第四十一話【舟】
ランデルでの戦いから一夜明け、私はまたバスカーク伯爵の住む洞窟を目指していた。
ユーゴと共に、小さな舟を準備し、馬車に乗り込んで。
「この舟、大丈夫か? なんか……沈まないだろうな」
「だ、大丈夫ですよ……多分。蔵にあった古い舟ですが、沈まないことは池で確かめましたから」
本当かよ。と、ユーゴが訝しむと、馬車の中は温かな笑いに包まれた。
今日は偶然にも、ヨロクへ共してくれたギルマンが護衛についてくれたのだ。
彼はもうユーゴと打ち解けてくれているし、それに扱いについても心得ている。
だから、行きの馬車は凄く賑やかで、そしてあっという間のものになってしまった。
「それでは、皆はまた馬車の警護をお願いします。行きましょう、ユーゴ」
「いいけど……それ、どうやって運ぶんだよ。出る前も大勢で載せてたのに」
はて。と、私を困らせたのは、持ち込んだ舟の運搬だった。
まあ、普通は荷車か“ころ”を使うのだろうけど、しかしこんな狭い洞窟ではそんなものを運びこむ余地など無くて……
「まさか、どうやって持っていくか考えずに積んできたのか……? フィリア、お前……」
「なっ、だ、だってっ。ユーゴが舟を準備しろとっ」
確かに、どう運び込むかを考えなかったのは私の落ち度だけれど……っ。
ユーゴは慌てる私を見て頭を抱え、そしていやいやながらに舟を担ぎ上げた。
けれど……いくらなんでも、これは……
「……前が見えないな、これだと」
「おい、どうすんだこれ。フィリア、後ろ持て。机みたいに運ぶぞ」
「え、ええと……はい。よい……しょ……っ……これは……」
お、重たい……
いくらユーゴと一緒とはいえ、ふたりで運ぶには……これは少し……
かと言って、大人数で運び込もうにも、結局あの縦穴で躓いてしまう。
あんなところを三人も四人も一緒に通ったら、身動きが取れなくなってしまうだろう。
「陛下、私が運ばせていただきます」
「ユーゴ、後ろを持ってくれ。
「陛下には前を照らしていただきたいのですが、よろしいでしょうか」
ごちゃごちゃと今になって揉めている私とユーゴを見かねたのか、声を掛けてきたのはギルマンだった。
私が一番前で道を照らして、ギルマンが舟の先を持って先導、後ろからユーゴがそれを支える……と、彼はそう提案する。
しかし……
「ありがとうございます、ギルマン。ですが……その、縦穴は本当に狭くて、私が通るのがやっとなので……」
「私では舟を持って降りられない……と。ふむ……それは困りました」
かといってユーゴひとりでは、ただでさえ危ない縦穴なのだから、とてもではないがそんなことは頼めない。
やはり、私が運ぶしかないだろう。
力仕事はあまり得意ではないが、しかしやらなければならないとあれば……
「……そうだ。ギルマン、さっきので行くぞ」
「フィリア、早く入れ。こんなの持ってたらすれ違えないし、ランタン無いとギルマンは前見えないんだろ」
「えっ……あの、ですから、それでは縦穴を潜れないと……」
滑らせればいいだろ。と、ユーゴはちょっと怒った顔でそう言った。
なんでこんなことに気付かなかったんだと、自分に対して不満がある様子だった。
「滑らせる……ですか。しかし、いくら頑丈な舟とはいえ、そんなことをすれば……」
「どうせそれ以外に無いなら試しとけばいいだろ」
「あと、多分大丈夫だ。あそこの地面はつるつるしてたし、なんとかなる」
そういえば……と、思い出したのは、いつも足を掛ける場所に苦労した縦穴の地面だった。
確かに、あれならばもしかすると……と、そう思えなくもない。
ユーゴの言う通り、他に手段が思い付かない以上は、ここで論じているよりも試す方が早いだろう。
駄目だったなら、その時はまた泳いで渡るまでだ。
「では、先に入りますね」
「ギルマン、貴方は身体も大きいですから、頭に気を付けてください」
「ところどころ天井が低くなっています」
「かしこまりました。ご心配いただきありがとうございます。ユーゴ、せーので持ち上げるぞ」
せーの。と、掛け声が聞こえて、そして私は洞窟の中を先行した。
ランタンの灯りは相変わらず心許ないが、しかしこれでもう何度目の探索だろう。
目は見えずとも、ある程度は足下も道も覚えている。
ただ、ギルマンはそうではないから……
「おい、遅いぞギルマン。もっと早く行けよ」
「む、無茶言うなよ。これ……いてっ。天井もだけど、横も狭いなこりゃ……」
私の歩みよりも遅く、舟は一向に洞窟の中を進まない。
こんなことなら、もっと強く照らせるものを持ってくればよかった。
魔力を失っていなければ、魔術がまだ使えたならば。
こんなことを思うのは、果たしていつ以来だろうか。
「ギルマン、ここから天井が更に低くなります。大変でしょうが、気を付けてください」
「はっ。うおっ、マジで低い……お、おいユーゴ、そんな押すなって。あぶな――あぶねえっ!」
ギルマンとユーゴのやりとりは半ば喧嘩じみたものだったが、それでも転んでいないのは、ユーゴが頑張ってくれているからだろう。
少し下っている洞窟内では、上から持ち上げ続けるユーゴの負担の方が大きい。
文句を言いながらも、ギルマンの為にしっかり運んでくれているようだ。
「もうすぐです。もうすぐそこに縦穴があります。そこからは私が前を持って……」
「無理だ。お前じゃ無理だ、バカ。滑らせて降ろすか、俺がひとりで運ぶかだ」
ば……っ。最近、どんどんユーゴの口が悪くなっている気がする。
そうこうしているうちに、私達は横穴と縦穴の分岐点に到着して、そしてユーゴの言う通りに舟を地面に降ろした。
これをユーゴが引きずって降りていくらしい。
「気を付けてください、ユーゴ。貴方でもここは滑るのですから」
「大丈夫だって。じゃ、先行くぞ」
ユーゴはそう言って、簡単に縦穴へと飛び込んでいった。
せめて舟を押していく格好ならば、いざとなった時に手を離せば済むというのに。
どうにもそれは嫌らしくて、ユーゴは舟を背負うような格好で穴を降りていく。
「変なところでこだわりますね、もう」
「では、ギルマン。気を付けて戻ってください」
「荷物が無くなったとは言え、暗くて狭いことには変わりありません」
「陛下も、お気を付けください」
「私よりも慣れていることとは存じますが、しかし貴女は女性で、それに身体を鍛えた我々兵士とは違うのですから」
少しだけ咎めるような意図も感じる言葉を残して、ギルマンは自分のランタンに火を移して横穴を戻っていった。
彼はどうやら、女王という立場の人間が、勝手な無茶をし過ぎることを案じているらしい。
全く耳の痛い話だが、こればかりは仕方がない。
人が足りていない以上、私自らがやらねばならないこともある。
それから私もすぐに縦穴を降って、そして先に降りていたユーゴと合流する。
舟は無事に運べたようだったが……しかし、浮かべてみるまでどうなっているかは分からない。
「この前よりは水位も下がっていますね。これなら、最悪沈んでしまっても問題無いでしょう」
「問題あるから舟持ってこいって言ってんのに……まあいいや、浮かべるぞ」
ばしゃん。と、少し乱暴に舟は湖面へと進出して、そして波に合わせてのんびりと揺れ始める。
見たところ浸水の気配も無い。これなら無事に向こう岸まで渡れそうだ。
「大丈夫そうですね。では、私達も乗りましょう」
「このまま使えるようなら、どこかの岩に繋いで置いていきましょうか」
「そうだな。毎回毎回こんなの持ってきてちゃめんどくさいし」
「それに、これ持って上がるのはもっとめんどくさい」
念の為に荷物は手に持ったまま、私達は舟を対岸に向けて進ませる。
小さな
沈むこともひっくり返ることも無く、舟は私達を無事に岸へと渡してくれた。
「ユーゴ、そちらのカバンを開けてください。ロープと杭を準備してきています。それで繋いでおきましょう」
「波が無いとはいえ、漂って遠くへ行ってしまっては面倒です」
「ん。これか? こんなんで本当に止まるかな……」
持って来た金属製の杭を地面に打ち込んで、太いロープで舟を縛り付ける。
よほど急激に水位が上がらない限りは大丈夫だろう。
これで帰りの心配も解消した。
では、今回は焚火をすることも着替えることも無く、伯爵のもとを訪れるとしよう。
よく来たのであーる。歓迎するのであーる。
そんな声が聞こえたのは、地底湖からしばらく横穴を進んだ後のこと。
声が聞こえてからもう少し歩いて、そして伯爵の部屋へと辿り着けば、先日は会えなかったバスカーク伯爵が、いつも通りのにこやかな表情で出迎えてくれた。
ユーゴはうっとおしがったけれど、私はそれに少しだけ安心した。
この人物はやはり何も変わっていないのだな、と。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます