第四十八話【未開地】



 約束通り、馬車と物資と避難経路の準備は三日で整えられた。

 なんと優秀な役人達と兵士達だろうか。


 不可能ではないと分かったうえで、しかし無理を頼み込んだのは自覚している。

 彼らの尽力に心から感謝し、そして精一杯の成果を持ち帰ろう。


「行くぞ、フィリア。急げって」


「待ってください、ユーゴ。なにもそんなに焦らなくても……」


 準備が出来たと伝えるや否や、ユーゴは誰よりも急いで荷物を纏め、そして馬車に乗り込んだ。


 まるで待ち遠しかったパーティに向かう子供のようにさえ見えたが……

……しかし、その実は危険極まりない未開地に向かうのだというから頭が痛い。


「貴方のことですから、心配はしていません。ですが、あまり浮かれ過ぎてはいけませんよ」

「良くも悪くも、気分の高揚は普段と違う思考をもたらします」

「十分に気を付けて……いえ、いつも以上に……」


「分かってるよ、うるさいな。別に浮かれてなんてない」


 いえ、どう見ても浮かれているのですよ……


 それは、楽しみだ、嬉しい。そういう感情ばかりを指す言葉ではない。


 いつもよりも気合を入れなければならない。気を付けなければならない。

 まじめに、そして慎重に考えようとする心も、行き過ぎればそれは冷静とは遠いものとなってしまう。


 普段どおりが肝要なのだ。上にも下にも心が振れてはいけない。


「はあ。少しだけ不安は残りますが、この機会を逃せば次はいつになるかも分かりません。皆、気を引き締めてください」


 早く。と、急かすばかりのユーゴをなだめる意味も込みで、私達はすぐに馬車を出発させた。

 ランデルから共してくれた六人と共に、まずはあの荒れ地の目前を目指す。


「――先日に伝えた通り、到着後は二手に分かれます」

「ギルマンとジェッツ、そしてグランダールは私達と同行を頼みます」

「そして、ヒルとキールはアッシュと共に馬車を街まで避難させてください」

「帰還の際には、こちらから信号弾を放ちます。それを見てから、街を再出発してください」

「時間を少し開けて、もう一度信号を打ち上げます。そこが合流地点です」


 誰ももう作戦に文句は言わない。

 より正確には、文句の全ては既に二日前に聞いている。

 それでも、これが最善だと全員を説き伏せた。


 立場を利用するようなやり方にはなってしまったが、こういった場合には仕方がないだろう。


「ふたり共、馬車の護衛をしっかり頼みますよ」

「貴方達が無事に街に戻り、そして迎えに来てくれなければ、私達は歩いて街に戻ることになってしまいます。とても今日の内には戻れないでしょう」

「そうなれば、いくらユーゴが強かろうと……」


「そのくらい平気だ。徹夜でも歩きっぱなしでも、なんだったら野宿でも」


 そんなところまで強がらなくても……


 ユーゴは強い。

 だが、その力はどうやら、単純な身体強化では無いらしい……と、先日少しだけ発見があった。


 伯爵のもとへ向かう際に、手を取って貰った時のことだ。

 彼の手は、あれだけ剣を振り回しているにも関わらず、皮が硬くなっている様子も、豆が出来ている様子も無かった。


 それはつまり、体力の向上が図られているわけではない可能性をも示唆する。


「……先日のランデルでの件。貴方にはかなりの無茶をさせてしまいました」

「立て続けですから、とても体力を回復させる時間も……」


「余裕だって、バカにすんな。三日もダラダラしてたんだ、体力なんて有り余ってるよ」


 しかし、あの時はユーゴとてかなりの疲労を感じた筈だ。


 私の推測が間違っていなければ、彼の能力にも弱点はある。

 その力は、あくまでも運動を補助するもの。

 疲れにくくはなっても、しかし限度を超えれば当たり前に疲弊する。


 そうなった時、体力の最大値が低い子供のユーゴでは……


 不安などでは馬車の速度は変わらず、私達は以前にも訪れた目的地へと到着した。

 もっとも、目印らしいものは何も無い。

 以前と変わらない、これ以上は馬車が侵入出来ない、荒れ切った地面の目の前にまでやってきたのだ。


「では、連絡をお待ちしております。陛下、どうかご無事で」


「はい。アッシュも、どうか無事に帰ってください。ヒル、キール。任せましたよ」


 ズン。ズン。と、心臓の音が大きくなった。

 馬車から降りて、足を挫きそうなほどガタガタになった地面に降り立ってからのことだった。


 大きな岩が転がっていたり、魔獣の住処だったのか、大きな穴が開いていたり。

 とにかく、車輪ではとても侵入出来ない地面だ。


 この恐怖は、それを実感したからなのか、それとも……


「おい、行くぞ。フィリア。おいってば」


「っ。は、はい。行きましょう」


 そう言ってるだろ。と、ユーゴは少し怒った顔で私の前を歩きだした。


 戻っていく馬車の姿を見送ると、私の胸の音は更に大きくなってしまう。


 ただ私が怯えているだけなら問題無い。

 しかし、これがもしも……ユーゴの直観のような、嫌な予兆を察知してのものだとしたら……


「……ギルマン。ユーゴの様子をしっかりと見張っていてください」

「魔獣や危険度の高い獣に対しては、私達では気付いても手遅れです。そればかりは彼に任せましょう」

「しかし……」


 もしも、ユーゴの感覚に狂いが生じたら。

 もしもユーゴがそれを信じられなくなったら、そういう能力を発揮する余裕が無くなったら。


 そして、それを本人が自覚出来なくなってしまったら。


 その時は、彼を担ぎ上げてでも帰還しなければならない。

 故に、私達が注意を払うべきは、周囲の状況よりもユーゴの様子なのだ。


「かしこまりました。どこか様子がおかしければ……私から見て何か変ならば、すぐにお伝えします」


「お願いします。私もよく見ておきますが、しかしひとりの判断ではやはり難しいですから……」


 かといって、全員が全員ユーゴの背中ばかりを見ていたのではそれもそれで不用心だ。

 ジェッツとグランダールは身体も大きく、剣の腕も確かだ。

 彼らには周囲の警戒をして貰おう。

 ユーゴの感覚をもすり抜けてくる魔獣がいないとも限らない。


 私達は乾いた大地を歩き続け、そして小さな林に行き当たった。

 ここから先は、流石に魔獣の巣窟になっている可能性が高いだろう……と、私もギルマンも、ジェッツもグランダールも――つまりは全員がそう思って警戒したのだが……


「……なんか、ヤバイなここ。魔獣の気配が一切無い」

「前に南の方に行った時にもあったな、こういうの。あれと同じだ」


「南……カンビレッジのことですね」

「確かに、あの街の東側……南東側には魔獣がほとんどいませんでした。もしや、ここも盗賊団によって……」


 カンビレッジでは、恐らくだが盗賊団の手によって魔獣が駆逐されていた。

 もしも、ここでも同じことが起こっているのだとしたら……


「いや、違う。盗賊じゃない……人間じゃない」

「この奥……もっともっと向こうだけど。この林を超えて、もっと向こうに行ったところ」

「多分、相当ヤバいのがいる」


「……っ。その存在が理由で、これだけ離れた場所にも魔獣が寄り付かない……と」

「まさか、そんな話があるでしょうか……」


 危険を察知すれば逃げる。

 逃げる為にも――生き残る為にも、脅威に対しては常に敏感にセンサーを向けている。

 それが野生の獣だし、それを歪曲させた魔獣も同様だ。


 ならば、驚異的な存在のテリトリーには巣を作らない。そこまでは理解出来る。

 出来るが、しかしあまりにも遠過ぎやしないか。


「この林を超えた先……となると……地図では渓谷がありますね。もしや、そこでしょうか」


「谷か……うーん。そこまでは分かんないけど、でも……絶対になんかいる」


 絶対、か。

 そこまで言わせるほどはっきりと気配を感じているのだな。


 ユーゴの感覚はやはり信頼出来る。

 ならば……彼の言う通り、この林を超えた先に何かがあるのだろう。

 魔獣が逃げて消えてしまうくらいの何かが。


「……? 魔獣……じゃないけど、なんかいるな。多分、人だ」


「人……っ?! 盗賊でしょうか。それとも、まさかとは思いますが……」


 街の住人なのだろうか。

 魔獣の姿が無いのは、彼らも多少は知っているだろう。

 故に、林に食料を求めてやって来た……なんて大馬鹿な話があってもおかしくは無い。


「もしも街の人ならば保護して連れ帰りましょう。そうでないなら……」


「……こっち向かってくるな。ちょうどいい、すぐ正体が分かる」

「危ないやつだったら、その時は……」


 逃げましょう。と、私が言うのと、俺が返り討ちにする。と、ユーゴが言うのは、ほとんど同時だった。

 そして、ユーゴがこちらを振り返るのと、私が彼に目を向けるのも、多分、同時だった。


「――なんで逃げるんだよ! 俺が倒せばいいだろ! 人間なんて、魔獣より絶対弱いんだから!」


「い、いけません!」

「もしもそれが盗賊ならば、そして暴力を振るってしまったならば」

「手を取り合うなんて話は、二度と聞き入れて貰えなくなるかもしれません」

「それだけは絶対に避けなくては」


 うっ。と、ユーゴは珍しく私の言葉にたじろいだ。

 そして、そっか。と、納得した様子で前を向きなおす。

 やはりこの子は素直だな。そして、やはり優しい子だ。


「……でも、どっちにせよ顔は見た方がいいよな。なら、ここで待ち受けるか」


「そうですね。ジェッツ、グランダール。剣は抜かないように」

「国軍である貴方達が剣を向ければ、それは国からの攻撃意思と捉えられかねません。可能な限り対話を求めましょう」


 ユーゴは構えることも無く、自然体で立ち止まっていた。

 ジェッツとグランダールは私の前を、ギルマンは私の背後を警戒してくれている。

 私は……ユーゴの背中を見つめていた。


 落ち着いている。

 いつも魔獣を相手している時と同じ、凄く冷静で……けれど、どことなく楽しそうな姿だ。


「……来る」


 ユーゴがそう言えば、全員の目は彼の見ている方へと向いた。


 するとすぐに、がさがさと枝葉をかき分ける音がして、そして人影が――こちらへ走ってくる小さな人影が見えて――

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2024年9月25日 16:00 毎日 16:00

異世界天誓 赤井天狐 @tenko0503

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