第21話 ディスタルの街の異変
ディスタルの街は緊迫した空気に包まれた。
大型の正体不明魔獣の出没を理由に、ブナンの森の立ち入りが禁止されたからだ。それは冒険者たちに留まらず、騎士団の要請を通じて狩人にも徹底された。
狩人が五名死亡したことから、商工組合も異様さを察知したのだろう。狩人は森に近寄らなくなり、市場の商品の値段が緩やかに上がりつつある。騎士たちも早いものは街に入り、行動を開始しつつあるようだ。
その中でアオイ、リーシャ、モニカは街の外で軽く訓練をしていた。
空を切る音と共に矢が飛ぶ。
だが、それは的とした岩の横に地面に突き立った。矢を射たリーシャは吐息をこぼすと、弓をアオイに返しながら苦笑する。
「私も無理かな。見様見真似では射ることができるけど、この命中精度だと」
「……ですよね」
アオイは弓を軽く握りながら小さくため息をこぼし、ただ、と言葉を続ける。
「正直、中距離、遠距離を補う手段は欲しいですよね」
それはここ数日、三人で行動してきて感じてきた課題だった。
ブナンの森では見通しが悪く、近距離戦闘が多かったため、そこまで気にならなかったが、ゴストン岩山群ではプテライアを主にする飛行できる魔獣がいる。
対するアオイとリーシャは遠距離の攻撃手段を持たない。
跳躍して斬り掛かる、あるいは剣を投げるなどの手段はあるが、それは大きな隙を見せる攻撃手段であり、好ましくない。結果、飛行できる魔獣には有効な攻撃手段を持たないことになるのだ。
だからこそ、アオイは弓矢を持ち出してみたのだ。どれだけ有効な攻撃手段になるか、そういった相談も二人としていた。
(まぁ、結果はお察しだが)
当然ながら、アオイはもちろん、リーシャも弓矢は使いこなせない。
的の近くには矢が散らばるばかり。思わず自身の不甲斐なさにため息がこぼれてしまう。モニカはすまなそうに眉尻を下げて俯く。
「すみません、私がもっと攻勢魔術が使いこなせればいいのですが」
「それは仕方ないよ、モニカ。貴方は元々、治癒魔術師なのだし。本来なら遠距離の攻撃手段を担う必要はないんだ……そうなると、私たちのどちらかなんだけどね」
「弓を持っているのは自分ですから、自分が担うべきなのでしょうが」
アオイが弓を持ち上げると、微かにリーシャは複雑そうな表情をする。
それもそのはず、これはリーシャを見捨てた冒険者の所有物なのだ。
その冒険者は姿を眩ましてしまい、なし崩し的にアオイの所有物になっている。サフィラに聞くと、問題はないらしい。
(正直、リーシャを見捨てた男の物だと思うと複雑だけど――)
というか、その男は今、一体どこに行ったのだろうか?
アオイは内心で首を傾げながら、弓と矢筒を担ぐ。リーシャは視線を逸らし、紐を傍らの袋から取り出した。紐の中程には革がついている。
「ひとまずはこれの練習をしようか。アオイ。これなら一朝一夕で役に立つと思うよ」
「それは?」
「スリング。投石機、といってもいいかもね」
リーシャは手頃な石を拾い上げると、その紐の革の部分に載せる。そして紐の両端をリーシャは掴むと腕を大きく回してから振り抜く。
的にした岩に石が炸裂し、砕け散る。その威力に思わず目を丸くする。
「すごい……それを使うだけで威力が上がるのですね」
「そういうことだよ。遠心力を使って加速するんだ。使い方はそこまで難しくないから教えてあげる。モニカも一応、使えるようになっておいた方がいいよ」
「そうですか?」
「うん、魔力が使えないときに使える。それにゆっくり振り回せば、音も立ちにくい、っていう利点もあるかな。密かに獲物を狙うときにお薦めだよ」
「なるほど、やってみます」
リーシャは二本のスリングを取り出し、アオイとモニカに差し出す。それからリーシャが石の投げ方を軽く指導してくれる。
「革の部分に石を載せて、落ちないように振り回す――そう、最初はゆっくりでいいよ。回し続ければ、石は落ちないから」
「本当ですね……これで加速して……ッ!」
アオイがスリングを一閃させると、石が飛んだ。的から外れたものの、かなりの速さだ。上手い、とリーシャは軽く手を叩く。
「その要領。あとは狙いさえ定まればいいかな」
「……これはいいですね。スリング」
「ある程度の運動感覚さえあれば、問題なくできるよ。他にも石だけじゃなくて、劇薬が入った瓶とかも飛ばせる。まぁ、それは参考程度にね」
リーシャの言葉に頷きながらモニカを見る。モニカは少し苦戦をしており、振り回すことができても投げられないでいる。
リーシャがそれを指導するのを見ながら、アオイは何度か石を投げてみる。
放物線を描く石。直線の石。投げ方を工夫しつつ、その軌道を思い浮かべて思う。
(――斬れるな)
自分でも斬れる。師匠なら間違いなく斬れる。スリングを使っているとはいえ、これは所詮、投石だ。投げられた石を斬る訓練もさせられていた。
斬れるということは避けられる。自分に避けられるなら、魔獣も避けられてもおかしくはない。攻撃手段としては悪くないが、不安が少し残る。
いや、と軽く首を振ってその不安を打ち消した。
(遠距離攻撃の手段を持っている。それが、大事なんだ)
あとは立ち回りで補うしかないだろう。それを思いながら剣に触れ――。
不意に背筋が凍った。
どす黒く不吉な気配。弾かれたように街を振り返る。リーシャも同じだった。モニカもそれに続き、微かに眉を寄せる。
「今、何か――」
声を紡ぎかけた瞬間、どん、と強い爆発音が響き渡る。空間を揺るがす衝撃に思わず一歩後ずさると、街の外壁の内側から黒煙が立ち上る。
その量は尋常ではない。そして、今まで感じたことのない気配もある。
アオイはリーシャとモニカを振り返る。彼女たちはすぐに表情を引き締めていた。
「街に戻ろう、二人とも――何かあったか、確かめないと」
「ええ、あれは尋常ではありません」
頷き合い、すぐに駆け出す。街の門からは慌てて逃げ出したと思しき人たちの姿が見えていた。
◇
その日は何の変哲もない一日だった。
ブナンの森の立ち入り禁止が通達されたが、冒険者たちはすぐに順応して他の狩場を目指し、受付嬢サフィラは依頼の発注、受注業務をこなし続けていた。
それに気づいたのは、冒険者の列が一段落してからだった。
(……あれ)
裏で休憩をしてからカウンターに戻ると、ふと一人の冒険者がギルドの建物内を歩いていることに気づいた。依頼の掲示板を見たかと思えば、少し迷うように辺りを見渡す。
他の受付嬢や冒険者はあまり気にしていない――いや、一人の冒険者がそれを見て嫌そうな表情をした。じっとうろつく冒険者を見て、思い出す。
(ああ、あの人は)
確かに嫌悪感が込み上げてくる。何故なら、その男はリーシャを見捨てた、あの弓遣いの冒険者だったからだ。ほとぼりが冷めたと思い、出てきたのだろうか。
そう思うと嫌な気持ちになる。間違ってもリーシャには見せたくない相手だ。
もちろん、人の口には戸は立てられない。その情報は他の冒険者にも共有されている。一人の冒険者が近づくと、その冒険者に荒げた声を掛けている。
「……先輩、どうしましょう」
「……ひとまず、静観ね」
ひそひそと話し合う。粗暴な冒険者に対し、弓遣いは表情を変えない。それどころか生気を感じさせない眼差し――わずかに不気味だ。
微かに眉を寄せ、ふと嫌な予感が頭をもたげる。
そういえば、この街に来た学院からの調査員、ヘルメスは言っていた。
『レナード殿は冒険者たちに気を張って下さい。もちろん最近出入りのある者だけでなく、素行が怪しい者、死んだと思われた者、長期不在だった者は要警戒です』
(……その条件に当てはまる)
ごくりと唾を呑み、傍らの後輩にそっと告げる。
「ごめん、マスターを呼んでもらってもいいかしら」
「え、あ、はい……」
「緊急。できるだけ急いで。でも冒険者を刺激しないように」
その口調から後輩は慎重に頷くと、書類を持って立ち上がる。奥に引っ込むのを気配で感じながら、視線を冒険者たちに向ける。
「おい、聞いているのか……!」
粗暴な冒険者は弓遣いに声を荒げ、突き飛ばそうとする。瞬間、その手が弓遣いによってがしりと掴まれる。素早い動きに目を見開くと、弓遣いは無関心な視線を冒険者に向ける。その瞳を見て思わずサフィラは腰を浮かした。
目が、紅い。それに気づいて顔色を変えたのが、弓遣いに悟られた。
瞬間、にぃ、と口元が歪み。
その身体が白く光った。直後、身体が衝撃に包まれる。
気が付けば、サフィラは身動きが取れなかった。
全身が軋むように痛み、頭がくらくらする。その中でうずくまっていると、身体が軽くなった。身体に手が添えられ、揺さぶられる。
「サフィラ、大丈夫か……!」
「マス、ター……」
顔を上げる。そこにはレナードとヘルメス、そして後輩の受付嬢が立っていた。受付嬢は顔を真っ青にして口元を抑え、ヘルメスは厳しい顔をしている。
続けて視線を上げ、思わず絶句する。
「ここ――は……」
視界に飛び込んできたのは瓦礫の山だった。周りには砕けたテーブルの残骸があり、横には大きな板が転がっている。一部は焼けているのか、焦げた匂いと黒煙が目に入る。思わず咳き込むと、後輩が近寄って背を撫でさすってくれる。
「サフィラ、何があったのだ。お前が呼んでいると聞いた瞬間、凄まじい爆発が襲ってきてな。ヘルメス殿がいなければ、無事では済まなかった」
「裏にいた方々は〈匣〉で咄嗟に守りましたが――表にいた皆さんは間に合いませんでした。爆心地は表のようですが――」
ヘルメスの言葉を聞きながらサフィラは思考を整理。立ち上がって告げる。
「先日、リーシャを見捨てた冒険者が現れました。警戒したところ、目が紅く光り、次の瞬間には爆発が身体を襲いました」
「……目が、紅い? 冒険者が?」
レナードが困惑を見せ、ヘルメスを振り返る。ヘルメスは腕を組んでいたが、素早く視線を瓦礫の外に向ける。そこからは轟音が響いていた。
爆発。悲鳴。錯綜する声――それにサフィラは息を呑む。
「――まだ終わっていないようです。ひとまずはそれを魔獣と認定し、対応することが必要だと思われます。騎士たちは恐らく収拾に動いているはずでしょうが……」
「ならば、我々も連携すべきだろう。ヘルメス殿、助力を願えるか」
「もちろんです。私の方もダメ元で先日、援軍を要請しました。運が良ければ間に合うとは思うのですが――」
レナードはそう言いながら薙刀を瓦礫の中から引っ張り出し、ヘルメスはマントを翻して歩み始める。レナードは振り返り、サフィラに告げる。
「サフィラ、ギルドは任せる。冒険者を集めて生存者の救出と民間人の避難を行え。街が指定する避難場所が使えるはずだ。それと健在のゴールド級がいれば、こちらに寄越してくれ。援軍はいくらあっても足りない」
「――了解、しました」
明確な指示に頭が冴えていく。今は動揺している場合ではない。
ギルドの受付嬢として務めを果たすべきだ。レナードとヘルメスが立ち去るのを見届けてから、サフィラは深呼吸を一つ。視線を後輩に向ける。
「まずはみんなの救出。建物内で助けられる人を助けるわ」
それから騎士と連携する必要がある。冷静になれば、やることは見えてきた。
爆音や悲鳴が聞こえる中、サフィラは毅然と声を発する。
「ギルドが壊滅しても、受付は健在――務めを、果たしましょう」
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