第三十七話【終息】
雨の音にかき消されてしまいそうなほど小さなものだったが、魔獣の叫び声が聞こえた。
それは、ユーゴが私達から離れてしばらく経ってからのことだった。
「――っ。ユーゴの姿はまだ見えませんか。もう、そんなにも遠くまで……っ」
はじめのうちは彼の背中を追いかけていた。
けれど、気付けばその姿はどこにもなく、私達は魔獣の死骸の転がる道を突き進むだけになっていた。
それほどにまで魔獣の数が多い――急がなければならない状況なのだろうか。
もしもそうだとしたら、宮は大丈夫だろうか。
それに、ユーゴは……
「――また、魔獣の群れ――いえ、全て討伐された後の、魔獣の死骸が見えてきました」
「かなりの数ですが、動いている個体は見当たりません」
アッシュからの報告に、みな感嘆の声を上げた。
少なくとも、今ここにいる六人にとって、ユーゴは他の何よりも信頼出来る仲間になったのだろう。
それは凄く嬉しい。
それと同時に、彼の力が屈強な兵士達から見ても桁違いであるという事実が、少しだけ不安を煽る。
いつかユーゴが挫けてしまった時、誰ならば彼を守ってあげられるのだろうか、と。
「陛下。ここから先、かなり道が荒れています」
「減速はしますが、とにかく酷い有様ですので、ご注意ください」
「分かりました。ですが、減速は最小限に。馬と車が無事な範囲で、可能な限り急いでください」
「あまりユーゴと離れてはなりません」
そうなれば、私達の安全が保障されない。
彼のいない状況で大軍に囲まれては、この人数ではひとたまりも無い。
私が女王で、何よりも守らなければならない対象だから、彼らはきっとそう考えただろう。
けれど……
馬車はその後も魔獣の死骸の山を潜り抜け、ランデルの中心街へと向かって進み続けた。
よもやとは思うが、街の深くにまで侵入されてしまったのだろうか。
砦もあり、兵士も控え、林からはずっと遠い街の中にまで……っ。
「ユーゴの姿はまだ見えませんか? もしや、もう既に宮の近くまで行ってしまったのでしょうか」
「まさか、宮にすら魔獣の手が及んでいるのでは……っ」
「まだ……まだ、彼の姿は見当たりません」
「ですが、少しずつ……僅かな差ではありますが、魔獣の数も減っています」
「街の中心にはまだ攻め込まれていない可能性は高いです」
お気を落とさず。と、ギルマンがそう言ってくれたが、しかし……っ。
可能性の話では意味が無い。
早く――早く宮へ、ユーゴのもとへ。
馬車は走り、そして遂に生きている魔獣ともすれ違った。
ほんの数頭、討ち漏らしと言うよりも、ユーゴが通った後にやってきた魔獣だろう。
それらは馬車を追いかけてくるが、しかし追い付くことなくすぐに倒される。
もう、繁華街の中にまで来てしまった。
どこを見ても兵士達が走り回る、ランデルの街中にまで。
「やはり、魔獣は宮の周辺にはあまりいない様子です。しかし……そうなると、ユーゴはどこへ……」
「完全に見失ってしまいました……っ」
「とにかく一度宮へ、彼もそこで待ってくれているかもしれません」
どうやら、魔獣はここらで足を止めたらしい。
それにしても、これだけ深くまで攻め込まれたのはいつ以来か。
少なくとも、私が女王になってからは聞いたこともない。
前王が宮とランデルの守りを固める為に、兵士も馬もかき集めたおかげで、このランデルだけは非常に守りが硬かったのだ。
それなのに……
馬車はやっとのことで宮へと到着した。
私はすぐさま執務室へと赴き、兵士達には現場への合流を指示した。
宮の中は少しだけ慌ただしくて、誰も彼もが忙しなく走り回っていた。
「――陛下――っ! 女王陛下、ご無事でしたか!」
「パールっ! 申し訳ありません、今戻りました。被害はどうなっていますか?」
人の走る隙間を駆け抜けて、そして私は馴染んだドアを押し開く。
そこには数人の役人に囲まれて頭を抱えるパールの姿があって、けれど……
「……ユーゴは……ユーゴは戻っていませんか……? あの子は今どこに……」
そこにユーゴの姿は無かった。
遅いと怒鳴られる覚悟さえ持って来たのに、彼の姿はどこにも見当たらない。
もしや、すれ違ってしまっただろうか。
まだどこかで戦って……
「――っ。すみません、外を見てきます」
「もしユーゴがここへ帰ってくるようなら、言伝を頼みます。くれぐれも無茶はしないように――」
「落ち着いてください、女王陛下。ユーゴなら既にこの部屋を訪れています」
「そして、貴女と同じように、私に言伝を残していきましたよ」
ユーゴが……私に……?
予想外の言葉に、私はきっとすごく間抜けな顔をしてしまったことだろう。
パールは私を見て、大きなため息をついて頭を抱えてしまっている。
「――言われた通りにやる。だから、陛下には陛下のやるべきことをやっていただきたい」
「どうせ忘れているだろうから。子供扱いして心配しているだろうから、と。そう残して行きましたよ」
「言われた通りに……っ。ユーゴ……」
子供扱い……か。
そうか……この心配は、私の勝手な暴走だったか。
突然肩が軽くなって、頭の中がすっきりとした。
そして思い出したのは、ハルを出発したばかりの時のこと。
もしもランデルに到着したのならば、私ではなく現場指揮に従って戦って欲しい、と。
そうだ、私がそうお願いしたのだ。
「呆れたものですね」
「ユーゴはどうやら、貴女のことを随分理解したらしいというのに」
「陛下はまだ、あの子を理解出来ていないご様子です」
「ユーゴはただの子供ではない。それは何も、力に限った話ではないようですよ」
「っ! 私が……ユーゴを……」
さあ、無事が分かったのでしたら仕事をしてください。
と、突然現れたリリィに背中を押され、私はさっきまでパールがいた場所にまで押し出されてしまった。
皆の注目の集まる、私の席の前まで。
「――っ。では、被害状況を報告してください」
「私はバスカーク伯爵の報せを受けて帰還しました」
「かの人物が危急の連絡を寄こすほどですから、小さな問題とも思えません」
「現れた魔獣の種類、それに他の被害。失った兵力と街の被害状況」
「片っ端から、こと細かに報告してください」
それを聞いて、私に何が出来るか。それは今はいい。
私は知らなければならない。
この国の中心で起こった事件を、その被害を。
その上で、これから私が何を身に付けるべきなのかを考えなければならない。
ならば、今は役に立てないから。と、尻込みしている場合ではないのだ。
街の被害は、想像していたよりは小さかった。
しかし、これまでのランデルを思えばかなりの大被害だ。
それでも、建物も人もほとんど失うことなく守り抜けたことは喜ぶべきだろうか。
それとも、僅かでも出てしまった被害を悔やむべきだろうか。
選ぶまでもない。どちらも飲み込んでいくしかないのだろう。
「……全て、過去に現れた魔獣と同じ……ですか」
「では、新型の魔獣や、別の地域に住んでいた魔獣の移動によって起こった被害ではない……と。となると……」
「どこかに隠れていた、或いは卵か何かがいっせいに孵ってそれが襲ってきた、か」
「とにかく、今回現れた魔獣は、元々ランデル周辺で目撃されていたもの――最初から潜んでいた問題が露わになったものと思われます」
報告された魔獣については、想像以上に問題が深そうだ。
これはもしや、ユーゴの留守が原因なのだろうか。
天敵の留守を嗅ぎ付けて、魔獣がここぞとばかりに攻め入ってきた、と。
「もしもそうだとすると……っ」
「まだ、ユーゴをランデルから離れさせてはいけない……彼の力で他の街を救う段階にはない……と。そんな情けない話が……っ」
「……悔しい話ですが、そう考えるのが筋かと」
「知性の低い魔獣とて、獣としての本能は持っています」
「ユーゴほどの力ならば、野生の直感によって警戒され、そして避けられてもおかしくはありません」
「そして、それがいなくなる瞬間を待ち構えるというのも、自然の狩りの常ですから」
これでは、北も南もあったものではない。
ランデルから魔獣を全て叩き出して、それからやっと外へと目を向けられる。
それではとても……この国は保たない。
「ランデルから他の街へ兵力を送り過ぎた……からでしょうか。ここまで脆い街だったとは……っ」
「ここを守り抜けなければ、他のどの街を解放したとて意味がありません」
「もう一度、兵力の再編成を……」
なんとかしてこの本拠地を固めなければ。
前王はこのことを理解して守備を固めたのだろうか。
もしもそうなら、他に手が無いのではないか。
私も同じことをしなければならなくなるのでは……また、国民の不満を買ってしまうのでは……
「――フィリア、戻ってるか」
「――っ! ユーゴ!」
ガタンっ。と、少し乱暴にドアが開かれ……の、ノブが壊れてしまっているではありませんかっ。
そんなに乱暴にしなくても……ではなく。
開かれたドアの向こうから、ずぶ濡れで息を切らしたユーゴが現れた。
「――魔獣、なんか変だ」
「カスタードのとこ行くぞ、あいつならなんか知ってるかもしれない」
「別に強くない、大して危なくもない。なのにわざわざ手紙寄こしたんだ」
「じゃあ、なんかもっとやばい事情があるって、それをあいつは知ってんのかもしれない」
「っ! もっと……さらに別の……っ?! 分かりました、すぐに――」
すぐに向かいましょう。と、そう言いかけたところで、パールに首根っこを捕まえられた。
わ、私はウサギやキツネではありませんっ。
まさか、この状況で仕事が残っているからそれを優先しろ……などと言うつもりでは……
「――陛下。僭越ながら申し上げます」
「陛下もユーゴも、今日は休まれるべきかと」
「どういう日程で帰ってこられたかは知りませんが、ヨロクからここまではかなり危険で長い旅になった筈」
「特に、ユーゴの疲労は見た目以上に積もっている筈です」
「――それは……っ。そう……ですね」
「ユーゴ、また明日の朝早くに出発しましょう。不服かもしれませんが、今日はゆっくり……」
分かった。と、ユーゴは珍しく素直に頷いて、そして自分の部屋へと戻っていった。
まさか、もう休まないと動けない、戦えないというところまで消耗していたのだろうか。
そこまで追い詰められてしまうなんて……
それからすぐ、兵団長から連絡が入った。
ランデル全域で魔獣の撃退に成功した。もう街は安全になった、と。
そして、これから街の周囲へ見回りに出て、厳戒態勢の下で残党の討伐に出かけるのだと。
ひとまず、ランデルの危機は去った……いいや、ユーゴと兵士達の手によって退けられた。
だが、その原因はまだ何も分かっていない。
ユーゴが嗅ぎ取った不穏の一端は、まだ私達の目に見えるところには表れていないのだった。
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