第三十四話【停滞という罠】
ジャンセンさんに魔獣と街についての情報を聞くことが出来たが、しかし私達の抱える問題は一向に進展していなかった。
盗賊団を現行犯で捕まえる。
その為には、見張りの数と長い時間が必要になる。
分かってはいたが、成果が出ない日々が続けば、焦りばかりが大きくなってしまう。
彼と話をしてから二日、逮捕はおろか、盗みの被害すらまだ出ていない。
盗まれるのを望むわけではないが、やはりじれったい。
「あの酔っ払いに聞いてみたら良かったかもな。次に盗賊団が現れるのはいつか、って」
ユーゴもかなり飽きが来ているようで、イライラした様子で皮肉めいた冗談を言った。
こういった遠回りな言葉は、彼にしては珍しいものだ。
多分、私に当たっても仕方がないとは分かっているんだ。
それでも、退屈で退屈で、むずむずした気持ちをどこかに吐き出したいのだろう。
「……もう一度会う機会があれば、聞いてみてもいいかもしれませんね」
「どうしたら盗賊団を捕まえられるか……と」
「あの方も商人である以上、盗賊の問題には頭を抱えている筈ですから」
ユーゴは何も言わずにむすっとした顔で私を見ていた。
皮肉を真に受けるな、か。
それとも、皮肉に皮肉を返すな、か。
なんにしても、このままでは彼のモチベーションは下がっていくままだ。
あまり目立つことはすべきでないと分かっているが……
「……少し、北の様子を見に行きましょうか」
「北東には魔獣そのものは少ないとのことでしたし、あまり派手な戦いはせずに済むでしょう」
「もしもジャンセンさんの危惧する通り、より危険な存在が在るのだとしたら。早いうちに警戒しておきたいですし」
「北……か。ちょっとは面白そうだし、いいぞ」
面白そうとは言いながらも、やはりその顔には不満の色が残っている。
危険地帯ではあるものの、しかし戦いにはならないという前提での話だ。
彼にとってはどうあってもつまらないものになってしまうのだな。
また、兵士達の目を掻い潜って……と、今回ばかりはそうもいかない。
私もユーゴも、ヨロクの周囲では土地勘など無い。
地図を持って、案内人を付けて、そして装備を整えての出発となる。
このヨロクに駐在している兵士三人に同行を願い、馬車を準備して私達は出発した。
「今回の目的は、街の周囲に住まう魔獣の種類の確認です」
「襲われれば当然撃退しますが、しかし可能な限り戦闘は避けるようにお願いします」
「情報元は伏せますが、北には何やら魔獣とは別の脅威が存在する可能性もあるとのこと」
「下手に刺激すると、ヨロクはおろか、以南の街も危険に晒されてしまいます」
走り出した馬車の中で、私は皆に目的を……表面上に取り繕った目的を伝えた。
まさかユーゴの退屈しのぎだなんて、とても言えた話ではない。
しかし、その肝心のユーゴがまだ不満そうに、退屈そうにしていて……
「ユーゴ。気持ちは分かりますが、もう少し真剣に……集中してください」
「南から来た時よりも危険に晒される可能性だってあるのですよ」
「分かってるよ。別にサボってるわけじゃない。まだ魔獣の気配も無いし、いいだろ」
魔獣の気配……か。
いつも思うのだが、彼はどうしてそんなものが分かるのだろう。
目や耳がいいから、単純に私達よりも先に発見出来る……というだけなのだろうか。
しかし、それだけとも思えない成果を今までに何度も上げているし……
馬車は何ごとも無く進み続け、そしてこれ以上は……と、馭者の口から引き返す提案がなされた。
見れば、馬車の向いている先には、ごろごろと岩の転がる荒れた地面があって、とても馬車では侵入出来ないことが分かった。
「……ここから歩いて進む……というのもなかなか難しいですね」
「ユーゴが離れてしまえば、馬車を守るだけの戦力も無い」
「仕方ありません、戻りましょう」
「予想以上に魔獣の数が少ない……どこかへ逃げてしまっているのだと、それが確認出来ただけでも……」
ジャンセンさんの話に整合性が取れただけ良しとしよう。
そう言いかけた私の袖を、くいとユーゴが引っ張った。
何かを見つけた、それも皆には聞かれたくない話だ……というのだろうか。
「……フィリア、俺達だけでも見に行った方がいいぞ。この先、ヤバイ」
「っ。やはり、ジャンセンさんの読み通り……でしたか」
さっきまであんなに退屈そうにしていたのに、ユーゴは凄く凄く真剣な目で馬の鼻先を睨んでいた。
カンビレッジからの帰りに、特大の魔獣を彼はあっさりと倒してみせた。
その事実にうぬぼれることなく、彼は変わらず警戒心を強めている。
もしやとは思うが、あれよりも危険なものを既に感じ取っている……なんてことは……
「……いえ、今日のところは一度引き返しましょう。後日、調査としてしっかり兵力を揃えてから向かいます」
「出発時に言った通り、今はその危険を刺激しないことが肝要です」
「貴方とて、慣れない環境では後れを取る可能性もあります」
「負けるなどとは思いませんが、しかし取り逃がしてしまえば……」
ユーゴ自身がその存在の危険性を示唆するほどだ。
もしも仕留め損ねてしまったら……と、そう考えると、流石に彼ひとりにすべてを任せるわけにはいかない
事情を兵士達と街全体で把握し、最悪の場合には、住民が避難出来るだけの準備をしてから挑むべきだろう。
「分かった。フィリアがそう言うなら」
「ありがとうございます。では、今日のところは戻りましょう」
拗ねられたり駄々をこねられたりしてしまうかな……と、少しだけ懸念はあったが、しかしユーゴは素直に私の決定に従ってくれた。
それだけ彼も警戒しているということか。
だとすると……いったいどれだけの準備をしなくてはならないのか。
「……盗賊団の問題もまだ進んでいないのに……」
「余計な心配ごとばかり増やしてしまった気分です……」
はあ。駄目だと分かっていてもため息が出てしまう。
それに、もしもこの大きな脅威を退けたなら、或いは街の北部にはまた魔獣達が戻ってきてしまう可能性もあるのではないか。
解決したい、すべきだとは思うのだが、今すぐに手を付けても平気なものか。
いつか伯爵にも言われた通り、均衡を打ち破る形での解決はもっと国力を上げてからにすべきなのだろうか。
「一度宮へ帰って、パールやリリィ、それにバスカーク伯爵に知恵を拝借するべきなのかもしれませんね」
「カスタードなんか役に立つかよ。それに、一回帰ったらまた来るの大変だぞ」
うっ……そう……なんですよね……
宮――ランデルからマチュシーへ、マチュシーからハルへ、ハルからここヨロクへ。
最低でも三日掛かるのだし、それにその道も容易いものではない。
そもそも最低限の兵力しかない今、ヨロクから出て無事に帰ることが出来るかどうかも怪しい話だというのに……
やはり魔獣の出ない道を辿り、私達は街へと無事に帰還した。
さて、今日も情報を収集すべきか。
それとも、北の脅威について議論を進めるべきか。
「女王陛下、お時間よろしいでしょうか。その……不審な
頭を抱えて悩んでいると、部屋のドアが叩かれた。
入ってきたのは街役人の男で、どうやら随分と困惑した様子だった。
「手紙……ですか? 私がヨロクへ来ていることは、宮の役人くらいしか知らない筈ですが……」
「それは私宛に届いた……のですか? それとも、ヨロクの役場宛にでしょうか」
フィリア女王陛下宛でございます。と、そう答えたのだが、しかし役人の顔色は優れなかった。
凄く凄く疑わしいものを見た、まだ事実を受け止められていない。そんな顔だ。
しかし、そういう顔にはいつかも覚えがあって……
「――まさか――っ。その手紙は、まさかコウモリによって届けられたのではありませんか?」
「え、ええ……その通りでございます」
「まさか、ランデルでは鳩の代わりにコウモリに文を持たせているのですか……?」
「確かに、それならば夜間にも配達が可能でしょうが……」
いえ、そんな奇妙な文化はランデルにもありません。
しかし、コウモリの郵便屋さんは確かにいる。
先に話題に挙げたバスカーク=グレイム伯爵だ。
あの時はリリィが同じ顔をしたのだったな。
果たしてあれはなんだったのだろうか、と。そう言いたげな顔を。
「その手紙は信頼出来るものです、安心してください」
「は、はあ……。では、こちらを」
しかし、伯爵からの手紙……か。
あの人物は、私が女王であることは分からなかったくせに、ヨロクにいることは分かったのだな。
鋭いのか鈍いのか、相変わらず判断しにくいかただ。
確かにフィリア=ネイ宛と書かれた手紙を受け取ると、ナイフをカバンから取り出し、前回と同じく便箋に直接貼り付けられた封蝋を切り剥がす。
相変わらず手紙が破れてしまわないか心配になる作業だ。
しかし、伯爵は封をする時に大変な気を遣うのではないだろうか。
直接溶かした蝋など掛けるのだから、熱で紙が焦げてしまえば、内容そのものも欠けてしまいかねないのだし。
「……っと、剥がれましたね。さて……」
はてさて、今度は何が書かれているのだろうか。
前回は依頼をしていたから、その内容について、仔細は分からずとも、大まかには何が書かれているかの予想が出来た。
しかし、今度は何も事前には話をしていない。
彼はどんな情報をもたらしてくれるのだろうか……
「――っ! ユーゴ! ユーゴ、いますか! ユーゴ!」
手紙に書かれた内容を目にして、私はすぐにユーゴを呼びに行った。
自室にいる筈だ、彼はひとりではあまり出歩きたがらないから。
大急ぎで彼の部屋へと飛び込んで、少しだけ驚いた顔のユーゴに事情を説明する。
バスカーク伯爵から手紙が届いた。
以前の通り、封蝋をした立派な便箋が。
そして、その内容が――
――至急戻られよ。ランデルに危機あり――
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