第二十七話【旅は道連れ】



 ユーゴの話を夢中で聞いているうちに、気付けば日が暮れてしまっていた。

 夢中も夢中、本当に夢の中の話を聞いているようだった。


 お湯をかけるだけで出来上がる料理。

 それも、ただ煮込まれただけでなく、きちんと味もついていると言う。


 それに、物を入れるだけで温められる機械。

 温めるだけで出来上がる――前菜だろうと主菜だろうと、なんだってあるという料理の袋詰め。


 かの吸血鬼伯爵の好物であるカスタードプディングも、グラスよりも軽くて硬い容器に入れられて、そこら中で売られていると言うではないか。


 文字通り夢のような、なんと素晴らしい世界だろうか。


「――なんて――残酷なことをしてしまったのでしょうか――っ」


「……? フィリア?」


 もしや、私はひどく残酷でたまらないことをしてしまったのではないだろうか。


 この少年は、そんな夢物語のような世界に生きていたのだ。

 それが――っ。


 死を自覚したにもかかわらず、気付けばこんな世界にいた。

 そして、平穏など無く、いつも魔獣と戦わされている。


 これを残酷と言わずになんと言うか。


「……いえ、すみません。あまりに衝撃的な話が続いたものですから」


「ふーん。ま、もっといろいろあるけど」

「あの馬車なんかよりもっと速い車とか、ゲームとか漫画とか、スマホとかユーチューブとか」


 馬車よりも先に進んだ車……か。

 それと……えっと……? ゲーム……というのは、駒やカードを使った娯楽……のことでは無いらしい。

 それ以外にも……ええと……


「そんなにも楽しいことがたくさんあって……本当にそんなことをしている暇があるのですか?」

「ユーゴは案外貴族的な暮らしをしていたのでしょうか」

「それとも、まさかそれが当たり前だったのでしょうか」


「当たり前……だと思うぞ。でも、俺は持ってなかったから、あんまりやったことないけど」


 ならば、その世界はどれだけ平和なのだろうか。

 ユーゴはその世界を恋しいと思わないのだろうか。


 いいや、問うまでも無い。


 平和を、自身の安寧を求めない人間などいない。

 いてはならないのだから。


「飯の話してたら腹減ってきた。フィリア、なんか食べよう。いろいろ持ってきてただろ」


「え、ええ。ですが……そうですね。せっかくです、外へ出てお店で食べましょう」

「美味しいものの話をした後に携帯用の冷たい食料では、なんとも味気ないでしょうし」


 なんでもいいけど。と、ユーゴはそう言って手早く支度を済ませた。

 お腹が空いているのは本当なんだろうな。なら待たせないようにしないと。


 私もすぐに支度をして、そして兵士の目を盗んで宿から抜け出した。




 食事を済ませ、そして私達はこっそりと宿に戻って眠りに就いた。

 その日、ユーゴはどこか上機嫌に見えた。


 自分の話を聞いて貰えたのが嬉しかったのか、それとも故郷に思いを馳せて懐かしい気分になっていたのか。


 或いは、兵士達に隠れてこっそりと抜け出した、あのいたずらをしているような気分が心地良かったのか。


「おはようございます、ユーゴ。今朝もいい天気ですよ」


「ふあぁ……おはよう、フィリア。朝から元気だな」


 今朝のユーゴは随分と顔色が良かった。

 どことなく機嫌も良さげなままだし、どうやら彼のモチベーションは高く保てているようだ。


「それで、今日はどこまで行くんだっけ。ヨロクってとこには明日着くんだよな」


「はい、その予定です。今日はハルまで」

「大きな街ではありませんが、きれいな湖のある町ですよ」


 湖か。と、ユーゴはどこか苦い顔をした。

 どうかしましたか? と、私が問うと、ユーゴは顔を背けて黙ってしまった。ふむ。


「……もしや、やはり水難に覚えが……」


 もしかしたら、彼にとっては奇麗な景色には映らないのだろうか。


 寂しい話だ。

 ユーゴには自然を美しいと思う心がある筈だ。

 それに、楽しいと、うれしいと、ものごとへ喜びを感じる心がある。


 それなのに、キラキラと光る美しい水面に恐怖があるのだとすれば……それは、やはり寂しい話なのだ。


「で、ハルってとこまでは魔獣もあんまりいないんだよな? ちぇっ」


「そうつまらなさそうにしないでください。人々が懸命に抗って、やっと手に入れた安全なのですから」


 私の言葉に、ユーゴは少しだけ申し訳なさそうに目を伏せた。

 怒ったつもりはなかったが、どうやら咎められたと感じているようだ。

 やはり、人を想える優しい子だ。



 今朝も私達は早くに出発して、そして馬車はひたすらに北を目指し続けた。


 予想通り魔獣は現れなかったが、ユーゴは不満げな態度も取らずにずっと窓の外を眺めていた。


「退屈ですか? 私としては、また貴方の話を聞かせていただきたいのですが」


「……別に。話っていうなら、今度はフィリアの話を聞かせてくれよ。俺のはまた後でいいだろ」


 後で……とは、兵士達のいない場所で、ということだろうか。

 気を遣ったつもりが、逆に遣われてしまっているではないか。


 ユーゴの素性を隠していないわけではないが、しかしそれを本人に伝えたつもりもない。


 しかし、彼はなんとなく察してくれているようだ。

 異世界の話などをして怪しまれないように、と。


「……では、面白いかは分かりませんが。ええと……何から話しましょう」


「なんでもいいけど……じゃあ、食べ物の話。俺が食べたことないやつ」


 食べ物、か。それは……少しだけがっかりさせてしまうかもしれない。


 昨日聞かされたユーゴの世界の食べ物は、どれもこれも夢にあふれたキラキラしたものばかりだった。それを……


「……落ち込まないでくださいね?」

「この国では、海産物と穀物、それから根菜が主たる食材です。宮でもお出ししている通りですね」


 いつか、外国の料理を食べる機会があったのだ。

 その時に思い知ったのだが……残念ながら、我が国の料理はあまりおいしくない……のかもしれない。


 同じように魚や肉を煮込んだ料理なのだが、しかし私の知っているこの国の料理は……どこか味が単調と言うか……塩……


「別に、がっかりはしてないよ。まあ……たまには塩とか酢以外で食べたいけど。マヨネーズとか」


「まよ……ええと……?」


 調味料……だろうか。

 なんにせよ、多くの味を知っているユーゴにとっては、つまらない食事になってしまっている可能性が高い。

 一度外の味を知っただけの私ですら、それに焦がれるほど退屈しているのだから。


「でも、昼に食べるお菓子は好きだぞ。クリームつけて食べるクッキーとか」


「スコーンのことでしょうか。私もお茶菓子は大好きです」

「バスカーク伯爵の言っていたリージィのカスタードプディングも、いつか食べに行きたいですね」


 どうやら、甘いもの自体は好きなようだ。

 昨日嫌いと言っていたのは、ブドウの皮と種のことらしい。

 もしかしたら、そこを取り除いてあげれば、ブドウの味自体は好きなのかも。


 わがままな話にも聞こえるが、しかしそれも道理なのかもしれない。

 彼の教えてくれた料理は、全て手間もかからず、食べるに際してのわずらわしさもないものばかりだったし。


「陛下。差し出がましいことと存じておりますが、進言させていただきます」

「この先、ハルの町は、ラズベリーのジャムが美味なことで知られております」

「よろしければ、私共でお届けいたしますが」


「まあ、良いのですか? では、よろしくお願いします。聞きましたか、ユーゴ」


 そんな呑気な私達の会話に、ひとりの若い兵士が混ざってきてくれた。

 彼もユーゴの退屈を紛らわせるのを手伝ってくれようとしているのだろう。


 私達の反応に少し気を良くしたのか、その兵士は爽やかに笑って頷いた。

 アフタヌーンティーには必ず、と。


「……そうです。皆の名前を教えていただけませんか?」

「私はいつも守って貰っているのに、貴方達の名前すらも知りませんでしたから」

「今更ですが、そんなに冷たい話も無いでしょう」


「はっ。私はギルマンと申します。ハルは私の故郷ですので、今日のお茶菓子選びはお任せください」


 最初に私達の話に混ざってきた、ハル出身で甘いものが好きなギルマン。


 バリスの出身で、一番体の大きなジェッツ。


 ランデルの宮に代々兵士として仕えている、アッカート家の兄弟、ヒルとキール。


 ノスガムというランデルから少し南へ行った街の出身で、この中で最も剣の扱いに長けているというグランダール。


 そして、馭者のアッシュ。


 自己紹介を終えてみれば、なんのことは無い。誰もがユーゴに優し気な顔を向けてくれていた。

 女王である私の手前、触れ合っていいものかと戸惑っていただけだったのだな。


「ごほん。私はフィリア=ネイ=アンスーリァ。ランデルの王族の出身です」

「まだ未熟ながら、女王として務めさせていただいています。どうか、皆の助力をお願いしたい」


 仰せのままに。と、皆は快く頷いてくれた。

 命令を受けた兵士の顔ではなく、たった今知り合った個人として……だと、私は嬉しい。


 では、ユーゴにも自己紹介を……と、そう思ったところで、彼はいったいどのように自己を説明したらいいのだろうかという問題に頭が追い付いた。


「あ……えっと。彼はユーゴ。私に力を貸してくださっている、特別な力を持つ……」


「いいよ、自分でやれるって。子供扱いすんな」


 ああっ、少しだけ拗ねてしまった。

 けれど、ユーゴはすぐに皆の方を向きなおして、そしてやや緊張した様子で口を開いた。


「俺はユーゴ。フィリアに頼まれたから魔獣と戦ってる」

「俺の方がみんなより強いから、魔獣とか出たら任せて欲しい」


 やや俯きがちながらも自信満々な自己紹介に、兵士達はどこか微笑ましそうに彼を見ている。

 ぱちぱちとギルマンが手を叩き始めれば、みんな揃って彼の宣言を称えた。


 ああ、やはり最初にやるべきだった。

 すごく簡単で単純なことながら、こうしてユーゴは六人の知人を得たのだ。


 そんな彼の横顔は、やはり嬉しそうなものだった。

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