第13話 眠れぬ夜の昔語り

(眠れない――)


 木に背中を預けていたアオイは目を開ける。

 野営地は静けさに包まれている。

 あのトラブルの後、アオイとリーシャはすぐに野営地に戻り、モニカに事情を説明した。彼女は話を聞くと目を丸くしていたが、次にはおかしそうに噴き出していた。

 深刻に捉えず、無邪気に笑ってくれるのがアオイにはありがたかった。


『リーシャ、次からスライムで身体を洗うときは予め言ってくださいね』

『もう二度とやらないからね……』


 そのやり取りの後、三人は見張りの順番を決め、寝ることにした。

 天幕は女性陣に譲り、アオイは木を背に仮眠を取る。だが目をつぶれば、鼓膜の裏側で蘇るのはリーシャの困ったような笑顔だった。

 彼女の姿が目に焼き付いて離れず、目尻を抑える。ふと、微かな声が焚火の向こうから聞こえた。


「――眠れませんか。アオイさん」

「……モニカさん」


 天幕の前で地面に腰を下ろすモニカが仕方なさそうに笑みをこぼしていた。軽く手招きをするので、腰を上げてモニカの傍に行く。

 彼女は手元で札を作っていたが、それをポーチにしまって目を細める。


「まぁ、先ほどあんなことがありましたから、眠れないのも仕方ないですよね」

「……己の未熟さを恥じ入るばかりです」

「あまり気になさらないことです……といっても、アオイさんは真面目な方だから、考え込んでしまいますよね」


 モニカは小さく微笑み、隣の地面をぽんぽんと叩いた。そこに腰を下ろすと、モニカはその後ろに回り込むようにし、そっと肩に手を載せる。

 掌が肩に触れ、そっと確かめるように肩をなぞる。

 次の瞬間、指で肩が押し込まれた。まるで肌に食い込むような力強さに思わず低い声が漏れる。ふふ、とモニカが小さく笑い、さらに指圧する。


「力を抜いていいですよ――ほぐしてあげますから」


 ぐっ、ぐっ、と強張った筋肉にモニカの指が食い込んでいく。痛くはなく、じわじわと心地よさが広がっていく。思わず吐息をこぼし、目を細める。


「気持ちいいです」

「良かったです。そのまま気を楽にして。何も考えなくていいですよ」

「……ありがとうございます」


 彼女の気遣いが嬉しく、モニカに身を任せる。彼女の手は肩だけでなく腕や背まで丹念に揉み解していく。そうしながら彼女は小さく感嘆の吐息をこぼした。


「触れるだけで分かります――アオイさんは真っ直ぐな方だと」

「そう、でしょうか……」

「はい、少なくとも剣に関しては。ここまで引き締まった身体を、私は知りません」

「それは、ありがとうございます。師匠の教えのおかげですね」

「……アオイさんは、そのお師匠様の傍でずっと修行していたんですよね」

「ええ、幼い頃、親に預けられてからずっと、そこで修行し続けてきました。冒険者になったのは、もっと世を知りたかったからですね」

「そうだったんですね……道理で羨ましいくらい、真っ直ぐなわけです」


 モニカの声はどこか暗さを感じさせた。師匠がこの世の悪意を語るときのようで、その人の過去を窺わせるような口調だ。

 アオイは思わず口を噤むと、モニカはしばらく無言でアオイの身体を揉み解す。やがて、彼女は小さく口を開いた。


「――少し、昔語りもしていいですか。私の過去のお話です」

「……はい。お伺いしてもいいのなら」

「是非、聞いてください。こんな人もいると、アオイさんに知っていただきたいので」


 彼女は一息つくと、身体を揉む手を休めずに語る。


「私は小さな村に生まれました。何の変哲もない、山の近くにある村。自然も豊かで、両親は狩人でした。幼い私はその両親の姿を見て育ちました。私も――もしかしたら、何事もなければ、狩人になったのかもしれません」


 何かを予感させる語り。嫌な予感を感じながらもアオイは続きを聞く。彼女は感情を込めず、淡々とした口調で告げた。


「――私の村は土砂災害で壊滅しました。激しい雷雨が遅い、土砂災害が遭ったのです。まだ幼かった私は小柄なのが幸いし、瓦礫の隙間で難を逃れましたが、両親は柱の下敷きになりました。村人のほとんどが被害に遭い、無事なものの方が少なかったです」

「……っ」


 凄絶な言葉に思わずアオイは息を呑む。彼女は小さく吐息をこぼし、アオイの肩に掌を載せ、指先で筋肉をほぐす。わずかな沈黙の後に言葉を続けた。


「その冷たい雨を覚えています。がれきの下から伸びた母の手が徐々に冷たくなる感触も。そこに数人の傭兵が、冒険者が訪れました――助けて欲しいと懇願しました。ですが、彼らは笑って言いました。『助けたらいくらくれるんだ』と」

「……は」


 思わず声がこぼれる。彼女の掌がアオイの肩の上でわずかに震えた。

 頭の中で彼女の語りを冷静に整理する――つまり、その冒険者は、傭兵は、人の弱みに付け込んで金を要求してきた、ということ。

 しかも人が死にそうになっている――否、死んでいる中で。


(何たる、外道……っ)


 だが、怒りを押し殺す――過去のことだと分かっている。口にしても無駄だ。だが、にわかには信じがたい話に身の方が震える。

 それをなだめるように彼女の掌が背を撫でる。背骨の傍を指圧しながら彼女は続けた。


「当然、幼い子供に払えるはずもありません。すると、その傭兵や冒険者は家に踏み入り、瓦礫を退かし始めました。助けてくれるのかと思いきや、何かを取り出して懐に収め始めたのです……要するに、火事場泥棒ですね」


 思わずアオイは拳を握りしめた。想像するだけで腸が煮えくり返る。


「助けもせずに……家財を、盗んだのですか。人の家に土足で、踏み入って」

「……そういうことです。正直、そのときを振り返るともう絶望しかなく、ただ雨の中で立ち尽くすしかなくて。いつの間にか力尽きて座り込んでしまいました」


 一息つき、わずかにモニカは声色を明るくさせる。


「でも――そのような外道もいれば、助けてくれる人もいました。その人は一人の冒険者でした。その人は近くの村人と共に来ると、手分けして私たち村人を助けてくれました。私は雨に打たれ続けたせいで、ひどい熱を出したのですが、その人は付きっきりで医療魔術をかけてくれて――それでようやく回復しました。その人は依頼料など取らずに、去っていきました。その人のおかげで、私は生き長らえることができたのです」


 深呼吸を一つ。彼女は再び彼の肩に手を置く。そのまま、彼女はそっとアオイの首のあたりに額を押しつけて言葉を続ける。


「私はその恩返しがしたくて、冒険者になりました。いずれ会えるだろうと思い、情報を集めながら。それで聞いたのは各地を流浪する医療魔術に長けた冒険者での噂です。きっと、その人が私を助けてくれたのではないか、と思っています。だから――その人を見習い、私も冒険者と医療魔術師を両立させていこうと思い、こうしてディスタルの街で修行させていただいているのです――」

「……そう、だったんですね」


 アオイは深呼吸し、外道に対する怒りを静める。それから静かに訊ねる。


「……何故、それを今、僕に話してくれたんですか?」

「ふふ、本当は寝物語程度で、ここまで深刻な話をするつもりはなかったのですが」


 ふと、モニカの手がアオイの前の方へ滑り、首回りを抱きしめるようにモニカが背中に寄りかかってくる。温かく柔らかい感触――だけど、どこか落ち着く。

 後ろからモニカがアオイを抱きしめ、優しく耳元で語る。


「アオイさんは察するに、まだあまり世を知らない様子。ですから、アオイさんに知っていただきたかったのです。そういう外道はアオイさんの真っ直ぐな人にも付け入ろうとしてくる――そんな外道に傷ついて欲しくないですから」


 要するに、と彼女は小さく苦笑い交じりに続ける。


「なんだかんだで、私もアオイさんのことが心配なんですよ。リーシャと同じで」

「……なんだか、いろんな人に心配していただいています」

「それほど、アオイさんが真っ直ぐで魅力的なんですよ。今日一日で、リーシャが過保護になる理由が、だんだん分かってきた気がします」

「ありがたい限りです……この街に来てから、いい人に恵まれています……」


 しみじみと痛感する。リーシャも、モニカも、サフィラも。

 その人たちを通じてまた良い人たちに出会っている。それが何よりありがたい。

 モニカは抱擁を解くと、再び肩に手を載せて軽く揉んでくれる。


「それはアオイさんがいい人だからですよ。だからこうして過去語りをしたり、助けたくなってしまうのです……少しは気晴らしになっています?」

「ありがたいことに。またいろいろ考え込んでしまいそうですが」

「じゃあ、今しばらく解しますね……ふふ、アオイさんの身体は解し甲斐があります」


 そう告げるモニカの様子は楽しそうだった。肩をゆったりとした力で温め、掌全体で解してくれる。その感覚に身を委ねながら、ふと口を開く。


「……モニカさん」

「はい、何でしょう?」

「僕は必ず、モニカさんのことを、助けますからね」

「……っ、ふふ、ありがとうございます」


 一瞬、手が止まったものの、彼女は嬉しそうに言葉を告げて肩を揉み続ける。次第に意識が遠くなりつつあった。


------


 鳥の囀りが聞こえる。

 頭が柔らかく温かい何かに包まれて寝心地がいい。微睡んでいると、ふと辺りが明るくなっていることに気づき――急速に脳が覚醒する。


(……あれ、僕の見張りの番は……)


 まばたきして焦点を合わせると、ふと上からリーシャがアオイの顔を覗き込んでいることに気づく。彼女は小さく微笑み、おはよ、と口を動かす。


「ぇ、あれ、リーシャさん……見張りの、交代……あれ、なんで……」

「ごめん、居心地良さそうに寝ていたから、起こすのが申し訳なくて」


 そう言いながら髪が梳かれて気づく。頭が彼女の膝の上に載せられている。それに気づいて起き上がろうとすると、彼女が軽く肩を抑えた。


「もう少し寝ていていいよ。まだ、モニカも寝ている。もう少し時間がある」

「だ、けど……甘えるわけには……」

「気にしないこと。昨日のことで少し思ったけど、アオイはまだ私に対して遠慮があるんじゃないかな。だからあんないきなり切腹しようとするのだし」

「それは……その……」

「だから少し、私はアオイを甘やかすことにしたの。アオイとの距離を近づけるためにね。少なくとも私に迷惑をかけても切腹と言い出さない程度には、距離感を縮めないと」


 だから膝枕なのだろうか。少し困惑してしまう。

 だけど、その膝枕も居心地がいいのはまた事実で――アオイは吐息をついて膝枕に甘んじることにする。視線を上げ、リーシャの顔を見上げる。

 彼女は悪戯っぽく片目を閉じ、髪の毛を軽く梳いてくる。


「アオイに寝顔、かわいかったよ」

「……まさか起きられないとは」

「モニカに随分と身体を解してもらったみたいだね。緊張感が抜けていたよ」

「モニカさんの癒しの技術は不思議です……自然と寝てしまいました」

「ふふ、いつも気を張っているアオイには丁度いいんじゃないかな。木に寄りかかって休むよりも、大分疲労は取れているんじゃない?」

「……否定は、しません」

「なら、今日はゆっくり寝た分、いろいろ仕事を頑張ってもらおうかな。今回は獲物の回収、その処理、薬草や鉱物の採集――やることは多いから」

「頑張ります」

「期待しているよ。アオイ」


 そう告げながら髪を撫でる手つきは柔らかくて、アオイは胸が少し高鳴りつつも、気が落ち着いてくる。こんなことをされたのは、幼い頃以来だろうか。

 それでも、悪くない気がした。

 空が明るくなり、天幕から起き出す気配がする。アオイは身を起こすと、リーシャは今度は止めなかった。やがて少し眠そうに出てきたモニカを見て、リーシャは微笑む。


「おはよう、二人とも――朝食にしようか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る