第7話 激戦の後の休日
翌日、アオイは扉のノック音に目を覚ました。
「……はい?」
身体を起こしながら寝ぼけ声で応えると、宿の女将がおかしそうな声が返ってくる。
「あら、アオイさん、ごめんなさいね――お客さんが見えてね。出られそう?」
「あ、はい……すぐに支度します」
欠伸をかみ殺しながら答え、ベッドから身体を動かす。昨日はかなり複雑な機動で走り回ったので、身体が微かに強張っている。それをほぐしながら立ち上がり、身支度をする。鏡を見て寝癖が立っていないか確かめ、外に出る。
宿の待合室に出ると、見知った女性がソファーに腰かけ、そわそわとしていた。
「リーシャさん」
彼女の名を呼ぶと、ぱっと表情を明るくさせる。立ち上がった彼女は少しだけ申し訳なさそうに眉尻を下げて訊ねる。
「アオイくん、ごめんね、今日は休みの予定だったかな」
「ええ……ですが、お気になさらず。そろそろ起きる予定でしたので」
今日はこの時間から起き出し、身体を解す予定だった。アオイは笑いながら言うと、彼女はほっとしたように一つ吐息をこぼして笑う。
その笑顔はいつもよりどこか控えめだ。溌溂とした笑みが鳴りを潜めている。
内心で少し首を傾げながらも、アオイは軽く笑い返す。
「折角なので、外を歩きますか」
「うん、そうだね。少し歩こうかな」
リーシャはこくこく頷き、外に出る。アオイはそれに続きながら、彼女のぎこちなさにやはり首を傾げてしまう。
(……緊張しているのかな)
何か聞きたいことがあるのか。それは聞きにくいことなのか。
アオイは思案しつつ、リーシャの隣に並ぶ。少しゆっくりと歩く彼女は冒険者の革鎧姿ではなく、ラフな私服姿だ。
腰に剣こそ佩いているものの、オフショルダーのシャツとホットパンツを身に纏い、快活な彼女に似合った服装だ。それだけに控えめな笑顔が少し気になる。彼女は少し歩くと、アオイを窺いながら訊ねる。
「あの後、ちゃんと休めた?」
「はい、さすがにまだ身体が強張っていますが」
「さすがにあれだけの立ち回りをするとね。今日もゆっくり休んだ方がいいよ――尤も、明日以降、森がどうなっているかは分からないけど」
「……調査は、進んでいるんですよね?」
アオイの問いかけにリーシャは頷く。会話を続けているうちに彼女の緊張も解けてきた。いつもの柔らかく優しげな雰囲気で答えてくれる。
「ええ、今日、ゴールド級も入れた冒険者たちで調査を行っているはずだよ。遺体の収容なんかを含めてね……それ次第で、もしかしたらブナンの森は立ち入りが難しくなるかも」
「脅威度が増すから、ですかね」
「うん。そういうことだね。少なくともブロンズ級は規制されるかも。ブロンズ級はあそこで多く生計を立てているから、厳しくなるかもね……」
リーシャは小さくため息をついていたが、アオイを見て悪戯っぽく続ける。
「アオイくんはシルバーに上がったから、関係ないけどね」
「とはいえ、未熟な身ですよ。いろいろ冒険者として勉強しないと」
あのときだって緑スライムの知識がなければ、オークを倒すことなどできなかったのだ。もっと勉強することはいろいろあるだろう。
アオイがそう思いながら答えると、リーシャは感心したように頷く。
「すごいね、アオイくん。まだ上を目指せるんだ」
「当たり前ですよ。日々精進です――それよりも」
昨日の会話で気になっていたことを思い出して訊ねる。
「……感染個体、って何ですか?」
「あ……うん、それについて説明しないとね」
リーシャは声を少しだけ低くすると、辺りを見渡して一つ頷いた。
「少し場所を変えようか」
リーシャが選んだのは街の広場だった。
市場が近くにあり、屋台も並んでいるので、住民たちはそれらを利用し、飲み物や食べ物を手に和気藹々とした時間を過ごしている。
リーシャもその一角の屋台に足を運ぶと、果実汁を買ってアオイに差し出す。
「はい、どうぞ。お姉さんの奢りだよ」
「あはは……すみません、奢っていただいて」
「ううん、昨日助けてもらった借りはこんなんじゃ返せないよ」
リーシャは笑いながら手頃なベンチに腰を下ろす。アオイもその隣に腰を下ろし、甘酸っぱい果実汁で唇を湿らせる。リーシャも一口飲んでから小声で言う。
「……感染個体については、あまり大声では話せないんだ……というのも、下手に話題になれば、パニックになる可能性もあるから」
「……分かりました。で、一体、それは?」
アオイも声を低くして訊ねると、彼女はゆっくりと説明を始める。
「感染個体っていうのは昨日、ざっくり話した通り、魔術的なウイルスに感染した魔獣のことなんだ。ウイルスっていうのは分かる?」
「はい、何となく。でも、魔獣ってウイルスに感染するものなんですか? それに魔術的なウイルスって……つまり、人為的?」
「そう。起源は大戦期に遡るんだけどね。魔王軍と連合軍が戦った大戦で、魔王軍は魔獣を運用したの。その魔獣を効率よく人間を襲うために生み出されたウイルスが、それなんだ。終戦から十年後くらいにある事件で明らかになった」
「ある事件――」
アオイの呟きに、リーシャは神妙な顔つきで頷いた。
「うん。魔獣テロ事件と言われている事件。南の国イビュラである組織が無差別テロのために魔獣を密輸し、ウイルスを投与して解き放った。結果、甚大な被害が出たの。その調査をきっかけにウイルスの存在が明るみになった。開発をしていた組織は壊滅させられ、今では保有及び使用は禁止されている物質なんだ」
「へぇ……初めて知りました」
だが、迂闊に市井で発言しにくい、という理由にも納得がいく。
その事件を知っている人間ならば否応なく神経質にならざるを得ない話だ。
(ただ、少し不思議なのは――このことを全く師匠は話さなかったな……)
師匠は魔獣についていろいろ詳しかったというのに。魔獣テロやウイルスについては、師匠は知らなかったのだろうか。
内心で首を傾げていると、リーシャは果実汁で唇を湿らせながら言葉を続ける。
「ただ、野に放たれたウイルス自体は、根絶できていないの。ウイルスは感染する。弱い個体はウイルスに耐え切れずに死んじゃう例が多いんだけど、耐えた場合――」
「……あんな風に、獰猛な個体になる?」
「そういうことだね」
リーシャは頷きながら深くため息をつき、首を振った。
「私も接敵するまで、あそこまで脅威だとは思わなかった。ギガントオークは本当はあれよりも一回り小さくて、木々を薙ぎ倒すほど凶暴じゃないはず――そう、思い込んでいた。けど、想像以上に凶暴だった」
そう告げる彼女の身体は微かに震えている。恐怖を瞳に滲ませ、深く吐息をこぼした。
「……死んだあの二人は気の良い人だったよ……私に付き合って、ギガントオークの足止めを引き受けようとして。だけど、呆気なく死んでしまった。申し訳ないことをしたとも思っている――私が、弱いばかりに……」
「……リーシャさんは弱い方ではない、と思いますが」
少なくとも立ち振る舞いは洗練されている。剣は遣えるはずだ。
ただ少し気になるのは。
「ちなみに……リーシャさんって別の獲物を使っていたりします?」
その言葉にぴくりとリーシャは肩を跳ねさせた。驚いたように目を見開き、アオイを振り返る。
「――よく分かったね。アオイくん」
「あ、やっぱり。初対面で手を握ったときに違和感があったんです」
そのときを思い出し、彼女の掌に目を向けて続ける。
「やはり――剣よりも長柄の武器の方がよく使っていますよね」
「……そこまで分かるとは」
「あはは、師匠だけでなく、師匠を訪れた人とも手合わせをしたことがあるので」
その中には大戦を生き抜いた英雄たちもいる。それを思い出したが、口には出さない。彼女も分かったのだろう、少しだけ苦笑をこぼした。
「羨ましいな、それは。でも、確かにそうだ、私の武器は少し変わっている」
彼女は少し迷うようにコップに視線を落としていたが、やがて一気にそれを飲み干す。そして決然とした眼差しをアオイに向けてきた。
「――アオイくん、お願いがあるのだけど」
一息つき、彼女は気迫と共に言葉を紡いだ。
「もし良ければ手合わせしてもらってもいいかな」
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