第七話 二号室の住人 堂本碧

 優維人と透華が黒崎家で夕食を食べてから少しして。

 優維人が洗い物をしていると、一度夕焼け荘に戻った透華が尋ねてきた。

「どうしたの? 何かあった?」

 そう尋ねる優維人に対し、「お風呂のことなんだけど」と透華。

「風呂?」

 もしかしてガスや水が使えないのかと優維人は思ったが、それはありえない。夕焼け荘は住人が住んでいない間、電気、ガスなどのライフラインは大家名義で契約している。そのため入居者が入ってすぐにそれらは使えるはずだ。

「夕焼け荘の設備に何か問題でもあった?」

「そうじゃないの」

「じゃあ、何?」

「入浴を補助をしてほしいの」

 透華の言葉がよく理解できなかった。優維人は「……どういうこと?」と聞き返す。

「私これからお風呂入るから、優維人君に髪や体を洗って欲しいの」

「……一応聞くけど、誰の?」

「私の」

「………………はい?」

 優維人は透華の顔をまじまじと見つめる。彼女の表情はいたって真面目。冗談ではないようだ。

 何を言っているんだ、この子は。恥じらいはないのか。

 そういえば聞いたことがある。その昔、王族は奴隷に入浴や着替えの手伝いをさせていたが、その際奴隷に裸を平気で見せていたと。恥ずかしく思わないのは身分が違うから。動物に裸を見られても恥ずかしくないのと同じ。

 透華は超がつくお嬢様。彼女の言動から、普段は使用人に入浴を手伝わせていたようだ。それで優維人にも同じことをしてほしいと頼んできたのだ。

 いや、だとしても、流石に異性には頼まないだろう。それとも透華は自分に裸を見られても問題ないのか。

「……一人では入浴できない?」

「むり」

「えー……」

 さてどうしとようかと優維人が考えていると、玄関の扉を叩く音。考える時間ができてこれ幸いと、優維人は玄関に向かう。扉を開けると、来訪者は優維人に勢いよく抱きついてきた。

「ゆうぐーん」

 抱きついてきたのは、堂本どうもと あおい。夕焼け荘二号室の住人である。いつもの彼女は短パンにノースリーブという軽装だが、今日はスーツ姿。優維人も彼女が正装しているのを初めて見る。しかも、今の彼女は単なるスーツ姿ではない。スーツはヨレヨレにくたびれており、碧は片手にビール缶を持っている。その姿はまるで飲んだくれのOLである。

 碧の尋常ならざる様子に戸惑いながらも、「い、一体どうしたのですか?」と優維人は尋ねた。

 碧は大きく鼻をすする。

「今日、夏インターンの面接に行ってきたの。就活として」

 碧ももう大学三年生。就活を本格的に始める時期だ。

「碧さんも真面目に就活しているんですね」

「ひどい!」

「それで何があったんですか?」

「面接官に怒鳴られて」

「怒鳴られた?」

 優維人は首を傾げる。

 今時圧迫面接をする企業など少数派だ。学生は将来に顧客になる存在でもある。それにもし面接の内容がSNSで広がれば、企業のイメージが大幅にダウンしてしまう。だからまともな企業なら圧迫面接などしない。

「ちなみになんて怒鳴られたんですか?」

「酔っ払った姿で面接に来るとは何事だって」

「酔っ払った? ……まさか、碧さん、酒飲んで面接にいったんですか?」

「うん。緊張をほぐそうと、ビールを二、三本飲んだ。ネットに書いてあったのを真似したんだよ」

 優維人はただただ呆れるしかなかった。

「あなた、バカなんじゃないんですか。それは碧さんが悪い」

「うえーん。ひどいよー! ゆうくんまでー!」

 碧はわんわん泣いているが、怒鳴られるのは当たり前だ。

 インターンの面接に酒臭い学生が来たのだから、企業の面接官はさぞかし驚いただろう。彼女と同じ大学の学生が今後悪影響を受けないか心配である。もしかしたら企業からクレームがすでに来ているかもしれない。

「どうしたの? 大丈夫? なんか女の人の声が聞こえたけど」

 碧の泣き声を聞きつけたのだろう、透華が玄関にやってきた。碧は透華の姿を見て、ピタッと泣き止む。

「え、誰その子? すんげー美人。あ、もしかして、ゆう君の彼女? 家に連れ込むとはやるね。夏休みだからってハメはずすなよ!」

 碧はどこか楽しそうに顔を輝かせる。

 コロコロと忙しい人だなあと優維人は思いながら、「違いますよ。依頼です」と彼女の邪推を否定。

 護衛のことを簡単に説明すると、「夏休みなのに大変だね」と碧は返してきた。

 そこで優維人はあることを思いついた。

「そうだ。碧さんにお願いがありまして。彼女の入浴を手助けしてくれるませんか? 彼女、一人ではできないたいみたいで」

「まあ、別にいいよ。このお姉さんに任せなさい!」

 碧は自信満々に自分の胸を手で強く叩いた。その手にはビールが握られており、優維人は若干不安になる。

「じゃあ、お願いします」

 透華と碧を見送った後、優維人は洗い物を再開した。



 しばらくして優維人は様子を見に、透華の部屋を尋ねた。

 心配は心配なのだが、優維人が離れている間に透華が襲われるのでは、と不安視しているわけではない。

 透華と一緒にいる碧は実家が武術の道場を運営しており、碧自身もかなりの強さ。単なる暴漢が襲ってきても、すぐに返り討ちにされる。だから、優維人は碧に透華を託した。

 そして、優維人の心配の種が碧なのだ。

 インターホンを押すと、「はーい」という元気な声と共に碧が出てきた。今の彼女のはいつもの軽装になっている。碧の髪が濡れていることから、透華と一緒に入浴しその後着替えたようだ。

「透華さんの入浴、大丈夫でしたか?」

「特に問題なかったよ。それにしてもあの子、本当にお嬢様なんだね。自分の頭も洗えなくてさ。シャンプーとリンスの違いすらわからなかった」

「あ、そういえば、そのシャンプーとかはどうしましたか? 碧さんのを貸してくれたんですか?」

「あの子の荷物の中にあったから、それらを使った。目ん玉飛び出すような高級品ばかりだったよ。私も使わせてもらっちゃった。おかげで今日の髪さらさっら!」

「あははは。それにしても彼女の面倒を見てもらってありがとうございます。 お礼は後日させてください」

「いやいや。気にしないで。お礼ならすでにもらったし」

「え?」

「透華ちゃんとお風呂に一緒に入れたことがお礼。眼福だったよ。もうすっごいの! ボインボイン! 細いのに出るとこは出てて、十六歳の体じゃねーよ。かぁー、うらやましーい!」

 碧は自身の手を胸の前に持ってきて、指を開いたり閉じたりしている。

 碧は花も恥じらう現役女子大生なのだが、中身はエロ親父だ。優維人にセクハラすることは日常茶飯事。おそらく透華にもいつもの悪ノリで接したはずだ。

 やっぱりこの人に頼んだの失敗だったかなと、優維人は自身の人選を激しく後悔。

 碧はスケベ心全開な顔から一転、真面目な表情へと変える。

「にしても、あの子もだね」

「大変? どういうことでしょうか?」

 碧は自身の失言に気づいたようにはっとなり、慌てて口を塞ぐ。

「女の子の秘密だから言えない。約束したから。それとも何、知りたいの? このスケベ! スケコマシ! むっつり!」

 秘密とやらが気になったが、これ以上相手をするのが面倒なので優維人は一旦引くことに。

「あ、優維人君!」

 部屋の奥から透華が出てきた。風呂上がりで彼女の白い肌がほんのりと赤らんでいる。一方の彼女の長い黒髪はドライヤーを使ったのだろうか、すっかり乾いていた。

 透華は優維人に向かって駆け寄ってきたが、途中で何かを思い出しかのようにさっと物陰に身を隠す。半分だけ出した顔が真っ赤になっている。優維人に向けられる視線は恐れを含んだ、探るような視線だ。

「透華さん、どうしたの?」

 戸惑いながら優維人が尋ねると、予想だにしない言葉が返ってきた。

「碧さんから聞いたよ。優維人君は男の子でけだものだって! もし優維人君と一緒にお風呂入っていたら、襲われていたって」

 優維人は無言で視線を碧に向ける。かつてないほど厳しい視線に、碧はすくみ上がりながらも必死に弁明。

「最初ゆう君にお風呂のこと頼んできたんでしょ? それはよくないって教えようとしたんだよ。それに透華ちゃんの体を見れば、ゆう君の理性なんて簡単に吹っ飛ぶって。絶対押し倒してる」

「碧さん、用は済んだのでもう大丈夫ですよ。早く自分の部屋に戻ってください」

「いや、あの」

「帰れ」

 有無を言わせぬ優維人の迫力。

 碧が渋々自身の部屋に帰った後、「あ、あの」と透華が優維人に声をかけてきた。

「碧さんにお風呂の入り方教えてもらったから、これから一人で入るね。……優維人君に襲われるから」

「……なら、よかったです。じゃあ、俺は家に戻るんで。おやすみなさい」

 優維人は透華の最後の言葉が気になったが、そこには触れずに自宅へと向かう。

 今日一日は色々なことがあって疲れた。もう寝よう。

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