第3話 別れ

 


「や、やだ……行かないで……」



 涙がぽろぽろ溢れていく。

 15歳になったアレックス様は王立ポミエス学園に入学する。

 困らせてはいけないと頭ではわかっているのに、口から出てくる言葉は引き留める言葉ばかり。


「ソフィア泣かないで? 休みの日には絶対戻ってくるよ」


 かがみ込んで、たれ耳をやさしくなでるアレックス様にぎゅっと抱きつく。


「……やく、そく」

「うん、約束するよ。手紙も書くよ」


 こくんとうなずくと、たれ耳をやさしく撫でるアレックス様の大きな手のひらを感じた。


「ソフィアは僕のことが好き?」


 たれ耳にそっとささやかれて、こくんとうなずく。アレックス様が大好きに決まっている。


「ソフィアは僕とずっと一緒にいたい?」

「……うん。ずっと、ずっと、一緒にいたい」


 本当はアレックス様に学園になんて行って欲しくないし、離れたくない。


「ソフィア、左手を出して」


 まわりの人たちがざわめいたけど状況がわからなくて、おずおず顔を上げる。

 ふわりと笑うアレックス様に見つめられ、他の人の声は聞こえなくなった。


「ずっと一緒にいれるおまじないをかけてあげる」

「ほ、本当……?」

「うん、本当だよ。学園には行かなくていけないけれど、おまじないをしたら寂しくないよ」


 アレックス様と勉強をするようになってから、遥か遠いあずまの国では『うさぎは寂しいと死んでしまう』と言われていることを知った。

 きっとアレックス様は、寂しくないようにおまじないをかけてくれるのだと思って、お礼を言いながら左手を出す。


 お父様が大きな声でなにか叫んだけど、アレックス様の言葉にかき消される。

 アレックス様がわたしの知らない言葉を唱えると、わたしとアレックス様のまわりを金色の光がきらきら包み込んだ。金色の糸のようなものが、わたしとアレックス様の左手の薬指を繋いで、りんごの花みたいな模様が浮かびあがると静かに消えていった。



「ソフィア、行ってきます」



 その言葉を残してアレックス様が王立ポミエス学園に入学してしまった。

 王都にある学園は、勉学に励みながら様々な種族の獣人たちが種族の違いや性質を正しく学ぶためにある。異種族間の交流を深めるために全寮制になっていて、例外なく全ての生徒が寮生活を送ることになっている。


 毎日のように会っていたのが嘘みたいに会えなくなった。

 寂しくなるとおまじないをかけてもらった薬指を撫でる。アレックス様がふわりと笑ったみたいに心がぽかぽかあたたかくなる。約束していた手紙が届くのを楽しみにしていると、すぐに手紙は届いた。


 手紙の中のアレックス様はいつもよりお喋りになった。 ポミエス学園のようすや魔術科の授業のこと、はじめて魔物の討伐に行ったこと、お友だちのことを色々教えてくれた。

 魔術科で習ったものだといって、手紙をあけるたびに金色の蝶やかわいらしい林檎が、魔術できらきら光って飛び出してきた。とても素敵な手紙が嬉しくて、わたしはたれ耳をぷるぷる震わせながらすぐに返事を書いた。



 ◇



 ポミエス学園の長期休暇になるとティーグレ公爵家の別荘でアレックス様と一緒に過ごす。


「ソフィー、今日はどの髪飾りにしようか?」

「このひまわり柄のリボン、アレク様の耳みたいな色ですごく好きだから、これにしようかな」

「うん、すごくいいね。ソフィーに似合うと思うよ」


 アレックス様から仲のいい婚約者は愛称で呼びあうのだと教えてもらった。だけど、アレクと呼び捨てにするのは顔が真っ赤になるくらいに恥ずかしくて、ぷるぷる尻尾を震わせてしまう。

 結婚したらアレクと呼ぶことをあずまの国に伝わる『指きりげんまん』という誓いをして約束した。


「ソフィーの耳は、ふわふわで気持ちいいね」

「んんっ、く、くすぐったい……」


 別荘で過ごすようになったアレックス様は、わたしをお膝の上に乗せてたれ耳をブラッシングする。ブラッシングした後、頬ずりをするのがお気に入りで、わたしが身をよじっても縞模様の尻尾を巻きつけて離さない。


「アレク様の尻尾もブラッシングしてもいい?」

「うん、いいよ」

「耳も?」

「ソフィーならもちろんいいよ」


 ちゅ、とたれ耳にキスされる。

 あわあわと真っ赤になってたれ耳をぺたんと下げると、ふわりと笑われた。仲のいい婚約者は、キスをされたら同じ場所にキスを返すと教えてもらったけど、やっぱり恥ずかしくて目の前がにじむ。


「ソフィー、キスもお預けかな?」

「ア、アレク、さま、……いじわる」

「ごめんね。それじゃあ、僕がソフィーの分もキスするね」


 その言葉を合図に、たれ耳にリップ音が落とされる。

 アレックス様にキスされた場所は熱くて、甘くて、恥ずかしいけどやっぱり嬉しい。たれ耳はぷるぷるぺたんと下がっていく。

 アレックス様の長期休暇は、ずっと一緒に過ごす。縞模様の尻尾は、わたしの腰や腕に巻きついて、ずっとすりすりしている。


 別荘にいる間は、アレックス様の黄色のまるい耳と縞模様の尻尾のブラッシングを任せてもらうようになった。


「ソフィーは、ブラッシングが上手だね」


 お揃いのオイルをつけて敏感な尻尾をやさしくなでるようにブラッシングをする。

 わたしのふわふわの髪を指でくるくる巻きつけて、それからほどくのを繰り返しているアレックス様の熱い息がたれ耳にかかる。その途端に、心臓がどきんと跳ねてしまう。


「かわいい、ソフィー」


 アレックス様は、わたしの手が止まるとたれ耳にキスを落とし、掠れた声でささやく。その声がとても大人っぽくてすごくどきどきしてしまう。

 ブラッシングを終えた縞模様の尻尾はつやつやになったので、今度はもふもふした耳のブラッシングをはじめるために、アレックス様の膝の上からソファに座りなおした。


「アレク様、どうぞ」

「ありがとう、ソフィー」


 ドレスを整えてから、膝をぽんぽんとたたく。

 背がすごく伸びたアレックス様にわたしの膝の上でごろりと横になってもらって、まるい耳をブラッシングをしている。

 横になって目をつむっている端正な顔立ちを見つめる。どんどん大人びていくアレックス様は、ずっと見ていても飽きないくらい格好いい。


「ソフィー、あんまり見つめられると恥ずかしいかな」

「――っ!」


 アレックス様に見惚れていたら、まぶたをあげた黒い瞳と目が合ってしまった。

 下から見上げられるとなんだか落ち着かない。あわあわ顔を赤くするわたしを見て、アレックス様はふわりと笑う。わたしのふわふわの髪をひと房つまんでキスを落とすから、わたしの心臓が持たないくらい鼓動が早くなっていく。


「ソフィーは、本当にかわいいね」


 両手で顔を覆ったわたしに、アレックス様がやさしく言葉をかける。


 なんとか息を整えてからブラッシングをはじめるといつものようにアレックス様が寝てしまった。

 起こさないように丸い耳のブラッシングを終えたら、アレックス様のやわらかい金髪をゆっくり撫でるのがわたしのアレックス様には秘密のお気に入り──。

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