第二十九話【日は沈み、そして】



「フィリア。おい、フィリアってば」


 ハルの町での情報収集の最中、私達は一軒の酒場に立ち寄っていた。


 もちろん、遊びに来たわけではない。

 魔獣と盗賊についての情報を仕入れる為に、だ。


 しかし、その酒場で……


「もしもし、大丈夫ですか? すみません、この方にお水をいただけませんか」


「フィリア。そんな奴ほっとけって。ただの酔っぱらいだろ」


 大層盛り上がっている男達から少し離れた席に、酔いつぶれた男がいたのだ。


 そして、農家の男達がその男を優秀だと評した。

 街から街へと渡り歩いて商売をしている男だとのこと。


 ならば、情報を得るには、これ以上ない相手だろう。


「もしもし、もしもし。少しよろしいですか」


 しかし、男が起きる気配は全く無い。

 ユーゴはすっかり呆れた様子で、放っておけと私の手を引いた。


 もっとも、それは比喩の話。

 早く帰るぞとばかり繰り返して、まるで駄々っ子のように私の気を引こうとしていた。


「がっはっは! どうやら今日は店じまいらしいな、ジャンセンのやつ!」

「嬢ちゃん! そんな奴より俺らと飲もうや!」


「いえ、しかし……もしもし、もしもーし」


 この町の様子はある程度分かった。

 ならば、ここ以外の情勢にも詳しそうなこの男にこそ話を聞きたい。


 こうして外で話を聞き歩く機会などそう無いのだ、可能なら最上の成果を持ち帰りたい。


「もしもし。ええと……ジャンセンさんとおっしゃるのですよね。私はフィリアと申します。お話よろしいですか。もしもし」


「あーもう、ほっとけってば。どうせ大したこと知らねえって」


 これ以上はユーゴの機嫌を損ねてしまう……か。


 私ひとりなら店が閉まるまででも粘って話を聞くところですが、彼をあまり退屈させるのも良くない。

 残念ですが、今日はもう帰りましょう。


「……そうですね。今日は帰りましょう。明日もあるのですから、夜更かしするわけにもいきませんしね」


「なんだ、帰っちまうのか。残念だなぁ、せっかく美人と飲めると思ったのに」


 うち帰っておっかぁと飲むか。と、男達の中のひとりがそう言うと、宴会の席には笑いが起こった。

 笑いどころというのは私にはあまり理解出来なかったが、奥様がいるなら帰って家族団らんの時間を設けてあげて欲しいと思った。


「――んが――っ。美人……?」


「っ! もしもし、気が付かれましたか? もしもし」


 そんな大騒ぎがあったからか、ジャンセンと呼ばれた若い男も目を覚まして……覚まして……いるのでしょうか、これは。

 目を瞑ったままテーブルの上で頭をゴロゴロと転がし、うめき声にも似た寝言を繰り返しながら……うなされているように見えるが……


「おう! ジャンセン! 起きろよ! とびっきりの美人がお前さんをご使命だぜ!」

「ここで立たねえなら、普段の色ボケはなんだったんだよ!」


「――美人――美――女――っ! 女――――」


 は、はいっ。

 男はヤジに飛び起きて、そして目を見開いて私を見た。

 睨み付けた……と、そう表現する方が正しいかもしれない。


 酔いと興奮で真っ赤になった顔で、血走った目で、私とユーゴを睨み付けて――


「――――うえっぷ――――」


「――どぁああっ! ジャンセン! ここで吐くな! 外行け! おい! 外――嬢ちゃん離れろ――っ!」


 え――え――えええ――っ!?


 真っ赤だったと思った男の顔は、見る見るうちに青く変わって、そして――犬の咳のような声をあげながら、テーブルの上に嘔吐物をまき散らした。


 私はその光景を、離れた席から見届けた。

 咄嗟にユーゴが担いで離れてくれたのだ。


「あ、ありがとうございます、ユーゴ」


「っ。お、重い! 自分で立て!」


 重――っ。


 ユーゴは慌てた様子で私を降ろして、そしてぷいとそっぽを向いてしまった。

 魔獣すら蹴散らす彼の膂力を以ってして、私の身体は重いのだろうか……


「っと、そうです。あの、大丈夫ですか? ジャンセンさん?」


「大丈夫じゃねえ! あーもう、席がぐちゃぐちゃじゃねえか!」

「おいこら! ジャンセン! てめえ! 吐くんなら外行けって言ってんだろうが! おい!」


 ジャンセンさんは男達に取り囲まれて、まだ意識も怪しい状態で詰め寄られていた。


 これは……起きたとしても、もう話を聞ける状況には無さそうだ。

 そして、このままではきっと片付けに巻き込まれるだろう。なんとなく、そんな気がする。


「……ユーゴ、逃げましょう。なんとなく嫌な予感がします」


「なんとなくもくそも、このままだと間違いなく掃除手伝わされるだろうな」


 やはりそう思いますか。


 私達は何を示し合わせることも無く、しかし全く同じタイミングで酒場から飛び出した。


「……ふふ、あはは。なんだか、少し前にも似たことがあった気がしますね。雨の中を、ふたりで」


「……? あれは別に、何からも逃げてないだろ」


 そうではなくて。

 子供のようにはしゃいでいることが、だ。


 あの時は確かに何からも逃げてはいなかったが、しかし今日と同じように無邪気に笑って共に歩いていた。

 遊び回っていた……と、そう言えば彼も理解してくれるだろうか。



 酒場から逃げて宿に戻ると、私達はすぐ部屋に飛び込んだ。

 何もそこまで逃げなくてもいいのだが、なんとなく興が乗ってしまったのだった。


「はあ。楽しかったですね、なんだか」


「楽しくない、別に」


 楽しくないと言いながら、ユーゴの口元は緩んだままだった。

 面白い出し物があったとか、そういうわけではなかったのだけど。

 けれど、私もユーゴも笑っていた。


「……楽しいのは明日だ。いるんだろ、強い魔獣が」


「それを楽しいと言うのかは分かりませんが……そうですね」

「少なくとも、昨日と今日の道行とは、まるで違うものになるでしょう」


 私がそう言うと、ユーゴはもっともっと嬉しそうな顔をした。

 出来れば、こういう下らない日常にこそ喜びを覚えて欲しいものだけど……


 でも、彼のモチベーションはかなり高い、それだけは確かだ。


「では、明日。頼みますよ、ユーゴ」


「分かってる。任せとけ」


 それで私達はそれぞれの部屋に戻った。

 今日はもう眠って、明日の為に体力を温存する。


 ハルの町で得られた情報はそう多くなかったが、しかし嫌な話もそう聞いていない。

 宮に戻るまではこれを朗報と捉えておこう。


 可能な限り前向きで、良好な精神状態でヨロクへ向かう。

 そう心がけて、私は目を瞑った。




 朝が来て、誰に起こされるでもなく目を覚ます。 胸の奥は少しだけ冷たくて、自分が不安に侵されているのがよく分かる。


 今日、たった八人でヨロクを目指す。

 魔獣の脅威に晒されている道を進み、そして盗賊団の拠点から近い街へと。


 とても不安を覚えずにはいられない。


「……大丈夫。大丈夫です。彼の力は、万難を打ち砕く。彼の優しさを私が守ればいい。ただ、それだけ」


 自分に言い聞かせ続けて、そして鼓動が収まるのを待つ。


 大丈夫。出来る。

 彼を信じればいい。

 彼は信じるに値する。


 これまでに何度も見た、魔獣を蹴散らすユーゴの姿を思い浮かべる。

 幼い彼の背中からは、何度も勇気を貰って来た。


 よし。と、手を握り込んで、そして私は部屋を出た。

 もう馬車の準備は出来ている。

 ユーゴも、少しだけ眠たそうだが、しかしぎらついた眼で馬の向いている先――これから向かう先を睨んでいる。


 あとは、私が一歩を踏み出すだけだ。


「――出発しましょう」

「時間がありませんから、朝食は車内で」

「アッシュ、今日もよろしくお願いします。皆も力を貸してください」

「そして……ユーゴ。私は貴方を信じています」


「……ん」


 ギルマンとジェッツと、ヒルとキールとグランダールと、そして私とユーゴ。

 七人が乗り込んで、そして馭者のアッシュが手綱を握れば、馬車はすぐに走り出した。


 目指すのは北、ヨロク。

 もうどこにも立ち寄らず、ひたすら真っ直ぐに――――


「――っ! フィリア、ちょっと引っ込んでろ。まだ遠いけど、結構いる」


「っ! もう――ですか――っ。お願いします、ユーゴ」


 町を出ていくらも走らないうちにユーゴは立ち上がった。


 ここから先は魔獣も多いと聞いていたが……っ。

 いくらなんでも早い。それに、ユーゴをして数が多いと言わしめるとは。


「先に倒してくるから、馬車は走らせたままでいい。みんなもここにいて。俺だけで平気だから」


 ユーゴはそう言い残して馬車から飛び出した。


 昨日の晩、あんなに無邪気な顔をしてくれたばかりなのに。

 その横顔は、既に戦士のものだった。


「……っ。どうか、無事に帰ってください」


 負けるなどとは思わない。

 彼はこの世界で最も強い、理屈抜きにそういう解が刻み込まれている。

 故に、彼が魔獣程度に負けるとは思わない。


 けれど……少年の姿を、その優しさを、幼さを見知った私は、どうしても祈ってしまう。

 神などとっくに信じてもいないくせに。


 魔獣の断末魔が聞こえ始めたのは、ユーゴが飛び出して行ってからそれなりに経ってからのこと。

 相当遠くの群れを嗅ぎ付けていたのだろう。

 それこそ、私達では声も聞き取れぬほど離れた場所の魔獣の群れを。


 ユーゴが次に馬車に戻ったのは、また別の方角に群れを見つけたという報告の為に戻って来た時だった。


 そして彼は、休むことなくまた走り出す。

 私の願い通り、私達を守る為に。

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