第24話 異変の後の静寂

 日が暮れたディスタルの街――いつもは賑やかな街も今日ばかりは鳴りを潜めていた。


 篝火が焚かれ、至る所で救助活動が続いている。その様子を窓から眺めていたアオイは視線を室内に戻す。そこではリーシャ、モニカ、そして師匠とその妻がいた。

 ここは街にある庁舎。仮のギルドの拠点として提供されている。

 そこでアオイはモニカの手当てをずっと受けていた。黙々と治癒魔術を放っていた彼女は一息ついた。傍らでクロエが包帯と軟膏を取り出す。


「これを。ニガゴケとムスリカ草を交ぜた軟膏」

「あ……ありがとうございます。クロエさんは調薬もされるのですか?」

「毒薬でも、軟膏でも」

「助かります。アオイさん、少し痛みますね」

「はい――」


 傷口に直接軟膏が触れると、さすがに痛い。顔を顰めていると、外を眺めていた師匠、エルドは視線をアオイに戻し、小さく微笑んだ。


「仲間に恵まれたようだな。アオイ」

「はい、いろいろと面倒を見ていただいてばかりですけど」

「そうか。リーシャ殿、モニカ殿、アオイの面倒を見ていただき、ありがとう」


 深々と礼をした師匠にモニカはぶんぶんと首を振り、リーシャは小さく微笑んで応じる。


「いえ、こちらこそ学んでばかりです。それと――エルバラード殿」

「エルドで結構だ」

「では、エルド殿――助けていただいてありがとうございます。養父から話は聞いていましたが、さすがの手腕に思わず感服しました」

「……ああ、キミはアグニの養女だったな」


 そっと視線を逸らすエルド。クロエは少し目を細め、小さく吐息をつく。


「――エルドさんは、アグニさんが苦手でして」

「はい、でしょうね……あの人は戦闘狂ですので」


 リーシャはため息を一つつき、淡い笑みを浮かべて首を振る。


「大丈夫です。私はエルド殿のことを養父に伝えたりしないので。ただ、気をつけていただければ。未だに養父はエルド殿を探しています。多分、会うなり喧嘩を吹っ掛けてきます」

「そ、そうか……全く、執着するというか。決着をつけただろうに」

「二十年経ってまた強くなった、と言っています」

「……相変わらずだな、アグニは」


 リーシャの言葉にエルドは仕方なさそうに笑う。その穏やかな笑みは山にいたときと同じだ。モニカは包帯に端を結び、ぽん、と彼の肘を叩く。


「はい、アオイさん、これでひとまずは大丈夫です。繰り返し治療を行う必要はありますが、化膿しなければすぐに治りますよ」

「ありがとうございます。モニカさん。それに師匠、クロエさんも。わざわざ助けに来てくれてありがとうございます」


 改めて深々と頭を下げる。エルドとクロエは視線を交わしてから目を細める。そしてアオイに向き合うと、エルドは小さく笑って告げる。


「気にしなくていい。アオイは息子同然。子の窮地を助けるのは当然だ」

「親友の子でも、ありますからね」

「それでもです――とはいえ、よく駆けつけてくれたというか」

「ヘルメスのおかげだ。彼が念のため、と情報を流してくれたんだ」


 エルドは壁に寄りかかりながら肩を竦めて告げる。


「彼は王都、学院に連絡すると同時に、こちらにも感染個体に関する異変の情報を共有していた。他の英雄たちも救援に動いただろうが、距離的にも王都や学院よりも我々の家の方がディスタルの街は近い。結果的に我々が最短で到着し、間に合ったのだ」


 とはいえ、と額を軽く押さえ、ため息をついてエルドは続ける。


「まさか、魔人と戦う羽目になるとは思わなかったが」

「しかも話を聞く限り、元々は人間だった……これは何やら胡散臭いですね」


 クロエの淡々とした声にエルドは頷く。彼はしばらく思案に耽っていたが、やがて小さく笑ってアオイを見る。


「何はともあれ、間に合ってよかった。あれはアオイたちには荷が重いだろうから」

「……本当に助かりました。さすがに今回ばかりは死ぬかと」

「だが、死ななかった。諦めなかった。それが大事だ」


 エルドの言葉にリーシャもモニカも頷いた。その目はアオイの掌に向けられている。アオイは目を細めて頷いた。


「みんながいてくれたおかげでもあります」

「そうか。よく学んでいるようだな」


 エルドは穏やかに目を細めて頷いた。それから視線を扉に向ける。


「さて――そろそろ、レナードとヘルメスが来るかな」


 その言葉と共に近づいてくる気配。やがて扉がノックされ、包帯姿の偉丈夫とエルフの青年が入ってくる。レナードは三角巾で腕を吊っており、なかなかに痛々しい。だが、レナードはエルドを見るなり、表情を嬉しそうに緩めた。


「隊長――」

「自分はもう、隊長じゃないけどな」

「いえ、俺にとってはいつまでも隊長です。今回の救援、本当に助かりました」

「弟子の窮地だ。引きこもってはいられないと思ってね――ああ、レナード、紹介する。妻のクロエだ」


 エルドがクロエを紹介する。レナードは無事な方に手を差し出して笑う。


「隊長の元部下のレナードです――お会いできて光栄です」

「どうも。レナード殿……大戦から生きて帰ったら告白すると仰っていましたが、告白は結局、できたのでしょうか?」


 その言葉にぎくりとレナードは肩を震わせ、エルドは笑いを堪えるように顔を伏せさせる。はて、とアオイたちが首を傾げていると、エルドがそっと近づいて小声で言う。


「最終決戦のとき、好きな相手がいたレナードは酒の場でそう啖呵を切ったんだ。だけど、生還してから告白する気配はずっとなくてな――意気地なしのレナード、と笑われていたんだ」

「た、隊長、チクリはひどいですぞ」

「残念だが、妻には一言も話していない。知らないかもしれないが、妻は元々、軍にいたんだ。妻が耳にするくらい、噂になっていたんじゃないか」

「う、ぐ……ぅ……」


 厳めしい顔をした偉丈夫が表情を歪める。いつも頼もしいギルドマスターの一面に思わずアオイたちは笑ってしまう。

 しばらく笑いに包まれていた部屋だが、見守っていたヘルメスが前に進み出て、手を叩いて注目を促す。


「失礼――それでは軽く報告をさせていただいても」

「あ、ああ……ヘルメスにはあの男の死骸を調べてもらった」


 レナードの声に頷き、ヘルメスはその場を見渡して告げる。


「はい、単刀直入に申し上げます――あれからはベルグウイルスが検出されました。つまり、感染個体、ということになります」


 その言葉に全員が驚きの反応を返す。アオイもまた目を見開き、思考を整理する。その中でいち早く理解を示したのはエルドだった。すぐに要点を掴み、はっきりと切り出す。


「魔獣にしかかからないウイルスが、植物や人間にも感染した、ということか」

「左様です」

「人為的な改良かな」

「十中八九」

「そして、犯人は捕まっていない」

「ご覧の通り」


 エルドはヘルメスの返答に頷き、視線をレナードに向ける。レナードは焼け焦げた顎鬚を撫でさすりながらため息をついて告げる。


「ギルドも調査を進める予定ですが、ここまで来るとギルドだけの話では済まされない。騎士団やディスタルの街の行政長とも話を進める予定です。いずれにせよ、これは魔獣テロ事件に注ぐ、テロ事件だと解釈して間違いありません」

「だろうね。自分は部外者だから何とも言えないが、国規模で対策が必要だと思う。それに犯人が全く分からない以上は、第二、第三の人造魔人が出現してもおかしくない。情報を共有して、厳に警戒をするべきだと思う」

「仰る通りです。ご意見通りに動かせていただきます」


 レナードが粛々と頭を垂れる。それから軽く視線を上げ、エルドの方を窺う。


「それと――隊長、これからどうされる予定ですか?」

「ん? ああ、アオイの顔は見られたから、適当に観光してから家に帰るつもりだ。尤も観光というよりは復興支援になるかもしれないが」


 軽く肩を竦めるエルドに、レナードは思い切った口調で訊ねる。


「この街に残ることはできませんか。何ならギルドマスターとして――」

「レナード、僕はもう世を捨てたんだ」


 穏やかな声が言葉を遮る。視線をエルドに向ければ、彼は穏やかな表情を見せていた。だが同時にその瞳にはわずかな憂いが宿っている。

 小さく吐息をつき、添えるように言葉を続ける。


「――殺し合いはもう、御免でね」

「……失礼、しました」


 レナードは何も言えなくなり、ただ詫びて引き下がる。悪いね、とエルドは申し訳なさそうに言い、視線をアオイの方に向ける。


「今回はアオイの様子見と、ヘルメスの頼みだったから動いただけだ――〈白の剣聖〉はもうあてにしないでくれ」

「……承知しました。では今回の討伐報酬は――」

「今回協力した冒険者たちに分配してくれ」

「そのように致します」


 レナードはそう告げて残念そうに吐息をこぼした。エルドは仕方なさそうに笑って歩み寄り、レナードの肩を軽く叩いた。


「そう残念そうにするな。ここにいる間は少し復興を手伝うし、飯くらいなら付き合う。そのときにいろいろ話を聞かせてくれ。レナード」

「……はい、そうですね」


 レナードは表情を上げて笑みを繕う。それから視線をエルド、リーシャ、モニカに向けて咳払いを一つ。威厳を見せて言葉を続ける。


「三人もご苦労であった。今日のところは解散、休んでくれ。報酬や今後の依頼については明日話し合おう。また」

「了解しました」


 アオイが頷くと、レナードは表情を緩めて頷いた。エルドはその肩に手を添えると、アオイたちを振り返る。


「アオイ、この部屋で少し待ってもらえるか? 少しレナードやヘルメスと昔話をしてくる」

「はい、了解しました。少しのんびりして待っています」


 アオイが頷くとレナード、ヘルメスと連れ立ってエルド、クロエも共に部屋から出る。それを見届けてから、思わず吐息をこぼした。


(……隊長、か)


 エルドとレナードは恐らく大戦前からの付き合いなのだろう。長く離れていたとはいえ、深い信頼関係を伺わせた。レナードもエルドを前にすると形無しだったことを思い出し、小さく笑う。その一方でリーシャも吐息をこぼす。


「――やはり、まだまだなんだね。私たちも」

「……はい、それは実感しましたね」


 その言葉に意識を自分の掌に戻す。思い出すのはエルドの立ち回りだ。

 動きは洗練されており、迷いはなかった。斬撃が斬撃に繋がっており、相手の攻撃を確実に見切って立ち回っていたのだ。

 アオイの目指す動き。それを改めて見せつけられた。

 他にもレナードやヘルメス、他の騎士たち――彼らはその場で判断し、的確な行動をしていた。そういう意味でも今回の一件では自身の未熟さを実感させられた。


「まだ、鍛えないといけませんね」

「うん、お互いにね。頑張ろうか、アオイ」

「はい、リーシャさん」


 拳を持ち上げようとして、怪我をしていることに気づく。するとリーシャは軽く身を寄せ、肩をぶつけ合わせる。間近な距離の彼女の笑顔に釣られてアオイは笑みをこぼした。


「――全く、ほどほどにしてくださいね、二人とも」


 そんな二人をモニカは呆れたような笑顔で見守っていた。

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