第1話 冒険者の街へ

 辿り着いた街は大きく賑わっていた。

 師からは小規模な街と聞いていたが、それでも通りには多くの人が行き交い、村とは違う大規模な市が立っている。

 アオイは喧騒に満ちた街を歩きながら思わず目を細める。


(ここがディスタルの街か……)


 王国でも北方に位置する街であり、北西には大山脈が広がっている。師と暮らしていた山からはそこまで離れておらず、広義ではここも辺境だ。

 この街の大きな特徴の一つが、冒険者が多いということ。

 辺境には様々な危険、かつ魅力的な素材がある産地が多く、それを採集するための冒険者が多く滞在しているのだ。彼らが利用する貸家や宿場、飲み屋なども多い。

 道中、一緒に歩いた旅人がこう言っていた――誰が呼んだか『冒険者街』と。


(だから、こんなに賑わっているのだろうな)


 興味深くいろいろと見渡しながら歩いていると、ふと広場の一角で人だかりができていることに気づく。吟遊詩人がお立ち台に登り、竪琴を片手に朗々と声を響かせる。アオイは足を止めてしばし眺めてみる。


「さぁさぁ、お待ちいただいた街の衆――今日、語り申し上げるのは皆さんご存知であろう、大戦の英雄たちの物語。今日はその新説について語ってあげよう」


(……大戦の英雄たち、か)

 こうして街が賑わい、平和ではあるものの、アオイが生まれる前――三十年ほど前には、魔王軍との大戦があった。吟遊詩人はその英雄譚を語るらしい。

 師匠もその頃は年若く、騎士として従軍していたらしい。

 昔はその頃からぞっこんだったという彼の妻が、寝物語によくその活躍を語ってくれた。ただ、師匠本人はあまり昔語りをせず、山での生活を満喫していた。


(師匠はこの吟遊詩人の語りを聞いたら、どう思うかな)


 何はともあれ、その英雄たちの活躍のおかげで今の平和があることは事実だろう。吟遊詩人は竪琴を奏でながら聴衆の耳を惹きつける。


「今回語るのは――そう、我が国が誇る英雄〈蒼の王子〉レオンハルト――」

「えー、〈白の剣聖〉の話がいいー」

「〈紅の飛将〉! 〈紅の飛将〉!」


 子供たちが列の最前列で騒いでいるらしい。吟遊詩人は苦笑をこぼす。


「こらこら、話の腰を折るんじゃありません――ところで知っているかな? 〈蒼の王子〉レオンハルトと〈白の剣聖〉エルバラードは親友同士であることを。時に寝所を共にしたと呼ばれるほど親密で――」


(……うーん)

 正直、語りが気になるところだが、今は用事を急ぐべきだろう。

 後ろ髪を引かれつつもアオイは荷物を担ぎ直して、市場を離れ、真っ直ぐに道を歩いていく。街に入る際、門番から道は聞いていた。その通りに歩いていけば、道中に一際大きな建物が見えてくる。

 看板には大きく「ギルド」と書かれている――いわゆる冒険者ギルドだ。


 冒険者――それは魔獣の討伐や素材の採集を専門に行う者たちのこと。

 誰が彼らのことをそう呼び始めたかは定かではない。だが、金で様々な依頼を引き受ける傭兵とは一線を画すために、そういう呼び方がされたと師匠から聞いている。


『傭兵は大戦期に活躍したが、戦争が終結すると需要が減ったために野盗になった者も少なくないんだ。人相手に争う粗暴な者、という印象が根強い――それと一緒にされたくなかったのだろう』


 というのが師匠の談だ。

 何はともあれ、そういう経緯で傭兵から差別化する意味合いで、大戦後から生まれた冒険者。その彼らたちを管理するのがこの組合、つまりギルドなのだ。


(依頼の受注、発注、仲介、報酬の管理など、一手に引き受けるのがこのギルド――)


 そして、アオイが初めて仕事をする場所なのだ。

 ごくりと生唾を呑み、観音開きの扉を押し開ける。

 途端に耳に飛び込んできたのは喧騒、そして鉄や油の交じった独特な匂いだった。

 建物の奥はカウンターになっており、そこには装備を身に着けた冒険者らしき者たちが列を為している。掲示板では複数の冒険者が腕を組んで立ち、言葉を交わしている。

 明らかに厳めしい雰囲気に気圧されていると、ふと肩をぽんと叩かれて振り返る。いつの間にか隣に一人の女性が立っていた。

 革鎧を身に着け、剣を佩いた女性が笑顔と共に、やっほ、と軽く手を振る。一本に結われた長い黒髪と、黒曜石のように澄んだ大きな瞳が印象的だ。遠慮のない爽やかな笑顔に思わず目が引かれる。


「見ない顔だね。新入りかい?」

「え、ええ……冒険者の登録をしようと思って」

「お、そうかい、そうかい――ふむ、ごめんよ」


 女性はそう告げると彼の腕を軽く掴んでくる。軽く眉を寄せていると、彼女は手を離してにへら、と笑ってみせた。


「ごめん、ごめん、確かにキミは鍛えているみたいだね。よし、分かった――じゃあ、このリーシャが案内してあげよう。こっちに来て」


 そう告げると彼女は今度、手を掴んでくる。師匠の妻以外で触れる女性の手の感触に思わずどきりとし――同時に、おや、と思う。

 その手の固さは馴染みがある。剣を遣ってきた者の手だ。

 ただ剣だけではない。何か長柄の武器も遣ってきたような感触もある。


(意外と手練れなのか……)


 よくよく感じると、その身に宿した気迫も洗練されている。少し気になっていると、リーシャはアオイの手を引いてカウンターに向かい、列を押しのけ始める。


「はいはい、ごめんよ、新入りが来たものでね」

「ぁん、新入りだと? 俺は急いでいるんだがな……」

「文句を言わない。新入りを優先するのがこのギルドのルールなの。あ、サフィラ、丁度良かった、この子の受付をしてあげてよ」


 受付から一人の女性が顔を見せる。制服姿の金髪の女性はおっとりとした表情に少し困ったような笑みを浮かべ、軽く肩を傾げる。


「騒がしいと思ったら、リーシャね……その子は新入り?」

「そういうこと。受付をお願いしていい?」

「ええ、もちろん――じゃあ、こっちに来てもらえる?」


 サフィラと呼ばれた受付の女性は歩いて、カウンターの傍にある机を示す。アオイは頷いてその机に近づき、椅子に腰を下ろすと、リーシャもその傍に無言でついてくる。


「……リーシャ、案内してくれたのは嬉しいけど、この子の知り合いなの?」

「あ、ううん、そうじゃないけど……少し気になっちゃって」


 えへ、と笑みをこぼしたリーシャに、サフィラは全くもう、と眉尻を下げてアオイの方を見る。


「いいかしら。手続きに必要なのは名前とか年齢、出身地とかなんだけど、隠したいのなら追い払うわよ?」

「いえ、それくらいなら知られても問題ないので――」


 ただ、と視線をちらりとリーシャに向けて軽く眉を寄せる。


「相手の名を知るときは、自身がまず名乗るのが礼儀だと師から教わりましたが」

「おっと、それもそうだね。失礼」


 少しおどけていたリーシャは真面目な顔になり、自分の胸に拳を当てて告げる。


「私はリーシャ・シャンカル。南の国イビュラから来た。冒険者としては前衛を担当することが多いかな。君の名は?」

「アオイ・カンナギと申します。この近くのルーン村から来ました。歳は十六」

「ふふ、では私も。私はここの受付嬢のサフィラよ。歳は秘密ね――さて、必要事項を書かないといけないのだけど、文字は書けるかしら、アオイくん」


 悪戯っぽく告げるサフィラは用紙とペンを取り出す。はい、と頷いてアオイはペンを取り、必要事項を記入していく。全て書き終えると、サフィラは一つ頷いて石板を取り出した。


「あとはここに掌を押し当ててくれるかしら。これに貴方の掌紋や魔力の波長を登録するわ」

「はい――失礼します」


 掌を当てると、青白い光が迸る。うん、とサフィラは一つ頷くと、その石板と用紙を持って席を立った。


「少し待っていてね。これで冒険者用のライセンスを発行するから」

「はい」


 一つ頷いて大人しく待つことにする。すると、後ろにいたリーシャが隣から顔を覗き込んで、ねぇねぇ、と声を掛けてくる。


「――何でしょうか」

「アオイくんって本当に十六歳?」

「はい、詐称はしていませんけど……」

「あはは、ごめん、ごめん。そういう意味じゃなくてね」


 彼女は少し苦笑交じりに手を振ると、首を傾げながら曖昧に笑う。


「なんだか、十六には思えないほど、完成されているな、と思って」

「……完成されている?」

「うん、身体も心も、というか。随分落ち着いているし、身体つきもいい。田舎から出てきた若者だったら、もう少し浮足立つと思うのだけど――」

「もし、そうだとしたら、それは師匠の教えの賜物ですね」


 ありのまま、あるがままの姿勢で受け入れる。そういった心構えが必要だと諭されてきたのだ。まだ道半ばの頃は山奥で放置されただけで動転したものだが。

(目新しい環境でも、落ち着いていられるな)

 さすが師の教えである。としみじみ頷いていると、リーシャは小さく笑って頷いた。


「あまりにも若いから、もし体つきも心構えも足りていなければ帰そうかと思っていたんだけど……どうやら、杞憂だったみたいだね」

「……リーシャさん」


 どうやら彼女は面倒見がいい人のようだ。アオイは思わず頭を深く垂れる。


「いろいろとご親切にありがとうございます。リーシャさんに会えたことは僥倖でした」

「あ、あはは、そんな真っ直ぐにお礼を言われるとなんだかむずがゆいな……でも、うん、どういたしまして。アオイくん」


 リーシャはくすぐったそうに頬を掻いていたが、よし、と一つ頷いて彼女は微笑む。


「そこまで言ってくれたアオイくんにサービス。しばらくはこのリーシャが依頼のあれこれに教えてあげよう。君は誠実そうな人だからね」

「ふふ、それがいいかもしれないわ。アオイくん」


 その言葉に同意したのは、サフィラだった。戻った彼女は一枚の板を差し出す。

 そこにはアオイの名前が刻まれた板――くすんだ鉄のような色合いの板だ。右側に大きくGの文字が刻まれている。


「これが冒険者ライセンス証になるわ。始めだからGランクになるわ。いわゆる見習い。ライセンス証の素材が鉄だから、アイアンランクとも言われるわね」

「ある程度、依頼をこなしたら、Fランクに上がるよ。ライセンス証もブロンズに昇格になる。冒険者としての道のりが始まるなら、そこからになるかな」


 リーシャは説明を捕捉しながら、腰のポーチから自慢げにライセンス証を取り出す。数多らしい銀の輝きが目に飛び込んでくる。


「ちなみに私はDランク。シルバーよ。冒険者としてはまだ中堅だけどね」

「でも、すごいですね。リーシャさんに並べるように頑張らないと」

「ふふん、すぐに追いつけるとは思わないことよ。ただ、最初の面倒は見てあげるわ。そうね、Fランクに昇格するまではいろいろ教えてあげるから。アオイは筋が良さそうだが、一週間くらいですぐに昇格できるわよ」

「そんなに早くですか?」

「うん、最初Gランクはあくまで見習いだからね。冒険者のあれこれが分かったら、受付嬢の権限ですぐに昇格してくれるんだ――だよね? サフィラ」

「ええ、そうなるわね。だから頑張って昇格してね、アオイくん」


 サフィラは小さく微笑むと、机の下から依頼の紙をいくつか取り出す。


「まずはこの依頼からになるわね。受注の手続きはこちらで済ませるとして――詳細の説明はリーシャ、お願いしてもいい?」

「うん、任されました」

「ありがと。それじゃあ手続きは以上になるわ。何か聞きたいこととか、他にある」

「いいえ、特には――あ、そういえば」


 ふと荷物に入っている師匠の書状を思い出し、アオイは訊ねる。


「――ギルド長、という方はいらっしゃいますか?」

「え? ギルド長? うーん、今、王都に出張しているから不在なのだけど」

「そうですか。ならば、大丈夫です」


 師匠からギルド長相手の書状を受け取っている。だが、直接渡すように言われていた。さすがに誰かに預けるわけにはいかない。

 アオイは軽く一礼して謝意を示すと、サフィラは書類をまとめながら微笑んだ。


「貴方の活躍に期待しているわ。アオイくん」

「はい――では、リーシャさん、お願いしてもよろしいですか?」

「ええ、任せておいて。それじゃあ受け取った依頼からこなしていきましょうか」


 彼女は溌溂とした笑みを浮かべながら、アオイの手を引く。

 その笑顔と澄んだ声はアオイだけでなく、ギルドの建物にいる数人の冒険者の目を惹いていた。

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