第6話 アオイの師匠

「リーシャ、大丈夫ですか……!」


 アオイとリーシャが二人でブナンの森を出ると、街から数人の冒険者が駆けてくるのが目に入った。先頭を駆ける魔術師の女性が安堵したように吐息をこぼす。

 少し驚いたようにリーシャは目を見開いていたが、やがて表情を緩めて歩み寄る。


「モニカ――無事に森を抜けられたんだね」

「はい、おかげさまで調査官殿は街まで送り届けられました。それでギルドで脅威を伝えたところ、数人の冒険者が協力してくれたので、こうして援護に来ましたが――」

「ギガントオークは倒せたわ――アオイくんのおかげでね」


 リーシャに背を軽く押され、アオイは苦笑を浮かべながら手にぶら下げていた、大きな肉片を持ち上げる。それはオークから切り取った耳だ。

 それを見て冒険者たちが息を呑む。そのうちの一人が信じられない様子で言う。


「確か――その坊主はつい最近、アイアンから上がったばかりだろう。そいつが奥層に出るギガントオークを仕留めたのか?」

「しかも感染個体よ……詳しくはギルドに戻ってから報告するわ。戻りましょう」

「……了解しました。ちなみに他の三人は――」


 モニカと呼ばれた魔術師が遠慮がちに訊ねると、リーシャは複雑そうな表情を見せた。やがて深くため息をついて告げる。


「二人は死んだ。遺体の回収は明日にしましょう」

「……そう、ですか」


 モニカは肩を震わせて俯いたが、すぐに頷いて振り返り、冒険者たちに合図する。冒険者たちは肩を叩き合い、踵を返す。

 その中でモニカだけはアオイの隣に並ぶと、頭を垂れて告げる。


「アオイさん……でしたね。私はモニカと申します。今回はオークを討って――仲間の仇を、討っていただいてありがとうございました」

「……どういたしまして。本来ならばお二人がご存命の間に、加勢できれば良かったのですが」


 リーシャと共に、ギガントオークに挑んだ三人のことは道中で聞いた。

 アオイが手にしている弓矢の持ち主についても。

 その彼については何とも言えないが、他の二人については心が痛んだ。もし、アオイが間に合っていれば彼らの命が救えたかもしれない。

 だが、モニカが首を振り、淡い微笑みを浮かべる。


「聞けばアオイさんはまだアイアンから上がったばかり……それにも関わらず、あの魔獣に立ち向かった。それだけですごいことだと思います」

「うん。結果的に私は助けてもらえたんだから」


 モニカとリーシャの言葉が少し照れくさい。賞賛がここまでくすぐったいとは思わなかった。話を逸らすようにアオイは訊ねる。


「それより――あの魔獣、ギガントオークは中層でも出ない魔獣、なんですよね」


 切り出した話が重要だったのだろう、二人の表情が真剣になる。


「……うん、そうだよ。まさか、あんなのが出るとは思わなかった」

「調査員曰く、奥層の魔物が出ているとのことでしたが……まさか、感染個体まで出て来るとは……」

「……感染個体?」


 聞き慣れない言葉にアオイが眉を寄せると、リーシャはため息交じりに首を振る。


「……ある魔術的なウイルスに感染した魔獣のこと。本来ならばブナンの森に出るはずがないから、アオイには説明していなかったね」

「魔術的な、ウイルス――」

「これには大戦期の事情があります、アオイさん。歴史の話になるので、詳しくは明日以降にお話ししましょう。街も見えてきたので」


 視線を上げれば、もう街を取り囲む外壁が間近に見えて来ていた。門番は事情を把握しているのか敬礼で出迎えてくれる。

 街の明かりが目に入ると、どっと疲れが込み上げてきた。リーシャは肩を軽く叩いて告げる。


「本当なら代わりに報告までしてあげたいけど……功労者がアオイくんだから、ここは付き合ってほしいかな。いいかい?」

「もちろんです……ただ、早く終わって欲しいですね」

「同感だよ。早く熱い湯で身体を拭いたいな……」


 苦笑を交わし合いながら、冒険者たちに先導されてアオイとリーシャは街に入り、ギルドへの道を急ぐ。ギルドに近づくと、建物の前で立っている人影に気づく。

 一人はサフィラ――帰ってきた冒険者を見るなり、表情を明るくする。その視線がアオイに向けられると、安堵したように表情を綻ばせた。

 その隣には初老の男性が腕を組んで立っている。長い顎鬚を生やした偉丈夫だ。

 アオイとリーシャがギルドの前につくと、サフィラが足早に駆け寄ってくる。


「良かった、二人とも……! リーシャもだけど、アオイくんも全然帰ってこないから……」

「心配をかけたね、サフィラ――でもアオイくんがいなかったら、私は今頃ここにいなかったよ」


 その言葉にきょとんとするサフィラに、リーシャは悪戯っぽく笑いながらアオイを振り返る。


「アオイ、見せてあげて」

「……これ、ですか」


 再び手にぶら下げて持っていた巨大なオークの耳を持ち上げる。サフィラがぎょっとしたのもつかの間、すぐに目を見開いてそれをまじまじと見る。


「これ、ギガントオークの耳……まさか、アオイくんが……っ?」

「ええ、そのまさかよ。確実に言えるのは、彼が来なければ私も死んでいたってこと。中で詳しく報告するわ。聞きたいでしょう? ギルド長」


 リーシャが視線をサフィラの隣に立つ壮年の男性に向ける。ああ、と彼は低い声で応じると、視線をアオイに向けて目を細める。


「お初にお目にかかる。アオイ・カンナギくん。ギルド長のレナードだ。中で詳しく話を聞かせてもらおうか」


 ギルド内――その奥にある個室。

 そこに通されたアオイとリーシャには蒸した布とお茶が差し入れされた。それでひとまず血や泥を軽く拭い、喉を潤す。

 二人が一息ついたのを見計らい、顎鬚を撫でつけていたレナードが口を開いた。


「事情は調査員から聞いた。ブナンの森奥層で異変が生じ、中層まで魔獣が溢れ出ている状況だと。それで――リーシャ・シャンカルくんは調査に向かった仲間たちと共に、追いかけてきたギガントオークの足止めを行ったのだね」

「はい、充分足止めができる戦力だと思いましたが、感染個体であり、その力を読み間違っていました。二名は死亡、一名は敵前逃亡です」

「逃げた者は戻っていない。今回の場合だとペナルティはないが、さすがに仲間を見捨てたとあっては決まりが悪いだろうからな……」


 レナードはため息を一つついてから、リーシャを見て訊ねる。


「間違いなく、感染個体か?」

「一度だけ、モードレッド鉱山で見たことがあります。同じように目が真紅に迸り、獰猛に人間を追ってきました。片目を失ってまでも、人間を追うのはさすがに異常です――アオイくんが討ち取ったオークの耳を持っています。鑑定してみてください」

「なるほど。預かっても良いかね?」

「もちろんです」


 アオイは耳を提出すると、サフィラがトレイでそれを受け取り、片眼鏡で鑑定を始める。やがて顔を上げるとレナードを見て告げる。


「普通のギガントオークと比べるとやはり異なります。詳しく分析、解析しないと分かりませんが、恐らく感染個体でしょう」

「……そうか。恐らく今回の異変に関与しているだろうな」


 レナードは深くため息を一つ。眉間に手をやって揉み解していたが、やがて視線をサフィラに戻して告げる。


「奥層の調査を行う必要があるだろう。ゴールド級で調査部隊を編成する。明日から取り掛かって欲しい」

「了解しました。では、今回の調査任務は終了、という形で」

「うむ、初動調査で犠牲を出したのは痛ましかったが、調査員と冒険者たちは務めを全うしてくれた――報酬は支払う。ご苦労であった。リーシャ・シャンカルくん」

「いえ。冒険者の務めを全うしたまでです」


 リーシャがそう告げて頭を下げる。サフィラは書類を取り出して判を捺し、リーシャの方に差し出して確認させる。その一方で彼女はアオイの方を見ながらレナードに声を掛けた。


「それでマスター、このギガントオーク討伐に関してはどのように処理しましょうか」

「ああ、そうだったな……これはアオイくんが討ったのだったか」

「ええ、一応」


 アオイが頷くと、レナードは眉を寄せて唸り声を上げる。


「ふむ……ならば、緊急討伐報酬を出すとして、評価をどうするか、だな。紛れもなくこれはシルバー級冒険者の偉業といえるが……」

「すぐに昇格させますか?」

「だが、一段階はともかく、二段階はどうだろうか。前例はあったかな」


 レナードとサフィラの相談を聞いていると、疲れが出てきて眠くなってくる。眠気を押し殺していると、リーシャが思い出したようにアオイに訊ねる。


「そういえばアオイくん、ギルド長に何か用事があったんじゃなかったかな」

「あ……そういえば、そうでした」


 危うく忘れるところだった。アオイはポーチから師匠の書状を取り出し、レナードに差し出す。


「お話し中すみません、自分の師匠がマスターにお手紙を、と。直接渡すように仰せつかっていたので、この場で受け取りいただけると」

「む……アオイくんの師匠殿……はて……」


 首を傾げながらレナードは書状を受け取り、開いて中身を検め――その表情が徐々に変化していく。驚きが現れ、表情が引きつり、やがて納得の目つきでアオイを見る。見る目がはっきりと変わっていた。


「――なるほど、あの師匠を以て、このアオイくんか」

「……いろいろ、ご理解いただけましたか」

「うむ、充分だ」


 書状を閉じ、レナードは深くため息をつく。それからサフィラに視線を移すと、重々しい口調で言葉を続ける。


「現時点を以て、アオイ・カンナギくんをDランクに昇格。シルバー級とする」


 え、と戸惑うサフィラを前に、レナードはさばさばとした口調で続ける。


「書類の推薦人には私の名を使うように。本来なら彼の師匠の名を使うべきなのだろうが、この方は表舞台に立つことを良しとしない。こういう対応としよう」

「か、畏まりました――た、確かに、然るべき推薦人がいれば、飛び級による冒険者就任もあり得ます……ですが、一体どなたが……」

「推薦……となると、軍人や貴族とか、かな。でもそれなら隠す必要はないよね。一体、誰がアオイくんを推薦したんだろう……?」


 状況が理解できずにサフィラとリーシャは顔を見合わせる。レナードは苦笑をこぼしていたが、アオイに視線を向け、訊ねる。


「二人にキミの師匠について話しても良いかね」

「……隠すつもりはないので、大丈夫です。ただ、師匠の迷惑にならないように」

「そうだな。二人とも、今言うことは口外しないようにしてくれ」


 レナードはそう前置きすると深呼吸を一つ。そして口にする。


「アオイくんの師匠は――いわゆる〈白の剣聖〉だ」


「――っ、あの大戦終結の立役者の一人……!」

 サフィラは驚きで腰を浮かせ、リーシャも目を見張る。アオイは静かに頷いた。


 大戦とは今から三十年ほど前、勃発した魔王軍と連合軍の戦いのこと。精強な魔王軍を前に、人類、エルフ、獣人、ドワーフといった各国軍、種族軍が連合して対抗したのだ。

 その中で魔王討伐の立役者になった人物は二十三人いるとされている。

 吟遊詩人が語り継ぎ、彼らの武勇伝は多少なり誇張されている。だが、その中でも高い知名度を誇るのは三人いる。


 火炎の方天戟を軽々と扱う〈紅の飛将〉アグニ。

 徒手格闘に秀でた〈金の拳姫〉シズナ。

 そして、並外れた剣技を誇る〈白の剣聖〉エルバラード。


 三十年前、彼らは轡を並べて大いに活躍した。そして終戦後、彼らは足取りを絶ち、姿を消してしまった。それ故に伝説として名高い英雄たち。

 アオイの師こそ、その一人である〈白の剣聖〉エルバラードだ。


「でも、本当にあの伝説の人物のお弟子――」


 サフィラは半信半疑のようだが、リーシャは納得したように頷いて告げる。


「いや、だとすればあの剣の腕前は納得だよ。特に抜刀からの流れは見事だ」

「だとしても……あの方は伝説だよ」

「……それ、私の養父を知っていて言っている?」


 リーシャが悪戯っぽい声で訊ねると、サフィラは思わず沈黙した。やがて深くため息をこぼして頷く。少し気になるやり取りだったが、アオイは咳払いをして説明をする。


「そう――師匠は世を捨てた人です。ですが、両親が彼の友人だったらしく、幼い頃に彼に預けられ、剣を教わりました」

「そして、私はその彼の部下だったのだ。共に大戦を生き抜いた一兵卒でね」


 レナードの言葉にアオイはなるほど、と頷く。サフィラは口を抑え、意外そうな目つきで上司を見ている。レナードはアオイに視線を移して訊ねる。


「隊長――エルド殿は、元気か?」

「ええ、妻帯したことはご存知ですか」

「いや、全く。思えば、あの人の私生活は全然、知らなかったな」


 レナードは苦笑をこぼし、書状に視線を落としてため息をこぼす。アオイは思わず苦笑をこぼしながら、視線をリーシャとサフィラに向ける。


「先も言った通り、隠す気はありません。ですが、師匠はあまり表に出ることを好みません。なので、この件は内密にしていただけると」

「……うん、分かった。確かに、これは口外できないかもしれないね」


 特にあの人には、とリーシャが少し複雑そうな表情で口を動かす。


(……あの人?)


 先ほどやり取りに加えて、意味ありげな発言だ。

 気になる。が、今はレナードとの話だ。

 視線をレナードに戻すと、彼は書状を読み返して少しだけ表情を緩めていた。懐かしそうにしていたが、アオイに視線に気づくと咳払いを一つついて告げる。


「そういうことで――書状を読む限り、アオイくんはゴールド級に匹敵する剣技を持つと推測できるが、キミはまだ若い。経験を積む意味でも、シルバーにさせてもらった。今後の働きに期待させてもらおう」

「はい、ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしく、だ。アオイくん」


 レナードは顎鬚を撫でつけると、表情を緩めて頷く。書状を渡してからは、一気に物腰が柔らかくなった印象だ。一方でリーシャはどこかこちらを気にしている雰囲気だ。


(……何か、気になることでもあったのかな)

 もしかしたら〈白の剣聖〉の弟子であることが気になるのかもしれない。


「さて、今日のところはもう休むといい。二人とも」


 そのレナードの声が解散の合図だった。誰からともなく深いため息がこぼれる。

 今は休もう。アオイはそう思いながらソファーから腰を上げた。

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