第8話 英雄の弟子の戦い

 手合わせの場所には街のすぐ外を選んだ。

 そこが思いっきり暴れられる場所だという。

 途中、リーシャが利用している宿に立ち寄り、布に包んだ長柄の武器を持ち出し、二人は街の外に出る。武器を担ぐリーシャはそれに触れながら小さく笑う。


「ありがとう、アオイくん。こんな機会をくれて」

「まだお礼をするには早い気もしますが」

「ううん――この子を振る機会は全然なかった。だから、その機会をくれただけでも嬉しいよ。この子は長いから、森や洞窟では全然使えなくてね」


 それに、と少しだけ瞳を揺らし、首を振って彼女は続ける。


「……あんまりいい目で見られないんだ、この武器は」


 リーシャはその場で立ち止まり、長柄の武器を包んでいる布を取り払う。瞬間、露わになったのは特徴的な形状だった。

 一瞬、目に入ったのは槍のような穂先。だが、同時にその側面には三日月状の刃が左右に取りつけられている。突きにも薙ぎ払いにも特化された形状の武器――。


「……方天戟……!」

「あはっ、やっぱり知っているか」


 リーシャはそれを手に構えると悠々と片手で振り回して見せる。それをがっしりと握ると、その瞳から激しい戦意が迸った。

 炎のような気迫にぞくり、と背筋に何かが迸る。隙がなく、気迫で押してくる気配。まるで、師匠や――他の英雄たちと対峙したような感覚。


「この武器は古代文明を元に開発された武器で――人と戦うために作られた武器。そして、私は傭兵である養父の手ほどきを受けて、この方天戟を使うようになった」

「傭兵の武器……だから、あまりいい目で見られないわけですか」

「そういうこと――魔獣にも有効なんだけどね、この武器は」


 両手で柄を掴み、大きく回し始めるリーシャ。その動きは淀みがなく、最大限に武器の特徴を生かし切っているのが分かる。

 そして、気迫と共に彼女の体内で渦巻く魔力が刃に移り、熱を纏わせる。


「さらにこの形なら、私の魔力も充分に生かせるよ」

「確かに、気迫がすごいですね……」


 まさに肌で感じられるほどの気迫だ。リーシャは目を細めながら腰を低くする。


「昨日から少し落ち込んでいたから、少し気晴らしに手合わせをよろしく頼むよ。アオイくん――ふふっ、滾るなぁ」

「……こちらこそ、師匠以来です。こんな緊張感は……」


 アオイも剣を構える。片刃の剣を森に置き去りにした彼はリーシャの剣を借り受けていた。彼女は微かに残念そうな声で告げる。


「本当ならアオイくんの剣で……本気のキミと立ち合いたかったな――」


 だが、その表情とは仕草に好戦的な笑みをこぼして続ける。


「キミが私と同じ英雄の弟子と知ってから、戦える瞬間を待ち望んでいたのだから」


「――っ、まさか、リーシャさんも……」


 そういえば昨日、リーシャとサフィラが気になるやり取りをしていた。

 そして、彼女が振るうのは方天戟――ある英雄の武器と、一致する。


「私も隠し立てはしていないよ。名前も名乗っていることだしね」


 くすりと笑った彼女は方天戟を正面に突き出し、戦意の炎を滾らせて告げる。


「〈紅の飛将〉アグニ・シャンカルの養女にして弟子――リーシャ・シャンカル。〈白の剣聖〉の弟子に挑ませてもらうよ!」


 その紅蓮の気迫と共に、リーシャは地を蹴った。

 アオイはその突進を受けるべく身構える。その脳裏には幼い頃、寝物語を語る師匠の妻に聞いた話が過ぎっていた。


   ◇


『師匠より強い人って、いるんですか?』

『いません』


 即答、断言だった。迷いのない言葉に思わずびっくりしていると、彼女はこほんと咳払いを一つし、首を振って静かな口調で続ける。


『いないと、思います。ただ、彼が苦手な人もいますよ、もちろん』


 そうですね、と彼女は少し考えていたが、やがてその無表情に苦々しさが交じる。


『一番、苦手なのは――〈紅の飛将〉アグニでしょう』

『……英雄の、一人』

『はい。技とか細かい駆け引きは遣わず、ただひたすらに猛威を奮います。好戦的なので本当に会うたび、会うたびにエルドさんに喧嘩を吹っ掛けていました』


 師匠の妻はいつだって無表情で、淡々としている。

 だが、そのときばかりは微かに苛立ちを表情に浮かべているように見えた。彼女はため息を一つこぼすと、静かに言葉を続ける。


『エルドさんは技に長けた人ですが、アグニはそれを強引にねじ伏せる暴力の化身です。そういう人はまともに相手しないに限りますね』

『へぇ……』


   ◇


 そのときはあの無双の師匠でも苦手な相手はいるんだ、としかアオイは考えていなかったが。


(まさか、その〈紅の飛将〉の弟子と手合わせするとは――)


 苦笑を滲ませてアオイは身体を低くする。

 その頭上を紙一重で方天戟が駆け抜ける。風を斬る音を聞きながら、アオイは滑らかに前に一歩踏み出して突きを放つ。

 リーシャは瞬時に方天戟を引き戻していた。三日月状の刃で剣を絡め、真上に弾き飛ばそうとする。だが、アオイはその前に後ろに跳んで距離を置く。


「あああああああああ!」


 そこへ畳みかけるように踏み込み、荒々しくリーシャは方天戟を薙ぎ払う。

 唸りを上げて振るわれた刃をアオイは後ろに跳んで回避。余裕をもって躱したつもりが、方天戟の穂先が眼前を走り抜け、冷汗が滲む。


(厄介な武器だ……っ!)


 方天戟は槍の両側面に三日月状の刃が付属した形状だ。つまり突く、斬る、薙ぐの三つの攻撃を使い分けることができる。また刃が三日月状の形状をしているのも厄介だ。刃を受け止めようとすれば、引っ掛けられて持っていかれる可能性すらある。

 当然、それだけに使い勝手は難しい武器だ。正しい局面で正しい使い方をできなければ、逆に悪手になりかねないのだが――。


「らああああああああああああああ!」


 リーシャは迸る戦意をそのままに片腕で突きを放つ。アオイは半身になって躱した瞬間、彼女は身体を捻る。嫌な予感が脳裏に迸り、アオイは咄嗟に上体を逸らした。

 直後、その真上を突き出された方天戟が一閃される。

 咄嗟に躱さなければ恐らく、胴体に方天戟の刃がめり込んでいただろう。

 手合わせのために、事前の互いの武器には刃には革が巻いている。だが、直撃すれば肋骨は持っていかれるはずだ。

 彼は冷汗を滲ませながら体勢を立て直す。リーシャはその隙を逃さずに踏み込み、今度は方天戟を担ぎ上げるように構え、唐竹割に振り下ろす。

 彼は一歩横に逸れた瞬間、彼のすぐ脇を方天戟が通過。轟音と共に方天戟が地面に突き立ち、ひび割れを走らせる。激震に一瞬、体勢を崩す。

 だが、それは勢いよく振り抜いた彼女もまた同じ。

 方天戟は地面に突き立った状態。その隙に反射的にアオイは踏み込みかけ。


 直後、リーシャの瞳が爛、と輝いた。


 直感が迸り、踏みとどまる。防御に剣を持ち上げた瞬間、彼女は地を蹴って宙を舞った。突き立てた方天戟を軸にし、峻烈な蹴りをアオイめがけて放つ。

 防御が間に合わず、アオイの手に蹴りが直撃。刃が宙を舞う。

 アオイは無手。だが、リーシャもまた方天戟が地面に突き立ち、無手。

 だが、リーシャは着地しながら前に重心を傾ける――攻めの姿勢。

 咄嗟にアオイは前に踏み込んだ。間合いを潰しながら身体を回す。同時にリーシャの身体もひらりと回っていた。そして両者の脚がしなり。


 中空で回し蹴り同士が激突する。


「――ッ!」


 まともな激突に脚が痺れそうになる。アオイとリーシャは視線を交錯させると同時に飛びずさり、地面に突き立った自らの武器の位置まで距離を取る。

 リーシャは方天戟を引き抜き、担いで構えを取りながら破顔する。


「はは――ッ! さすがだね、アオイ、ここまでとは思わなかったよ!」

「リーシャさんこそ……っ!」


 いつの間に呼び捨てにされている。だが、それも気にならない。アオイは剣を引き抜いて構えながら深呼吸し、目を細める。


(――本当に、暴力の化身だ)


 身体の使い方は無茶苦茶である。方天戟をひたすら振り回し、相手を力でねじ伏せる。だが、大振りで生じた隙を囮にすることで、蹴りでカウンターを仕掛けても来る。まさに攻めの連続――こちらが攻撃に転じる暇も与えないほどの連撃だ。

 細かい駆け引きやフェイントを仕掛けたところで、その大振りな一撃で何もかもを消し飛ばしてしまうだろう――。


(――リーシャさんが方天戟を持っていたら、ギガントオークと張り合っただろうな)


 さすがに魔獣と同等まではいかない。だが、匹敵する力があれば駆け引きもできる。その戦いぶりをもっと見てみたい――興奮がアオイの身体を貫いていく。


「やはり――師匠以外にも猛者はいる……!」

「もちろん、私は未熟なれど、負けるつもりは毛頭、ないッ!」


 その言葉と共にリーシャは地面を踏み切った。アオイを捉える瞳は戦意で激しく燃え滾っている。それに応えるようにアオイも地を蹴った。

 肚の底から溢れた気迫が魔力となり、金色の輝きを放って全身の筋肉を活性化させる。もはや受けの姿勢などを見せない。全力で彼も剣を構え、駆ける。


(師匠なら力を流す技を見せるのだろうが――)


 そんなことよりも、彼女と激しく打ち合いたい。その魅力が勝った。

 リーシャがアオイめがけて方天戟を振り下ろす。その直前にアオイは鋭くリーシャの懐に飛び込んだ。方天戟を根元から抑え込み、力技で対抗する。

 長柄と剣がぶつかり合い、鍔迫り合いに似た状況。視線が交錯する。

 リーシャはアオイの力を利用し、後ろに退く。逃がすまじ、とアオイはさらに踏み込んだ瞬間、彼女は背後の地面に方天戟の石突きを突き立てる。

 そして方天戟を軸にし、飛び込んできたアオイを迎え撃つように蹴りを放つ。

 咄嗟にアオイは左腕を持ち上げて防御するが、蹴りの威力は凄まじく、めきり、と腕が軋む音を立てる。瞬時にアオイは蹴りの勢いを利用し、横に跳ぶ。

 アオイとリーシャの着地は同時。再び視線が交錯し、踏み込んだ。


「らああああああ!」

「おおおおおおお!」


 方天戟が振るわれる。それを迎撃するべくアオイは構えた剣で斬り掛かる。

 斬撃と斬撃が次々とぶつかり合う。互いの獲物に巻いた保護用の革がぼろぼろになり、剥き出しになった金属が火花を散らす。

 剣は何度も弾かれる。だがアオイは手首を返し、力を上手く利用して剣を次の動きに繋がれ、反撃の刃を解き放つ。攻めと防御が目まぐるしく切り替わる斬撃の嵐。

 だが、リーシャの方天戟には攻めが通じない。剣を突き出しても振り回された方天戟が弾き飛ばす。薙ぎ払われた方天戟はくるりと回転し、また戻ってきてアオイの剣を弾くのだ。彼女の動きは大胆かつ舞うようで隙がない。

 ならば、アオイの勝ち筋はたった一つ――。


(その舞いよりも早く、わずかでも早く斬撃を繰り出す――!)


 リーシャも気迫が滾り、方天戟が振るわれる力が増していく。

 顔のすぐ傍を方天戟が駆け抜ける。剣の切っ先が彼女の肌を掠める。時折交ざる蹴りが交錯し、二人の立ち位置が入れ替わる。

 そのがむしゃらな打ち合いはいつまでも続くかと思い――。


 終わりは突如、訪れた。


「らあああああああああ!」


 リーシャの方天戟を剣で受けながらアオイは踏み込む。瞬間、澄んだ音と共に不意に手応えがなくなった。リーシャも目を見開き、残心の姿勢で固まる。

 その二人の視線で宙を舞い、地面に落ちていったのは刃。

 アオイは手元に向ければ、剣の刃が中程から寸断されていた。

 リーシャもそれに気づき、沈黙――やがて、拙い口調で小さく囁いた。


「もしかして……終わり?」

「……でしょう、ね……」


 アオイも中途半端に止まってしまい、目をしばたかせることしかできない。やがて、リーシャは方天戟を降ろし、自分の手に視線を落とし――。

 その肩を、小刻みに震わせる。


「――ははは、あはははは、あははははははっ」


 やがてこぼれ出たのは、澄んだ笑い声だった。彼女は心底おかしそうな笑みをこぼし、自分の方天戟を持ち上げ、刃の部分を触れる。

 その部分は激しく打ち合ったせいでひどく刃こぼれしている。


(……怪我しないように、革を巻いていたんだが……)


 途中からそれが気にならないほど、激しく打ち合っていたのだ。

 一歩間違えば、互いに死んでいた。そんな激しい手合わせだったのである。

 自然とアオイからも笑みがこぼれ出た。


「ははは……ははははっ、すごい……すごかったですね、リーシャさん」

「ああ、本当にすごいよ、アオイ! あはははっ、こんなにすごい手合わせは初めてだったっ! 冒険者でここまで戦える人は初めてだよっ」


 弾けた笑みをこぼす彼女は心底嬉しそうで、その瞳からは微かに涙が滲んでいた。彼女はそれを軽く指先で拭い、少し残念そうに吐息をこぼす。


「でもそれなら尚更惜しいな――こんな形での決着が」

「それは、僕も思いますけど……でも、いいじゃないですか。楽しみがまたあるんです、それに今度は――互いに強くなった後で」

「あ……そっか、それはいいねっ」


 彼女は嬉しそうに頷き、アオイの肩を叩く。その心からの笑みに釣られてアオイも笑みをこぼし、ただ、と苦笑を浮かべて手元の折れた剣を差し出す。


「すみません、折ってしまいました」

「うん、仕方ないよ、それは。むしろ、そこまで使ってもらえて私も嬉しいかな」


 リーシャはそっとアオイの手ごと包み込むようにその剣を労わるように触れる。彼女の掌は燃えているかのように熱く――心地いい。

 それに思わず吐息をこぼすと、ずきり、と不意に左腕が痛んだ。


「――つっ……!」

「え……あ……っ!」


 アオイが思わず左腕を抑えると、リーシャがはっと息を呑み、腰のベルトから短刀を引き抜く。ごめん、と彼女は一声かけると素早く袖を引き裂いた。

 露わになった腕――それは真っ赤に腫れ上がっている。熱を持ったそれに彼女は表情を引きつらせた。


「……あの手応え、やっぱり……」


 脳裏に過ぎるのは、彼女の蹴撃を腕で受け止めたときのこと。

 あのとき嫌な音はしていた。だが、無意識に痛みを無視して戦い続けていた。そのせいか、かなり腕が腫れ上がっている。


「ご、ごめん、アオイ、こんなはずじゃ……!」

「だ、大丈夫ですから、リーシャさん……っ」


 一転して泣き出しそうになるリーシャ。アオイはそれを宥めながら思わず笑みをこぼす。

 あれだけ強くて苛烈に攻め立てていた人が、こんなにも心優しくアオイの傷を気遣ってくれる。そんなアオイには眩しく見えた。

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