第三十五話【とんぼ返り】
――至急戻られよ。ランデルに危機あり――
届けられた手紙に書かれていたのは、その一文のみだった。
全く要領を得ない内容だが、しかし以前もそうだった。
コウモリに持たせられる手紙には限りがあるし、封をする時の都合もあって僅かな文章しか書けない。
故に、かの伯爵は以前も端的な指示だけを記していた。
そういう意味では、最も効率的な情報伝達ではあるだろう。
「――っ。戻る……んだったら、どうする。もう今からでも出るか?」
そうして最高速度で伝えられた宮の危機に、私もユーゴも顔を青くして思案する。
今この場を離れれば、盗賊団の捕縛はまた先延ばしになってしまう。
そうでなくても、ここからランデルまで帰るのにかなりの時間を要してしまう。
だが……
「……よほどのことが無ければ、伯爵も
「無茶を承知で今から出発します」
「日暮れにはハルに戻れるでしょうから、一泊して、また明朝に出発すれば、マチュシーで休まずとも……」
「それ、出来るのか? 前に言ってただろ、馬を休ませないといけないって」
……一台の馬車だけでは不可能だ。
だが、マチュシーで別の馬を借り受けられれば不可能ではない。
しかし、今からでは連絡する手段も無い。
飛んで帰って、そして何とか交渉して無理矢理取り付ける。
それが成れば、明日の晩――深夜にはランデルに到着する筈だ。
「そうと決まれば早速準備を」
「ユーゴ、私の部屋から荷物を持ってきてください。何が足りなくても構いません、目に付いたものはすべてカバンに放り込んでください」
「私は馬車の手配と、そして皆に事情を説明してきます」
分かった。と、ユーゴはすぐに部屋を飛び出していった。
私もすぐに動かねば。
ヨロクでは長い滞在になる予定で皆にも準備させているから、私達だけが焦っても出発出来るわけではない。
彼らの準備が不十分では、帰路の安全が確保されないのだから。
まずは役場へ向かい、馬車の手続きを済ませる。
そして駐屯所へ向かい、ランデルから共にやってきた兵士達に声をかける。
非番だというジェッツの泊っている宿舎の部屋を訪れて、そして馬小屋に赴いてアッシュに頭を下げた。
話を聞けば皆すぐに支度を始めてくれて、役場に戻ればユーゴも荷物を持って待っていてくれた。
くれたが……
「……? ユーゴ? どうかしましたか?」
「……うっさい、デブ」
デ――
どうしたことか、ユーゴは凄く凄く拗ねた様子で、私の方を見ようともしない。
もしかして、使い走りにしたことを怒っているのだろうか。
それとも、彼の準備が早くて、待たせてしまったとか……?
なんにせよ、今はユーゴと揉めている場合ではない。
幸い本当にどうしようもないくらい怒っているわけではなさそうだし、事情を話して貰って……
「近寄るなっ! デブ! アホ! 間抜け!」
「で……っ。な、何があったかは知りませんが、そんなに毛嫌いしなくても……」
思っていた以上に怒ってた……
訳を話してくれる風ではない……が、しかしこちらの話を聞くつもりが無いというほどでもない。
距離は取られてしまっているが、このまま話をして出発する分には問題無さそう……だといいのだけど……
少しすると、声を掛けた皆が役場に集まってくれた。
予想よりもずっと早い集合のおかげで、余裕をもってハルまで戻れるかもしれない。
「手早い準備感謝します」
「先ほど説明した通り、ランデルにて火急の事態が発生したとの連絡が入りました」
「これより私達はハルの街へと戻り、そしてマチュシーで馬車を乗り換えて宮へと帰還します」
「急な話で申し訳ありませんが、どうか力を貸してください」
私の願いに、皆迷うことなく頷いてくれた。
ユーゴだけはまだそっぽを向いているが、しかしだからと言って付いてこないというわけでもない。
ただ……私が近付くと勢いよく逃げてしまうのだけは……少し傷付くと言うか……
「では、出発します。陛下、揺れにお気を付けください」
「はい。アッシュ、暗い中の移動になりますが、どうかよろしくお願いします」
全員が馬車に乗り込めば、アッシュの号令で馬車は動き出した。
問題はヨロク南部の魔獣の数だ。
来るときにもかなり激しい戦闘を要されたのだ。帰りもまたユーゴの力に頼らざるを得ない。
得ない……が……
「あの、ユーゴ……」
「っ! お、俺はもう外に出てるから!」
「どうせすぐに魔獣が出てくる。街に着くまではずっと外にいるからな!」
そうして貰えることは助かるのだけど……
ユーゴは何やら逃げるように馬車から飛び出して行ってしまった。
彼に何があったのだろう。
その……本当に傷付くと言うか……寂しいと言うか……
「――っ。早速出てきました、前方に魔獣の群れを発見。ユーゴが接敵します!」
「っ。頼みましたよ、ユーゴ」
浮足立っていても、そこは流石に緊張感が違う。
皆からの報告だけでしか戦況は把握出来ていないが、しかしユーゴの活躍はいつも通り凄まじいものだ。
現れる魔獣の群れを軒並み叩き伏せ、馬車は一度の停車も減速も無く進み続ける。
「相変わらずとんでもない強さですね、彼は」
「陛下、本当にどこから見つけてこられたんですか。ただの子供とはとても思えませんが……」
「彼は特別なのです」
「国を、世界を救う使命を背負っている……と、勝手にそう言っては彼に迷惑かもしれませんが」
「私はそう思っていますし、信じています」
そんな使命、私が勝手に背負わせただけなのだ。
それでも、彼がその期待に応えようとしてくれている以上、その活躍には希望を見てしまう。
さて、それはそれとして……
ユーゴの活躍が増えれば増えるほど、そして彼が皆と打ち解ければ打ち解けるほど、皆の懐疑が強くなってしまう。
そろそろユーゴの素性を怪しむものも出てくるだろう。
今はまだ、不思議だが味方なら頼もしいと思われている段階なのだろうが。
それもいつかは……
「……いつか、彼をなんの後ろめたさも無く紹介出来る日が来てくれるでしょうか……」
それは……それは、私の身勝手が過ぎるだろうか。
彼自身にはなんの後ろめたさも無いのに、私の所為でその素性を打ち明けられないのだから。
馬車の中で彼を応援する皆の姿を見ると、どうにかして彼をその輪の中に入れてあげたいと考えてしまう。
ユーゴについての私の勝手な憂いとは裏腹に、馬車は無事に進み続ける。
いや、戻り続ける……と言う方が正しいのだろうか、この場合は。
「このまま無事に行けば、予定よりも早くに到着出来そうです」
「本当ですか? だとすれば、ハルで少し長めに休むことも出来そうですね」
「それに、もっと早くに出発できれば、マチュシーでの交渉にも時間を掛けられます」
ユーゴが行き以上に張り切ってくれているのか、馬車の中からは魔獣の気配など全然感じない。
それとも、行きにほとんど倒してしまって、もう襲ってくる魔獣の数も少ないのだろうか。
どうであれ、全てユーゴのおかげと言える。
本当に、彼にはどれだけ感謝してもし足りないくらいだ。
「ですが、気を抜かないように」
「数が減っていようと魔獣は魔獣、危険に変わりありません」
「ユーゴにもかなりの疲労がのしかかっている筈」
「いつ討ち漏らしが襲ってくるかも分かりません」
私の注意など全く不要だっただろう。
狭い車内でぴんと背筋を伸ばして、皆いつでも迎撃に出られるように身構えてくれている。
それもこれも、私を守る為に、だ。
そうして高い緊張感を保ったまま、馬車は無事にハルにまで辿り着いた。
流石のユーゴにもかなり疲労の色が見えたが、それでもあいかわらず涼しげな顔で……
「……っ。よ、寄るな! デブ!」
「っ?! ど、どうしてそんなにまで……」
余裕な表情をしているのに、私には未だに冷たいまま……
それでも、とにかく無事に帰ったのだ。今はそれを喜ぼう。
「皆、お疲れさまでした。すぐにでも宿へ入って休んでください」
「すみません、アッシュはまだ馬の世話をしなければいけないのでしょうが……」
「大丈夫です、お任せください。陛下もお疲れなのですから、ゆっくり休んでください」
もちろん、ユーゴもな。と、アッシュはユーゴの頭を撫でてそう言った。
彼としては労い以外の意図は無かったのだろうが、しかしユーゴはそれを子供扱いするなと突っぱねる。
そんなふたりのやりとりに、さっきまで張り詰めていた緊張は一気に緩んでくれた。
「……アッシュは細かいところに目が向きますね。おかげで皆ゆっくり休めそうです」
「いえいえ、私は何も」
「では、これで失礼いたします。馬の手入れを怠れば、明日はご期待を裏切ることになってしまいますから」
アッシュは馬を車から外して、馬小屋へと引いていった。
私達も早く休もう。
彼が馬の調子を万全に整えてくれても、私達が寝坊したのでは意味が無い。
「それでは、私達も。ユーゴ、また明日もよろしくお願いします」
「っ……わ、分かってるよ! このデブ!」
そ、そんなに太ってはいません! と、遂に私は少し声を荒げてしまった。
太っては……そこまでは……太っていない筈です……っ。
私のそんな姿にユーゴは目を見開いて驚いてしまった。
あまり普段大きな声を出す機会が無かったから、私自身も少し……の、喉が驚いて……
「けほっ、けほっ。と、とにかく、今日はもう休みましょう。いつもありがとうございます」
「それはそれとして、女性にあまり体形のことを言ってはいけません。分かりましたね」
「お、おう……ごめん……」
喉も少し痛いし、それに目頭も熱い。今日はもう寝よう。
まだ何が起こっているのかも分からないランデルに不安はあるが、今は焦ることなく身体を休めよう。
出来ることから、少しずつでも。
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