第26話 新たな旅立ち
青空に澄んだ音が響き渡った。
木がぶつかり合う音は激しく、何度も空を切る音と共に平原に響く。その音を奏でているのはエルドとリーシャだった。
互いに放った棒がぶつかり合い、乾いた音を響かせる。リーシャの打ち込みや薙ぎ払いをエルドは見事に躱し続ける。その表情は落ち着いたものだ。
リーシャは踏み込みと同時に強く薙ぎ払いを放つ。その瞬間、エルドはわずかに棒を傾けながら薙ぎ払いを逸らす。その身体が傾いた隙に素早くエルドの棒が彼女の脛を払った。痛烈な打撃音と共に彼女の身体がひっくり返る。
岩に腰を下ろし、それを見ていたエルドはうわぁ、と思わず顔を強張らせる。
(あれは痛いやつだ……)
実際、リーシャは膝を抱えて悶絶している。それを見ながらエルドは棒を地面について苦笑を浮かべていた。
「すまない、あまりにも隙だらけだったから」
「く……っ、未熟、ですね……」
「それは言わずもがなだな。大きな課題を上げるとなると、やはり攻撃が大振りだということ。それを見切られたら今みたいにいなされ、逆に反撃を貰う」
それからエルドは手を差し伸べ、柔らかくリーシャに問いかける。
「まだやるか?」
「……もち、ろん……っ!」
手を掴んで引き起こされた彼女は棒を掴み、エルドと向き合う。彼は口角を吊り上げると、静かに気迫を放ってリーシャと向き合った。
それを眺めていると、ふと背中に掌が当てられる。ふと眉を寄せると、肩を手で抑えられた。
「アオイ、動かないで――実験体になってください」
クロエの有無を言わない口調。それに身を固まらせると、掌が背を動いていく。そして、指先で背中の一点を突いてくる。
「ここ。掌で触れてみてください」
「はい――」
小さな掌が遠慮がちに触れてくる。モニカの手だ。
「他の場所と、比較してみましょう」
「はい……あれ……?」
「分かります?」
「はい、微かに固さが違うというか」
「分かるなら偉いと思います。そこに血が滞っているということなので。アオイは背中のストレッチをサボりがちだから、血が滞ります」
「……なるほど、つまりここを解せばいいのですね」
「はい。モニカさんの場合、鍼や医療魔術を使えば良いかと」
「なるほど、勉強になります――クロエさんはいろいろと博識ですね」
「そうでないと、あの人の妻は務まりません」
そのクロエの言葉は微かに誇らしげに聞こえる。アオイは目を細めながら思う。
(クロエさんはすごいよな、体術も遣えるし)
アオイの体術はほとんどがクロエに教えてもらったものだ。
それだけでなく調薬、鍼などの知識も充分である。その知識量からかなりの経験を彷彿させるが、彼女は元々無口であることもあり、あまり過去を喋らない。
昨日の会話だと元々、エルドと同じ軍に所属していたようだが――。
(その割にあまり剣や槍は遣う印象はないんだよな)
少し疑問に思う。考えている間に、クロエはモニカに講義を続ける。
「ここ数日で教えた調薬。それと鍼を使えば、治療魔術をもっと役に立てるはずです」
「なるほど、勉強になります」
「ん、その意気です。他に疑問点は?」
「……頑張りすぎるアオイさんを止めるにはどうしたらいいんでしょうね?」
「……あの、モニカさん?」
思わず声をかけると、背中の一点にモニカの指がぐいと押される。強い指圧に思わず息を詰まらせると、モニカが拗ねた口調で言う。
「昨日もまだ掌が治っていないのに、剣を握ったじゃないですか」
「――剣を研いだついでに、軽く振っただけですよ……」
「まだ剣を持つのもダメです――本当なら、食べるのも介助したいくらいなんですよ」
「……それは勘弁してください」
エルドとクロエの前で、あーんされたときは恥ずかしくてたまらなかったのだ。二人は微笑ましく見守っていたが。
こほん、とクロエが咳払いをし、はっきりと告げる。
「剣術バカに、つける薬はありません」
「……すみませんね。剣術バカで」
「悪いわけではないです。エルドさんも剣術バカ――だけど、そんなエルドさんだから、私は好きなのですし」
そこで言葉を切ると、クロエはモニカの方に声を掛ける。
「モニカさんは、アオイみたいな剣術バカは嫌いですか?」
「……っ、剣術バカはどうか、分かりませんけど……」
微かに声が湿る。感情を込めて声でモニカは告げる。
「アオイさんは……嫌いじゃないです」
その言葉と共にそっと掌が添えられる感触。クロエは小さく吐息をこぼして言う。
「なら、その気持ちを大事にすることです――それと口に出す機会を逸しないように。今は平和ですが、冒険者はいつ死ぬか分からない職業。相手への気持ちは正直に伝えるべきなので」
「……はいっ」
珍しく饒舌なクロエの助言に、モニカが頷く気配。表情を緩めながらエルドとリーシャの稽古に視線を向ける。踏み込んだリーシャの木の棒が弾き飛ばされた瞬間だった。
荒い息をこぼすリーシャを見て、よし、とエルドは頷いた。
「ここまでにしておこう。リーシャ殿」
「はい……ありがとう、ございました。しかしエルド殿は棒術も、上手いとは……」
「間合いが違うだけで、剣術と通じるものがある。それに敵を知るにはその武器を遣うのが一番でね。機会があればリーシャ殿も試してみるといい」
二人がアオイの傍に戻ってくる。リーシャは汗だくで息を切らす一方、エルドは息も切らさずに平然としたものだ。棒で地面を突きながら、さて、と目を細める。
「さて、名残惜しいが、そろそろ行こうと思う」
「――はい、師匠」
今日はエルドたちが街を発ち、家に帰る日だ。
そんな日にも関わらず、去る直前までエルドはアオイたちに指南をしてくれた。アオイはもちろん、リーシャやモニカもここ数日でエルドたちに鍛えられていた。
(僕もいくつか体術を仕込まれたし)
手を使わない蹴り技をクロエからいくつか教わったのだ。リーシャも教わったので、二人で反復練習しようと決めている。
そんな得難い日々はすぐに過ぎ去った。エルドはアオイを見ながら少し目を細める。
「本当は、アオイが癒えるまで待とうかと思ったのだが、家が心配でね」
「はい、畑を放置してはいけませんし」
「そう言ってくれるのはありがたい。まぁ、あまり心配はしていないが」
エルドはそう言いながら、手を伸ばしてアオイの頭に手を載せた。柔らかく頭を撫でながら目を細める。
「頼りになる仲間もできたな。大事にしなさい」
「……はい、もちろんです」
エルドは一つ頷いてから手を降ろす。視線をリーシャとモニカに向け、小さく微笑んだ。
「お二人もアオイのことをよろしく頼む――それと過保護になるのは大いに結構だが、その分の責任はきちんととるようにな」
その言葉にリーシャとモニカは肩を震わせ、微かに視線を泳がせる。だが、エルドの真剣な眼差しに気づくと、二人は力強く頷いた。
「はい、無論――まずは仲間として、ですが」
「己と向き合いながら、責任の取り方を決めます」
二人の言葉にエルドは目を細めて頷くと、クロエに手を差し伸べた。クロエは無言でその傍に行き、軽く三人に順番に一礼してからエルドの手を取る。
「ではな。アオイ、師匠によろしく伝えておいてくれ」
「はい、もちろんです。師匠たちもお気をつけて」
ひらひらと手を振り、エルドは背を向けて立ち去っていく。クロエはその影に隠れるように身を寄せ、そっと寄り添うように歩いていく。
それを見届けながら、アオイは思いを馳せる。
(師匠の師匠――か)
それは三日前、リーシャ、モニカを交えた会食でエルドが口にした人物だった。
エルフ大森林、その奥層を抜けた先の霊山にいるという、エルドの師匠。その人物に教えを乞うてみないか、という話だった。
『ここ数日の手合わせで三人ともいいところまで進めているのは分かった。ならば、ブナンの森、ゴストン岩山群のような易しい場所ではなく、もっと手強い敵がいる場所で鍛えるのも一興だと思う。もし霊山まで至れるのであれば充分、彼の指導を受けることが叶うはずだ。もし興味があるなら、三人で行ってみてはどうかな』
その言葉に三人とも否やはなかった。乗り気な三人を見ると、エルドは微笑んで言う。
『ヘルメスに今後のことを頼んである。アオイの傷が癒えたら、ヘルメスを頼りなさい。彼がさらなる地へと案内してくれるはずだ』
その言葉に従い、ヘルメスにはもうすでに頼んで道案内の依頼をしておいた。アオイの掌の傷が癒えれば、すぐに出発する予定で段取りを組んでいる。
(その人の師事を受けたら、師匠に近づけるかな――)
そう思いながら吹き渡る風に目を細めていると、ふとアオイの腰かける岩にリーシャも腰を下ろした。アオイは少し場所を譲ると、リーシャは軽く寄りかかりながら告げる。
「もっと強くなろうね、アオイ――あの人たちに追いつくように」
「ええ……もちろん。さらなる高みを目指すために」
目指す背中は偉大な英雄。それに辿り着くためには、いろいろと経験を積まないといけないだろう。だけど、その苦楽を共にする仲間がいてくれる。
振り返るとリーシャは軽く肩をぶつけて目を細め、モニカも背中に手を添えて微笑んでくれる。頼もしい仲間の姿に頷き返し、視線を地平の彼方に向ける。
師匠の背は、はるか遠く。寄り添う二人の姿は一人に見えた。
英雄の弟子たちが交わるその場所で ―最強英雄たちの育てた弟子が冒険者街で出会ったようです― アレセイア @Aletheia5616
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