第14話 薬草を求めて

「アオイさん、少し手伝ってもらっていいですか」


 そう告げたのは朝食が終わり、罠を一回りしてからだった。

 罠には意外と多くの魔獣が掛かっており、引きちぎられたものもあったが、首尾よくシャドウウルフなどの魔獣、そして表層近くに仕掛けたモニカとリーシャ合作のトリモチ罠にはプテライアが引っ掛かっていた。

 それを野営地に担ぎ込み、一息ついているとモニカは鞄を担ぎながらアオイに声を掛ける。リーシャも少し不思議そうに首を傾げる中で、モニカは小さく苦笑をこぼす。


「私用で恐縮なんですけど、いくらか薬草を見て回りたいのです。野営地から離れませんので、一回りしてこようかと」

「ああ、なるほど。じゃあ、アオイはその護衛ってところか」

「はい、アオイさんの察知能力なら微々たる魔獣も感じ取れると思います。リーシャ、すみませんが――」

「うん、構わないよ。私は魔獣の処理をしておく。昼には戻ってきてね」

「はい。行きましょうか、アオイさん」

「了解しました」


 剣を佩いていることを確かめ、アオイは腰かけていた岩から立ち上がる。モニカは目星をつけていたのか、迷いない足取りで岩肌を登っていく。

 そして、丹念に岩と岩の隙間を覗いて進む。


「――こんな場所でも、薬草があるんですか?」

「こんな場所だからこそ、というところもありますよ。風通しがよく、水はけもいい。競合する他の植物もいない。という利点もありまして」


 モニカが足を止める。彼女の視線の先では苔むした岩がある。岩の表面が湿っており、そこに苔が生えているらしい。彼女は丹念にそれを確かめ、腰から瓶を取り出すと表面をナイフで削り取っていく。

 採集した苔で一杯になると、彼女はその瓶を見せて軽く微笑む。


「例えばこの苔から作る薬は解熱剤になったりします。私個人の薬によく使うので、こういうのは欠かせませんね」

「そうなんですか」

「はい、といってもリーシャから簡単な薬草は受けていますよね」

「ええ、本当に多少で傷薬代わりのバラアロエや、ミソギ草なんかですけ」

「ふふ、二人とも冒険者の味方の有用な薬草ですよ。ただ、他にもいろんな薬草があるんです。例えば――」


 モニカは楽しそうに語りながら、茂みの方に歩み寄る。そこを覗き込んで、あった、と一本の草を引き抜く。


「この草の葉は眠気覚まし、根っこは消毒作用があります。調味料としても使われますね」

「ハーブみたいなものですか?」

「はい、摺るとかなり辛味があるのです。機会があれば是非」

「へぇ……野営地の食事にも役に立ちそうですね」

「普段の食事でも役立ちますよ。市場の料理にも使われているんです」


 モニカは楽しそうに言いながらいくつかその草を引き抜いて保管。続いての場所へ岩肌を進んでいくと、岩を這う蔦を見て目を輝かせた。


「あ、これは――!」

「何かありましたか?」

「はい、ナツル芋という植物の蔦で、この蔦が目印なのですが」


 蔦を辿るようにあちこち視線を巡らせ、あ、と岩の隙間に目を留める。その蔦の先端が入り込んでいるようだが――。


「この先に大きな芋がなっているのです。この葉の大きさだと、大分大きな芋だと思うのですが――むぅ、さすがに掘れないか……」


 確かにそこは岩の隙間。そこからにょろりと蔦が這い出している状態なのだ。アオイは目を細めると、その岩の上に立って眺めてみる。


「多分、この岩の中に芋が伸びている、と考えていいんですよね」

「はい、そうです。なのでハンマーでもないと。それに時間もかかりますし」

「岩を、割ってみます」

「……え、できるのですか」

「ええ、師匠から学んだので」


 師匠の得意技の一つが宙を舞う石を斬ることだ。中空を舞うそれらの斬れやすい部分を瞬時に見極め、刃を走らせるのだ。

 それを調整すれば、砕いたり割ったりすることもできる。


(この位置なら――大丈夫、だな)


 真下には何もなく、落石を受け止めてくれそうな場所もある。

 モニカに岩から離れてもらい、アオイは岩の上に立つ。立ち位置を確かめながら鞘に納めた剣の柄に手をかける。重心を調整しながら深呼吸を一つ。

 心気を研ぎ澄ませ、刃の意識を集中――己の延長線上に刃を置く。

 身体を操るがごとく、刃を遣う。その感覚が整った瞬間、アオイは目を見開く。

 鍔鳴りと共に刃を解き放った。刃が迸った直後、地面がひび割れる。アオイは跳躍してその岩から飛び退くと、がらがらと音を立てて岩が崩落する。

 舞い上がる土埃が収まるのをしばらく待つ。やがて、その崩れた岩の合間から顔を除かせたのは、立派な芋の一部だ。

 モニカは目を見開きながら慎重に降り、その芋の周囲を軽く掘る。芋の周りの土は柔らかく簡単に解れ、芋の姿が露わになる――。

 細長く地面に伸びていた芋。なるほど、とアオイは目を細める。


(岩の割れ目に詰まった土の中で成長していたのか)


 その岩を砕いたので、容易く芋の姿が露わになる。やがてモニカが土の中から掘り出したのは、太さは腿、長さはモニカの身長ほどある芋だった。


「わぁ……こんな綺麗にナツル芋取れたの、初めてです……っ!」


 モニカは目を輝かせ、その芋を惚れ惚れと眺める。アオイは剣を鞘に収めながら一つ頷き、その傍に寄る。


「ここまで上手く行くとは自分でも思いませんでしたが――余程、綺麗に岩の割れ目の間で育っていたのでしょう」


 そしてアオイはその割れ目に沿って岩を砕いたので、芋が折れることがなかったのだ。はい、とモニカは嬉しそうに頷き、大事そうに芋を抱える。


「芋なので保存も利きますし、何より美味しいですから。一旦、これを持ち帰りましょう。リーシャにも見せてあげないと」


 彼女は弾む足取りで斜面を降り始める。だが、その斜面は砕いた落石が落ちており、不安定だ。アオイは苦笑しながらその傍に降りていく。


「モニカさん、足元に気をつけてください。砕いた岩が多いので」

「あ、そうですね……っと……」


 そう言いかけて踏んだ岩ががらりと崩れる。あ、とモニカは表情を強張らせる。瞬時にアオイは踏み込み、手を差し伸ばす。モニカは手を掴んでアオイに抱きつく。

 直後、彼女の立っていた場所の足元ががらがらと崩れる。それを見てモニカは小さく安堵の息をつき、アオイの顔を見上げた。


「……間一髪でした。ありがとうございます。アオイさん」

「いえ、お気になさらず」

「アオイさんに来ていただいていろんな意味で助かりました」


 彼女はしみじみと礼を言い、アオイの腕をそっと離す。アオイもそっと吐息をこぼす――腕に胸が押し付けられ、内心でどきどきしていたのだ。


(……リーシャもモニカも、だんだん距離感が近くなってきたけど)


 そのせいか、触れ合いが若干増えた気がする。

 心を許してくれることは嬉しいが、そのたびに胸が高鳴るのも難儀なものだ。師匠や、師匠の妻には抱かなかった気持ちの揺れ動きに少し戸惑ってしまう。


「さ、アオイさん、行きましょう――アオイさん?」

「あ、はい、今行きます」


 モニカの声に頷き、アオイはその後に続く。彼女は転ばないように慎重な足取りで進む――それを見ながら彼も慎重に進んでいった。


   ◇


 モニカは男性が少し苦手である。

 話すことはできる。接することができる。そうでなければ、治療院で働けない。だが、豪快な笑い声や粗暴な振る舞いが苦手なのだ。

 だからこそ酒場は苦手であり、冒険者はもっと苦手だ。

 押しが強い冒険者に困らされ、泣きそうになるときもあった。

 リーシャとも出会いもそういった一幕の内であった。

 仲間に加わるように強引に迫ってきた冒険者に対し、リーシャは冷たい声であしらい、モニカを助けてくれたのだ。以降、モニカはリーシャとできるだけ依頼を共にするようにしてきた。


 だが、その日常にも変化があった――アオイという存在である。


 リーシャが気に掛けるにも頷ける、年若い顔つきで世間知らずな雰囲気。

 リーシャが気に入るのも分かる、据わった根性と剣の腕前。

 何より礼儀正しく穏やかな物腰が、モニカに好ましかった。

 そして行動を共にするうちに、彼のことを気に入り始めていた。


「……よいしょ……これでいいですか」


 ひらりと身軽に低木を這い上ったアオイがモニカに問いかける。モニカはその彼の手元を見上げて頷いた。


「はい、そのキノコです。お願いします」

「了解しました。よっと」


 アオイは両足で枝を挟み込んで身体を固定すると、腰から剣を抜いてキノコを採集してくれる。それから下を確認し、モニカに声を掛ける。


「降りるので、少し離れた方がいいかもしれません」

「あ、分かりました」


 言われた通り、少し離れるとアオイはひらりと枝から下り、地面に着地する。それから採集したキノコを両手でモニカに差し出した。


「はい、お待たせしました。モニカさん」

「ありがとうございます、助かります……っ!」

「いえいえ、お安い御用ですよ」


 にこりと幼さの残る端正な顔つきに笑みを浮かべる。モニカはそれに釣られて笑みをこぼしながら荷物にキノコを収めた。


(……本当にいい子ですねぇ)


 こんな採集をしても、冒険者としては一文の得にもならない。

 だが、彼は嫌な顔をせずに木に登って採集してくれる。

 それどころか、薬草やキノコにも興味を示してくれる。


「ちなみにそのキノコは何に使うんですか?」

「ふふ、これは炎症に効くんです。喉が痛いときとか、傷が腫れたときですね」

「へぇ、すごいですね」

「でも気を付けて下さいね、似ているキノコだと思って採集すると、猛毒がある場合があります。例えば、あれとか」


 通りかかった岩に生えているキノコを杖で示す。アオイはそれを見て目を細める。


「似ているけど、よく見ると柄の色が違いますね」

「はい、その通りです。あれは猛毒のキノコです」

「……気をつけないといけませんね。勉強になります。モニカさん」


 アオイの目つきは真剣であり、モニカも語り甲斐があって楽しくなる。


(こんなに薬草やキノコのことを話したのはいつぶりでしょうか)


 これだけ耳を傾けてくれるのはリーシャ以来かもしれない。モニカは表情を緩めていると、アオイはさりげなく斜面の方に立ち、視線を巡らせる。

 モニカも魔力を巡らせ、索敵する――魔獣の気配は、ない。


「何か、気配がしましたか?」

「いえ、そんなことはないのですが――この辺は岩が危なさそうなので、気をつけてください」

「あ……」


 つまり、モニカが滑落しないように気を配ってくれたのだ。それでいて適切な距離感を保っている。紳士的だ。

 いつもは少し怖く思う男性の気配も、アオイなら怖くない。

 むしろ、ほっとするのだ。


「……アオイさんは、頼りになりますね」

「そうですか? この程度でしたら、いつでもお手伝いしますよ」

「あはは、嬉しいですね」


 モニカは思わず表情を緩める一方で、少し不安になる。


(……アオイさん、モテるでしょうね……)


 童顔ながらに整った顔立ちの青年、かつ、こんな繊細な気配りができる子がモテないはずがないのだ。きっと他の人も寄ってくるに違いない。

 だが、その人全員がいい人とは限らない。

 人との出会いは人生経験の一つ。あまり邪魔立てはしたくないのだが――。


(あれ、そういえば)


 ふと思い、モニカはアオイに何気なく訊ねてみる。


「そういえば、アオイさんは好みの方とかいるのですか?」

「好みの人……好ましく思っている方、ですか?」

「はい、そういっても差し支えないかな、と。なんか気になる人とか。まだそんな人に出会えていませんか?」

「んー……難しい質問ですね」


 アオイは少し困ったように眉を寄せ、小さく苦笑を浮かべる。


「実は以前も村の子に言われたことがあるのですが。出会った人それぞれの『好ましい点』を挙げたら、『そういう意味じゃない』『まだまだ子供ね』と言われまして」

「あー……」


 恐らくその子はアオイのことが好きだったのだろう。だから、好みを探ろうとしたのだが、彼はあまりにも純粋な答えを返してしまったのだ。


「どう答えるのが正解だったのですかね?」

「……アオイさんの答えは、それでいいと思いますよ。ただ」


 モニカは少しだけ苦笑を返し、その子のためにも言葉を添える。


「その子はアオイさんのことが好きで――アオイさんの好きに近づきたかっただけなんだと思います。だから、そんな問いかけをしたのですから」

「……そんなことをしなくても、その子は素敵な方でしたよ」

「そうかもしれませんね。でも、その子はそれ以上にアオイさんの特別になりたかった。不特定多数からの『素敵』ではなく、アオイさんだけの『素敵』に」


 そう言葉を返すと、アオイは少しだけ言葉を詰まらせた。視線を泳がせた彼を少し好ましく思いながら、モニカは言葉を重ねる。


「いつかその子とまた会う機会があれば――そして、アオイさんが素敵だと思ったら、そのことを伝えてあげてください。それが一番だと思います」

「――はい、そうしたいと思います」


 アオイは頷いた後、少し照れくさそうにはにかむ。その純朴な笑みがまた魅力的だ。束の間、それに目を惹かれながらもモニカは笑って訊ねる。


「それで――この街に来て、アオイさんが素敵だな、と思う人はいましたか?」

「……自分が、素敵だと?」

「はい、いろんな人がいてその人たちは素敵だと思いますけど。その中でも素朴に、この人いいな、とか、気になるな、とか。そんな感じに思う人です」


 その言葉にきょとんとしていたアオイは真剣に考え込み。

 ふと、思い至ったように視線が止まる。だが、すぐには答えを口にせず、躊躇いの雰囲気が伝わってくる。あ、これは、とモニカは思い至った。

 心当たりがあるが、近し過ぎて言えない感じなのだろう。

 つまり――。


「リーシャ、ですか」


 声をかけると、ぴくりと彼の肩が跳ねた。図星のようだ。思わず小さく笑うと、アオイが少し恨めしそうに睨んでくる。その頬は少し赤い。


「……仕方ないじゃないですか、思い浮かんだのですから」

「ええ、仕方ないです。リーシャも魅力的な人ですから。快活で溌溂として」

「はい、それにお世話になっていますから」


 お世話、の部分を強調するアオイ。それは照れ隠しのように思えて微笑ましい。

 モニカはそれ以上言及せず、目を細めて言葉を返すにとどめる。


「その気持ちは大事にしてくださいね。いつか然るべきときに向き合えば良いだけのことなので。それまでその気持ちを温めておくことが大事だと思います」

「……この気持ちが、どんな気持ちなのか分かりませんが」

「そういうのを全部ひっくるめて、ですよ」


 釈然としなさそうとしているアオイの表情は微笑ましい。

 本当に純朴な人なのだ。だからこそ、見守りたくなる。

 彼がどんな人と結ばれるか、それが楽しみで――。

 何故か、自分の胸がきゅっと引き締まる。それを振り払うようにもモニカは辺りに視線を向けた。先ほどからちらちら確認はしていたが、あまり薬草は見られない。少し広く視野を設けるべく、辺りを見渡してみる。


「アオイさん、あちらに見える茂みに行ってもいいですか」

「はい、もちろんです――荷物、持ちましょうか?」

「いいえ、大丈夫ですよ」


 笑いながらその茂みの方に歩み寄る。近づくと薬草が目に入り、目を細める。


「あ、珍しい」

「お気に召すものが?」

「はい、この辺では生えていないのですが。食あたりによく効く薬草なんですよ――折角だから採っておきますね」


 薬草に触れ、丁寧に採集する。これがあればいつもお世話になっている大家さんの役に立つだろう。そう思っていると、ふとアオイの視線に気づく。

 振り返ると、さっと彼は視線を逸らした――何か気になるのだろうか。


「――何かありましたか?」

「い、いえ……ただ、その」


 少しだけ視線を逸らした彼はわずかに頬を赤らめ、小さな声で言う。


「その……モニカさんの真剣な顔は、とても素敵だな、と」

「……あ」


 先ほどの言葉とその反応――少なくともこれは、彼のお世辞ではない。

 モニカは思わず目を見開き、固まってしまったが、彼の不安そうな眼差しに気づいて微笑みを返した。咄嗟に、素直な本心を返す。


「そうですか? 少し面映ゆいですが……嬉しいです」


 そう答えながら、自分が上手く微笑むことができているか、不安になる。

 だけど、彼は安堵したように目尻を緩め、すみません、と穏やかに詫びた。


「変なことを言いましたよね」

「でも、嘘でもお世辞でもないでしょう?」

「はい、それはもちろん」

「なら、ありがとう――です。他の男の人の言葉なら少し苦手ですけど、アオイさんからそう言ってもらえるのなら、本当に嬉しい」


 モニカは笑って言葉を返すと、彼は心底嬉しそうに表情を綻ばせた。その純粋な目つきを見て、やはり、とモニカは思う。


(この純朴さは、汚されたくないな……)


 昨日に引き続き、リーシャが過保護になる理由がよく分かった気がした。

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