第三十話【憂いの募る街】
遠い、遠い道のりだった。
ハルからヨロクまでは、引き返してランデルまで戻るよりもずっと近い。
けれど、それは地図の上での話。
不安と、恐怖と、そして緊張。
それらが身も心も硬くして、時間の流れをずっとずっと遅いものに変えてしまっていたのだ。
これまでにないほど次々に襲い来る魔獣に、無力な私は怯えるしか出来なかった。
けれど……
「――フィリア。街が見えた、そこに向かえばいいのか?」
「街――はいっ! ヨロクの周囲には他の街はありませんので、間違いありません」
ユーゴは馬車にしがみつき、そして窓を外から覗き込んで私に問うた。
この先にある街が目的地で間違いないか、と。
そして私がそれに頷くと、彼はまた馬車から離れて走り出した。
その顔にはまだ油断も安心も無く、周囲の状況がひっ迫しているのだとそれだけで理解出来た。
「陛下、やはり我々も出た方がよろしいのでは」
「かの少年がいかに優れていようと、数の力に抵抗するには限度があります」
「向こうが群れで襲ってくるのであれば、こちらも……」
「……いえ、なりません。ユーゴが任せろと言ったのです。信じましょう」
「彼も既に多くの戦場を経験しています。ただの自信だけで貴方達をここに残したわけではないのだと思います」
これは私の勝手な推測。けれど、そこまで大きく的を外した考えではない筈だ。
おそらくだが、ユーゴはこの状況に兵士達を投入するのは悪手だと考えているんだろう。
「ユーゴは本当に特別です」
「力が……という点もですが、感覚の部分で私達とは違うものを持っている」
「でなければ、いくら力が強かろうと、魔獣を相手にこれまで無傷で戦い抜くなどあり得なかった筈です」
そうだ、何か考えがある筈だ。
たとえば……そう。兵士達は彼と違って馬車と並走など出来ない。
ならば、彼らを出撃させるには馬車を停めざるを得ない。
本来ならそれで問題ない筈だが、しかしこの時にはそれこそ悪手だと彼は考えるのだろう。
「魔獣の数が想像以上に多く、立ち止まって打ち払っていてはキリが無い……とか」
「或いは、立ち止まって全員で戦うよりも、このまま駆け抜けてしまった方が安全だ……とか」
「私達では見えない距離のものごとを把握しているからこそ、ユーゴはひとりで戦う選択をしたのでしょう」
「……しかし……っ」
私の言葉に不服そうにしているのは、最初に私とユーゴの会話に混ざり込んできたギルマンだった。
彼はユーゴの身を案じてくれているようだ。
話をして、なんとなくの在り方を理解し、そして大切な友人として認識してくれたのだろう。
日常の中の彼は本当に無垢な少年に見えるのだから、心配は当然のもの。
私とてそうなのだから。
「大丈夫です。信じましょう、ユーゴを」
「出来ないことなら安請け合いしたりは……しませんから、きっと」
見栄を張って出来ると言ってしまいそうとも……ごほん。
いいえ、大丈夫。
見栄っ張りでわがままではあるが、しかし何よりまじめな子だから。
こんな時に自分勝手な判断はしない……筈だ。
「――っ。陛下、お掴まりください! 揺れます!」
「っ。はい!」
馬を引いているアッシュからの警告があってからすぐ、馬車は激しく飛び跳ねた。
どうやら路面が相当荒れているらしい。
魔獣との交戦の結果なのか、それとも整備がおろそかになっていた所為か。
どちらにせよ、今ので馬車はかなり減速してしまった。
「――背後に魔獣の群れを発見! アッシュ! もっと飛ばせ! 追い付かれるぞ!」
「分かっている! 陛下、もうしばらくご辛抱ください!」
そんなところへ、今度は馬車の背後の見張りをしていたキールからの怒号が飛んだ。
それを聞くと、ヒルとグランダールは鉄砲を準備し、ギルマンとジェッツは剣を握り締めて私の前に立った。
馬車の中を緊張で張り詰めた空気が満たしている。
私はその中で、何が出来るでもなく、唇が乾いて切れるのを自覚するばかりだった。
馬車は必死の中を走り続け、遂にヨロクの街の姿を捉えた。
その頃になると馬車の中も少しだけ落ち着いて、ユーゴも少し疲れた様子ながら無事に戻ってきてくれた。
そして、そのまま私達は目的地へと到着する。
マチュシーやハルとは違う、魔獣との戦いの苛烈さを感じさせる街へ。
「お疲れさまでした。ユーゴ、ケガは……ありませんね、流石です。皆もご苦労でした」
街の中へと入ると、私達は疲れと緊張で重くなった身体を引きずって役場へと赴いた。
今日の宿であり、そして仕事をする場所だ。
まずは荷物を降ろして、それからすぐに役人達のもとへと向かう。
欲しいのは魔獣と盗賊団についての情報だ。
「本日はご足労いただき感謝いたします、女王陛下。おもてなしの席を設けますので、ぜひ公会堂まで……」
「いえ、結構です。それよりも、この街と街の周辺の魔獣による被害、そして盗賊による被害の統計を持ってきてください」
宴席と聞いて少し心も揺らいだが、しかしそんな場合ではない。
兵士達にはやはり街の警備隊の手伝いをお願いして、私はリリィから預かった資料と役場で確認されている実被害とを見比べる。
やはりと言うか、どうしても報告までには時間が掛かってしまう。
少し見ただけでも、宮で知ったものとは全然違う数字が並んでいた。
「……これほどまで乖離しているとは……っ」
「前回ランデルまで報告を送ったとき……この資料を作ったときは今からどれほど前になるでしょうか」
「ええと……」
数字をひとつひとつ確認して発覚した事実は、宮に送られていた資料が、なんとユーゴの召喚よりも前だったという驚愕のものだった。
これではランデルとヨロクとで情報にギャップがあり過ぎるわけだ。
「申し訳ありません。何せ、ここからランデルを目指すとなると……」
「いえ、分かっています。こちらもここまで来るのには苦労しましたから」
「定期便を出す余裕のないこちらの落ち度でもあります」
とてもではないが、この街には頻繁に遣いを宮まで送る余裕などある筈も無い。
この街だけでなく、どこの街も同じように苦しんでいるのだ。
それをなんとかするのが私達の役目なのだと自覚を持たないと。
長い時間をかけて確認した資料によれば、このヨロクの街は想像以上に盗賊被害に遭っていると言えるだろう。
しかし、望外なことに、魔獣による被害は期待以上に減少傾向にあるようだ。
これだけ道中には魔獣が多かったのに、だ。
「……やはり、ここもですか」
「カンビレッジでも確認出来たのですが、どうやら盗賊団の手によって魔獣がかなり抑え込まれているようですね」
「その分と言わんばかりに盗み被害が多くては、感謝も何もありませんが」
「カンビレッジでも……ですか」
魔獣による被害と盗賊による被害、どちらがマシかという下らない二択の話をするのなら、 それはやはり盗賊――人による被害だろう。
何より、彼らには理性がある。
全てを奪えば自分達が生きられないという自覚が。
けれど、魔獣にはそれが無い。
自滅もいとわずすべてを食らい尽くしてしまうのだから。
もっとも、どちらも見逃せないことに変わりないのだが。
しばらくの会議の後に出た結論は、やはりこれまでの街で出したものと変わらなかった。
変えられなかった……か。
「……ランデルから可能な限り派兵します。資金援助も出来るだけしますが……っ」
現状の国力では決定的な策は打てない。
人を遣わせ、資金を送り、耐える手伝いをするだけ。
だが、ヨロクには他の街以上に手を掛けなければならない。
まずは街を豊かにして、盗賊団をおびき出す。
それが出来なければ、何も前に進まないのだから。
「はあ。では、私は少し外を歩いてきます」
「人々の生活をこの目で見て、現状をしかと把握しなければ」
「では、護衛の兵を付かせます。しばしお待ちを」
ああ、いえ。護衛は既に。と、一度部屋に戻ってユーゴを連れてくると、当然役人達は目を丸くして慌て始めた。
そんな子供とふたりだけで出かけるなんて、危険過ぎる。
これまでにも散々言われたことだけに、そろそろユーゴもふてくされなくなってきた。
「大丈夫です。彼はこの国の誇る最高戦力ですから」
「相手が魔獣であろうと盗賊であろうと、後れを取ることはありません」
「それに、あまり大人数で訪ねては、人々も怯えてしまいます」
「彼らの生活を、その中に潜んでいる不安こそを、この目で見る必要があるのですから」
「……しかし……」
当然、この反応も慣れたものだ。
誰にも一目にユーゴの実力を信じるなど無理な話だ。
だが、女王が押し通ると言えばそれに逆らえるものもそうはいない。
立場を利用するやり方は好ましくないが、しかし手段の好き嫌いで目的を遠ざけていては話にならない。
ここは、女王としての権力を振りかざすべきところだ。
「……フィリア、ちょっと楽しそうだな」
「えっ。そ、そうでしょうか……?」
楽しんでいるつもりはなかったのに……
しかし、どうやらユーゴの目にはそう映ってしまったらしい。
となると、もしかすると、周りの誰にもそう見えているのかもしれない。
あまり繰り返すと、そのうちに暴君と呼ばれてしまうかも……
私とユーゴは、少し街を歩いたところですぐに宿に戻った。
しばらくはこのヨロクに滞在する予定なのだ、そこまで焦る必要はない。
まずは疲れた体を休めるところから。
特に、ユーゴには無茶を強いてしまったのだから。
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