第三十三話【商売人ジャンセンの話】



 酔い潰れてしまったジャンセンさんをそのままにすることも出来ず、私達は酒場パブの客から話を聞いて、彼を泊っている宿へと連れて行った。


 ユーゴはずっと不満そうで、ジャンセンさんをベッドに降ろす時にも随分と乱暴に扱っていたが、それでもさじを投げずに付き合ってくれた。


 一応、原因はこちらにあるのだから。介抱くらいはしてあげないと。


「――う――ぁあ……頭いってぇ……? あれ、ここ……俺、いつ部屋戻ったっけ……」


「ああ、気付かれましたか。気分はどうですか、ジャンセンさん」


 部屋に入ってから少し時間も経って、額に乗せた濡れタオルを三度ほど交換したころ。

 ジャンセンさんはうめき声と共に目を開けた。


 良かった、どうやら今日はマシなようだ。

 ハルで出会った時に比べると、まだいくらか顔色がいい。


「……フィリアちゃん……? あれ……えっと……? 俺……酒飲んでて……?」

「あー、はい。お持ち帰り成功したのね。それじゃさっそく……さっそく……?」


「……? どうかなさいましたか? ジャンセンさん?」


 ジャンセンさんはゆっくりと身体を起こすと、私とユーゴと、そして部屋の中をきょろきょろと見回し始めた。

 この部屋ではなかった……? いやしかし、受付で確かにここだと聞いたのだ。


 それとも、物取りを疑われているのだろうか。

 遺憾ではあるが、しかしそれも無理のない話で……


「――え――? え? あれ、なんか微妙に記憶ないけど……俺さ、潰れた……よね?」

「なんか……フィリアちゃんが……フィリアさんがバケモンみたいにがぼがぼ飲んでて……」


「ど、どうして呼びなおしたのですか?! ごほん」

「その……はい。私達が来る前から飲んでらっしゃいましたし、少し過剰だったようですね」

「またハルでのようなことがあってはいけませんから、おせっかいだったかもしれませんが、部屋までお連れしました」


 ジャンセンさんはまだ思考が纏まっていない様子で、首を傾げたり頭を抱えたりしながら、私の言葉を反芻していた。


 とりあえず、水を飲んで貰おう。

 過度の飲酒によって、身体も渇いているだろうし。


「――お――お――女の子にお持ち帰りされたぁあ――っ! 逆だ――逆だろ普通は――っ!」


「えっ? ど、えっ、わっ……お、落ち着いてください、ジャンセンさんっ。どうなさったんですか?!」


 コップに水を注いで手渡そうとした時、彼は突然大声をあげてベッドの上を転げまわった。

 あ、危ないっ。まだお酒は抜けていないのだから、そんなに激しく動くと……その……また……あの……


「――フィリアちゃんナニモンだよ――っ!」

「割としょっちゅう潰れるとはいえ、俺だって結構酒強いんだけど!? ザルとかいうレベルじゃ――じゃなくて!」

「何をしれっとお持ち帰りしてくれてんの! そういうこと!? 期待しちゃっていいの!? でもなくて!」


「ええと……あの、ジャンセンさん? 一度お水を飲んで、落ち着いてください。ゆっくり深呼吸しましょう」


 逆になんでそっちはそんな落ち着いてんの?! 手慣れてんの!?

 と、なんだかよく分からないけど……勝手な所で、私の人間性について誤解が生まれていそうな感じが、彼の混乱した様子から伝わってくる。

 持ち帰り……とは……?


「……あー、くそ。マジかぁ……ええー……へこむ……」

「まさか飲み負けて逆に持ち帰られるとか……だっせぇ……っ」


「あ、あの……その、持ち帰り……というのとは多分違うかと……」


 だって私達は帰ってないのだし。


 放っておくのは気が引けるし、そもそも話を聞くまでは帰れない。

 だから、持ち帰ったとしたらそれはやはりジャンセンさんの方だろう。


 その……悪い酔いと優れない体調を……という意味で。


「え、何。そういう目的が無いんだったら、なんでここにいんの。ていうか、なんで帰んなかったの」

「わざわざこうして連れて帰って……ってことはさ、やっぱなんか目的はあんでしょ?」


「はい、目的は別にあります。その、最近の情勢について……色んな街の事情について、話を聞きたくて」


 そもそも最初からそういうつもりでしか声をかけていないのだけど。


 私の話を聞くと、ジャンセンさんは更に落ち込んだ様子で頭を抱えて、そして冷たい水を一気に飲み干した。

 そんなに焦って飲むと、胸が痛くなりますよ。


「……はあ……めっちゃ……めっちゃへこむ……」

「逆なら逆で、まあ美味しい思い出来るならそれも……って思ってたのに……っ」

「なんだよ……なんなんだよそれ……」


「あ、あの……ええと……」


 どうやら、彼には彼の思惑があったらしい。

 しかし、それも当てが外れてしまって……といったところか。


「……あれ。あのさ、そーいや金どうした? 俺の財布……は、減ってる感じ無いけど」

「もしかして、ぶっちぎった? 見かけによらずやるねぇ……って……そんな話じゃなさそうだけど……」


「金……ええと、酒場の代金のことですか? はい、それならこちらでお支払いしておきました」

「付き合わせてしまったのはこちらですから」


 飲むようにと誘ったのはジャンセンさんでも、声をかけたのはこちらなのだから。

 私としてはそう変な理屈でもないと思ったのだが、しかし彼は信じられないものを見る目でこちらを見ていた。


「……マジで言ってんの、フィリアちゃん」

「悪いけどとても信じらんねえな。それするメリット、どこにあんの」

「話聞く為だけにバカみたいな酒代払って、そんで酔っぱらいの介抱までするとか」

「とても測量士のすることじゃないと思うんだけど」


「……そう……なのですか? 私の感覚は、他の人とはズレてしまっているのですね……」


 それは今更だろ。と、ちょっと遠くにいたユーゴに言われてしまった。

 まだ彼を警戒しているのと、単純に苦手意識があるのだろう。

 遠く部屋の片隅から、じーっとこちらを睨んでいた。


「……ズレてるってか……いや、もうそれはいいや」

「いろいろ感謝するぜ、フィリアちゃん。俺に出来る範囲でなら、なんだって礼するよ」


「本当ですか? では、早速ですが……」


 まず、このヨロク周辺の魔獣の分布について教えて欲しい。

 私がそう言うと、ジャンセンさんはまたしても怪訝な顔をこちらに向けた。

 そ、そんなに変なことを言っているのだろうか、私は。


「……天然なのか、それともまじめなのか、区別がつかねえな」

「まあでも、なんでもするって言ったしな。いろいろ教えてやるよ」


 ヨロクの周辺には、基本的にどこを向いても魔獣の巣がある。

 南――私達が通ってきた、ハルから続く道の周りには、非常に獰猛で最も数の多い、狼のような魔獣がいる。

 それを聞いてユーゴが何も言わなかったから、きっと彼が倒したものも同じだったのだろう。


 西にも同じく狼のような魔獣と、そしてそれとは別に魔虫が大量発生している地点もあるとのこと。

 それらには強い毒性があり、沼地には立ち寄るべきではない、と。


「東……特に北東の方角には、大したのはいない」

「けど、それは多分、もっとやべえやつがどっかに潜んでるからだと俺は読んでる」

「併せて北も同様だ。魔獣どもが近寄らないくらいやばいもんが何かなんてのは、俺じゃとても想像出来ないけどな」


「北には魔獣よりも更に恐ろしいものがあるかもしれない……と。考えたくない話ですね、それは」


 魔獣より恐ろしいものなのか、より恐ろしい魔獣なのかは分かんないけどな。と、ジャンセンさんはそう言ってため息をついた。

 彼も商人だというのなら、その問題にはやはり頭を抱えているのだろう。


「で、そんなわけだからさ、北の方でしか取れない作物とか、そっちで作ってる工業品なんかは高く売れるわけ」

「もちろん、苦労はデカいけどな」


「なるほど……しかし、そんな危険な場所を巡って、採算は合うのですか?」

「とても労力に見合うだけの利益が出ると思えないのですが、何か特別な……魔獣に襲われにくい経路を知っているとか?」

「もしそうなら、ぜひ力を貸していただけませんか」

「地図に無い安全な場所があるのだとすれば、それがどれだけ人々の希望になるか」


 少し踏み込み過ぎたか……? と、そう不安になったのは、私の言葉にジャンセンさんが眉をひそめたから。


 もしもそんな都合のいいものがあるのなら、当然独り占めしたいと思うのが筋だ。

 それが商人ともなればなおのこと。


 それを荒らすようなことを頼めば、やはり……


「……ごめん、そんなのは流石にない」

「でも、なんか……あー、分かった感じある」

「フィリアちゃん、素がそれなんだ。だから、俺の介抱も当たり前にやったし、金も出したし、見返りも求めない」

「多分、誰にでもそれやるんだよね。誰にでも、分け隔てなく」


「……ジャンセンさん……?」


 ジャンセンさんは少し寂しそうな顔をして、そして視線を私からユーゴへと向けた。

 そこで何かを確認すると、また私に目を向ける。

 さっきまでよりずっと優しげで、暖かなものだった。


「それ、絶対損するからやめといた方がいいよ」

「善意には善意が返ってくるとか、そんな都合いい話無いからさ」

「善意は簡単に踏みにじられるし、裏切られるし、悪意が返ってくるのが当たり前。だから、今のうちにさ」

「フィリアちゃん可愛いから、他のやつに泣かされるとこ見たくないんだよね」


 善意には悪意が……か。


 彼の言いたいことは分かった。

 けれど、それは少し前提を間違えてしまっている。


 私はそもそも善人ではない。

 私の善行は、国として――社会として必要な正義の代行だ。


 私自身は、とても善い心など……


「……ごめん、まだ酔ってるわ。余計な話だったね」

「で、なんだっけ。俺が採算取れてるか……だったよね」

「それはもちろん、ぼろ儲け。でなきゃやってない」

「都合のいい安全ルートは無いけど、危険な道をなんとか押し通る方法ならある、とだけ」

「あんまり大きな声では言えないけどね」


「国軍と通じている私にはとても話せない内容……ということですね」

「分かりました、これ以上の詮索はしません」


 察してくれてありがとね。と、ジャンセンさんは笑った。


 しかし……そうか、安全地帯など存在してはくれない……か。

 がっかりしたが、しかし同時に彼へのリスペクトが強くなる。

 それだけの危険に身を晒してまで、人々に物資を届けようとしてくれているのだ。


 需要に乗って商売をしているだけ……なら、もっとやり方があるのだから。


「見て回った感じ、どこの街も同じだよ」

「魔獣がいて、人がいて」

「魔獣の方が多い地域があって、それでも上手いことやって生き延びてる人がいる」

「ま、ここほどやばいとこはそう無いけどさ」


「なるほど……貴重な話をありがとうございます」

「また機会があれば、その時はゆっくりお酒を飲みながらでも聞かせてください」


 フィリアちゃんとはもう飲みたくないかな……と、ジャンセンさんは青い顔で目を背けた。

 わ、私はそんなに恐ろしい飲み方をしていたのでしょうか……?


 欲しい情報も得た、彼の快復も見届けた。

 もう憂いは無いと、私はユーゴを連れて宿を後にした。


 初対面はあんな悲惨なものだったが、これはいい出会いだったと言えるのだろうな。

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