第四十話【意図された熱戦を終えて】



 伯爵のもとを訪れて――ランデルの防衛線を強化し始めてから四日。

 あの人物の妄言、誇大な悲観であることを望みながらだったが、その四日はあっという間だった。


 まだ兵の半分ほどしか帰還していない、姿勢の整っていないうちに、予期した通りに――予期した以上の魔獣の大群がランデルを襲った。

 その日は憎たらしいほどの快晴だった。


「――女王陛下。報告差し上げます」

「ランデル北部、第二防衛線より」

「魔獣の撃退に成功。これより第一防衛砦の立て直しに着手、ならびに特異戦力の帰還を報告」

「繰り返します――」


 そして、魔獣の大量発生から半日が経った。


 街の防御は完璧ではなかったが、しかし次第に駆け付ける兵力によって、戦況は有利に。

 特異戦力――ユーゴの活躍もあり、まだ安心は出来ないが、状況は収まりつつあった。


「報告ご苦労。持ち場へ戻ってください」


「はっ!」


 そう。状況は収まりつつある。


 魔獣の大群が現れた。

 それも、とてもではないが、国の軍隊だけでは抑えられないほどの大群だった。


 あちらから、こちらからということもなく、全方位から一斉に。


 だというのに、なんとかなりつつある。

 こうなってみれば、伯爵の言葉が予言にさえ思えてしまう。


「……不要な動きを制限する為だけの、脅しの為だけの攻撃。潰れないように加減したとでも言うのでしょうか」


 このままいけば、ランデルは守られるだろう。

 幸いなのか、それともやはり予定通りなのか、砦のいくつかを損耗しただけで、街への被害はほとんど無い。


 まだまだこの街は元気で、いくらでも立ち向かえるだけの体力を残している。


 けれど、もう外を気に掛けるだけの余裕は無くなった。


 遂にこの街でさえも魔獣の脅威に晒された。

 そんな思いが、宮の中に満ちていた。


「陛下。まもなくカンビレッジに派兵していた小隊が帰還します」

「これで、ランデルを離れていた部隊は全て戻ったことになります」


 日の暮れる頃、報告をくれたのはリリィだった。

 そうか、もうカンビレッジの兵まで……

 本当に全ての兵が引き上げたのだな。


 もちろん、街には街の――ランデルから遣わせたわけではない戦力がある。

 だから、これでもう他の街は守れない……という話ではない。

 ではないが……


「それにしても、そのバスカーク伯爵とは何者なのですか?」

「事情はある程度伺っていますが、しかし推測だけでこれだけ完璧に近い予知をしてみせるなんて……」


「そうですね。あの方の素性については、私も疑問が浮かぶばかりです」

「けれど、今はそれを問うても仕方がありません」

「まずは、目前に迫った脅威を打ち払わなければ」


 バスカーク伯爵を褒める言葉を口にしながら、リリィの表情は懸念に満ちたものだった。

 或いは、かの人物こそが裏で手を引いているのではないか、と。そう疑っているのかもしれない。


 確かに、それだって十分に考えられる。

 それこそ、伯爵こそが盗賊団の首魁である、とか。


 私が女王であることも知ったうえで、道化を演じて自らに利をもたらしている。

 そんな考え方だって出来なくはない。


 疑わしいと言うより、信じられる要素の方が少ないのだから。


「けれど、あの方を疑ったところで意味はありません」

「現状、我々は大きく後れを取っている」

「もしもこれまでの件が、全て伯爵の手によって企画されたものだとすれば」

「私達はとっくのとうに手のひらの上。今更足掻こうと、立場の逆転はあり得ない」

「ならば、今は力を蓄える他に無いのです」

「もっとも、私はバスカーク伯爵を疑うつもりもありませんが」


「……そうですね。疑っていることを悟られれば、当然また何らかの手を打たれてしまう」

「もしもその伯爵が、私のイメージする悪人だとするならば、今は大人しくする他に無いでしょう」


 伯爵は初対面の印象と違い、相当な切れ者だった。

 そして、幸いなことに私達に協力的で好意的な態度を示してくれている。

 私にとってはそれだけでいい。


 疑うことは簡単だ、後でいくらでもやれる。

 それに、私が疑わずとも他の誰かが嫌疑の目を向け続けてくれるだろう。


 ユーゴも、段々心を許しつつはあるものの、しかし完全に信用した様子は無い。

 なら、私は騙される役でも問題無いだろう。



 着々と揃ってくる各地からの防衛成功の報告に、私はリリィと共に頭を抱え続けた。

 順調に行っているように見えるのに、それにこそ悩まなければならないなんて。


 そして、最後に東の防衛線から報告が入った頃のこと。


「フィリア、大体全部終わったぞ」

「魔獣、ほんとに凄い数だった。だけど、数だけだった。見掛け倒しだったぞ」


「お疲れ様です、ユーゴ。本当にありがとうございました」

「各地から貴方の武勇がたくさん届いていますよ」

「本当に――本当にありがとうございました。おかげでランデルは無事に守られました」


 まだ終わってないだろ。と、ユーゴは少し疲れた様子でそう言ったが、しかしユーゴがこうして戻ってきたことこそが終戦の証だろう。


 もう自分が戦わなくても大丈夫、これ以上の脅威は無い。

 そう感じたからこそ、彼も戻ってきている筈だ。


 なんだかんだと文句を言うが、責任感は強い子だから。


「……カスタードの言う通りかもしれない」

「魔獣、本当に数だけは多かったんだ。だけど、全然手応えは無かった」

「なんて言うか……別に、他の魔獣と何も変わんないんだけど」

「こう……こっちが戦いやすいように、きつくないように、様子見ながら襲ってくるような感じ」


「こちらの様子を見て、押し潰されないように戦力を小出しにしていた……と。そんなことが本当にあるのでしょうか」

「いえ、貴方がその目で見た通りなのですから、事実としてあってしまうのでしょうけど」


 ふんっ。と、ユーゴは凄く不機嫌そうに鼻を鳴らした。


 あんなの、俺がいなくてもなんとかなった。

 そう言って、それと同時に目を伏せて頭も抱える。


 でも、俺がいないとダメかもしれないって思った、と。


「最初はマジで無理だと思った」

「俺がいるところはいいけど、それ以外は無理だって」

「だから、カスタードの言う通りだと思う」

「誰かが俺達を見張ってる……いや、俺のことを見てる。しかも、結構近いところからだと思う」

「だって、今日は俺、色んなとこ走り回ってたもん」

「なのに、俺が行ってからしか、ヤバいことにはなってなかった」


「ユーゴの動向を細かに観察し、それを全体に伝え、魔獣の数を制御していた……」

「そんなことが出来る組織なのですね、あの盗賊団は」


 ああ、頭が痛くなる。


 ユーゴの報告は、他の誰のものよりもずっとずっと危険地帯に踏み込んでいて、その上容赦無くネガティブなものだった。


 ユーゴのおかげで戦線が維持された。

 これから補給に入り、その後すぐに砦を奪還する。

 そんな前向きで喜ばしい報告が雪崩のように押しかけていたところだったから、なおのこと重苦しい。


「……もしかしたら、カスタードのやつが黒幕だったりしないかな……って、そう思ったんだけどさ」

「でも、多分それも違う。アイツのコウモリは見当たらなかった」

「まあ、コウモリ以外にも操れるってんなら知らないけど」


「確かに、それだけの状況把握能力と伝達能力を持つ者となると、まずはバスカーク伯爵が思い浮かびますね」

「けれど、あの方ではなさそうだ……と。ううん……」


 ユーゴもしっかり伯爵を疑っていたのですね。

 あの人物は、どうにも悪さをするとは思えない……と、私は勝手に感じているのですが。


 しかし、あまりにも怪しさに満ち過ぎているのも事実。

 こうも立て続けに疑われてしまっていると、少しだけ哀れにも思えてくる。


「今日はちょっと疲れた」

「フィリア、明日またカスタードのとこ行くぞ。今日、ちょっと聞きたいことが出来た」

「次は舟とか……なんか……なんでもいいから、泳がなくて済むようにしとけよ」


「はい、お疲れさまでした。今日はゆっくり休んでください」


 ユーゴはいつもより少しだけ重い足取りで執務室を後にして、きっとそのまま部屋で眠ってしまうのだろう。

 冷めても問題無い食事を運ばせておこう。


 彼の力が体力をあまり消耗しないものだとしても、心はずっと張り詰め続けていた筈だ。

 疲れを残さないように、たくさん食べてたくさん眠って貰わないと。


 さて……それにしても……だ。


「…………はあ。リリィ……私は……私はそんなに醜い身体をしているのでしょうか……っ」


「っ?! へ、陛下……? どうなさったのですか、突然……」


 もしや、彼は私が水に入るのを嫌がっているのではないか。

 こう……服が濡れて……体型がくっきりと浮き上がって……

 それを見るのが本当に嫌で……


「……リリィはいいですね、小柄ですし、細いですし……」

「ああ……私も貴女のような美しい体型だったなら……」


「え、ええと……? 確かに陛下は背が高いですが、しかし決して太っては……」

「女性的だという意味でしたら、その……あの……起伏の少ない私よりも陛下の方が……っ」


 起伏……

 遠回しな言い方だが……それは……その……お腹周りの話をしているのだろうか……っ。


 触った感じではそこまで……引き締まっているとは言えないかもしれないが、しかし……っ。



 戦いは終わった。

 魔獣の全ては追い払われて、街への被害もほとんど出なかった。


 これから多少の復興作業こそあれ、頭を抱える問題は街の方には無いから。


 そう結論付けた私とリリィは、ふたりして執務室の中にため息を響かせた。

 彼女も彼女で自分の体型に何か不満があるらしい。

 その細くて綺麗な手足の何が不満なのだと、私はそんな恨み言を飲み込んだ。

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