第12話 夜のハプニング

 リーシャは思う――。

 手合わせ以降、何だかアオイのことを気にしてしまう、と。

 以前はギルドで別の冒険者とアオイが話していても、微笑ましく見守ることができた。だが、つい最近、女冒険者がアオイにちょっかいを出しているのを見て、つい見守るよりも先に声を掛けてしまったのだ。

 本来ならば、もう少し様子を見ても良かった、と思う。アオイはまだ冒険者になったばかりであり、リーシャ以外にも多くの冒険者と組んで動いた方が勉強になる。

 例え、それが少々、質の悪い冒険者だったとしても、それは勉強だ。

 だが、そう考えた瞬間、またアオイのことが心配になってしまう――。


(……過保護になっているのかな、私は)


 リーシャは苦笑しながら思考を戻し、視線を焚火に向ける。焚火の傍には串刺しになった肉が焼かれている。辺りは暗く、リーシャたちは野営地に戻ってきたのだ。

 この肉は帰りの道中、早速、モニカの罠に引っ掛かったホーンラビットだ。

 角の採集も依頼を受けていたので、角を切り離して肉は丸焼きにしている。

 その火の番をリーシャが引き受け、アオイはモニカに傷を診てもらっている。途中に出てきたシャドウウルフを斬ったとき、跳ねた石が彼の腕に直撃したのだ。

 少し離れた場所で談笑する二人の声は、焚火の音が交じって聞き取りづらい。

 どうも他愛もない与太話のようだが――。


(……何の話をしているか、気になるな……)


 少しそわそわしてしまい、ごまかすように焚火を木の棒で突く。火が強くなり過ぎないように薪を突いて調整し、炎を眺める。

 兎の丸焼きからは脂が滴っている。とはいえ、食べ頃には少し時間がかかりそうだ。薪を少し抜き、火力を弱める。


(……早く焼きあがらないかな)


 空腹と寂しさでぼんやりそんなことを考えていると、ふと立ち上がって近づく気配に視線をアオイとモニカに向ける。診るのが終わったのか、モニカは天幕に杖をしまい、アオイはリーシャの傍に来る。焚火に手をかざしながら彼は目を細める。


「腕はもう大丈夫かな、アオイ」

「はい、打撲くらいだったので。モニカさんがいてくれて助かりました」

「あはは、これくらいはお安い御用ですよ。アオイさん」


 モニカは笑いながら天幕から出てくる。近くにある岩に腰を下ろす彼女にリーシャはやれやれと肩を竦める。


「ただ、本当はこういう風にすぐに傷を診てくれる環境はそうそうないんだけどな。毎回、治療できる魔術師が同行できるとは限らないし」

「そうですよね……ちなみにあまり魔術師に詳しくないのですが、冒険者にはどんな魔術師がいるのでしょうか」

「そうですねぇ。大戦前後までは魔術といえば、エルフの専売特許という印象がありましたけど、今はエルフから広く魔術の知識が広がりました。冒険者は魔力を炎や氷などに変質させる、攻勢魔術を使う魔術師が多いですね」

「あとは体術と組み合わせる場合、かな。私たちもその部類だよね」


 リーシャはアオイを見ながら言い、確かに、とアオイは頷いた。

 リーシャもアオイも体術の中で自然と魔力を身体に流し込み、身体能力を活性化させている。さもなくば、リーシャの細腕では方天戟を自在に振り回すのは難しいだろう。

 そういう意味では広義ではリーシャもアオイも魔術師ではある。

 モニカは少し考えてから、ああ、と手を打って続ける。


「そういえば少し変わった例だと、結界術を使う魔術師もいますよ」

「結界術――〈匣〉ですか」

「はい。そうとも言われますね。あの英雄のおかげというべきか」


 モニカが笑いながら告げ、リーシャはふと思い出す。

 彼女自身、あまり大戦期に活躍した英雄には詳しくない。だが、結界術を得手とした英雄である〈匣のエルフ〉――クラウス・ブローニングの名はよく聞く。

 彼は終戦後、人間の王国で補佐役を務めていたが、その後に魔術学院の設立に貢献。その学院長として最前線で活躍を続けているのだ。ちなみに養父は彼のことを『悪知恵の利くエルフ』と呼んでいるため、あまりいい印象がない。

 その英雄が得意としていたのが結界術――〈匣〉なのだ。


「結界術もこういった野営では貴重な戦力になります。私も簡単な術だけは遣えるようにしています。魔獣除けの結界も少し張りましたよ」

「そうなんですね……じゃあ、モニカさんはいろんな魔術を使いこなせる、と」

「その代わり、結界は気休め程度の効果しかないですし、攻撃も弱いです。治癒魔術のおかげで辛うじてシルバー級ですけど、他のシルバー級の魔術師なら、プテライアくらいは一撃で射落とすことができますから」


 そう告げたモニカは少し残念そうに自分の掌を見ている。リーシャは軽く首を振りながら、焚火で焼けた兎の肉に手を伸ばす。


「あまり気にする必要はないよ。モニカ。むしろ、治癒魔術をそこまで使えつつ、前線に出られるだけ攻勢魔術、結界術を使いこなしている方がすごいんだ」


 それだけ魔術が使える冒険者はいないと言っても過言ではない。

 治癒魔術がある程度使えれば、治癒院の専任スタッフになることができる。そちらの方が余程給料も安定し、危険も少ない。

 だが、モニカは冒険者として兼業することを選んでいる


(……モニカも、いろいろ事情があるからな)


 手に取った兎の丸焼きを軽く振り、余分な脂を落としてからリーシャはモニカに差し出す。モニカは小さく笑って、ありがとう、と囁いた。

 アオイも手を伸ばし、兎の丸焼きを取る。豪快にかじりつき、肉を頬張る。


「……んまいですね、ホーンラビット」

「うん、そうだろう? 軽く岩塩もまぶしてあるから」

「リーシャの野戦料理は美味しいですよ、本当に……」


 アオイとモニカは夢中で肉を頬張り始めている。それだけの美味さがある。リーシャも兎の肉を手に取り、ちら、とアオイを見る、

 アオイは肉を食うのに夢中だ。それに目を細め、リーシャも肉にかぶりついた。


 食事が終わってからも三人は魔術師についての雑談を交わしていたが、徐々に弱まってきたのに気づき、リーシャは軽く手を打つ。


「よし――そろそろ休む準備をしようか。雑談していたいのはやまやまだけど、明日も早い。お喋りは明日でもできるからね」

「はい、了解です。そうだ、アオイさん、しばらく火の番をしてくれますか?」

「はい、構いませんが――」

「ありがとうございます。その、少し身体を拭きたいから、ごめんなさい」


 モニカが遠慮がちに告げ、アオイが察したように二度頷き、少しだけ顔を背ける。思春期の少年のような仕草に、思わずリーシャは表情を緩めてしまう。


(そういうところはまだ、男の子、なんだな)


 少しかわいいと思いながら、リーシャは立ち上がってモニカに声をかける。


「私はお花摘みに行こうかな。モニカ、先に天幕を使っていていいよ」

「ありがと。リーシャ。あんまり遠くに行かないでね」

「分かっている」


 アオイが背を向けているのをもう一度確認してから、リーシャとモニカはそれぞれ行動をする。彼は慎みのある人なので、覗きなどの心配はいらないだろう。

 目星をつけていた岩陰に向かい――ふと、自分の身体の匂いを嗅いで眉を寄せる。


(汗くさ……っ)


 さすがに岩山を歩き回っていただけに、汗の匂いがすごい。自分でも気づくくらいだ。恐らくアオイも気づくだろう。

 多分、アオイのことだから同じ天幕で寝ることはない。だが、近くでも多分、匂いには気づかれる。彼は口に出さないかもしれないが、匂いについて知られたらそれだけで顔から火が出そうになる。それだけは勘弁したい。


(とはいえ、この辺の水場もな……)


 昼間の確認で小さな湧き水があることは確認している。だが、そこは水浴びできるほどの水が出ていなかった。以前は小さな泉くらいに水があったのだが、季節のせいだろう。

 それ以前に、その場所は少し遠い。一人で行くにはさすがに危険だ。

 と、なれば――。

 少し考えてからふと視線を地面に向ける。そこは岩が細かく砕けて砂地になっている。砂漠のようなさらさらした砂は、養父と旅をした砂漠を思い出す。

 そして、そこで生き抜いた苦々しい思い出も――。

 膝を折り、試しにそっと砂を掘ってみる。何度か掘ると、不意に指先にぬめりのある湿気を感じた。目を細め、砂を掌で叩く。震動に反応して地中から染み出してくる。

 それを見つめ、小さく嘆息する。


(……背に腹は代えられない、か)


 そして、岩陰に隠れるようにしてリーシャは服を脱ぎ始めた。


   ◇


(――ん?)


 ほんのわずかな違和感が肌に触れる。アオイは焚火から視線を逸らし、岩山の方に視線を向け、思わず首を傾げた。


「お待たせしました、アオイさん――あれ、どうかしましたか?」

「いえ――微かですが、魔獣の気配がして」

「え、本当ですか……?」


 モニカは不安そうに眉を寄せる。アオイは苦笑をこぼして軽く首を振る。


「多分、大丈夫です。地中から出たスライムか何かだと思います」

「そっか……でもすごいですね、アオイさん。そんな微細な気配も感じるなんて」

「修行の賜物です」


 師匠ならば寝ていても探知し、危険があれば飛び起きる人だ。そういう人から師事を受けてきただけに、自信はある。

 ただ、気になることは。


「……そちらの方から、リーシャさんの気配もするんですよね……」

「え、本当に……?」

「はい、これは間違えようがないです」


 リーシャの気配ははっきりと記憶している。あの炎のような気配は忘れようがない。それと魔獣の気配はかなり近い。

 もし用を足している途中で、襲われたりしたらリーシャは反撃できるだろうか。

 同じことを想像したのか、少し不安そうにモニカは眉を寄せている。

 だが、すぐに表情を引き締めると、アオイの方を向いて告げる。


「アオイさん、リーシャを探しに行ってもらっていいですか。さすがにお花を摘みに行っているだけにしては、少し長引き過ぎですし」

「……リーシャさんに限って、大丈夫だとは思いますけど……」

「でも、心配ならば気に掛けるべきです。楽観視のせいで命が失われた例もなかったわけではありませんし、魔獣を警戒するに越したことはありません」

「……そう、ですよね」


 モニカのきっぱりした声に、アオイは頷いて剣を手に取る。


「ここは大丈夫です。結界もありますし、何かあれば花火でも上げます」

「分かりました。すぐに戻るようにします」


 幸い、リーシャの気配はそこまで遠くない。アオイは素早く駆け出した。気配を見逃さないように、音を立てずに岩から岩へ跳ぶ。

 そして、大きな岩陰からリーシャの気配が伝わってきて――。


(――っ)


 同時にあるのは、魔獣の気配。息を呑み、アオイは着地しながら鯉口を切る。


「リーシャさん、無事ですか……!」

「……え、アオイっ?」


 慌てたような声。アオイは安堵しながらも慎重に岩陰に足を踏み入れ、魔獣を対峙するべく刃を抜こうとし――。

 思わず、目の前の光景に固まってしまった。


「……は、ぇ?」


 目の前、星明かりの下で見えたのはリーシャの肌だ。服を脱いだ彼女の姿が完全に露わになっている。だが、同時に大事なところは何かで覆われている。

 水色の粘液状の物体――あれは……。


「……スライム?」


 思わず声に出した瞬間、リーシャの顔が真っ赤に染まり、手で肌を隠す。


「あ、アオイっ、な、なんでここに――っ、いや、その前に後ろを向いてっ!」

「ぇ、あっ、はいっ」


 澄んだ悲鳴に思わず踵を返して立ち、遅れて出てきた疑問を思わず口にする。


「な、なんでリーシャさんの身体をスライムが……っ?」

「か、身体を洗っていたのよっ、スライムでっ!」


 その返事は予想外で思わず呆気にとられ――だが、すぐに数日前の会話を思い出す。


『砂漠にもスライムが湧くのだけど、日中は砂の下に隠れて、夜の間に空気中の水分を吸っているんだ。だから、それを掘って捕まえて水を確保するんだよ。身体もそれで綺麗にしたかな。懐かしい思い出だ』


(あれはこういう意味か……っ!)


 スライムに汚れを吸着させていたのだろう、それに何も言えなくなる一方、深呼吸して平静さを取り戻したのか、リーシャの押し殺した声が響く。


「そ、それで……アオイはなんでここに……?」

「その、微かですが魔獣の気配を感じたので……」

「魔獣……? あ、もしかして……」

「はい、そのスライムだと思います……」


 スライムはそれなりに大きかった。リーシャの胸を覆い隠せるくらいには――。


(――っ)


 スライムを思い起こした際に、リーシャの裸を鮮明に思い出してしまい、思わず頭を振る。いや、それよりも肝心なのは――。


(リーシャに恥をかかせた……っ)


 さらには信頼を裏切ったことにもつながる。迂闊な行動が彼女を傷つけた。

 そのことに頭の芯が熱くなる。自らに込み上げた怒りをそのままに、アオイは剣を抜き放った。鞘を投げ捨て、深呼吸を一つ。


「リーシャさん、お詫びします……っ!」


 その勢いのままに腹に刃を突き立てようとして――その手が後ろから強引に止められる。後ろから抱きしめる形で、リーシャが慌てて告げる。


「な、何をしているんだ、アオイ……っ、何もそこまで……っ!」

「離して下さい、僕はリーシャさんに恥を掻かせ、不義理を……っ」

「気にしていない、気にしていないから……止めな、さいっ!」


 後ろから手を絡められ、手首が捻られる。痛みが走って刃を取り落とした瞬間、彼女はひらりと腕を捻り上げ、拘束する。

 気づけばアオイは地面に引き倒され、リーシャはその上に跨っていた。

 彼女は肌を紅潮させながら荒く息をつき、ぺちん、と平手でアオイの頬に手を添える。平手打ちほど強くなく、冷たい手を頬に添えている。

 彼女の黒い瞳が、真っ直ぐにアオイを見つめている――やがて、彼女は落ち着いた眼差しで静かに訊ねる。


「落ち着いたかな、アオイ」

「……落ち着いているように、見えますか」

「見えるけど。もう切腹しようとしない」

「正直、したいです。恩人にひどいことをするなど、一生の不覚です」

「でも、それを見逃せば私は後悔するかな――誤解とすれ違いで、恩人を亡くすことになるのだから」


 静かに澄んだ声に思わず沈黙する。リーシャは頬に手を添えながら、ね、と軽く首を傾げて困ったように微笑む。


「私とアオイなら、恥を掻かせ合ってもやり直せる――そう、思うのは私だけかな」

「……ずるいですよ。リーシャさん、その、言い方は」


 頭の芯にあった怒りの熱は萎んでいった。深く吐息をこぼして身体から力を抜く。リーシャは安堵したように吐息をついて身体を起こし――。


「あの……大丈夫、ですか?」


 その声にアオイとリーシャは同時に固まった。視線を横に向ければ、困り顔のモニカが岩陰から覗き込み、そして顔を真っ赤に染める。


「あっ、いやっ、ごめんなさいっ、お邪魔しました……っ!」


 モニカが慌てて岩陰から顔を引っ込める。一拍遅れてアオイは現状に気づく。

 仰向けに倒れたアオイ。その上で馬乗りになっているリーシャは一糸まとわぬ裸。誤解されても何らおかしくない状況だ。リーシャは咄嗟に胸を手で隠し、顔を赤らめる。

 だが諦めたのか、彼女は焦らずにゆっくりと吐息をこぼして苦笑いを浮かべた。


「……私も切腹したくなったかも」

「同感です。けど……恥は、甘んじます」

「そうね、二人で誤解を解きましょう――あっち、向いていて」

「はい、当然です」


 リーシャは立ち上がったので、素早く目を閉じてアオイは身体を起こし、彼女から背を向ける。ただ、彼女の裸体は鼓膜に焼き付いて離れそうになかった。

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