第20話 ヘルメスの分析

 ブナンの森の異変から数日が経った。

 その日、依頼を遂行してギルドに戻ったアオイは思わず重いため息を吐き出す。

 リーシャやモニカと共に、いつものように依頼は遂行できた。それでもこの報告は、気が重かった。


「……代わりに行きましょうか? アオイさん」


 モニカが声を掛けるが、リーシャはその肩に手を置いて首を振る。


「ダメだよ、モニカ――これも冒険者としていずれはやらなければならないこと。引き受けてあげても、彼のためにはならない」

「……ですけど……」

「大丈夫です。モニカさん――今日はカウンターも空いていますし」


 アオイは笑みを繕うと、モニカは胸に手を当てて視線を伏せさせる。リーシャは目を細めると、アオイに優しく告げる。


「うん、その意気だ。終わったら、ご飯を作ってあげるから」

「……楽しみにしています」


 アオイは頷いてカウンターに向かう。そこではサフィラの場所が空いていた。そこへ向かい、依頼書の控えを差し出す。


「依頼達成の報告を、しにきました」

「……はい、承ります」


 サフィラはアオイの表情と同行者が誰もいないことで悟ったのだろう、表情を曇らせながらも毅然と頷く。アオイははっきりと言葉を押し出す。


「遭難者捜索任務――生存者はなし。五名の遺体を収容しました」

「……ご苦労様です。遺体は?」

「裏の空き地に。幸いというか、お骨は揃っています」


 今回の任務は、ブナンの森で救出できなかった狩人の捜索だった。アオイたち三人に加え、冒険者二名を加えて捜索。やがて、討伐した花の魔獣付近から遺体を発見できた。

 魔獣の体内で半分消化されていた遺体は、見るも絶えないもので、アオイは思わず吐いてしまうほどだった。だが、青い顔をしながらも毅然と対応していたのは、モニカだった。溶けかかった遺体にも触れ、慎重に下ろして祈りを捧げ、それから荼毘に付した。

 その手つきは迷いがなく、姿には覚悟があった。


『亡くなられた後はせめて安らかに眠っていただきたいですし、それに――これは遺族にもお渡しすることになるご遺体です』


 火葬が終わり、モニカは慎重な手つきで一本一本の骨を棺桶に収めていく。それを手伝いながら、アオイはモニカの声に耳を傾ける。


『死者は亡くなられてそれまでです。ですが、遺族の方は生きておられる。生きる者が死者と向き合い、整理をつけるためにもご遺体は必要です。できるだけ綺麗なご遺体が、ね』


 確かに凄惨な遺体そのままで、向き合えばそれは心が乱れて落ち着くどころではないだろう。だが、こうしてモニカに丁寧に弔われた遺体は綺麗な遺骨となり、きちんとした葬送がされたことが伝わってきた。

 そして五つの棺桶は丁寧にアオイたちによって運ばれ、街に帰ってきた。

 他の受付嬢が確認してきたのだろう、サフィラに小さく耳打ちする。うん、とサフィラは頷くと、用紙を取り出してペンを走らせる。それから強く判を捺した。


「依頼達成の報告、受理しました――手続きはこちらで後は引き受けます。報酬はこちらです。丁寧な葬送だったことから少し色をつけています」

「……ありがとうございます」


 正直、受け取るのも憚られる。人を助けられずして、何が報酬だろうか。

 だが、それはアオイ一人の気持ち。総意ではない。ぐっと飲み込み、差し出された金貨と銀貨数枚を受け取る。

 ふと、カウンターから手が伸び、柔らかい手がアオイの手を包む。

 視線を上げると、サフィラは軽くアオイの手を叩き、穏やかな口調で優しく言う。


「――よく報告できたね。アオイくん、貴方はもう立派な冒険者」


 事務的な口調ではない、いつもの親しげなお姉さんの口調で言ってくれる。それに思わず胸が詰まりそうになり、目頭が熱くなる。サフィラはにこりと微笑むと、少しだけ申し訳なさそうに眉を寄せた。


「お疲れ様――と言いたいけど、ごめんなさい、少し時間もらえるかしら」

「え……っと、リーシャさんやモニカさんも呼びますか」

「ええ、関わってもらった当事者だし、貴方たちの意見も聞きたいと思うから」


 サフィラはそう言いながら腰を上げて合図する。


「奥に来て――マスターやヘルメスさんが話しているわ」


「個人的に申し上げれば、ブナンの森はしばらく閉鎖。王国騎士団を入れた調査を実施した方が良いと思われるのですが……」

「その方が良いのは分かるが、冒険者たちの生計を考えるともマスターとは頷けないところがあるな……今でさえ、冒険者が少し離れつつあるのだ」


 奥にあるギルドの応接間――そこではレナードとヘルメスが真剣な表情で話していた。話の切れ目を見計らい、サフィラが一つ咳払いをする。


「失礼します――冒険者のお三方をお連れしました」

「む……ああ、すまない、三人とも。入ってくれ」

「……失礼します」


 アオイが告げ、リーシャとモニカも続いて応接間に入る。レナードはソファーを進めながら目を細め、サフィラを招き寄せる。


「……それで首尾は?」

「やはり、というか」

「……そうか」


 レナードは一息つき、ソファーに並んで腰を下ろしたアオイたちを見て咳払いを一つする。


「……三人とも、前回の救援に続き、遭難者捜索も引き受けて感謝している。まだ内々の話だが、ギルドに多大な働きを見せてくれた三人にはCランクへの昇格を検討している。尚一層、冒険者として努めてくれれば嬉しい。三人とも」

「……光栄です」


 華々しい戦果を上げたとあれば嬉しいことだが、遺体を収容した後に言われると内心複雑だ。そのアオイを励ますように、リーシャは軽く肩を叩いて微笑む。


「ただ、Cランクになればこれまで立ち入りができなかった場所にも行ける。例えば、大山脈やエルフの住まう大森林とか。いろいろと旅ができる範囲は広がるよ」

「はい、希少な薬草も取りに行けます。みんなで一緒に行きましょう」


 モニカも意気込みを見せるので、アオイは笑みを浮かべて頷いた。


「はい、その際は是非」

「三人とも仲が良くて良いことだ。さて、それはさておき――発端になったブナンの森の異変について、ヘルメス殿が詳しい調査を進めてくれた」

「はい、といっても前回の花の魔獣、そしてアオイくんが討伐したギガントオークなどの一部から分析を進めた結果になります……ちなみにアオイくん、質問ですが」


 ちら、とヘルメスはアオイを見つめ、何気ない口調で訊ねる。


「お師匠様からはどの程度、感染個体について聞きましたか?」

「いえ、何も」

「……全く?」

「はい、全くですが……」


 思わず眉を寄せると、ヘルメスは小さく微笑んで頷いた。


「なるほど、では一から説明する必要がありますね。といっても、リーシャさんやモニカさんから感染個体についてはざっくり聞いていると思います。大戦期に開発されたウイルスに感染した個体――このウイルスを我々は、ベルグウイルスと呼んでいます」


 ヘルメスはこほん、と咳払いを挟む。モニカは興味深そうに耳を傾け、リーシャも腕組みしながら聞く。彼は淡々とした口調で言葉を続ける。


「魔王軍で開発されたウイルスで、魔獣をより効率よく連合軍に攻撃されるために生まれました。ご存知の通り、魔獣テロ事件でもそれが使用されたことで知られ、各国でこのベルグウイルスやそれに類する者の保有及び研究を禁止する条約が結ばれました。さて、このベルグウイルスですが大きな特徴があります」


 ヘルメスは指を四本立てた。指折り丁寧に解説していく。


「一つ。ウイルスは感染する。感染経路は咬傷やひっかき傷などで、唾液などが混入して他の魔獣に混入する場合があります。

 二つ。感染個体は目が紅くなる。これは恐らく、魔力を生み出す臓器に作用している影響だと思われています。

 三つ。小型個体はウイルスに耐え切れず、ほとんどが死滅する。これは要検証です。そして、四つ――」


 四本目の指を振りながらヘルメスは一息つく。モニカは何かに感づいたように思考を深めていた。それを見て目を細めながらヘルメスは続ける。


「――植物には、感染しない」


 その言葉にわずかに引っ掛かる。脳裏に過ぎったのは、この前戦った花の魔獣。

 何故だか、嫌な予感がする。それを裏付けるように、ヘルメスは懐から瓶を取り出す。その中には萎びた蔦が入っている。それを見せて彼は告げる。


「さて、ここで問題になってくるのは、こちら――この魔獣の断片から、そのベルグウイルスらしきものが検出された、ということです」

「……え、つまり……感染個体」

「それも植物魔獣の、だ」


 レナードは頷いて言葉を足す。じわじわとアオイの背筋から冷汗が滲む。


「つまり――それは新種のウイルス……?」

「突然変異、ならば対応のしようもあると思います。ただ、それにしてはあまりにも不自然すぎると言えます。何しろ予兆がなく、急に起こった話です。それに見過ごせないのは、このウイルスがギガントオークの感染個体からも検出されたこと――」


 ヘルメスはそう告げると、全員を見渡してはっきりと続ける。


「以上から、人為的な工作である可能性が、充分に高いと思われます」


 その言葉はあまりにも重く、想像以上だった。モニカは目を見開き、リーシャも眉を寄せて難しそうな表情を浮かべている。


「正直――冒険者の手には負えない話になってきたな」

「はい、すでにこの件は騎士団を通じて国に報告を上げています。然るべき調査を行い、真相究明を急ぐ必要があります。ただ仮にこれが本当に人為的――つまり、敵がいるとすれば、いつまでもこちらの動きを待っているとは思えません。下手をすると、このディスタルの街に入り込み、動きを探っている可能性すらあります」


 そこで、とヘルメスは視線を上げ、全員を見渡して訊ねる。


「最近、街に現れた人物で、怪しそうなものは――誰かいますか?」


「最近、街に現れた――」

「人物、ですか」


 リーシャとモニカの視線がアオイに向けられる。アオイは思わず眉を顰めて左右を見る。


「――怒りますよ、二人とも」

「あはは、冗談だよ。アオイ」

 リーシャは軽く笑い飛ばし、モニカもしみじみと頷いて言う。

「アオイさんは怪しくありませんし、この街に来てから基本的にリーシャが気にかけています。その中で何か怪しい行動をできるとは思いませんよ」

「それに誰かを食い物にして、利を目指すような方ではありませんからね、アオイくんは」

「当たり前です」


 食い気味に即答すると、全員が笑い声をこぼした。束の間、和んだ雰囲気の中、立ち合っていたサフィラが軽く咳払いをして言葉を続ける。


「アオイさん以外でここ一か月、街に入ってきた冒険者は数えるほどです。ですが、彼らは実直に仕事をしてきた実績があります」

「成り代わっている可能性は? 魔族はそうやってきた実績がありますが」

「ないと思います。掌紋と魔力の波長で照合していますので」

「ふむ……となると、商人か……いずれにせよ、騎士たちと協力する必要がありますね。レナード殿は冒険者たちに気を張って下さい。もちろん最近出入りのある者だけでなく、素行が怪しい者、死んだと思われた者、長期不在だった者は要警戒です」

「うむ、了解した」

「アオイくんたちも気をつけていただきたいのと――以上を踏まえてもう一つ」


 ヘルメスは姿勢を正して視線を三人に向ける。


「私は花の魔獣は見ましたが、ギガントオークは戦っていません。その際の特徴を思い出す限り伝えていただきたいのと」

「――分かりました」


 アオイは視線を上げ、リーシャと頷き合って思考を整理する。

 少し長い話になりそうだ。アオイは唇を軽く舐めてから口を開いた。

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