第二十三話【片鱗】
得られた情報は僅かだけ。
けれど、全く無意味な遠征というわけではなかった。
まだ空も赤らんでいるうちに帰り支度を済ませ、ベッドに入って今日の出来事を振り返る。
カンビレッジは――この国は、私達の想定していなかった形で守られていた。
盗賊団によって魔獣が倒されているのか、それともまた別の理由があるのか。
それでも盗みの被害があるのだから、喜んではいけない。
いけないが、しかし人死にが減っていることに嘆くというのもあり得ない。
「――もしも――もしも、手を取り合えるのならば――」
もしも、盗賊団によって魔獣が駆逐されているのならば。
それが善意によるものか、それとも自己防衛の為に強いられてのことなのかは関係なく、なんとしても手を取り合って共に国を支えて欲しいと思う。
国の兵士達だけでは――ユーゴだけでは護り切れない部分を、彼らに――
また、私達は日が昇るよりも前に馬車を出した。
行き道よりも減った兵士の数に、ユーゴは少し戸惑った様子だった。
「全員が全員帰ってしまっては、街の人々に不安を感じさせてしまいますから」
「あくまでも視察、私達は手早く帰らねばなりません」
「ですが、カンビレッジの民に、見捨てられたのではと感じさせるわけにもいきません」
「ふーん。まあ、俺がいるからいいと思うけど」
おや。この様子は、もしや私達の安全を危惧してくれているのだろうか。
帰り道に魔獣が出た時に、こんな人数で大丈夫か、と。
やはり、どこまでも優しい少年なのだな。
「私は心配していませんよ。だって、ユーゴがいますから」
「だから、そう言ってるだろ。なんだよ、ったく」
ああっ。どうして拗ねてしまうのですか。
信頼していると口にしただけなのに、ユーゴはぷいとそっぽを向いてしまった。
どうしてもこの子が分からない時がある。
いつもは素直なのに、突然私の予想出来ないリアクションをするのだ。
まだ困ったことは無いけれど、これでいつか関係が拗れてしまわないだろうかと不安になってしまう。
「陛下、この先は道が荒れています。揺れにご注意ください」
「はい。ユーゴ、あまり窓から身を乗り出さないでください。頭を打ってしまいますよ」
打ったって別に平気だし。と、ユーゴはそう言いながら、むしろもっと身を乗り出して、胸を窓のへりに乗せて体重を預けてしまった。
どれだけ強かろうと、痛いものは痛いのだろうに……と、私が不安に思っていた矢先。
ガィン! と、車輪が石をはじく音がして、それと同時に車体の右側が少し跳ねた。
「――っ! いった……ぐぅ……」
「ああっ。ほら、だから言ったでしょう」
その衝撃でどうやらユーゴは胸を圧迫されたらしく、少しだけ苦しそうに窓から離れた。
痛い思いをしてからではなく、最初から離れておけばいいのに。
「大丈夫ですか。ほら、こちらへいらしてください」
「大事があってはなりません、打ったところを見せてください」
「……べ、別にそんな大したことじゃない。平気だって」
平気とは言っても、まだ苦しそうにしているではないか。
こういう時、一番痛いところに気を取られて、案外他の場所のけがに気付かないものだ。
頭は打っていないか。背中は。傷になっている場所はないか。
と、流石にしつこく聞き過ぎたのか、ユーゴはまた拗ねた様子で窓のそばまで戻ってしまった。
「ユーゴ。危ないですから」
「乗り出さなかったら別に危なくないだろ、もう。フィリアはおせっかいなんだよ」
それは……そうですが……
私達のやり取りを見て、兵士達はいつもとは違う顔をしていた。
皆、リラックスした様子で笑っていて、いつものように怪訝な目をユーゴに向けていない。
行き道の活躍を受けて、皆が彼を受け入れてくれたのだろうか。
「――――ん。フィリア、ちょっと出てくる。魔獣だ。そんなにいないけど」
「っ! はい、お願いします。どうかお気を付けて」
しかし、緩んだ空気もすぐに冷まされる。
ユーゴの言葉をきっかけに、兵士達は皆、剣を握って周囲を警戒し始めた。
行きよりも人数が少ない都合、外に出て戦うのはユーゴを含めてほんの数人だけ。
いつも以上の緊張感が、馬車の振動とは違うびりびりとした痺れを感じさせる。
「陛下。万が一があります、どうか奥へ。窓にも近付かぬよう」
「はい、分かっています。皆もどうか気を付けて」
もうどこにもさっきの微笑みが無いのだと気付くと、そんな場合ではないのに、少し寂しくなってしまう。
けれど、そんな私の呑気さとは裏腹に、遠くではもう魔獣のけたたましい叫び声が聞こえていた。
「……行きに見た魔獣でしょうか。それとも、また別の……」
「陛下、奥へ。外の様子は我々が監視しますので」
少しだけ叱り付けるような口調で制されて、私は兵士達の後ろに隠れて外の音を探った。
どうにも私には、危機感が欠如しているのかもしれない。
兵士達がつい強い言葉を使ってしまうくらいに迂闊な行動だったのだろう。
少しだけ気まずそうにしている彼らの姿に、自分の間抜けさを反省した。
「……ごほん。では、外の様子を伝えていただけますか」
「はっ。どうやら、往路にも表れた群れの魔獣の、その残党のようです」
「既に一度壊滅させていますから、数は多くないかと」
これもまた当然なのだが、しかし落胆を覚える。魔獣の数や種類に、ではなくて。
私が自らの目で確かめるよりも、彼らの言葉で聞いた方が状況を判断しやすい。
自分の目で見なければ仔細は分からないが、しかし分かり過ぎても頭で処理出来なければ意味が無い。
私ではまだ、不必要な情報まで拾ってしまうから。
「……こういうことにも慣れていかなければ。そう思って、もうそれなりに時間も経ったのですが……」
「陛下……? どうかなさいましたか」
どうもこうもないのですが、しかし彼らに当たっても仕方ありません。
慣れていないのならもっと回数をこなすしかない。
彼らに情報と助言を貰いながら、私はこれからの進路を決定しなければならない。
このまま直進して問題ないかどうか、と。
「恐れながら申し上げます。現状の戦力では、群れとの遭遇は絶対に避けるべきです」
「であれば、現時点で多少の襲撃があったとしても、このまま往路を辿りなおして帰還するのがよろしいかと」
「そうですね。ユーゴがいますから、多少の戦闘は問題にならないでしょう」
「危険があるとすれば、彼の手が回らないだけの総攻撃を受けること」
「道をずらして、他の魔獣のテリトリーに踏み入る危険は避けましょう」
では、その旨を伝えに。と、兵士のひとりが馬車を出て、前線へと加わった。
どちらにせよ危険はある。
ならば、私がどうこうと口を出して引っ掻き回すより、彼らとユーゴを信じれば良い。
人任せは心苦しいが、しかしそれが最善であるのは間違いない。
現時点の私は、まだまだなんの役にも立たないのだから。
「――――陛下! 何かに掴まってください!」
「――え――きゃぁあ!」
甲高い馬の鳴き声が聞こえて、そして馬車は大きく左に傾いた。
どうやらかなり無茶な進路変更をしたらしい。
だが、どうしたことか。
進路はこのままで、という予定だった筈だが――
「――あれは――っ! まさか、ユーゴが言っていた――」
「――――全軍退避――――っ! 進路を変更する、馬車を守れ――っ!」
思い出したのはユーゴの言葉、そして態度だった。
変なニオイがある。魔獣の死骸のニオイが集まったようなニオイだ、と。
きっと嫌な血生臭さだったのだろう。
獰猛な他の魔獣をも餌にする、非常に危険な個体がいるかもしれない。
そんな話を、その姿に思い出した。
「――――ユーゴ――――っ!」
体長はどれだけあるだろうか。
少なくとも、林の木の幹よりも太い脚が見えていた。
顔は馬車の覗き窓からでは確認出来なくて、全体像はとても想像も出来なかった。
あまりにも巨大な魔獣が――手足の長いクマのような、サルのような魔獣が、まだ少し遠く――
——だと言うのに、すぐそばに感じる程の巨体を揺らして、こちらを睨み付けていた。
「――――全員どいてろ――――っ!」
窓がやっと魔獣の方向を向いて、それで全体像が把握出来た頃。
あまりにも巨大な魔獣に向かって行くユーゴの背中が見えた。
きっと、二足で立ち上がれば、林から頭を出してしまうのだろうという巨体は、ユーゴの接近など気にも留めず、まだこちらを――馬車を睨み付けていた。
もしや、音に反応しているのだろうか。
もしもそうなら、近付けば近付くほどユーゴも危険に――――
「――――おりゃぁあ――――っ!」
「――っ」
叫び声がして、そして魔獣はようやくユーゴに意識を向けた。
向けて――――
もしかすると、私はとんでもない術式を起動してしまったのかもしれない。
その結果には、誰もが驚いていた。
私も、兵士達も。
そして、ユーゴ自身も。
「――凄い――っ。陛下、あの少年はいったい――――」
「――――見ての通りです。この国を救う、最強の英雄です」
巨木を束ねたような魔獣は、たった一太刀で真っ二つに切り分けられた。
縦に、まっすぐ。
まるでよく煮込まれたニンジンにナイフでも入れるように、あまりにも簡単に。
ユーゴはたった一撃で、巨大な魔獣を倒してしまったのだ。
「――フィリア、進路戻していいぞ。見掛け倒しだった、別になんにも強くないな、あいつ」
少年はどうやらまだ自覚が無いらしい。
たった今の瞬間に、自分がこれまでに見せた力の何倍もの能力を開花させたことを。
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