第二十二話【予想外の平穏】
目が覚めた時に知らない天井があるというのは、少しばかり心臓に悪いが気付け薬にはなってくれる。
今朝の私は、眠たさなんてすぐに忘れてベッドから飛び起きた。
「……はあ。何も、これが初めてというわけでもないのに」
外はまだ少し暗い。
だが、もういちどシーツを被って目を瞑ってしまうだけの時間も無い。
少し早い脈を落ち着けながら日の出を待とう。
自分にそう言い聞かせて、今日やるべきことを再確認し始めた。
ここは、カンビレッジの街だ。
ランデルから南東に進んだ、現時点でのこの国の最南端と言ってもいい地点。
国は、軍は、安全を一切保証しないという、諦めを宣告した場所を眺める街。
今日、私はこの街の安全度合いを確認する。
そして、必要な兵力を計算する。
これから北へと遠征に出る、先にあちらを解決する。
そんな事情を街の人々に悟られることなく、これからこの街が救われるのだろうという期待を持たせる。
そんな負の側面がある、業を背負う自覚を持とう。
「お前を救うのはずっと後のことだ」
「もしも、力を持つ者からそう言われたならば、私ならどう思うだろうか」
「どんな絶望を感じるだろうか。どんな憎しみを抱くだろうか」
想像などに意味はない。
そもそも、そんなイメージを私では描けない。
私は誰にも裏切られることなく育った、生きてきた。
知らない痛みは思えない。
当たり前の道理だが、しかし今はそれが苦しい。
息苦しくて、それに重苦しくて――
日はすぐに昇って、私達は宿の外へ出た。
話を聞くのはまず自分の目で見てから。
聞いた話と見たものではまるで違うのだと、散々思い知らされている。
何よりもまず、一頭でも多くの魔獣を退治してからだ。
「ユーゴ、気を付けてください。ここから先は、一切情報の無い魔獣も出てくるでしょう。貴方でも油断は禁物です」
「平気だって、何が出ても」
慢心とは思わないが、しかしもう少し謙虚な姿勢を見せて欲しいものだとは思う。
今更どんな魔獣が現れようと、ユーゴの前にはどれも同じだろう。
しかし、それを確信するのは本人と私だけなのだから。
「……陛下、本当に大丈夫でしょうか。この門をくぐれば、そこから先は……」
「分かっています。ですが、安心してください。ユーゴの力は本物ですから」
ユーゴの余裕の態度に、兵士達の疑心が向いてしまっている。
彼の力を、戦いを、皆が皆目にしているわけではない。
見ていたとしても、しかしその力の発端を知らない。
外見は相変わらずただの少年なのだから、その言動はあまりにも不安を煽ってしまうのだろう。
この少年が一番強いことは認めたうえで、であるならばこの慢心はいかがなものか、と。
皆の不安でやや重たい空気を背負ったまま、私達はカンビレッジの東門から外へと出た。
ここからしばらく歩けば、国が防衛を諦めた地点となる。
過ぎない範囲であるなら、緊張感はむしろ大切にすべきだろう。
「……フィリア。ここ、ほんとに危ないとこなのか? 全然魔獣の気配も無いけど」
「気配が無い……ですか。それは、魔獣が上手く身を隠している……ということでしょうか。それとも……」
全然いないよ。と、ユーゴは断言した。
そして、足下に転がっていた小石を拾い上げ、やぶに向かって投げつける。
石はがさがさという音だけを立てて、しかし他にはなんの変化ももたらさない。
「本当にいるのかよ、強い魔獣。これっぽっちも出てくる気配無いぞ」
魔獣がいない……?
もしもそれが真実で、そして恒常的なものだとしたら、それはもうこれ以上ない朗報だ。
だが……しかし、そこまで現実が甘いとも思えない。
何が起こっているのか、予定していた以上にしっかり調査する必要がありそうだ。
「ユーゴ。そのまま周囲を窺い続けてください。今は姿が見えなくとも、必ずどこかに潜んでいる筈です」
「ほんとかよ……そんな気配全然無いんだけど……」
もしや、伯爵の言葉を勘違いしてしまっていたのだろうか。
南の砦跡を占拠した盗賊団は、北以上に魔獣との戦闘に追われている、と。
だから、それだけ多くの、そして強力な魔獣が蔓延っているのだと思った。
だが、だが……
「……既に、魔獣の大半を制圧してしまう程の戦力が……? だとしたら……」
盗賊団には、果たしてどれだけの力があるのだろうか。
そして、国軍はどれだけ弱ってしまっているのだろうか。
獣はいない。しかし、魔獣も姿を現さない。
異様な静けさの中、私達はひたすらに東へと進み続けた。
もうしばらく歩けば、盗賊団に占拠されたという砦跡に到着してしまう。
だと言うのに、魔獣も、それに対する備え――罠のようなものも、ここまでにひとつも見かけていない。
「どうなっているのでしょうか……」
「もしや、ここは既に盗賊団の手によって解放されているのでしょうか」
「だから、最初から言ってるだろ。何もいないんだって」
もしそうなら、やはりこの盗賊団とはなんとしても協力関係を結びたい。
争えばどうあっても消耗してしまうし、それに……
考えたくないことだが、ユーゴひとりではひっくり返せない戦力差がついてしまっているかも。
「……引き返しましょう。カンビレッジの東には、魔獣の姿が確認出来なかった。住民に話を聞けば理由も分かるでしょうから」
これで街に魔獣の被害が出ていると言うのだから……
考えられるのは、やはりカンビレッジに向かうまでの道のりに出会った魔獣か。
それとも、まさか今回が偶然……と、そんな下らない話があるだろうか。
どちらにせよ、ここで考えても埒が明かない。
私達は、やはり静かなままの獣道を引き返すことにした。
街へ戻り、そして役場の人間を集めて、現状を報告させる。
それと同時に、これから必要な兵力を計算する。
今日はそうする手筈だった。のだが……
「街の東部では、既に魔獣の被害は出ていない……ですか」
「では、これまでに報告されたものは、全て北東からの魔獣によって引き起こされたものだった、と」
「ええ。私どもも原因までは分かっておりませんが、しかし東側から魔獣が現れて……という報告は、ここのところ聞いておりません」
「南側も同様に、危険地帯とされる場所からの被害の方が少ないのです、はい」
まさかとは思っていたが……しかし、原因が分からねば安堵は出来ない。
盗賊団が私達の想定を遥かに超えた組織なのだとしたら、協力を持ち掛けるにもこちらがあまりに劣っていては話にならない。それに……
「しかし、その一方で、盗賊被害は後を絶ちません」
「住宅と公的施設の区別も無く、あるものは手当たり次第に持っていく」
「金品はもちろん、作物や家畜、それに石鹸や馬車の車輪に至るまで」
「……そうでしたか。となると、盗賊団の目的は……」
金目のものだけを集めているわけではない、か。
生活に必要なものを賄う能力は欠如しているのだろうか。
盗賊組織の中には、畑を作ったり家畜を飼育したりといった余裕が無く、盗むことで乱暴に生活を成立させているとか。
ならば、どれだけ優れていてもら交渉の余地はある。
結局のところ、自ら生産出来ない組織では、限界があるのだから。
「それで、盗賊団の姿を見たものはいるのでしょうか」
「その……恥ずかしながら、宮ではその素性のほとんどを知れていないのが現状です」
「立ち寄った街で聞き込みを行っても、ほとんど情報を得られていません」
「……申し訳ありません。これだけの被害が出ていながら、その足跡のひとつも見つけられていないのです」
「分かっているのは、公的施設に盗みに入った際にのみ残される、翼を広げたコウモリの紋章だけ」
「それ以外には、人間なのかどうかすらも確認出来ていません」
ふむ。
申し訳なさげな役人の口から聞かされたのは、例の紋章の規則性だった。
盗賊団は常にその紋章を残していたわけではないのか。
公的施設に盗み入った場合のみ……となれば、なんらかの意図があるのは明白だ。
ここから何か、尻尾を掴めないだろうか。
「他の街でも同じように紋章が残されていなかったか、調査させましょう」
「他には何かありませんか? たとえば……魔獣と戦っているところを見たなんて話はないでしょうか」
「魔獣と……ですか。あいにく、そんなところは誰も」
「現れる魔獣は、駐屯兵と街の男どもが協力して追い払うばかりで……」
うっ。駐屯兵だけでは手数が足りていない……か。
なら、ここにどれだけ被害が出ていなくても、兵力は増やさなければならない。
やはり直接見に来て正解だった。
これが宮で報告として聞かされた話ならば、抑えられているのなら問題なしと無視してしまったかもしれない。
「女王陛下。その……国は、宮は、この街を助けていただけるのですよね……?」
「予想外に被害が少ないからと、見捨てられたりは……」
「いえ、決してそのようなことはしません」
「まず、国の兵力だけで魔獣を排除出来るようにしましょう」
「それから、盗みの被害を減らす。見張りを立て、とにかく侵入を難しくする」
「それでも完全に無くすことは出来ないでしょうが」
しかし、回数さえ減ってくれれば。
時間を稼いで、その間に大本との取引を済ませる。
もしも協力を取り付けられなかったら……とは考える必要はない。
向こうが頷くまでこちらが交渉に向かうだけだ。
伯爵の言う通り、北に更なる脅威があるのだとすれば、それ以外の方法で彼らを鎮静化するのはあまりにも危険だろう。
「それでは、直接住民にも聞き込みを行いましょう」
「報告や連絡がなされていないだけで、もしかしたら何か情報があるかもしれません」
「不審な人物を見かけた……だけなら、誰かに相談こそすれ、騒ぎ立てて問題にしようとは思わない人もいるでしょうから」
兵士達は役場に残し、私とユーゴだけで街を回ることにしよう。
全員で押し掛けては民を怖がらせるばかりだし、それに兵にはこの街の警備状態をよく知っておいて貰う方が良い。
私よりも守る戦いに詳しい彼らにこそ、この街に必要な助言が出来る筈だ。
ユーゴはひどく不満げだったが、しかし知らない街を散歩するのはそう苦痛ではない様子で、時折興味深そうに建物を眺めては笑った。
それに、私も女王とはいえ、しかしランデルから出れば顔などそう知られてはいない。
そんな私達を相手に、人々は気楽に悩みを打ち明けてくれた。
しかし、そうして得られた情報の中に、盗賊団の素性に迫るものはひとつも無かった。
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