第22話 紅い瞳の冒険者

 アオイたちが街に駆け戻ると、視界に飛び込んできたのは阿鼻叫喚だった。

 人々が逃げるように惑い、街から出ようとしている。それらを躱して進みながら、アオイ、リーシャ、モニカはギルドの方向へ進む。

 そうしながら視界に飛び込んでくるのは、至る所で立ち上る黒煙だった。


「一体、何が――」


 モニカが困惑を口にした瞬間、再び爆発音が響き、人々の悲鳴が木霊する。押し流されそうになるモニカの腕を引き寄せ、アオイは道の隅に寄る。

 しばらく人の波をやり過ぎしてから、離れていたリーシャが合流。頷き合って再びギルドへの方向に向かう。その途中で飛び込んできたのは、炎を放ついくつかの民家。騎士や冒険者が駆け、消火活動を行っている。

 そして――見えてきたギルドの建物。それを見てリーシャは呻き声を漏らす。


「これは――」


 まるで建物内から爆発があったように壁や屋根が吹き飛び、道にも瓦礫が散乱している。建物内も崩れた瓦礫で埋まっている。その中を懸命に掘り起こす人たちがいた。

 そこにアオイたちが駆け寄ると、救助活動をしていた一人が顔を上げ、安堵の吐息をこぼす。サフィラだ。顔が血や煤で汚れているが、無事そうだ。


「サフィラ、一体何が――」

「冒険者が、急に暴走したの」


 サフィラが短く伝え、手招きする。アオイとリーシャ、モニカが傍に寄ると、彼女は押し殺した声で告げる。


「リーシャを見捨てた、あの冒険者だった。目がなんだか感染個体みたいに紅い色を放っていたの。今も、暴れているみたい」


 その言葉に思わず目を見開く。サフィラは三人の顔を見て言葉を続ける。


「今、マスターたちが対応に当たっている。ゴールド級以上の戦力を寄こせ、とも言われているわ。貴方たちは――」


 アオイはリーシャを振り返る。リーシャはすぐに頷き、視線をサフィラに戻す。


「アオイと私で援護に向かうよ――それでいいよね?」

「助かるわ。ですが、無理に加勢する必要はない。すでに騎士たちが向かっているので、彼らのサポートをしていただければと思う」

「了解したよ。モニカは、ここでサフィラを助けてあげてくれるかな。今こそ、治療魔術師の力が必要だから」

「はい、分かりました――お二人とも、気をつけて」


 モニカは心配そうに眉を寄せていたが、表情を引き締めて頷き、すぐに瓦礫の間に挟まっている冒険者の救出に動く。アオイとリーシャは頷き合い、破壊されたギルドから出る。

 爆音、轟音、悲鳴はもう近くで聞こえている。耳を澄ませ、リーシャは告げる。


「広場の方だね――多分、戦いやすいように騎士やマスターが誘導したんだ」

「急ぎましょう」


 二人で黒煙が立ち上る街を駆ける。途中の街並みは一変し、破壊された屋台、荷車が突っ込んだ家などが見え、微かに心が痛む。

 そして、街の広場に辿り着くと、そこでは騎士と冒険者が一人の男を包囲して攻撃を仕掛けていた。男はその包囲を破ろうと騎士に向かって突進を仕掛ける。それを大盾を持った騎士が迎え撃つ。激突音が響き渡り、騎士が吹き飛ぶ。

 冗談のように宙を舞った騎士が地面に叩きつけられる。だが、すでに他の騎士が入れ替わりに駆け、その穴を埋めるように立って斬り掛かっていた。


「包囲に穴を作るな! 連携して掛かれ!」

「魔術用意――撃てッ!」

「レナード殿、援護をお願い申す!」


 盛んに連携する声が響き渡る。それを見てリーシャは足を止めて感嘆の声をこぼした。


「さすが、騎士。軍隊だけあって、指揮統率は見事だな」

「……とはいえ、あの男は異様ですね……」


 視線を男に向ける。その肌は漆黒に染まり、体中から異様な魔力を放っている。その中ではっきりと見えるのは、紅く光る瞳だ。

 身体中に矢が突き立っているが、それを物ともせずに暴れ回っている。


「が――ッ!」


 斬り掛かった騎士の剣を男が身軽に躱し、胸倉を掴み上げる。それから乱暴に地面に叩きつけた。激突音と共に苦悶の声が木霊する。

 それを助けるべく、薙刀を構えたレナードが踏み込む。


「おおおおおおお!」


 強い薙ぎ払いに男は一歩跳び退き、距離を取りながら落ちていた剣を拾う。その隙を逃さずにレナードは果敢に斬り込み、その間に騎士たちが救助に動く。

 レナードは薙ぎ払いから中段に薙刀を構え直す。

 そこに逆に男が斬り掛かった。無造作に振った剣をレナードは刃で受け止め、火花を散らす。体勢を崩したのはレナードだった。

 踏み込みと同時に男が剣を突き出す。レナードは薙刀を引き寄せて刃を辛うじて受け止める。次の瞬間、彼の腹に蹴りがめり込み、後ろに吹き飛んだ。

 騎士が素早くその穴を埋めに入る。だが、騎士たちの動きは徐々に守勢に動きつつあった。騎士たちの表情にも焦りが浮かんでいる。


(……強すぎる)


 単純な力技で押し切れるほど、男の膂力が強いのだ。

 まさに人間離れした力――それに冷汗が滲み出る。


「魔人……」


 一人の初老の騎士が震える声で低い声をこぼした。百戦錬磨の騎士たちもその異様さに気圧されつつあった。

 男は辺りを見渡すと歪が笑みをこぼし、掌を突き出す。漆黒の魔力が渦を巻き、腕に滞留していく。それを前に騎士たちは身構える中、その間から人影が前に出る。

 ヘルメスだ。彼は魔力を練り上げながら声を張り上げる。


「後ろに下がって! これは――」


 直後、魔力の渦が奔流となって解き放たれる。一拍遅れてヘルメスが魔力を放った。

 一瞬で展開されていく無数の匣がヘルメスと男の間の壁になる。それに真っ直ぐ漆黒の渦が突き刺さり――砕け散る。次々と箱が闇に呑まれる中、ヘルメスは歯を食いしばって手を組んだ。瞬間、漆黒の魔力の軌道が真上に逸れた。

 ヘルメスの頭上を掠めるように、漆黒の奔流が駆け抜ける。それにヘルメスは安堵の息をこぼし――膝を折る。その顔色は蒼白になっていた。

 騎士たちはそれを支えながら退く――もう、手勢は残されていない。

 一人の騎士は唇を噛むと、背後を振り返ってアオイとリーシャを見る。


「冒険者の諸君は逃げてくれ。我々が全力で足止めを試みるが、どこまで止められるか分からない。避難所にいる町民たちと共に、この街から脱するのだ」


 その言葉にアオイは息を詰まらせる。だが、リーシャはその肩に手を掛けると、短く首を振り、それから腕を引いて告げる。


「養父たちならまだしも、私たちなら絶対に叶わない――ここは街の人を救うためにも、動くべきだよ。行こう、アオイ」

「……は、い……」


 口惜しさを押し殺し、アオイとリーシャはその市場から離脱しようと後ずさり。

 不意に、男の視線がこちらに向いた。アオイとリーシャを捉えた瞬間、口角が不気味に吊り上がる。紅い瞳が光を放ち、殺気を迸らせる。

 そして、地を蹴って猛然とアオイたちの方へ駆けてきた。


「な――! 防御陣形!」


 騎士は一瞬狼狽えたものの、素早く仲間たちと連携。広場から出る通路を塞ぐように大盾たちを密集させる。そして防御の構えを取った瞬間、男が突っ込み。

 激突音と共に騎士たちが後ろに弾き飛ばされる。咄嗟にアオイは近くに転がった騎士を支える。リーシャは素早く方天戟を構え、鋭く声を放った。


「アオイ! 立て直すんだ、来る――ッ!」


 その声の途中にはすでに男が肉迫していた。力任せに振るわれた剣がリーシャの方天戟と激突する。踏ん張ったリーシャが拮抗したところで、アオイが横合いから踏み込んだ。

 鞘から抜き放った剣で真っ直ぐに横薙ぎを放つ。狙いは無防備な男の胴を斬り払う。したたかな手応え――だが、重たい感触に手が痺れる。


(なん――だ、これは……ッ!)


 まるで固く粘り気のある何かを斬ったような感覚。アオイは刃を斬り払いながら振り返った瞬間、男はリーシャを弾き飛ばしながらアオイに振り返った。

 力任せに振り被った剣。咄嗟に跳び退いて躱した瞬間、地面に剣が叩きつけられてひび割れる。剣は中程で折れ、木っ端みじんになる。

 男は無手。しかも大きな隙がある。アオイとリーシャの視線が交錯する。

 二人の立ち位置は男を前後から挟む形。ならば――。


(挟撃が、成り立つ……!)


 同時に地を蹴り、アオイとリーシャは男に斬り掛かった。踏み込みに全力を込め、全てを斬り飛ばす勢いで振りかぶった武器を一直線に振り下ろす。

 だが、男は不気味なほど緩慢な動作で顔を上げ、両手を上げ――。


 振り下ろされた刃を、それぞれ手で受け止めた。


「な、く……っ!」


 ずぶり、と泥の中にめり込むように放った刃が男の腕の中に呑み込まれる。引き抜こうとしても刃が男の手首の辺りまで埋まり、引き抜けない。

 それはリーシャも同じ。方天戟を掴んだまま、力を込めるが動かない。

 男は不気味な笑みをこぼすと、リーシャの方を振り返る。ぼこ、と腕が不気味に粟立ち、殺気が迸る。


(――ッ!)


 アオイは咄嗟に剣を手放し、リーシャの身体に飛びついた。突進で二人はもつれるように地面を転がる。瞬間、漆黒の魔力と共に轟音が響き渡った。

 地面をごろごろと転がり、止まったところでアオイとリーシャは弾かれたように跳ね起きる。そして、視界に入った光景にぞっとする。


 リーシャの立っていた場所、そこら一帯が魔力の直撃で吹き飛んでいた。


 騎士たちも爆発の余波で吹き飛び、民家の壁にめり込んでいる者もいる。もはや、誰も動けない。

 そこに立つ男の腕に突き立っていた方天戟も消し飛んでいる。そしてもう片方の腕には中ほどまでアオイの剣がめり込んでいる。

 だが、男は悠然とそれを引き抜くと、両手でめきめきとへし折り始めた。


(……うそ、だろ……)


 それは熟練の鍛冶屋が古の製法で鍛え上げた片刃の剣。素手でへし折れるようなものではない。だが、それを完全に折って砕くと、男は自分の腕を眺める。

 まるで、その力に惚れ惚れするかのように――。

 あまりに不気味な光景にアオイもリーシャも冷汗を滲ませる。


(このままだと全滅は必至――なら……)


 アオイは足に力を込める。だが、その肩にそっと手が置かれた。一瞬横目を向ければ、リーシャが微笑みながら首を振った。


「今度は一緒に戦うよ、アオイ。一人でいい格好、させないんだから」

「……そういうつもりでは、ないんですけどね」


 ただその目は真剣そのもので、彼女の強い意思が伝わってくる。

 絶対に彼女も退くつもりはないのだろう。気持ちはとても分かる。

 ここで仮に生き延びたとしてもその結果、相方を見捨てたら死ぬほど後悔するだろうから。それくらい、アオイとリーシャは仲を深めてきた。

 アオイは苦笑をこぼしながら肩の力を抜き、視線を戻す。

 男はすでにこちらに向き直っていた。充分な間合いを取り、腕を構える。そこに集中するのは漆黒の魔力。今まで以上に濃厚な気配。

 ここは隘路。逃げ場はない。

 一気に、アオイたちを吹き飛ばすつもりなのだろう。

 それにリーシャは焦りを滲ませる一方で、アオイは冷静に告げる。


「あれを防ぎます――守り抜いたらリーシャさん、後はお願いします」

「できるの? アオイは無手なのに?」

「はい、師匠が教えてくれた技があります」


 この相手と戦えるのであれば、それはかの大戦を生き抜いた英雄だけだろう。そして、アオイにはその英雄である師匠から受け継いだ技がある。

 アオイは腰を低く構え、拳を構える。丹田を意識し、魔力を身体に行き渡らせる。 気迫と共に高ぶる魔力。身体が光を帯び始めていた。

 それは、まさに闇を引き裂くような黄金色。

 長く細く息を吸い込む。腰を低くし、前に手を緩く突き出して構える。

 思い起こすのは、先ほどのヘルメスの匣。彼は力を斜めに逸らすことで、あの魔力の奔流を受け流した。同じことを掌底の一撃で行う。

 タイミングは一瞬だ。ギリギリまで引き付けなければ、真上に軌道を捻じ曲げられない。かといって引き付け過ぎれば、二人は魔力に呑み込まれて爆散。

 まさに、一か八か。息が詰まりそうになる。


(それでも――ここで対抗できるのは、自分とリーシャしかいない)


 大戦を生き抜いた英雄は、いないのだ。

 ならば、己の力で生を勝ち取るしかない。

 気が高まるにつれて周りの音が遠ざかっていく。静寂。鳴り響くのは己の鼓動のみ。その中で男の腕で溜め込まれた魔力が渦を為し。


 紅い目が、見開かれる。

 瞬間、アオイは一歩踏み込んだ。


 ずん、と地面が割れる感触が足に伝わる。それと共に漆黒の魔力がアオイを呑み込むように放たれる。その漆黒の魔力が金色を帯びた掌底に触れる。

 瞬間、痺れるような激痛が迸る。だが、それを無視してアオイは掌底を叩き込む。

 一瞬の拮抗の後、突き抜けた感覚が腕に走った。


(――逸らしたッ!)


 手応えは充分。抵抗がなくなった瞬間、視界が拓けた。

 それを合図にリーシャも滑らかに動いた。アオイの影から飛び出し、畳みかけようと踏み込み――。


 それを迎え撃つように、男がを突き出す。

 、その掌を見せて。


「――ぁ……」


 リーシャは目を見開く。その背からは覇気が失われていた。

 アオイも同じだった。掌は焼け焦げたようにずたぼろでもう力が入らない。二度目を逸らすことはもう無理だ。

 くっ、と喉から声をこぼした瞬間、リーシャは身を翻してアオイに向き合う。必死な顔つきをした彼女はアオイを押し倒すように抱きついてきた。

 身を挺して、必死に守ろうとしてくれるリーシャ。アオイはそれを抱き留めながら膝をつき、敵を見上げる。男は愉悦に唇を歪め、魔力を迸らせ。


 漆黒が放たれる。視界が一瞬にして闇に呑まれる。


 広がる終焉をアオイは見守ることしか、できなかった。

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