第9話 手合わせの後の治療
「――全く何をやっているんですか。リーシャ。アオイさんも」
ディスタルの街にある一つの宿舎――その一室で一人の魔術師が呆れながらアオイの腕の傷を診てくれていた。魔力の光を迸らせ、丁寧に治癒を施す。
それを傍で眺めているリーシャはすまなそうに眉を寄せた。
「ごめん、モニカ……まさか手合わせがあんなに白熱すると思わなくて」
「そんな乱暴な手合わせに後輩を付き合わせるのはどうかと思いますよ」
アオイの正面に座る魔術師はやれやれとため息をつき、台に載せたアオイの腕に触れる。腫れは少しずつ引きつつある。それを確かめ、彼女は一息つく。
「……とりあえず初動の手当ては完了しました。少し休憩にしましょう。あ、まだあまり動かさないでくださいね。アオイさん」
「ありがとうございます。モニカさん」
「礼には必要ありませんよ。アオイさんにはこの前のご恩もありますから」
魔術師の女性、モニカは緩やかにウェーブした茶髪を揺らし、緩んだ目元に微笑みを浮かべて告げる。
腕を怪我したアオイはリーシャに連れられ、ここで治療を受けていた。急な訪問に彼女は面食らっていたが、お小言をリーシャに言いながらもこうして丁寧に治療を施してくれている。モニカは冒険者の中でも珍しい治癒魔術も遣える魔術師だという。
(だから、あの調査隊にも選抜されていたんだろうな)
こうして治癒を受けてみれば、その実力は納得である。アオイは軽く左腕の様子を確かめていると、リーシャは安堵の息をついて椅子に腰を下ろす。
「ありがとう。モニカ――まさか治療院が休みだとは思わなくて」
「全く仕方のない人ですね……でも、私はまだしもアオイさんを巻き込むのはどうかと思いますよ。リーシャ」
ため息を一つつき、モニカは傍らにあるお茶を飲む。それから視線をリーシャに向け、つっけんどんな声で続ける。
「そこで神妙にしていないで、申し訳ないと思うなら食事を買ってきてください。三人分ですからね。リーシャ」
「わ、分かったよ……アオイくん、何か好き嫌いはあるかな」
「特にないので、リーシャさんのオススメをお願いします」
「うん、分かった。二人とも、少し待っていて」
彼女は慌ただしく部屋を出ていく。それをおかしそうにモニカは見守っていたが、やがてアオイに視線を戻すと、少しだけ眉尻を下げて訊ねる。
「大丈夫ですか? アオイさん。リーシャに面倒を掛けられていません?」
「いえ、むしろ面倒を見てもらっている立場ですが……」
「ふふ、リーシャは面倒見がいいですから。ただ、勢いが良すぎるところもあって。時々、人の話を聞かないときもありますから……」
「……そうなんですね」
「はい――あ、治癒を続けますね」
モニカはそう言いながら掌を再び台に置かれたアオイの左腕に向ける。魔力の光が放たれ、むずがゆい感触がアオイの腕の内側で走る。
気を紛らわせるように、アオイは彼女に訊ねる。
「リーシャさんと仲が良いのですか?」
「ええ、というかよく一緒に依頼をこなす仲なんです。女の冒険者はやはり少なくて――その中でもソロを保っている女の冒険者はリーシャくらいですから。男の人は怖いので、自然と彼女と組むことが多くなります」
モニカは小さく吐息をつき、空いた手で鍼を手に取り、アオイの左腕に打つ。二か所鍼を打つと、それを摘まんで魔力を流してくる。
再びむずがゆい感覚。今度は鍼を通じて、ピンポイントに流れてくるようだ。
「彼女は割といつも無茶な戦い方をするので、気が休まらないというか。誰かと行動するときは慎重ですが、時折、思い切った行動をします――この前のギガントオークの件もそうですね。あれだけの強敵ならば、逃げる方を選ぶはずなのに。命があっての物種の冒険者稼業なら、なおさら。でも、彼女は真っ直ぐに戦ってしまいます」
その言葉はアオイの中でもしっくり来た。アオイは小さくつぶやく。
「よく見ていられるんですね」
「ふふ、職業柄かもしれませんね。私は治療院のバイトと冒険者を掛け持ちしていますから」
そう告げたモニカはふと気になったように掌でアオイの左腕をなぞる。そこには師匠との修行の日々で傷ついた肌がある。その傷跡を指で触れ、小さく言う。
「――アオイさんは不思議ですよね。冒険者になったばかりなのに、傷だらけ」
「修行をしてきましたので」
「でも、修行と一言に言うには凄絶だと思いますよ。これは」
治療をしてきた彼女からすれば、傷跡を見ればどんな傷を負ったのかも分かるのだろう。それを見て微かに瞳を伏せさせ、やがて小さな口調で言う。
「これを見ればアオイさんが強いのも納得ですけど――あまり無理はしないでくださいね。リーシャも、私もいますから」
その言葉に思わず面食らう。そんな気遣いをされたのは初めてのことだ。
こんな怪我を負うのも、骨にひびが入るのも正直、日常茶飯事だ。大したことはない。だが、彼女は真剣に心配してくれる。
真っ直ぐな瞳に思わずアオイは黙り込み――やがて小さく頷いた。
ふぅ、とモニカは吐息をつくと、仕方なさそうに微笑む。
「もしかしたら、アオイさんの方がリーシャ以上に世話が焼ける気がしてきました」
「……すみません、って謝るべきですかね?」
「謝らないでくださいよ……全くもう」
眉根を寄せたモニカは口ぶりは怒っているようだが、眼差しは優しかった。丁寧な手つきで鍼をすっと抜き、掌を当ててアオイの腕の調子を見る。
「はい、もう大丈夫です。念のため、あまり無茶な動かし方はしないように。ひび割れた骨をくっつけただけですから、気をつけてくださいね」
「了解しました。しばらくは休んだ方がいいですかね?」
「いえ、激しい戦闘を避けていただければ大丈夫ですよ。しばらくは採集とかの依頼をこなすのがお薦めです。間違ってもまたオークとかとは戦わないように」
「あれは偶発的な事故なんですって……」
アオイが思わず苦笑いをこぼすと、モニカはおかしそうにくすくすと笑った。
「冗談です。折角ですし、また何か採集の依頼があればご一緒させてください。アオイさんはリーシャが信頼している方のようですし、何より彼女と互角に戦えるほどの実力者のようですから」
「はい、そのときは喜んで」
「もし怪我しそうだったら、強引にでも止めますからね」
冗談めかした口調だが、目は笑っていない。アオイは答えずに軽く苦笑いをこぼしていると、扉が開く音と共にリーシャが部屋に入ってきた。
「ただいま。アオイくん、治療は終わったかな」
「はい、リーシャさん」
「よし、じゃあみんなでご飯だ」
「待っていました。場所を開けますね」
モニカとリーシャがてきぱきと準備を始める。手伝おうとアオイが腰を上げると、モニカが振り返ってにっこりと微笑む。
「アオイさんはゆっくりしてください、ね?」
その笑顔は魔力を帯びていて――。
(彼女には逆らわない方が良さそうだ)
思わずアオイは観念して椅子に腰を戻すしかなかった。
◇
「そういえば買い物ついでにギルドを見てきたけど――どうも、ブナンの森は当面、シルバー以下は立ち入り禁止になったそうだよ」
リーシャがそう言ったのは、食事が終えて一段落したところだった。
モニカが出してくれたお茶でアオイは一息ついていたが、その言葉に思わず眉を寄せる。
「シルバー以下? ブロンズ以下、ではなく?」
「うん、正しくは制限付きらしいよ。入る前には必ず申請をしないといけないんだって」
「それは面倒になりますね」
モニカはため息をつきながら丁寧な所作でお茶を飲む。アオイは首を傾げながらリーシャの方を見て訊ねる。
「他に素材が取れそうな場所はありますか? リーシャさん」
「もちろん、いろいろあるけどね。でも、初見殺しの魔獣とかいるから、ソロで入っていくのはあまりお薦めしないかもしれないかな」
そこでリーシャはこほんと咳払いすると、改まった口調でアオイに告げる。
「それで――なんだけど。もし良ければ、アオイくん、私としばらく組んでみない?」
「組む……というのは、パーティを組む、ってことですか」
「ううん、残念ながら、パーティ制度は四名以上でないと使えないんだ。だけど、似たようなものだと考えてくれればいいかもね」
リーシャは指を三本立てると、真剣な口調で続ける。
「受注する依頼は二人で相談して決める。その受注の量は折半。受け取った報酬も貢献度に関わらず、平等に分配。こんな条件でどうかな」
「それは……正直、ありがたい話ではあるのですが」
ただ、アオイは冒険者の初心者である。明らかにリーシャの足を引っ張ることを考えられる。だが、彼女は目を細めて笑って告げる。
「遠慮はしないで、自分の都合だけ考えてよ。アオイくん。私も自分の都合で考えて提案しているの。一人よりも二人の方がいいし、正直、アオイくんの戦闘能力も期待しているから」
そう告げるリーシャの瞳は微かに揺れている。期待と不安が揺れているような淡い眼差しを見ていると、自然とアオイの心も決まった。
「でしたら――喜んで、リーシャさんの仲間に加えていただけると」
「あ……よかったぁ」
彼女はほっとしたように安堵の息をこぼす。その様子にモニカも目尻を緩め、お代わりのお茶を差し出しながらリーシャに言う。
「良かったですね。リーシャ。フラれずに済んで」
「ふ、フラれるとは何かな、モニカ――というか、モニカも一緒にどう?」
「え、私も?」
きょとんとするモニカにリーシャは笑いかけ、意見を求めるようにアオイに視線を移す。アオイも頷いて同意を示す。
「モニカさんもよろしければ是非。もちろん、掛け持ちのバイトがない日で大丈夫ですし」
「……でも、邪魔じゃないですか? リーシャ」
「まさか。そんなこと思うはずがないよ」
「それに無茶をしないように見てくれる、と仰いましたよね」
アオイが冗談交じりに先ほどのやり取りを口にすると、おかしそうにモニカはくすりと笑みをこぼした。そして、はい、と頷いて答える。
「でしたら喜んで。早速、明日にでも行きますか」
「いいね。アオイくんもそれでいい?」
「はい、大丈夫ですけど――リーシャさん、少し気になっていることが」
「ん、何かな」
首を傾げるリーシャに、アオイは苦笑を浮かべる。
「先ほどの手合わせは呼び捨てだったのに、今はくん付けですか?」
「あ……ごめん、あれは調子に乗って……」
「構いませんよ。それならもういっそ、呼び捨てで構いません」
アオイは思わず笑いながら告げると、リーシャはほっとしたように吐息をこぼして頷いた。
「……分かったよ。アオイ」
「ふふ、リーシャは悪い人ですね。勝手に呼び捨てにするなんて」
モニカはくすくすと笑うと、リーシャは視線を逸らしてアオイの方を見る。
「い、いいんだよね? アオイ」
「はい、もちろん……すみません、話が逸れるとは思いましたが、今後のコミュニケーションのことを考えると」
仲間として共闘するのであれば、少しでも気になることは解消した方がいい。
師匠は相棒になる妻と毎朝、手合わせして気になったことを共有していた。
(その後は大体、甘い雰囲気になるんだよな……)
それを眺めながら、アオイは遠くで素振りをしていたものだった。
アオイの言葉にリーシャは、確かに、と真剣な顔で頷いた。
「連携はもちろん、細かい部分でも確認しないとね。他にも、何か気になるところがあったら言って欲しいな。もちろん、私も聞くようにする」
「はい、そうしましょう――それで、次に行く場所は決めていますか?」
「うん、この面子だとゴストン岩山群がいいかな、と」
「ご、ゴストンか……まぁ、でもそれはいいかもしれないね」
少しモニカが表情を強張らせ、だが、すぐに覚悟を決めたように頷いた。アオイは説明を求めるべくリーシャを見ると、彼女は片目を閉じて告げた。
「文字通り岩山がたくさんあるんだ――行ってみれば分かるよ」
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