第2話 初めての依頼

 リーシャが新人冒険者の世話を請け負ったのは半分、興味本位だった。

 ギルドに現れた少年は田舎から来た割には落ち着き払っており、礼儀正しかった。だからこそ親切心が疼いて、面倒を見ることにしたのだ。

 元々、リーシャ自身もとある師匠に拾われ、養女として育てられた背景がある。だからこそ、尊敬する養父と同じように誰かの世話を焼きたいとも思っていた。

 アオイの幼さを残した顔つきが少し好ましかったのも、理由の一つだが。

 その年下の少年をいろいろ教えてあげよう。そう張り切っていたのだが――。


(……あんまり教えることは、ないみたいね……)


 ブナンの森――それはディスタルの街の程近い場所にある森だ。

 山脈方面に向けて広がり、奥に行けば行くほど手強い魔獣が出てくる。とはいえ、表層は比較的人に出入りがあることもあり、危険度はぐっと低くなる。

 無論、魔獣が出没するため、安全とは言えないのだが――。


 その現れた魔獣に対して、アオイは落ち着いて向き合っていた。

 相手取っているのはホーンラビット。兎が魔力で変質した魔獣であり、可愛らしい外見とは裏腹に獰猛な肉食。強靭な後ろ足で飛び出し、獲物に向かって一突きするのだ。

 油断した冒険者が背後から刺し貫かれ、死んだという話は毎年聞く。


 だが――アオイの立ち回りは油断からは無縁だった。

 きちんと間合いを取り、愛用する片刃の剣を構えてホーンラビットから視線を逸らさない。ホーンラビットは蛇に睨まれたようにぷるぷる震えているが、身動きが取れない。

 迂闊に踏み込めば、アオイに斬られることが分かっているのだろう。

 これなら危険はないだろう。リーシャはふっと表情を緩めて見守り――ふと、彼の後ろの茂みが微かに動いた。微かな気配に思わずリーシャは声を上げかける。


「――ッ!」


 だが、アオイの方が先にそれに気づいていた。弾かれるように振り返ると同時に、茂みから飛び出したホーンラビット。腹部を狙った突きをアオイは躱し、刃を一閃させる。乾いた音と共に何かが宙を舞う。

 アオイが動いた隙に睨み合っていたホーンラビットは逃げようとする。だが、アオイはそちらに視線を向けると素早く踏み込んでいた。返す刃を真っ直ぐに走らせると、また澄んだ音が響き渡り、それも宙を舞う。

 くるくると上空を舞っていた二つのそれをアオイは掴み取る。その一方でホーンラビットは素早い動きで茂みに消えていた。アオイはそれを一瞥すらせず、手にしたそれをリーシャの方に見せて笑った。


「ホーンラビットの角、二本――これで依頼は達成ですね」

「……うん、そうだね」


 苦笑を一つ。心配する必要は全くなく、教えることも何もなかった。

 ただ敢えて言うのならば。


「本当ならホーンラビットを仕留めてから、角を斬るのだけど」

「依頼は角だけだったので、無益な殺生は避けましたが――いけませんでしたか?」


 きょとんとした顔で訊ねてくるのがおかしく、思わずリーシャは笑いながら首を振る。


「悪いわけではないよ」


 ただ、見事だった。彼が手にした角を見れば、根元から綺麗に斬られていることが分かる。獲物を傷つけず、角だけを綺麗に斬ったのだ。

 断面も鮮やか。正直、仕留めた後でもここまで角を綺麗に斬るのは難しいだろう。

 二重の意味で難しい行為を、彼は何の気なしに行なっていたのだ。


(剣の腕だけで言えば、私以上かもしれない)


 彼の出した気迫を思い返すと、わずかに好奇心が疼く。彼と手合わせしてみたい。

 何となく養父と同じような手強さを思わせるのだ。

 だが、それはまだ早い。彼が冒険者として頭角を伸ばしてきたときを待つべきだろう。リーシャは闘争心を押し隠しながら、空を見上げる。

 すぐにホーンラビットを見つけられたので、まだ時間は早い。


「まだ時間があるし、ついでにいくつか薬草を探してみようか」

「はい、そうですね。また薬草について教えてください」

「あはは、もうこの辺の薬草の知識については、教えることはないと思うけどね」


 アオイは師匠という人にいろいろ教わり、薬草について基礎知識があった。だから、リーシャが詳しく教えたのは冒険者としての決まり事くらい。

 それも彼は柔軟さで取り込み、もはや一端の冒険者といえる。


「ホーンラビットの角を納品したら、もうアオイくんもFランクの仲間入り――立派な冒険者の仲間入りかな」

「リーシャさんのおかげですね」

「私は少し手伝いをしただけだよ。ただもう一人でいろいろできそうかな」


 明日からはきっとアオイは一人で活動を始めるのだろう。

 この数日間が楽しかっただけに、それは少しだけ寂しい。

 彼とならば冒険者同士のパーティを組むことも提案できそうだし、彼もきっと断らない。だけど、それは彼のためにならない。

 もっといろんな人と関わりながら、冒険者を続ける方がきっと彼のためになる。


「冒険者として、いろんな挑戦をしてみるといいよ。アオイくん。どんな状況でも、どんな場所でも諦めずに挑戦し続ければ、活路が見出せるものだから」

(……なんて、少しクサい台詞かな)


 思わず自分で苦笑をこぼしてしまう。だが、彼は澄んだ瞳で見つめ返し、嬉しそうな笑顔で頷いて見せた。


「はい、いずれリーシャさんとも一緒に仕事できるように邁進したいと思います」

「……っ」


 その言葉と姿勢は眩しい。冒険者には珍しい眩しさだ。

 それに少しだけリーシャは目を細め、同時に釣られて笑いながら頷いた。


(……頑張ってほしいな、彼には)


 冒険者は泥臭いところが多い。

 危険な魔獣と華々しく戦える、いわゆるゴールド級の冒険者はほんの一握り。シルバー級の一部とブロンズ級のほとんどは細かい依頼をどれだけこなすかに心を砕く。

 そのために他者を騙し、礼よりも利を選ぶ者も少なくはない。

 彼はこの眩しさを保っていられるのだろうか。それは少しだけ不安に思える。

 それくらい、リーシャはアオイを好ましく思っていた。


 ギルドに戻ったのは夕暮れの少し前。

 その頃はまだ報告に戻る冒険者が少ないため、受付も比較的空いている。丁度、サフィラも手が空いているようだったので、リーシャはアオイと共にサフィラの元に足を運んだ。


「サフィラさん、お願いしてもよろしいですか?」

「ええ、もちろんよ――ふふ、きちんと必要数持ってきたわね。処理の仕方も綺麗」

「リーシャさんが丁寧に教えてくれましたから」


 アオイの言葉にリーシャは思わず苦笑いをこぼす。処理の仕方にはほとんど教えていない。彼がもう知っていて手際よくやっていたのだ。

(気の回し方が上手い子だね)

 まだ顔つきは幼いが、比較的精悍な顔つきをしている。将来はモテそうだ。

 サフィラも釣られて笑顔をこぼしながら、手元の書類と提出された素材を見比べる。片眼鏡越しにそれらを鑑定し、秤に載せて計測。一つ頷いて見せる。


「はい、充分よ――これならもうブロンズ級でも大丈夫ね。ライセンスを更新するわ。アオイくん、ライセンスを出してもらっていい?」

「あ、はい」


 アオイが差し出したライセンスをサフィラは受け取り、席を外す。しばらく待っていると、彼女は真新しいライセンス証を手に戻ってきた。

 Fの文字が刻まれたブロンズ級のライセンスだ。それをアオイに差し出しながらにこりと微笑む。


「おめでとう。アオイくん」

「ありがとうございます――これで依頼の幅も増える、ということですよね」

「ええ、リーシャから説明を受けていると思うけど、ブロンズ級になったから推奨ランクE~Fの依頼を受注できるようになるわ。中には複数人じゃないと受けられないものもあるけど、そこは相談してくれればいいわ」

「分かりました。じゃあ、どんどん依頼をこなしていこうと思います」

「ふふ、その意気よ――リーシャもお疲れ様。形ばかりだけど、ギルドから謝礼を出させてもらうわ。新人教育の依頼、という形でね」

「あ……それは嬉しいね。ありがとう、サフィラ」


 報酬は期待していなかっただけに嬉しいことだ。思わずリーシャは表情を緩めながら、アオイの方を見る。彼は表情を引き締め、リーシャに頭を下げていた。


「ここまでのご指導、ありがとうございました。リーシャさん」

「気にしないで。アオイくんならすぐに追いついてきそうだし、そのときは一緒に仕事をさせてもらえれば嬉しいかな」

「それはこちらこそ、喜んで――早く一緒に仕事できるように頑張らないといけませんね」

「あはは、それは嬉しいな」


 やはり礼儀正しく、先輩の喜ばせ方が上手い子だ。リーシャは思わず笑顔になりながら、アオイを改めて労う。


「お疲れ様。今日はゆっくり休んで、明日の依頼に備えてね」

「はい、掲示板を見てから帰ります。それでは」


 アオイは丁寧にサフィラにも一礼して立ち去る。建物を出る前に掲示板で依頼を確認することも忘れていない。


「……きちんといろいろ教えたみたいね。リーシャ」

「ふふ、かわいい後輩だからね。でもかわいいだけじゃないみたい」

「……? それはどういうこと?」


 首を傾げたサフィラに、ホーンラビットの角を指し示しながら告げる。


「これ、ホーンラビットを仕留めず、生かしたまま斬り取ったの」

 その言葉で異常さに感づいたらしい。サフィラは目を見開いて角を見る。


「……それで、この断面……? てっきり貴方が処理したのだと思ったけど」

「そうじゃないのよ。剣の腕なら、かなりのもの――下手すると、私以上かも」


 ホーンラビットの角はかなり固い。一思いにすっぱりと斬り落とすのがコツだが、意外と力加減が難しいのだ。サフィラは腕を組んで目を細める。


「あの若さでその剣の腕。それに礼儀正しい。もしかしたら結構、良家の子かもしれないわね。訳ありかしら」

「うーん、どうだろう。そんな感じはしないけど。魔獣を殺すことに躊躇はなかったし、血を嫌う雰囲気はなかった。割と汚れ仕事にも慣れていたよ」

「……そうなると、ますます不可解ね」


 サフィラは少し考え込んでいたが、やがて首を振ってから苦笑をこぼす。


「あまり詮索は良くないわね。いずれ、彼から聞ければそれでいいわ」

「うん、そうだね。じゃあ、私もこれで――」


 冒険者の気配が増え始めている。リーシャはそこを去ろうとすると、待って、とサフィラが手を挙げて告げる。


「リーシャ、あの子の指導が終わった、ってことは明日からは依頼はないわよね」

「え? ああ、うん、そうだけど……」

「なら、頼まれて欲しい依頼があるのだけど」


 サフィラは一旦、奥に行ってからカウンターに戻ってくる。その手には依頼の紙があった。カウンターの上に置かれたそれに目を通す。


「調査依頼、ね」

「うん、最近、ブナンの森中層に奥層で出没する魔獣が頻繁に見られている。一度や二度なら分かるけど……もしかしたら分布が変わっている可能性があるわ」


 サフィラは手の中でペンをくるりと回すと、参加人員をペン先で示す。


「ギルドの調査員が同道。リーシャに依頼するのはその護衛役。恐らく前衛を担当することになるわね。他の面子はこんな感じ」

「……うん、信頼がおける連中ね」


 きちんと一つ一つの条件を確認する。依頼主が信頼できるか、仲間が信頼できるかは重要なポイントだ。特にリーシャは女性である。

 色気を出した冒険者や依頼主が手を出してくることもないわけではない。無論、それが発覚すればギルドからのお咎めがあるのだが――。

(本当に男は度し難い。アオイを見習えばいいのにね)

 冒険者の心得の一つとして、先日二人で野営したのだが、彼は色気を出すことはなかった。それどころか、彼女のために湯を用意しつつ、その場を離れるという気配りを見せたのだ。立てた天幕でも一緒に寝ることを良しとせず、彼は一人外で寝ていた。


『好き合う男女でなければ同衾してはならない――師の教えですので』

(……本当に立派なお師匠様だね)

 彼に剣の腕、心構えを叩き込んだとすれば、どんな方か見てみたいものだが。

 思考を戻し、細部まで条件を確認。サフィラは最後の項目を指差して続ける。


「原則、貴方たちの判断に委ねるけど、撤退も可。ただ、ギルドの調査員は逃がすように。ってとことかしら――他に分からないことは」

「大丈夫そうかな。明日で顔合わせ、明後日に出発――って感じだね」

「そういうこと。じゃあ、受注でいい?」

「うん、お願い」


 サフィラは頷いて判子を押す。そして控えの用紙をこちらに手渡した。リーシャは丁寧にそれをポーチにしまうと、じゃあね、とサフィラに手を振る。


「また明日。サフィラ。それとアオイくんのこともよろしくね」

「はいはい、すっかりお姉さん気取りね」

「ふふ、あの子、結構気に入ったから」


 ひらりと手を振ってギルドから立ち去る。

 彼はきっと明日から頑張って冒険者として活動するだろう。あの実力ならば早ければ来月にも昇格しているかもしれない。そうなれば、共に仕事をすることもあるかもしれないのだ。


(アオイくんがパーティを組もうって言ってきたら、引き受けてもいいかもね)


 そんな未来を想像して表情を緩ませる。知り合いの冒険者にも紹介してあげたい子だ。負けないように頑張ろう。リーシャは意気込みを新たにし、明日の支度のために宿へと足早に帰っていった。

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