第4話 調査隊の災難

 ブナンの森の表層からしばらく奥に進むと、空気がわずかに変わる。

 表層は適度に木が伐採され、人の出入りが頻繁であるため、自然と光が差し込み、様々な恵みが多くなる。だが、ある程度奥に行けば、手が行き届かなくなり、木々は多く茂っていく。道らしき道もなく、あるのはわずかにある獣道ばかり。

 その茂みの中では様々な魔獣が息を潜めている。大型はあまり見ないとはいえ、小型、中型の危険な魔獣と遭遇するのが中層だ。


(……に、しても妙だね……)


 そこを進む調査隊――その一行に加わったリーシャは神経を尖らせながら、慎重に歩いていく。その肌に触れる気配はあまりにも少ない。

 それが一部の区画だけだとすれば、偶然で済む。

 だが、リーシャたちはすでに中層をぐるりと長い距離を歩いていた。時折、襲い掛かった魔獣との戦闘もあったが、その回数も圧倒的に少ない。

 調査員も異変を察知したのか、中層の中でも表層寄りの場所の探索を提案。リーシャたちはそれに同意して護衛を続けていた。


「――すみません、ここで小休止を兼ねて調査をしたいです」


 ふと背後からの調査員の声にリーシャは一つ頷いて足を止める。丁度その場所は拓けている。周りが茂みであるため、気を抜くことはできないが、交代で休息は取れる。

 調査員が足を止め、近くの木に触れて何かを確かめ始める。

 それを見守っていると、仲間の冒険者が傍に寄る。この一行に加わったリーシャ以外の女性は彼女だけだ。不安げに視線を揺らし、小さく告げる。


「リーシャ……おかしくありませんか。私の感知魔術でも魔獣があまり引っ掛かりません。こんなこと、今まではありませんでした……」

「そうだね。モニカ。一体、これは偶然なのか、それとも……」


 調査員は地面を丹念に調べている。彼の表情は険しくなり、何かを感じ取り始めているようだ。それを見守りながら、冒険者たちは交代で水を飲み、用を足したりする。

 やがて、彼は顔を上げると、小さく吐息をこぼして告げる。


「――ここは退いた方が良さそうです。中層とはいえ、奥層程度の危険性がありそうだ」

「それは、本当ですか?」

「ええ。奥層から大型の魔獣が出てきて徘徊しているようです。しかも一個体や二個体ではない。一気に出てきて、既存の魔獣たちの縄張りを荒らしているようです――魔獣の少なさは、それが原因です。いろんな場所に散らされているのでしょう」

「……となると、表層にシャドウウルフが出たのも」


 リーシャは今日の朝、サフィラから聞いた情報を口にする。はい、と調査員は神妙な顔で頷き、はっきりと告げる。


「しかも不可解なのが、ここまで調査したものの原因が分からない。魔獣の糞を調べましたが、飢えている雰囲気はなく、また中層の自然状況も普段通り――原因があるとすれば、奥層にあるのでしょう。ですが、このチームでそれを調査するのは……」


 リーシャは他の冒険者と顔を見合わせる。不安げな彼らの顔つきを見てから調査員を振り返り、リーシャが代表して告げる。


「――私たちだと実力不足ね。対奥層用にチームを組まないと」

「ですよね……仕方ありません。今日のところは帰投し、ギルドに報告しましょう」


 残念そうに調査員がため息をこぼし――ふと、その身体が強張る。

 リーシャが眉を寄せた瞬間、隣にいたモニカが鋭く叫んだ。


「大型の魔獣が急速に接近しています! この反応は――」


 その声をかき消すように、森の奥から低い咆吼が響き渡る。ブモオオオ、という特徴的な鳴き声に全員が表情を引きつらせた。

 めきめきと樹木をへし折る音と共に、何かが疾走してくる。

 リーシャは全員と目配せする。瞬時に頷き合うと、隊列を組んで駆け出す。事前に取り決めていた離脱陣形だ。先頭を冒険者三名。中衛に魔術師一名と調査員。殿軍にリーシャを置いている。リーシャは茂みを駆け抜けながら振り返る。

 獰猛な唸り声を響かせるその巨影は近づきつつあった。

 豚に似た醜悪な顔つき。脂肪が積み重なった巨体。その巨躯はリーシャの背丈の三倍はある――オークの上位種、ギガントオークだ。


(でも何故、いきなりこっちに……っ)


 偶然にしても間が悪すぎる。しかも動きがやたらと俊敏だ。

 リーシャは背後を振り返って近づくオークとの距離を測る。オークもこちらを視認したのか唸り声を轟かせる。その目が真紅の光を迸らせた。

 それを見た瞬間、リーシャは思わず呻き声をこぼしてしまう。


「……感染個体ッ!」

「嘘だろ、こんなところで……っ!」


 仲間たちも走りながら呻く。それほどに絶望的な状況だ。

 感染個体――それはある魔術的なウイルスに感染した個体のこと。その個体は他にも目をくれず、人間のみを目の敵にして襲撃してくる。

 今までブナンの森では今まで、感染個体は確認されてこなかったというのに――。

 リーシャは激しく舌打ちをこぼし、前に向かって叫ぶ。


「感染個体を表層まで持っていけない! ここで足止めする――みんなは調査員殿を連れて逃げてくれるか……!」

「リーシャ、それは無茶だ、いくらお前でも……!」

「一か八か、やるしかないッ! まだ経験の浅い冒険者を危険に晒す気かッ!」


 このまま表層に行けば、追いかけてきたギガントオークが他の冒険者を標的にする可能性がある。表層には経験の浅い冒険者も少なくない。

 リーシャの脳裏に過ぎるのは、まだ幼さを残す一人の若者の姿だ。


(アオイくんを危険に巻き込むわけにはいかないよね……!)


 内心で心に決めつつも、腰に帯びた剣を少し心許なく思う。

 正直、本来の獲物を持っていれば、ギガントオークにも食い下がれる自信はある。剣だけでどれだけ戦えるだろうか。

 その不安を感じ取ったのか、前を駆ける冒険者たちは走りながら額に汗を浮かべて黙考。やがて先頭を駆けていた冒険者が速度を緩め、リーシャに並んだ。


「なら、俺も付き合おう。リーシャだけに負担は強いられない」


 その声に他の冒険者二名も殿軍の位置まで下がってくる。


「ああ、そうだな。足止めと言わず、ここで仕留めた方が生還確率は高い」

「仕方ねえ。報酬のためだ――モニカ、悪いが、調査員殿をお願いしていいか!」


 調査員の傍を駆ける魔術師は表情を引きつらせて頷いた。調査員も息を切らしながら頷き、前を必死に駆ける。


「わ、分かりました……っ、皆さん、気をつけて……!」


 その声を聞きながらリーシャは他の冒険者と頷き合い、その場で足を止めて振り返る。丁度、そこは木々が倒れており、拓けた場所。待ち受けるには丁度いい。

 魔術師と調査員が駆け去るのを背に感じながら、リーシャは剣を抜き放った。


(……こちらの陣営は私以外だと剣、大盾、弓か)


 仲間たちの装備を考える。大盾の冒険者は自然と前に進み出ており、弓の冒険者は後ろに下がっている。リーシャは矢をつがえた冒険者に訊ねる。


「毒はある?」

「一応な――とっておきのを用意した」

「なら、攻撃を受けて矢を浴びせ、あとは逃げ惑うしかないね」

「は……っ、俺が見せ場か……っ」


 大盾の冒険者が荒い息をつきながら戦意を滾らせる。彼の視線の先ではオークが木々を薙ぎ倒しながら突っ込んでくるところだった。その手にしているのは棍棒。

 荒々しい唸り声が鼓膜を揺らし始め、地面も激しく揺れる。その中でリーシャは声を張り上げる。


「受け止めたら、その隙に足の腱を狙ってみる! 勝とうと思わないで!」

「ああ、受け止めて攻撃を加えたら離脱だ――!」


 全員で意識を共有する。ギガントオークはもはや間近まで迫っていた。

 およそ十足の距離を消し飛ばし、猛烈な勢いで突進してくる。大盾の冒険者は全身に魔力を漲らせてブーストすると、大盾を構えて踏ん張り――。


 直後、激突音と共に冒険者が弾け飛ばされた。


「――ッ!」


 咄嗟にリーシャは横っ飛びに逃れる。だが、剣の冒険者は逃げるのが遅れた。

 吹っ飛ばされてきた大盾の冒険者の身体が激突。二人の冒険者が地面をもつれ合うように転がり、木に叩きつけられる。


「く……っ!」


 剣の冒険者はなんとか立ち上がろうとするが、大盾の冒険者が気絶して覆い被さっているため、身動きが取れない。

 それは、あまりにも致命的な隙であり――ギガントオークはそれを逃さなかった。


 一歩踏み込むと同時に、棍棒を振り下ろす。

 リーシャは目を背ける暇すら、なかった。


 ぐしゃり、と鈍く湿った音と共に、赤い液体が破裂したように飛び散る。ギガントオークは低く激しい雄叫びを上げ、血に染まった棍棒を振りかざした。

 そして、じろり、と背後を振り返り、リーシャを見る。


(……っ!)


 身体を突き刺す恐怖を、奥歯を噛みしめて押し殺す。リーシャは剣を構えながら、唯一生き残った弓の冒険者に視線を向け。

 直後、その冒険者は息を詰まらせ、踵を返していた。

 呼び止める間もなく、弓も矢も投げ捨てて逃げ出した冒険者。その後ろ姿を横目で見ながら呆気にとられ――思わず笑いだしたくなる。


(……まぁ、確かに命があっての物種かもね)


 慌てふためいた冒険者を見たせいか、一周回って冷静になったリーシャ。

 ゆっくりと迫ってくるギガントオークを見ながら一歩、また一歩と後ずさる。

 逃げるべきだろうか。弱気な思考が一瞬、頭をよぎり。

 同時に過ぎったのは、先日出会った年若き少年、アオイの笑顔。

 そして、自分が告げた彼への助言。


『どんな状況でも、どんな場所でも諦めずに挑戦し続ければ、活路が見出せるものだから』


 その瞬間、肚が決まる。

(どちらにしろ、ここで逃げても生き延びられる公算の方が低い――)

 なら、徹底的に足掻くべきだろう。自分の示した言葉の通りに。

 リーシャは剣を構えると気迫を滾らせる。そして、己に武術を叩き込んでくれた養父の姿を思い描く。炎のような気迫を宿し、彼女は雄叫びを上げた。


「ああああああああああああああ!」

 それを叩き潰すようにギガントオークが荒々しく踏み込む。真紅の瞳を光らせながら、棍棒を振り上げ――。


 不意に、その瞳に吸い込まれるように、白い光が迸った。


(――え)


 視界に飛び込んできたのは、オークの目に突き立った刃。顔をわずかに傾けたオークは苦悶に顔を歪め、手で顔を抑えて咆吼を轟かせる。


(あの剣――どこかで)


 見覚えのある、――。


 リーシャが思わず呆然としていると、隣で聞き覚えのある声が響き渡った。

「間に、合った……良かった……」

 息を切らしながら傍に立つ人影。それを振り返り、目を見開く。そこに立っていたのは勇気を奮い起こすために思い描いた少年の姿。


 アオイ・カンナギがそこに立っていた。

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