第3話 ソロ活動と微かな異変

 アオイがFランクに上がった日の翌日。

 彼は早速、単独でブナンの森に入っていた。

 依頼はスライムの粘液やシズマ草の採集など、細かいものをいくつか引き受けた。それぞれ単価は低いが、まとめて受けることで一日の単価を増やすのだ。

 それでも得られる収入は目算、銀貨二、三枚分――泊まった宿の料金や食事代、消耗品などの雑費を考えると、収入と支出はトントンだ。


『ブロンズ級冒険者の心得としては、稼げるときに地道に稼ぐ。いろんな依頼をこなすことでギルドからの信頼も得られるからね。そうなると、割のいい仕事を優先的に回してくれることもあるの』


 リーシャの言葉を思い出しながら、アオイは森を歩いて湿地帯のポイントに向かう。少し足元がぬかるみ始めたところで、頭上から気配。

 目を細めると、木の葉の間で微かに煌めく、水の塊のような何かがある。


(――いた。緑スライム)


 それを眺めながら、リーシャの講義を思い出す。

 スライムはいくつか種類があるが、この森で多く見られるのは土スライムと緑スライムだ。土スライムは地面に這いつくばって獲物を待ち、虫や獲物を捕食する。緑スライムは木の上に潜み、通りかかった獲物に飛び掛かるのだ。

 基本的にスライムは自分より大きな獲物には飛び掛からないので、人が襲われることはそうそうない。だが油断していると、巨大なスライムが頭上から降ってきて圧死、もしくは溺死する――という例もあるとか。


(だから、真下に行かないように気をつけて、と)


 その木に歩み寄り、気合を込めて幹を蹴り飛ばす。ずん、と激しい音と共に木々から鳥が飛び立つ。その中、どすん、と緑の塊が目の前に落ちてきた。

 ホーンラビットくらいのサイズ感の緑スライムだ。

 よしよし、と頷きながらアオイは腰から片刃の剣を抜き、その剣の峰でぺんぺんとスライムの表面を叩いていく。すると、緑スライムは身を震わせて表面を蕩けさせる。

 刺激で緑スライムを構成する粘液が崩れたのだ。


(スライムの核を潰して崩壊させる方法もあるらしいけど)


 ただ、それをすると粘液の崩壊が早く、ほとんどが地面に吸い込まれてしまうらしい。緑スライム自体はあまり危険でなく、粘液も肌を少々侵すものの、強酸というわけではないので、こういう採集方法が効率がいいらしい。

 アオイは革手袋を嵌めて腰のポーチから瓶を取り出すと、緑スライムの粘液を掬って瓶の中に収めていく。一通り掬って、またぺしぺしとスライムを叩く。そしてまた出た粘液を地道に回収。大瓶三本が一杯になる頃には緑スライムは一回り小さくなっていた。


(これでスライムの粘液は回収完了――と)


 アオイが傍を離れると、緑スライムは地を這うように進み、手頃な木を登り始めていた。また獲物を狙うために木の上で待機するのだろう。

 それを見送ってから、アオイは別の方向に足を向ける。今度は日当たりのいい拓けた場所を目指す。リーシャの講習でいろんな採集ポイントを教えてもらったが、時間があるので他の場所を探してみることにする。

 道中、めぼしい薬草や素材があれば採集しつつ歩き、微かな違和感に眉を寄せる。


(――なんだ、奥に行けば行くほど……妙だ)


 アオイはこれが森に入るのは初めてではない。

 むしろ、師匠に付き従って険しい山にも入ったことがある。だからこそ森の雰囲気もよく知っているが――ブナンの森は少し違和感がある。

 まるで自然が何かの脅威を覚え、怯えているような、そんな感覚だ。


(ブナンの森は、いつもこんな感じなのか……?)


 少なくともリーシャと数度入った森は、こんな怯え方をしていない。

 首を傾げながら膝をついて地面に触れる。そこには地面に何かを引きずったような跡があり、その痕跡に触れるとどろっとした感触がある。

 立ち上がって辺りを見れば、土スライムが地面を這って進んでいる姿が見えた。

 ここの付近に湿地はないし、動きとしては湿地から離れているようにも見える。明らかに妙な動きだが、相談できる相手は今に傍にいない。


(今日、リーシャさんがいてくれればな……)


 小さくため息を一つ。それからまた散策を再開する。しばらく進むと、拓けた場所が目に入った。光が差し込むその場所には目当ての薬草――シズマ草が生えている。


(良かった、これを採集して今日は帰ろう)


 まだ時間は早いが、今から戻れば丁度夕暮れ前。カウンターが混み合う前に依頼達成の報告ができるはずだ。アオイはそちらに向かって一歩踏み出し。

 ふと、視界の端に千切れたシズマ草の葉が目に留まる。


(…………)


 警戒を強める。油断なく辺りを見渡しながら、ゆっくりとシズマ草の元へ。

 近くに踏み荒らされた足跡。見覚えがないが、かなり大きい。シズマ草も一部が食いちぎられた跡がある。確か、好物にしている魔物がいたはず――。


 瞬間、背後から殺気が迸った。


 アオイは瞬時に振り返りながら、腰の剣に手をやり、鯉口を切る。視界に入ったのは、漆黒の獣。すでに茂みから飛び出し、凄まじい勢いで突進してくる。

 アオイは爪先に力を込めると、瞬時に鞘から刃を解き放った。したたかな手応えを感じながら、彼は身体を半身に逸らす。その脇を掠めるように漆黒の獣の身体が通り過ぎた。

 そのまま、獣は地面を転がって停止する――完全に、絶命していた。

 アオイは一つ吐息をつくと、軽く剣を振ってから鞘に納めて振り返る。


(――驚いた。あまり危険な魔獣は出ないと聞いていたけど)


 だが、その魔獣は見覚えがある。シャドウウルフだ。

 師匠と険しい山に入ったときに遭遇したから覚えている。毛皮が高く売れるのだ、とそのとき仕留めた師匠は嬉しそうにしていたが――。

 まさか、こんな森で出くわすとは、思ってもいなかった。

 アオイはその亡骸を眺めて少し思案し、よし、と一つ頷いて短刀を取り出す。


(毛皮だけは、回収するか――)


 師匠から捌き方は教えてもらっている。だが、肉まで回収するとなると、時間がかかり過ぎてしまう。毛皮だけなら何とか日が暮れないうちに回収できるだろう。

 肉は勿体ないが自然に還してしまうこととする。


(シャドウウルフの肉は、肉食獣の割に美味いんだけどな……)


 それだけが残念だ。アオイは首を振りながらてきぱきと毛皮を身から切り離していく。大きなサイズではなかったので、比較的時間がかからずに回収できる。

 忘れずにシズマ草も採集してから、毛皮を担いだ。空を顧みれば、徐々に空は茜色に染まりつつある。


(――急ごう)


 後の処理は街に戻ってからもできるはず。その前に依頼の達成報告だけはしないと。そう思い、アオイは足を速めて森の中を移動した。


 日暮れ前。ギルドには多くの冒険者たちが戻っていた。

 仕方なく列に並んで順番待ちをし、ようやくアオイの番が来ると、担当してくれたサフィラが担いだ毛皮を見て目を丸くする。


「――アオイくん、それ、シャドウウルフの毛皮、だよね」

「はい、ブナンの森で採集していたら、遭遇しまして。やむなく、斬りました」

「き、斬ったんだ。処理も、自分で?」

「師匠に教わっていたので」


 正直に答えると、サフィラは目をぱちくりとさせていたが、やがて咳払いして平静を繕う。受付嬢の丁寧な微笑みと共に訊ねてくる。


「す、すごいわね……ちなみにこれはどうする予定?」

「これを求める依頼があれば、それに回すか、あるいは売ることを考えていますが」

「あ、なら良かったわ。丁度、毛皮を求めている依頼があってね」


 サフィラが裏にいる受付嬢に合図し、手を伸ばして依頼の紙を受け取る。それから毛皮を広げてサイズを確かめ、うん、と頷いてみせた。


「加工が必要だけど、それはこちらで請け負えるわ。その分の費用は差し引く形になるけど、額は銀貨四枚と銅貨五枚になるわね――どうかしら」

「ええ、それでお願いします」

「うん、了解」


 依頼書にサフィラは書き足し、判子を強く捺す。それからアオイが受注した依頼書を取り出し、アオイの方を見る。


「それじゃあ後は今日の依頼分を確認して終わりね」

「はい、では――」


 担いだ荷物から採集してきた素材を取り出す。サフィラは一つ一つを確認して頷き、依頼書にチェックを入れておく。全てを確認すると、トレイに銀貨と銅貨を載せて差し出した。


「はい、お疲れ様――ソロ初日にしては頑張ったわね」

「ありがとうございます。明日もまた稼ぎます」

「うん、その意気よ。ああ、それと一つ訊いてもいいかしら」

「はい、何でしょうか」

「もしかして、シャドウウルフと遭遇したのは、ブナンの森の表層?」

「はい、そこはリーシャさんと確認した場所なので、間違いありません」


 リーシャとの講習で、どこまでが表層で、どこからが中層なのか、少しだけ中層に立ち入って教えてもらったのだ。その空気の違いをよく覚えている。

 シズマ草は生えていた場所は確実に中層ではなかった。

 アオイが頷いて告げると、サフィラは表情を微かに強張らせた。だが、それも一瞬、すぐに受付嬢のにこやかな笑みを浮かべて一つ頷いた。


「ありがとう。アオイくん。お疲れ様でした」


 サフィラが浮かべた表情が少し気になったが、後ろにはまだ別の冒険者が並んでいる。あまり時間を取らせるわけにもいかないだろう。


「はい――明日もよろしくお願いします」


 一礼してアオイは立ち去る。ギルドから出ると、すでに辺りは暗くなっていた。帰り道を歩きながら、気にかかるのはサフィラの表情だ。

(……ブナンの森で、何か起きているのか……)

 少し気になる。調べてみようと心に決めながら、アオイは夜の街を歩いていった。

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