ちまくるのが〈エンケラドス〉の戦闘スタイルだ。
〈エンケラドス〉の二門のレールガンが発砲する。だが〈ロスバッハ〉には当たらない。距離が遠すぎて照準の精度が甘かったのだ。〈エンケラドス〉は一撃必中を期待して撃ったわけではなく、砲弾をケチる必要がないので、当たる確率がゼロでなければとりあえず撃つという方針で砲撃をしているのだ。
そのまま〈エンケラドス〉は砲撃を続けたが、〈ロスバッハ〉には当たらなかった。そろそろ命中してもいい距離になっても、〈ロスバッハ〉には当たらない。その様子を観測していた〈ジェスターク〉の船務長が呟いた。
「なんだよ……こんな回避運動、駆逐艦でもできないぞ!」
クルーガー重工業製の新型重力エンジンは大きな欠陥を抱えていたものの、帝国海軍の期待を集めていただけあって、その性能は極めて高かったのだ。
〈エンケラドス〉の副砲群も砲撃を開始した。〈ロスバッハ〉も光速で飛ぶレーザーや亜光速で飛ぶビームを全て回避することは、さすがにできない。避けられない攻撃は艦首に集中展開したシールドで防ぐ。両艦の距離が縮むにつれて、シールドの発光が激しくなる。これ以上は危険だ、〈ジェスターク〉の艦橋にいた乗組員たちがそう思ったとき、シールドの発光が突然止んだ。
「〈ロスバッハ〉は? 撃沈されたのか?」
ハウザーの問いに船務長が答える。
「〈ロスバッハ〉は健在です。〈エンケラドス〉が一方的に砲撃を中止しました」
「何故だ?」
「わかりません……〈ロスバッハ〉から入電。『標的は無力化した。後は頼む』以上です」
半ば呆然としているハウザーに、艦長が決断を促した。
「〈エンケラドス〉に乗り込んでみないと、何もわかりませんな」
ハウザーは勇敢さだけでなく慎重さも合わせ持っていた。彼はまず救命ボートを使って偵察部隊だけを〈エンケラドス〉に送り込んだ。偵察部隊は何の妨害も受けず、〈エンケラドス〉に乗り移ることができた。偵察部隊から〈エンケラドス〉の乗組員が死亡しているという報告を受けて、ハウザーは〈ジェスターク〉を〈エンケラドス〉に接舷させた。
『モニター艦の占領って歴史上前例がないんですよね。史上初の快挙がこんなに簡単でいいんですかね』
上陸部隊の指揮官の報告をハウザーは〈ジェスターク〉の艦橋で聞いていた。本当は自分も〈エンケラドス〉に乗り込んで現場を直接見たかったのだが、長居するわけではないので〈ジェスターク〉を離れることはできなかった。ハウザーに与えられた任務は〈エンケラドス〉の鹵獲ではなく破壊だった。
「生存者はいないんだな?」
『今のところ発見していません。こいつはデカいので全てを確認するのは何日もかかりますから、絶対にいないとは断言できませんが』
「基幹ブロックだけ確認して、確認が終わったブロックは外から人が入れないようにしておけ。機関科と航海科は何と言っている?」
『資料通りの旧式なので問題ないそうです。軌道修正は一日で完了する予定です』
「軌道修正が確認でき次第、予定通り機関を爆破して撤収する。工兵隊の準備をしておけ」
『了解しました。しかしせっかく鹵獲したのに使い捨てにするとは、海軍さんは贅沢ですな』
「そのデカブツを運用するのに必要な人数は集められないし、そもそも足が遅すぎて使い途がないそうだ。敵が異変に気づいて集まってくる前に撤収しないといけない。いつも通りに慌てず焦らず急がせろ」
『大量の補給物資もありますが、やはり捨てていいんですかね?』
「海軍は海賊じゃないが、一応主計科には伝えておく。主計科から要請があったら協力しろ」
ハウザーが通信を切ると、艦長が話しかけてきた。
「主計科に伝えたところ、何が積んであるか確認したいと言ってました。主計科から何名か移乗させてもよいですか?」
「上陸班から何名か案内兼護衛を出そう。移乗は一時間後だ」
「了解しました」
「海軍も海賊の真似事をするとは知らなかった」
「臨機応変です。真空の宇宙では補給の機会は滅多にありませんからな。真空は呼吸も飲食もできませんし、
〈ジェスターク〉の幹部乗組員たちは淡々と任務を遂行した。〈ロスバッハ〉は何をやったのか、〈エンケラドス〉の乗組員はなぜ死んだのか、そういった疑問は脇に追いやった。考えている余裕がなかったし、考えても答えなどわかるはずなどないことは明白だった。軍事機密を詮索したら身を滅ぼしかねない。益もないのにそんなことをする理由はない。
〈エンケラドス〉の異変に気づいた王国宇宙軍は艦艇を〈エンケラドス〉に差し向けた。〈エンケラドス〉に移乗した王国の乗組員は絶望した。〈エンケラドス〉の中には生存者はおらず、機関は破壊されて軌道変更は不可能になっていた。
そしてスピンワード基地に到着した〈エンケラドス〉は、そのままスピンワード基地に衝突した。衝突の衝撃によって基地と〈エンケラドス〉は完全に破壊された。
衝突が避けられないとわかった時点で集結していた艦隊を退避させたので、王国宇宙軍が被った直接の損害は基地と〈エンケラドス〉だけで済んだ。だが当てにしていた補給物資のほとんどを失ったのは大きかった。艦隊の半数は燃費を優先して、移動に時間がかかる経済軌道で別の拠点に移動させるしかなかった。別の拠点に到着して補給を受けるまで、それらの艦隊は遊兵と化したのだ。
王国宇宙軍は本土防衛を厚くして短期決戦を阻止するどころか、帝国海軍に短期決戦を挑まれたときの本土防衛用の戦力を揃えることすら困難になったのだ。
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