第四十五話【客人】
ヨロクへ到着した翌日のことだった。
起きたばかりの私のもとに、客人が来ているとユーゴがやって来たのだ。
凄く凄く不機嫌そうな顔で、凄く凄く、凄く不服そうに。
「客……私に、ですか。ヨロクに知り合いはそういなかった筈ですが……」
ああ。と、ユーゴの機嫌の悪さを理解したのは、彼に連れられて役場に到着した時。
役人達に囲まれて、少しだけ居心地の悪そうな顔をしている長髪の男を発見した時だった。
「――ジャンセンさんっ。お客とは貴方のことだったのですね」
「ちょっとぶり、フィリアちゃん」
「酒場でオヤジに聞いたよ。なんか、俺のこと探してくれてるらしいじゃん」
嬉しいねえ。と、ジャンセンさんは笑ったが……しかし、場の空気は致命的なまでに重苦しいものだった。
フィリア“ちゃん”などと私のことをそう呼べば、当然立場を理解しているものからすれば……
まあ、ユーゴもこんな目で見られることが多いのだけど。
「ええと……ここではなんですから、場所を変えましょう。また以前の酒場で構いませんか?」
「おう、いいよ。こういうとこ、俺も苦手だしさ。堅っ苦しい顔ばっかで頭が痛くなるぜ」
それを面と向かって言うのもどうかと思うのだけど……
しかし、こんな場所では彼に聞きたい話の一割も出来ない。
とてもではないが、こんな場所で盗賊についての情報を話すような迂闊な人物ではない。
場所を変えて、彼が気楽に話せる状況を作らないと。
「ユーゴ、付いて来てください」
「他の護衛は必要ありません。この方は信用出来る人物です」
「この街で起こっていることを教えていただければと、私の方から探していたのです」
「ですが……いえ、かしこまりました。どうか、十分にお気を付けて」
役人達もなんとなく事情を察してくれたようで、私を陛下とは呼ばず、引き留めもせず、ただ不安げに見送ってくれた。
そんな違和感にジャンセンさんが気付いている様子は無く、また同時に、ユーゴの非常に強い嫌悪感にも気が行っていないようだった。
「それにしても……むふふ」
「フィリアちゃん、もしかして俺に惚れちゃった? わざわざ街中探し回ってくれるなんてさ」
「男としては、これで盛り上がらないわけにはいかないんだけど」
「ええと……その、またいろいろとお話を伺いたくて……」
また。いろいろ。ねえ。と、ジャンセンさんはにこにこ笑って……そして、大きなため息をついた。
ど、どうしてこんなにもがっかりされたのだろう。
少しだけ不満げな顔になったジャンセンさんは、私ではなくユーゴの方にちらりと目を向けた。
そんな彼に、ユーゴは……どうしてか、少しだけ悦に入ったような顔だ。
「……ま、そんなこったろうとは思ってたけどさ」
「でも、ただじゃ話さないぜ。今日は昼間っから飲みたい気分なんだ」
「ゆっくり……こう……あの……まじでゆっくり、のんびり付き合って貰っていいですか」
「ど、どうして突然敬語に……ごほん。はい、お供させていただきます」
昼間……と言うか、まだ朝なのだけど。
ジャンセンさんは私の返事に気を良くしたのか、浮かれた様子でまた以前の酒場へと案内してくれた。
案内されずとも場所くらいは分かるのだが、しかしエスコートしてくれるのだから、ここは頼らせて貰おう。
「おーい、オヤジー。朝っぱらから客が来たぞー」
「ああ? なんだ、お前か。いいご身分なこったな。っと、そっちの姉ちゃんもかい」
「意外だね、もっと真面目でまともそうな子だと思ってたのに」
フィリアちゃんは真面目過ぎるからさ、俺が遊び方を教えてあげんのよ。
と、ジャンセンさんは店の奥のテーブルに荷物を降ろして、そして店主にまた大きな酒樽を持ってくるようにと注文していた。
そんなに飲んだら、また以前のようになってしまわないだろうか。
「オヤジ、ミルクも頼む。ほら、ユーゴ。お前も座れって。相変わらず可愛くねえなあ、お前は」
「ふんっ。俺はまだお前のこと信用してないからな。クズのニオイがする」
ク……
もう、どうして貴方はそう口が悪いのですか。と、少しだけ注意すると、ユーゴはむっとむくれて別のテーブルに着いてしまった。
こんなにへそを曲げることもそう無かったのだけど……
彼は本当にジャンセンさんを嫌ってしまっているのだろうか。
「ま、腹が減ったらこっち来るだろ。それじゃ、再会を祝して――カンパーイ!」
「乾杯。相変わらずお元気ですね、ジャンセンさんは」
え? うるさいってこと? と、もう少し顔の赤いジャンセンさんは、私の言葉に陽気な冗談を返した。
まあ……うるさい……と、思ってないわけではないが……
しかし、彼のこの明るさは長所だろう。
ユーゴの素直さと同じ、稀に欠点となり得るかもしれないが、基本的には人に好かれる要素のひとつだ。
「んっふっふ……にしても、まーじで嬉しいなあ」
「あんまりかっこいいとこ見せられてなかったと思ったけど、意外とツボに来ちゃった?」
「フィリアちゃん、しっかりしてそうだしさ。もしかして、頼りない男の方がタイプだったりする?」
「……? ええと……」
冗談だって、そんなに困んないでよ。と、ジャンセンさんはなんだかひとりで盛り上がり始めてしまった。
頼りない男……と、ジャンセンさんをそんな風に思ったことは無かったが……
もしかして、彼は意外とナイーブな一面があるのだろうか。
「いやでも、マジで他の男にはやんない方がいいよ、そういうの」
「フィリアちゃん美人だし、エロい身体してるし、いい匂いだし……って、こういうの本気で言い寄ってくるやつも多いだろうからさ」
「俺なんかは紳士な方よ?」
「そんなさ……うん。あれだよ。そんなかっこでさ、気があるようなこと男に言ってたらさ……うん」
「え、ええと……はい、気を付けます……?」
ジャンセンさんは何かを確認したいらしくて、私ではなく、ユーゴの方にまた目を向けた。
すると、ユーゴは呆れた様子でため息をついて……それに引っ張られるようにジャンセンさんも頭を抱えてしまって……?
「……あー……うん、なんだ」
「フィリアちゃん、男を知らなさそうだから。怖いよ、男って」
「もう……えー……あー……どの程度までなら踏み込んでいいのか」
「フィリアちゃん。あのー……因みになんだけどね?」
「この間さ……持ち帰るって話をしたんだけど……あれ、どのくらい理解出来てる?」
「持ち帰る……? ええと……?」
持ち帰りがどうのと、そういえば以前に彼の部屋へお邪魔した時になんだか口にしていたような……?
私に持ち帰られた……とか。そうなると……
「……私が……酔い潰れたジャンセンさんを連れて帰って……送り届けて? それで……介抱して……」
「……あー、うん、大丈夫、ありがと」
「そっかー……うーん……いいとこの娘……にしても、俺より歳上でそれはなあ……」
貴方よりも三つ下なのだけど…………っ。
どうしようか、この件についてはきちんと明かして理解しておいて貰うべきだろうか。
というか……私はそんなに老けて…………
「うん、分かった。じゃあ……うん」
「まあその……フィリアちゃんに嫌なことしたがる男も多いよ、って。そういう話」
「基本的に女の子が嫌がることするの好きなんだよ、男って」
「嫌がることするけど、嫌じゃない……みたいな……こう……」
「はぁ……難しい話ですね、なんだか」
うん、すっごく難しい。と、ジャンセンさんは頭を抱えてしまった。
どうしたことだろうか。
もしや、単に男女の関係というのとも違う何かが、市民の間では当たり前にあるのだろうか。
その辺りは……やはり、世間に疎いままでは知り得ないのだろうな。
王家に生まれ、魔術の研鑽に没頭し、幼いうちに玉座にまで就いてしまった今の私のままでは。
「……貴方と話をしていると、己の無知を思い知らされます」
「学問を修め、知識をどれだけ蓄えても、当たり前の常識が欠如している」
「これではとても、賢い人間とは呼べません」
「うん、フィリアちゃんはむちむち……じゃなかった」
「でも、そういうのを自覚出来るだけ凄いよ。自分が知ってる世界が全部だから、普通は」
「知らないもんが外にあるとか、中々気付くことじゃない」
むち……
それは……その……肉付きがよい……と、そう言いたいのだろうか……っ。
やはり、ユーゴの言う通りなのだな……
私は……私の身体は…………
「っと、なんか変な話ばっかしちゃったね」
「俺を探してたわけだから、何かしらの情報が欲しいわけだよね」
「前回は魔獣だった。んじゃあ、今回はどんな厄介ごとを知りたいのかな?」
「はい。今日は、その……現在この国に多発している、盗賊被害について調べていて……」
さて、いろいろあったが本題に入れそうだ。
いろいろ……
私はやや傷付いた心を胸の奥底にねじ込んで、ジャンセンさんにゆっくりと質問をぶつける。
どう尋ねれば、私達に懐疑の目が向かないか、と。
そんなことを気に掛けながら。
「……盗賊団の首魁がどこにいるか……ね」
「んー……俺からも聞きたいこといろいろあるんだけど……まず、最初に一個聞いていい?」
「それ、なんで俺に聞こうと思ったの?」
「俺が色んなこと知ってるから……って、それだけじゃないよね」
「もしそうだとしたら、流石に呆れちゃうんだけど」
「……はい。凄く……凄く失礼なことを言ってしまうかもしれません。お許しください」
「以前にお伺いした話です」
「貴方は、このヨロク以北での特産品を、特別な方法で仕入れて販売している……と、そうおっしゃいました」
「それは……それには……」
何か強力な後ろ盾が無ければ、商売として成立させるまでには――一度や二度ではなく、安定して供給出来るようになるまでには至らない。
ならば、神出鬼没で、国軍の目をも掻い潜る力を持つ盗賊団の助力がある可能性は高い。
そんな私の拙い推理を伝えると、ジャンセンさんは困った顔でジョッキを煽った。
「……ま、俺もちょっと迂闊だったかなって思わなくもない」
「でも、あの様子じゃ誰にも言ってないんだよね。そこ、マジで感謝するよ」
「フィリアちゃん、ほんとにいい子だよね」
「約束でしたから。あれ以上の詮索はしない――深追いに繋がる行為は慎む、と」
「情報をいただいた上で、一方的に裏切るようなことはしません。したくありません」
これは私の本心だ。
私の周りの誰も彼もが疑ってくれるから、私自身はあらゆる人を信じて生きていられる。
いいや、信じ続けなければならない。
民を信じずして何が王か、何が国か。
守るものを信じなければ、その器にはなんの価値も生まれない。
「……そう。俺は盗賊団の力を借りて色んなとこの物資を手に入れてる」
「もちろん、盗んだものを横流しして貰ってるとかじゃない」
「北へ南へ、国の馬車がいけない街へ食料を届ける」
「その代わりに、その街でしか手に入らないものを少しだけ貰ってく」
「商売の基本、交易をしているに過ぎないよ」
「……っ。食料を……やはり……やはり、そうだったのですね」
やはり、ジャンセンさんは自分の利益の為だけに動いているわけではなかった。
商売というものがそもそも相互利益で成り立っているのだから……と、彼はそう言ったが、しかしそんな理屈は関係無いのだ。
彼は苦しんでいる人の為に頑張ってくれている。
それを本人に確認出来ただけで、私は少しの満足感を得られていた。
「……でさ。フィリアちゃんが……軍の関係者がそれを聞くってことは……盗賊団、そろそろ本気で捕まえるの?」
「俺としては……ちょっと困るけど、まあ理解は出来る。やめろとは言えない、国民だし」
「……捕まえる……という結果は間違いないでしょう」
「ですが、私は……私自身の望みとしては、可能ならば手を取り合う形に収まって欲しい……と。そう思っています」
カンビレッジの街でも、このヨロクでも、私は目にしてしまったのだ。
盗賊団によって救われている、守られている人命がある。
ならば、彼らは国の味方だ。
政治との敵対関係はあるかもしれないが、しかし国民を守ろうとしていることに変わりはない。
ならば……
「……私は、そんな頼もしい組織が国と手を取り合ってくれれば……と、そう願っています」
「そんなことを測量士の私が言ったとしても、何も変わらないのですけどね」
「……手を取り合う……か」
「それ、本気で言ってるんならさ……フィリアちゃん、本物のおバカさんだよ。子供でも言わないよ、そんな夢物語」
うっ。やはり……私の考えは甘いのだろうか。
それでも、夢でも妄想でも構わないから、私だけは、誰もが幸福を享受出来る形を望むべきだと思うから。
測量士を騙る未熟な女王のひとりくらいは、幸福な夢を追い求めてもいいだろう。
それは昼過ぎのことだった。
酒を飲み、料理を食べ、酒を飲み、笑い、酒を飲み、そして遂にジャンセンさんは机に突っ伏して気絶するように眠った。
眠るように気絶した……?
また、怪物を見るような目で私を見ながら。
私はまだ、酔っぱらった時にあるという症状のほとんどを感じていないのだけど……
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