第三十二話【隠れた才】
「――ほんっとうに申し訳ない――っ! いや、ほんとごめん!」
「あん時は過去最高に酔い潰れててさ! いやもう、マジでごめんね!」
「い、いえ……私は大丈夫ですが……」
ヨロクの街の
酒場にいた男達の話によれば、彼は商人であるとのこと。
それも、なにやらただものではない……と、周りに言われていた。
当の本人は……その……酔い潰れて、嘔吐して、意識ももうろうとしていたのだから仕方が無いのだけど。
私達のことも何も覚えていなくて……
そんなジャンセンさんに、自己紹介がてらハルでの事情を説明したのだ。
すると、陽気で赤らんだ顔をしていた彼が、すぐに真っ青な顔で平謝りしてきたところだ。
「悪気があったわけではないとこちらも分かっていますから、怒ってはいませんよ」
「それより、お話を聞かせていただけると……」
「ほんと?! マジごめん、ありがとう。ここはおごるからさ、ジャンジャン飲んでよ!」
「オヤジ! もう一本酒持ってこい! いい奴全部こっち入れろ!」
あの、話を……
ジャンセンさんは既にかなり飲んでいる様子で、こう……全然こっちの話を聞いてくれない。
というか、未だにユーゴを認識してもいなさそうだ。
そんな彼を、ユーゴは凄く冷ややかな目で見ている。
なんと居心地の悪い……
「あの、ジャンセンさん。お話を聞かせ――」
「え? 俺の話が聞きたいの!? まいったね、こりゃ。出来る男はモテちゃって仕方ねーや」
「にしたって、ハルでちらっと顔見ただけなのにさ」
「そんな積極的な子ウサギちゃんには、特別にサービスしちゃうよ。なんでも聞いて」
いえ、ジャンセンさん本人の話にはそう興味が無くて……と、しかしそう言っては機嫌を損ねてしまうだろうか。
しかし……ううん。少し……苦手なタイプだ。
パールのように堅苦しいのも困りものだが、ここまで軽薄なのも……
「っと、いけね。お姉さんの名前教えて貰ってねーや」
「俺は知っての通りジャンセン。ジャンセン=グリーンパーク」
「色んな街歩き回ってんだ。って、知ってるか」
「え、ええ……。私はフィリアと申します。その……よろしくお願いします……?」
よろしくーっ! うぇーい! と、男はジョッキを高く掲げ、そしてそのまま酒を一息に飲み干してしまった。
そんな飲み方をするからあんなことに……と、今それを言っても仕方が無いか。
とにかく、機嫌のいいうちに話を聞かせて貰わないと。
「……おい、フィリア。本気か、お前」
「こんなあっぱらぱーから大した話が聞けると思ってるのかよ」
「さっきから割と呂律も怪しいし、早いとこ逃げた方が……」
「……ん? あれ? え? え? え、ちょっと待って。フィリアちゃん子持ち……?」
「うっそ、マジで? 見えねーっ! いやいや、子供デカ過ぎんでしょ。いくつで産んだのよ」
あの……だから………………私とユーゴは、そんなにも親子に見えるものなのだろうか。
ユーゴは幼いとはいえ、しかしもう幼児と間違われるほどでもない。
歳こそ知らないが、しかし十三、四かそこらだろう。それを……
「あの……いえ、彼は私の……ええと……弟でして」
「あー、姉弟ね。いや、似てねー」
「え? 幾つ違うの? ってか、そもそもフィリアちゃんマジ幾つ?」
「ま、俺より歳下ってことは無いだろうけど。あ、俺は二十四ね」
……貴方よりも三つ下なのだけれど……
私は……私はそんなに老けて見えるのだろうか……
というか、歳上だと思っているのならば、その言動もどうなのだろう。
敬えとは言わないが、初対面でもあるのだから、もう少し遠慮があっても……
「にしても、弟くんも大変だろな。こんなエロい姉ちゃんいたら、俺だったら我慢出来ねえけどれ
「ま、そんなタイプでもないか。大人しそーな、無害そーな顔してるし」
「おい、フィリア。帰ろう。やっぱりこいつ駄目だ。絶対話すだけ無駄だ」
いえ、しかし……
確かにジャンセンさん本人はかなり……関わり合いたくない感じはするが、しかし彼の持っている情報には価値がある。
少なくとも、ハルからここまでやってきているのだ。
定期便も無く、私達のように武装した馬車が他にある風でもない。
彼だけが知る安全なルートがあるのかもしれない。
そんなルートを作ってまで街を渡り歩いているのだから、厄介ごとの情報もかなり得ている筈だ。
「あの、ジャンセンさんはどうやってここまでいらしたのですか?」
「ハルからではかなり危険な道のりとなった筈ですが……」
「んー? そんなこと言ったら、フィリアちゃんだってどうやってここに来たのさ」
「弟くん連れて観光……ってわけないっしょ」
「ん-……そうだなー…………そういや、国軍の馬車が乗り付けてたな」
「アレに乗ってきた……乗ることが出来た……となれば……」
――っ!
私達が乗ってきた馬車と街で使われている馬車に違いは無い筈だが……っ。
いや、単純な話か。
役場に乗り付ける馬車など、基本的には知れている……が、しかし……
「……凄いですね。そうです。私達はランデルから測量にやってきました」
「国策として、地図の更新をする為に」
「なので、国軍から護衛を付けていただいたのですが……どうして分かったのですか? 馬車に紋章も付いていないのに」
それを軍のものだと、前提条件として口にした。
それはつまり、そうで間違いないと、疑う余地なしと判断したということ。
確かに、役場に訪れる馬車などそう多くない。
軍によるものか、或いは宮からの使者――軍事力を伴わない、税の徴収に来た役人のものだってあり得る。
或いは、国の交易荷車である可能性も高い。
私達が乗り降りするところを見られた……というのであれば、人目は出来るだけ避けなければならないのだから、改めなければならないが……
「んー? いやいや、そんな難しい話じゃないって」
「匂うんだよ、いろいろさ。血とか鉄とか、火薬とか。相当強く匂いが着いてる」
「だからさ、そんな適当な嘘じゃ誤魔化せないよ」
「っ! 嘘……なんて、私達は別に……」
男はまだ酔っ払いの顔のままなのに、凄く凄く冷たい、鋭い眼をユーゴに向けてそう言った。
まさか……誰に言っても信じて貰えない、現場を見てもなお信じられないユーゴの強さに、この男はもう気付いているというのか。
それに……っ。
「……すみません。言っても信じて貰えることの方が少ないので」
「そうです。ユーゴは測量士ではなく、私を守る為に戦ってくれる戦士です」
「凄く凄く強い、特別な力を持っています」
「ま、そんなの誰も信じないよね」
「でも……流石にそんだけ血のニオイさせて、周り警戒されたらさ。分かるよ、分かるやつには」
警戒されてしまった――
私もきっと、嘘の上手な方ではない。
嘘をついたことを誤魔化す為の嘘……というのは、他のどんな嘘よりも疑念を持たれてしまうものだ。
話を円滑にする為に嘘をついているのだ。と、私は嘘をついた。
それを見抜かれては、騙しにかかっていると思われるのが当然だ。
うかつだった。
ハルの酒場の男達の言葉通り、この男はかなりのやり手だ。
酔っているからと甘く見たのが間違いだった。
「……そう怖い顔しないで、フィリアちゃん。大丈夫、別に怒ってないよ」
「んー……でもそうだな。もし悪いと思ってるなら、このままここで一晩相手してくんない?」
「俺さ、基本いつもひとりなんだよね」
「だから、この間みたいについつい深酒もしちゃうわけ」
ユーゴももうジャンセンさんを見下した態度を取っていない。
警戒心をむき出しにして睨み付けている。
そんなユーゴなどお構いなしに、ジャンセンさんはまたもう一杯とジョッキに口を付けた。
ユーゴの力量を理解したうえで、焦る様子も怯む気配も無いとは……
「相手……とは、お酌をすればよろしいのですか? それくらいで非礼の侘びになるのでしたら……」
「そんな固くなんないでって。何も取って食いやしないから」
「ちょっと酒の相手してくれればいいだけ。簡単でしょ」
男の真意が全く読めない。ただ酒の席を共にするだけ……とは、とても償いの要求とは思えない。
もしや、ユーゴの素性を調べようとしているのだろうか。
特別な力を持つことを知り、興味を抱き、そして私がやろうとしているように、酒の力で話を聞き出せないかと企てた、とか。
「はい、じゃあカンパーイ。弟君……あー……名前なんてーの? 弟君はまだ飲めない歳……だね、どう見ても」
「おーい、オヤジ。ミルクも持ってこい。あんま冷たいと腹壊すから、ちょっとぬるいやつな」
「っ。ば、馬鹿にすんな! 酒くらい……」
酒くらい飲める。と、そう言いかけて、しかしユーゴは踏みとどまった。
彼も彼で警戒心が高く、それに感覚的な部分で何かを察知する能力に長けている。
今、自分が煽られていいように操られそうになったのが分かったのだろう。
幼さに依る可愛げは相変わらず無いが、この場面でのこの落ち着きはありがたい。
「あっはっは、そう警戒すんなって。何も悪さなんてしねーよ。ほら、ミルク飲んで落ち着きな」
「で、落ち着いたら名前教えろよ。お前だけだぜ、名無しなのは」
「っ。ユーゴ。フィリアはトロくさいから騙されそうだけど、俺はそうはいかないからな」
あ、あの……どうして私に攻撃的になったのですか……?
相変わらずユーゴは私に厳しい。
もしかしたら、パールが幼いころはこんな感じだったのかもしれない。
そう思うと……寒気がしてきた。
「睨むな睨むな。ほら、ユーゴ。お姉さんの隣座れ」
「この出会いを祝して……カンパーイ! ほら、カンパイ。ユーゴ。おい」
出会いに乾杯……か。
この男にとっては、さぞ面白おかしい出会いになったことだろう。
しかし、こちらにもまだ付け入るスキはある。
向こうが油断すれば、私達を無害なものだと判断すれば、いくらでも話を聞き出す余地はある。
そもそも、私達の後ろにはやましいものなど無い。
ならば、この男もそれに気付いて心を開いてくれる筈だ。
「……では、乾杯。ユーゴ。ここはご厚意に甘えましょう。こうして羽を伸ばす機会も中々取れませんから」
「……かんぱい」
むすっとしたままながらもジョッキを合わせたユーゴの姿に、ジャンセンさんは随分と気を良くした様子だった。
こちらを疑ってこそいるものの、警戒はさほどでもないのかもしれない。
なんにせよ、私が酒に飲まれなければ問題ない。
大丈夫。宮では飲む機会など無かったけれど……大丈夫、きっと。
要は血中アルコール濃度を高めなければいいのだ。
吸収を抑える為に……ユーゴと同じようにまずはミルクから飲むべきだろうか?
互いに互いをけん制したまま始まった酒の席は、長い時間をかけて盛り上がり続けた。
一杯、また一杯と注がれるぶどう酒を私が飲み干す度、ジャンセンさんは上機嫌になり。
負けじとジョッキをあおり、酔いが回り、次第に顔を青くし、そして……
「かんぱーい。ええと……これで何杯目でしょうか。ジャンセンさん、大丈夫ですか?」
「か、かんぱ……うぷっ――ば、ばけもん――」
酒樽を三つほど積み上げたところで、ジャンセンさんは何か恐ろしいものを見たような顔でテーブルに突っ伏してしまった。
ええと……ふむ。
「……フィリア。お前……意外と……」
「ええっと……」
どうやら……これは……
目的は一切果たされていないが、どうやら私はこのやり手の商人であるジャンセンさんに飲み勝ったらしい。
ええと……お、お代は置いておきますね……?
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