第三十九話【敵の力】



 真っ暗な洞窟を進み、またあの細い縦穴を抜け、そして昨日の雨でしっかり増水した地底湖を泳いで渡る。

 悲しいくらい予定通りに――切り替えた後の予定の通りに歩き続け、そしてバスカーク伯爵の待つ奥の空洞……部屋を目指す。


「あらかた乾きましたね。これなら伯爵も許してくださるでしょう。では、行きましょうか」


「……おう」


 焚火に照らされるユーゴの横顔は、それはそれは不機嫌なものだった。

 今度は私も自分で泳いだというのに、何をそんなに……


 もしや、頼られないのもそれはそれで嫌だ……と、そう拗ねているのだろうか。

 なんとまあ、いじらしい幼さだろうか。


「火を消しますから、少しだけ待っていてください」

「ランタンがあるとはいえ、いきなり暗くなっては前など見えません。しばらくは手を引いてくださいませんか?」


「えっ……ま、まあ……そのくらいはいいけど……」


 火を消してユーゴの顔が見えなくなると、すぐに私の手を温かいものが包んだ。


 身体が大きいとはいえ、女性である私よりも小さくて温かな手。

 傷も無く、豆も出来ていない、それでも少しだけ節くれ立った指が、目に見えなくてもよく分かる。


「ユーゴの手は小さいですね。べ、別に私の身体が大きいこととは関係ありませんが……」


「な、なんだよ、急に。別に……小さくないし、これからデカくなる」


 あれだけ剣を振り回しているのに、皮が厚くなっている様子も無い。


 もしや、彼は単純に筋力が増加しているわけではないのだろうか。

 或いは、何か特別な加護のような形で、彼の動きそのものに補助が組み込まれているのだろうか。


 彼自身の握力は変化していないからこそ、どれだけ乱暴に剣を振り回しても、その手にはダメージが残らない、とか。


「……っ。も、もうそろそろ目も慣れただろっ。いい加減離せよ、そんな触んなっ」


「すみません、なかなか無い貴重な機会でしたから、つい」

「ありがとうございます、ユーゴ。おかげでもう目も慣れました」


 自分でやったことなのに、彼の能力については本当に未知の部分が多い。


 結果として、誰にも負けないだけの力を振るってはいるが、その原理が分からないというのは少しだけ不安だ。


 何かの拍子に、その最強の座を引きずり降ろされてしまうかもしれない。

 全く想定していない、悪辣極まりない手段によって。


 まだ少し怒った様子のユーゴと共に進み続け、そして私はやっと伯爵の住む部屋まで辿り着いた。

 以前は随分と陽気な声で出迎えがあったものだが……


「……留守……でしょうか。もしかして、崩落があったから避難したのでしょうか」

「いえ、むしろそれが当たり前と言ってしまえば……」


「おい、そんなのもっと早くに気付けよ」

「まあ、カスタードのやつも洞窟が崩れたら流石に慌てるか」

「あんな間抜けでも、自分が死ぬかもしれないってなれば焦るだろ」


 不敬であーるっ! と、私達の会話に割って入ったのは、反響して少し低くなった、聞き覚えのある男の声だった。

 しかし、ユーゴの言う通り、崩落があったにもかかわらず避難していないその呑気さはいかがなものかと……


「よくぞ帰ってきてくれたであーる」

「フィリア嬢、今日は大変な思いをさせてしまって申し訳ないであーる」

「玄関の掃除がまだ済んでいなかったのであーる」


「掃除……伯爵こそ、ご無事で何よりです。崩落があったようですが、ここは大丈夫でしたか?」


 奥にまでは被害も出ていないのであーる。と、伯爵の声だけが聞こえて、しかしその姿が一向に現れない。

 果たしてどこからこちらを見ているのだろうか。というか、こちらが見えているのだろうか。

 音だけで判断している……という可能性は、初対面の時から、なんとなくだが……


「バスカーク伯爵、どちらにおられるのですか? 出来れば、面と向かって話をしたいのですが……」


「別に顔見る必要無いだろ、あんな奴。うっとうしいだけなんだから」


 こら、いけません。と、少しだけしかりつけると、ユーゴはむっとして俯いてしまった。

 彼はどうにも伯爵を軽んじる悪い癖がある。


 確かに、直接会う必要は無いかもしれない。

 けれど、やはり面と向かってこそ出来る話もある。

 何より、彼の安否をこの目で確かめたいという思いもあった。


「――すまないのであーる。少し事情があって、我輩は今、人前に出られないのであーる」


「事情……ですか。もしや、お怪我をなさったのですか?」

「いけません。ならば、なおさら姿をお見せください」

「宮には腕利きの医師もおります。手当てが必要なら、すぐにでも手配して……」


 ケガは無いのであーる。と、伯爵はそう言ったが、しかし……


 声がやはり、少しだけ低く感じる。

 反響の所為だけではないのかもしれない。


 いつも陽気で、少し上擦ったような声の伯爵が、今日はどうにも……


 元気が無いのだろうか。やはり、ケガか病気で……っ。

 まさか、この洞窟内にも魔獣が侵入して……


「フィリア嬢、我輩の話はいいから、本題に入るのであーる」

「ごっほん。まず、ヨロクからの急な帰還、心より感謝するのであーる」

「そちらが戻らねば、街は潰されてしまっていたかもしれないのであーる」


「いえ、こちらこそ。報せていただいてありがとうございます」

「おかげで間に合うことが出来ました」


 どうして女王である私が、自称伯爵に感謝されているのだろう……


 しかし、伯爵には感謝してもしきれない。

 あの手紙が無ければ、今頃私達はヨロクで調査の真っ最中だっただろう。


 そうなれば、伯爵の言う通りランデルは…………?


「……そうです。伯爵、その件について尋ねたいことが多くあるのです」

「ユーゴが確認した限りでは、ランデルが押し潰されるほどの魔獣の数は確認出来なかった、と」

「しかし、伯爵からの報せは、本当にひっ迫した状況を思わせました」

「ただ大袈裟にふみを寄こしただけでないのならば、この差はいったい……」


「――然り、であーる」

「そちらが戻るよりも前、確かに魔獣の数はランデルを食い尽くすほどのものだったのであーる」

「しかし、そちらが目にした魔獣の数は、とてもそんな水準には及ばないものだった筈なのであーる」

「故に、それこそを最大の問題であると、我輩は認識しているのであーる」


 やはり、ユーゴの感覚は正しかったらしい。

 魔獣は私達の帰還を知って数を減らした――どこかへ逃げていった、と。


 だが、もしもそうだとすると、魔獣達はどうして私達の存在に気付いたのだろう。

 ユーゴの力を獣の本能で察知した……だけとは到底思えない。


「裏で手を引いているものがいるのであーる」

「そうでなければ説明がつかない、とても論じられるものではないのであーる」

「まず第一に、なんらかの組織か、個人が、なんらかの企みを以って行動しているのは、間違いないと考えるべきであーる」


「……ですが、そんなことが可能なのでしょうか」

「魔獣を使役するなど、あんな獰猛で理性の無い獣を相手に……」


 魔獣は本能だけに従って生きている。

 戦い、食らい、数を増やし、そしてまた侵略する。

 しかし、より脅威な存在からは逃げる。


 獣が見せる程度の知性や理性も無く、暴走にも近い行動原理で、周りにあるものを食い尽くす。

 そんな存在を使役して、街を襲わせるなんて……


「魔人――と、そう名乗る組織には、魔獣を使役する力もある……と、そんな噂話はありますが……しかし……」


「違うのであーる。魔獣は何も、飼われているわけではないのであーる」


 使役されているわけではない……?

 しかし、先に伯爵自らそう言ったではないか。

 裏で手引きし、魔獣によってランデルを急襲したものがある……と。


「逆なのであーる。それらはおそらく、魔獣を食い止めることでバランスを取っていたのであーる」


「逆……魔獣を食い止めていた……?」


 そんなことが出来るだろうか。


 いや、事実としてやってみせている組織はある。

 盗賊団と、それにやや押され気味ながら、カンビレッジやヨロクの戦線は、かの団の台頭前までは魔獣を押しとどめていたのだ。


 しかし、それには相当な兵力と資金が必要になる。

 そんな無茶を維持して魔獣を押しとどめている組織が、どうして今になって……


「……防ぎきれずに決壊した……わけではないのですよね」

「事実、私達が戻ったころには……そして今も、魔獣の脅威は去っています」

「ならば、今もなおその組織は魔獣を食い止めている、と」

「そんなことが可能で、それにメリットがあって……」


 そんな組織があるだろうか。


 どうやったら得になる。

 どうやったらそれを維持する資金が手に入る、維持するだけの価値を付加出来る。


 伯爵の言葉は理解出来たが、しかしその真意を理解することは――


「――あるのであーる」

「ひとつだけ、この停滞にも価値を見出せるものがいるのであーる」

「すなわち、この拮抗こそを良しとする集団――」

「国の混乱と疲弊、そして回復に努めるが故に上向く経済」

「物流を支配し、物価の上昇を是とし、そして自らに迫る法の手を遠ざけることを最善手とする組織」

「――すなわち、くだんの盗賊団であーる」


「――まさか――私達がヨロクの視察に訪れていることを知って――

「いえ、いいえっ! あり得ません。まさか……どうして、何故――」


 盗賊団は、あんな少人数でヨロクを訪れた私達を――私達だけを脅威と判断して、ランデルに引き返させる為に魔獣への防衛線を緩めたというのか。


 あり得ない。

 いくら私が女王だとは言え、そもそも視察になど当たり前のように出かけるのだ。


 兵力のほとんどをランデルに残し、たった数人とユーゴだけを連れて――


「――何故――ユーゴのことがもう知られてしまっている――っ?!」

「そんな、だってこの子は――」


「とにかく、対策を急がなければならないのであーる」

「おそらく、また魔獣の大群は攻めてくるのであーる」

「今度は前回よりも多く――そちらがいてもなお足りないほどの数が攻めてくるのであーる」

「各地に配備した兵力を招集しなければならないほどの、大大大軍勢が押し寄せてくるのであーるっ!」


 っ! 各地に――そうか、盗賊団の目的はそれか。


 魔獣を撃退し続けてくれているのは、盗む為に栄えさせる為――だけではない。

 防御の必要が無いと、兵士を引き上げさせる為。


 そして、盗賊への備えで見張りを増やせば、今度は絶対に落とされてはならないこのランデルに危機を訪れさせることで、外へ出した防衛ラインを内に引っ込めさせるというわけか。


「裏は取れていないであるが、しかしほぼ間違いないのであーる」

「そもそも、魔獣を押しとどめられる戦力など、あの盗賊団以外に持っていないのであーる」

「早急に手を――まず、このランデルを死守する為の策を練るのであーるっ」


「――っ! はい!」


 全く予想外の展開になってきた。


 魔獣を退け、それから盗賊団の問題を解決する筈だったのに。

 まさか魔獣の問題が盗賊団のさじ加減だったなんて。


 裏は取れていない。と、伯爵はそう言ったが、しかし魔獣と拮抗するだけの戦力など他にはない。

 たった今目前にしている敵は、私達よりも――国よりもずっと力のある組織なのだと腹を括ろう。


 顔の見えない伯爵に頭を下げて、私とユーゴは大急ぎで洞窟を後にした。


 パールとリリィに説明しなくては。

 そして、なんとしてもランデルの防御力を底上げするのだ。


 悔しいが、各地に派遣した兵力を呼び戻してでも。

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