第4話 突然
アレックス様が首席でポミエス学園を卒業し、王宮魔術師として働きはじめてから2年が経った。
ティーグレ公爵邸の窓から野ウサギのしっぽと呼ばれる丸いふっくらした穂のラグラスが、降ったり止んだりする不安定な
わたしを膝の上に乗せて、たれ耳のブラッシングをしているアレックス様をそっと窺うとやわらかく見つめ返された。
「ソフィー、どこか痛かったかな?」
気遣うようにわたしを見つめるアレックス様に、あわてて首を横に振る。
15歳になったわたしは、春になったらポミエス学園に入学することが決まっている。お父様とお母様、それにアレックス様と何度も話し合ったはずなのに、アレックス様に会えなくなる。そのことが心臓にずきんと痛くて、考えると涙が浮かんできてしまう。
「ソフィー、おいで」
ブラシを置いたアレックス様の首に腕をまわし、アレックス様にたれ耳をこすり付けて、ぎゅっと抱きつく。子どもっぽいと思うのけど、寂しさが溢れて止まらない。
「……さみしい」
大きな手が、わたしの背中をぽんぽんと慰めるように撫でる。アレックス様の匂いと体温が心地いい。
「わたし、アレク様と離れたくない──やっぱりラプワール学園にすればよかった……」
私立ラプワール学園は、花嫁修業をするための2年制の学校。全寮制のポミエス学園と違うのは、寮はなく自宅や婚約者の家から通うことができる。婚約者がいることがラプワール学園の入学条件なので、最初はわたしもラプワール学園に入学してティーグレ公爵邸から通う予定だった。
「ソフィー、ポミエス学園もきっと楽しいよ」
アレックス様の言葉に、たれ耳がぺたたんと垂れさがる。
わたしを励ますためだと頭でわかっていても、アレックス様は王宮魔術師としてバリバリ働く格好いい大人。わたしがいなくても寂しくないと思うと、心臓がずきずき冷たくて、たれ耳がぷるぷる震えてひとすじの涙が流れた。
「っ、アレク様は、さみしく、ない、の……?」
こんな子供みたいに泣いてアレックス様を困らせてはいけない。きっと呆れられ、嫌われてしまうと思うのに不安の底なし沼に落ちたみたいに気持ちがあふれるのを押さえることができない。
「僕もソフィーがいないとすごく寂しいよ」
「ほ、本当に……?」
「うん、本当だよ。ソフィーがポミエス学園に行っても寂しくないように約束するね」
アレックス様が小指をわたしに向ける。
わたしも小指を出すとアレックス様が小指を絡めて、
「泣いてばっかりでごめんなさい……。わたし、寮からアレックス様に毎日手紙を書くね」
「ソフィー、ありがとう──僕がポミエス学園にいた時にソフィーから届いた手紙は、全部大切に仕舞ってあるよ」
昔書いた、わたしのつたない手紙がすべて残っていると知らされて、顔に熱が集まってしまう。そんなわたしを見たアレックス様は、ふわりと笑い、わたしの涙でぬれた目尻をやさしくなぞった。
◇
桜のつぼみが膨らみ、ポミエス学園に入るまであと僅かになった。
アレックス様は王宮魔術師の仕事がとても忙しいのに、少しの時間を見つけると、コリーニョ伯爵家に足を運んでくれる。
「アレクさ、ま、っ、さみしい……」
「うん、僕もソフィーがいないと寂しいよ」
わたしはアレックス様に会うたびに、さみしくてたれ耳をぷるぷる震わせ、切なくて涙をぽろぽろ零してしまう。そんな子どもっぽいわたしを見ても、飽きれることも嫌がることもない。アレックス様の膝の上に乗せられ、春うららな穏やかな光が差し込む部屋で、ひたすら甘やかされた。
「ずっと、ずっと、アレク様と一緒にいたい。ポミエス学園に行きたくない……」
「うん、僕もソフィーとずっと離れたくないよ」
ぎゅっと抱きついて、たれ耳をアレックス様にこすりつけると、やさしく抱きしめられる。すぐに不安が膨らむわたしのふわふわの髪を梳きなで、たれ耳にキスの雨を降らしていく。アレックス様の態度に、不安な気持ちがゆっくりとけていった。
「アレク様、……好き」
「うん、僕もソフィーが好きだよ」
「わたし、ポミエス学園で頑張ってくるね」
「うん、僕もソフィーを見守るからね」
たれ耳にリップ音が落とされて、縞模様の尻尾がくるりと腰に巻きついた。
◇
わたしがポミエス学園に向かう日、アレックス様がコリーニョ伯爵家まで見送りに来てくれた。
さみしさと嬉しさで、たれ耳がぷるぷる震えるわたしにアレックス様が口をひらく。
「ソフィー、ポミエス学園で魔術科の先生をすることになったよ」
ふわりと笑ったアレックス様にびっくりして言葉が出ない。漆黒のきれいな黒い瞳を見つめていると、大きな手を差し出される。
「ソフィー、僕と一緒にポミエス学園に向かおうね」
「え、えっ……? あ、あの……?」
突然のことで頭がまわらない。口から溢れるのは意味のない言葉ばかり。
「突然こんなこと言われても驚くよね。僕も決まったばかりだから、すごく驚いているんだよ」
アレックス様がほんの少し眉を下げて困ったように笑う。ようやくアレックス様と一緒にポミエス学園で過ごせるという事実が心に染み込んで、歓喜が身体中を駆けめぐっていく。
あまりに嬉しくて、ぴょんっと跳ねてアレックス様に抱きつけば、縞模様の尻尾と一緒にぎゅっと抱きしめられる。
「ソフィー、ポミエス学園にいる時は僕のことを先生と呼んでね」
「アレックス、先生……?」
「うん、こういうのもいいね──ソフィア嬢」
改めてアレックス様から差し出された手に、わたしの手を重ねる。
馬車の窓から見送ってくれる家族に手を振ると、お父様が大きな声でなにかを話しかけていた。だけど、わたしはアレックス様にたれ耳をやさしくなでられて、なにも聞こえない。
アレックス様とわたしを乗せた馬車は、ポミエス学園へゆっくり出発していった。
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