英雄の弟子たちが交わるその場所で ―最強英雄たちの育てた弟子が冒険者街で出会ったようです―
アレセイア
序章 弟子の出発
辺りは静けさに満ちていた。
周囲を覆うのは鬱蒼と茂った草木。わずかに吹いた風が葉擦れの音を響かせ、その中からは微かな動物の息遣いが感じられる。
その中を微かな物音が動いた。気配はほとんど感じない。だが、何かが確実に虎視眈々とこちらの様子を窺っている。それを肌で感じ取りながら、青年は静かに構えを取り続ける。
木刀を中段に構え、呼吸は一定。気迫を巡らせ、静かに構える。
風が吹く。葉擦れの音が一際大きくなり――。
瞬間、肌を刺すような殺気が迸った。
「――ッ!」
青年は振り返りざま、後ろに木刀を薙ぎ払う。瞬間、その腕に衝撃が迸る。
視線を向ければ、茂みから飛び出した小柄な人影が木刀を両手に持ち、振るっていた。中空で激突した木刀がせめぎ合い、視線が交錯する。
短い吐息と共に、小柄な人影は地を蹴って後ろに下がる。逃すまじ、と青年は木刀を振り返し、突きの構えに移行。踏み込みと同時に鋭い刺突を放つ。
それを人影は両手に持っていた木刀を交差させ、中心で受け止める。そして、その突きの勢いを利用して後ろに跳び、茂みの中に姿を隠す。
青年は息を整えながら木刀を構え直すと、その背後から気迫が立ち上る。
振り返れば、視界に入ったのは一人の男が木刀を構えて立っていた。その姿に構えは隙がなく、静かに気迫が放っている。
その気迫に一瞬気圧されかけ、だが、青年は気迫を奮い起こす。
肚の底に力を込め、脇流しに木刀を構え直して対峙。間合いを一歩詰めると、ぴり、と空気が一瞬で張り詰める。その間合いを保ち、二人は睨み合う。
やがて吹いていた風は緩やかに止み――静寂。
瞬間、弾かれたように両者は地を蹴る。青年は真っ直ぐに木刀を真下から振り上げ、男は真上から鋭く木刀を振り上げた。乾いた音と共にぶつかり、せめぎ合う。
間近な距離で二人の視線が交錯。直後、弾かれたように両者は分かれ、再び地を蹴る。風切る音と共に互いの間で木刀が行き交い、木が激突し合う。
男の突きを読んで青年は躱しながら斬り掛かり。
その軌道を見切った男は木刀を傾けて斬撃を捌く。
攻撃と防御が目まぐるしく入れ替わる中、ふっと息を詰めた青年は一歩踏み込んで果敢に攻め込む。その打ち込みを受けた男はたまらず上半身を泳がせる。
「――ッ!」
好機と見た青年は踏み込み、刃を振り下ろそうとし――瞬間、背筋が凍てつく。
体勢を崩した男、その下半身は崩れていない。
ふっと不敵に笑う男の手首が返り、突きの構えに移行。殺気が迸る。
咄嗟に彼は身体を逸らした。顔の脇を木刀が風鳴りと共に駆け抜ける。
回避した。だが、青年の体勢は下半身ごと大きく崩れる。追撃を防ごうと青年は手元に木刀を引き戻した瞬間、したたかに木刀に衝撃が走った。
鋭い横薙ぎにたまらず木刀が手から吹き飛ぶ。倒れ込んだ青年は無様にも後ろに尻もちをつき、手を地面につく。壮年の男は流れるように刃を返して青年に踏み込む。
構えるは上段。青年の脳天に木刀を叩きつけるべく振り下ろす。
青年は剣を持たず、地面に手をついた無防備な姿――絶体絶命の窮地。
だがそれにも関わらず、青年の瞳に闘志が迸る。
(まだ――ッ!)
青年は気迫と共に、地面についた手に力が籠める。瞬間、弾かれたように青年は地を蹴り、身体を弓なりに逸らせた。
地面を掴んだ姿勢での倒立。振り上げられた爪先が壮年の男めがけて放たれる。
変装的な、
だが、男は瞬時に膝を抜き、背後に滑るように後退。間一髪、その蹴りを躱す。青年は宙返りの勢いで立ち上がり、徒手格闘の構えを取ろうとし。
その顎先に木刀の切っ先が突きつけられた。
静寂――男が目を細める。青年は唾を呑み込み、声を絞り出した。
「――参りました」
「……うむ。お疲れ様だ。アオイ」
男は木刀を一振りして腰の帯に差し、柔らかく微笑む。思わず足腰の力が抜け、青年――アオイはその場に座り込んでしまう。
見上げれば、壮年の男は汗一つかかず、息も乱していない。
(……さすが師匠だな)
叶わなかったことに思わず肩を落とす。ふと視線を戻せば、師匠の傍にはいつの間にか、小柄な人影――女性が歩み寄っていた。黒髪をなびかせた女性は無表情で壮年の男を見上げる。彼は黙ってその女性の頭に手を置いて目を細めた。
「負けたとはいえ、見事だ。アオイ。私と妻の波状攻撃をここまで凌ぐとはな」
そう言いながら、師はアオイに手を伸ばす。アオイは思わず苦笑をこぼした。
「それでも敵いませんでしたが……さすが師匠たちです」
言葉を返しながら、アオイは伸ばされた手を掴む。師の手は固く剣を遣い込んでいることが分かる。師は笑みをこぼしながらアオイの身体を引き起こした。
「ふふ、老いたとはいえ、まだ若造に負けるつもりはないとも」
「そうでしょうけど、出立前くらいは勝ちたかったですね」
「それは次回の楽しみにしよう。アオイ」
師は手を離すと、アオイの肩に手を添えて微笑んだ。
「アオイは強くなった――充分、世に送り出せるくらいに」
「ありがとうございます。師匠」
思い起こせば、この山に住む師匠に預けられて十年以上。その下で剣術、体術に手ほどきを受けてきた。一度も彼とその妻に勝てなかったが、強くなった実感がある。
だからこそ、この山を出て野に出ようと決めた。
この広い世界を渡り歩き、見て行くために。
そんな彼のために旅立つ前、二人は手合わせの時間を作ってくれた。その手合わせでは勝てなかったが、自信を改めて貰った気がする。
(この人たちと、しっかりと戦えたのなら充分だ)
アオイは表情を引き締め、師を前にして一礼する。
「では、師匠――旅立ちたいと思います」
「うむ、まずは近くの街のギルドに向かうのだったな」
「はい、そこで登録します」
「よし。一応、そこのギルド長とは知り合いでな。書状を荷物に入れておいたので、彼に直接渡すようにしなさい」
師は頷くと、その傍に控えていた彼の妻がそっと荷物を差し出してくれる。それを受け取ると、彼女は無言で彼の腕を叩いた。励ますような仕草に頷き返す。
「では、気をつけてな」
「はい――お二人もお元気で」
アオイは挨拶をすると、師は微笑んで頷いてくれる。その目つきに感慨が込み上げてくるが、彼はそれを振り切って踵を返した。
もう振り返らず、真っ直ぐに前へと歩いていく。
この広い世界を、知るために。
◇
「……行ったな」
弟子の旅立ちを見送った師は感慨深そうな口調で告げる。
彼は若い頃、英雄と呼ばれ、山に籠った後は剣聖などと呼ばれていた。だが、本人としては、ただの剣士であるとしか思っていない。
その教えを一身に受けた弟子の旅立ち。寂しいはずがない。
隣に控える彼の妻はこくりと頷くと、淡々とした声で告げる。
「寂しい、ものです……弟子が旅立つのは」
「ああ。息子たちが旅立ったときとはまた違った寂しさだ。だが――アオイならば問題ないだろう。よく我々の教えを吸収した、良い弟子だ」
そう答えた剣士は腕を組みながら、少しだけ苦笑する。
「優秀過ぎて、少し長く教えすぎたかもしれんな」
「……です。彼の実力は些か、過剰でしょう。貴方の剣術を受け継ぎ、私もできる限りの体術を教えました。油断しても並の魔獣には、負けません」
妻の言葉に剣士は頷きながら付け足した。
「心は書物で、身体は農作業で鍛えた。心技体は充分に鍛え上げたつもりだ。あとは人を知ることだな。こればかりはどうなるか、分からない」
剣士は視線を彼方に向けて小さく嘆息する。
ここは人里離れた山であり、麓の村も気心の知れた良き人ばかりだ。だが、全ての人がそうであるとは限らない。世には様々な思惑が交錯しているのだ。
そればかりは、教えることはできなかった。
だからこそ、祈るしかない――良き出会いを。
そう願う彼の腕に手を添え、妻はふんわりと微笑む。
「彼ならば、出会えるのでしょう。何せ、彼は真っ直ぐな子です」
「……ああ、そうだな。きっと、そうだ」
「いつか、良き人を連れて来ることを楽しみにしましょう」
妻の言葉に頷き、剣士はそっとその腰に腕を回す。妻は少しだけ目を丸くしたが、頬をそっと朱に染め、何かを期待するように夫を見上げる。
「そういえば――アオイがいなくなったので、久々に二人きりです」
「ああ。久々に二人きりの時間を過ごそうか」
「はい、あなた」
剣士とその妻は見つめ合ってから、どちらからともなく家に戻る。
弟子に幸多き未来があることを祈りながら――。
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