第二十一話【夜明けより前に、夜更けよりも前に】
翌朝、私達は予定通り、夜明けを待たずに出発した。
ここバンガムからカンビレッジまで、半日以上掛けて馬車で移動する。
その為にも、昨日は早くに休んだのだ。休んだ……のだが……
「ふわぁーあ……ねむ……」
「ユーゴ、あまり眠れなかっ……ふわ……」
兵士達は皆平気な顔をしているのに、私とユーゴだけがしきりに目をこすっていた。
早くに――まだ日も高いうちにベッドに入ったのだ。
けれど、そんな時間ではなかなか眠りになど就けない。
結局、窓の外が赤くなるまで意識があったことを私は覚えている。ユーゴも同じだったのだろう。
「……皆は凄いですね。私など……ふわぁ……もう、なかなか寝付けなくて……」
「陛下、やはり街に残ってお休みになられた方がよろしいのでは?」
「カンビレッジの視察だけなら、我々だけでも……」
いいえ。と、私は兵士の提案に首を振った。
この目で見なければ意味が無い。
私とユーゴが実感としてカンビレッジを知らなければ意味が無いのだ。
それでどれだけ足を引っ張ることになってしまおうとも。
「迷惑を掛けます。ですが、私達も同行させてください」
「南の現状を把握出来ていなければ、北への遠征には常に不安が付き纏います」
「憂いは自らの手でしか断ち切れませんから」
と、格好をつけたものの……ふわぁ。と、大きなあくびが出てしまう。
やはり、彼らは凄いのだな。兵士達からは眠たさなどこれっぽっちも感じない。
きっと夜行など茶飯事なのだろう。
それだけ無茶を強いてきたのだ、私達が。
「……ん……フィリア、ちょっと馬車止まらせろ。魔獣だ、それも結構多い」
「っ! 早速……ですね。ユーゴ、お願い出来ますか」
その為に来たんだろ。と、ユーゴはさっきまでしょぼしょぼさせていた目をギラつかせ、剣を握りしめて馬車から飛び出していった。
兵士達も数人を残して後を追うが、しかしユーゴの背中はすぐに見えなくなってしまう。
彼らの能力も決して低くない、むしろその練度をたった今思い知らされたところだ。
それでも、やはりあの子の特別さとは比べられない。
「陛下、馬車は我々が守りますので。どうかご安心ください」
「はい。お願いします」
それにしても、ユーゴをして数が多いと言わせるほどの魔獣が……
カンビレッジまでの道のりは、まだユーゴによる魔獣の討伐――解放は行われていない。
しかし……しかしだ。
国はカンビレッジを最終防衛地点に選んだ。
それよりも内側には軍を配備し、守るのだと意思を示した。だと言うのに……
「……不甲斐ないですね。きっと、ここだけではない」
「北も南も、東も西も。どこも同じように、魔獣が闊歩しているのでしょう」
「守るとうそぶいて、私達は何も出来ていなかったのですね」
人が足りない。
兵士が、軍事力が、統治者が。
ランデルの周囲を死守するので手一杯だった。
ユーゴを呼び出してからも、その近くのラピエス地区を解放するまでに時間が掛かった。
国土のいくらにもならない地区ひとつを解放して達成感を得ていた自分を恥じる。
まだ、まだまだ、一歩など踏み出せてはいなかったのではないか、と。
「けれど……っ。けれど、ユーゴならやってくれます。あの子なら、あの子となら、この国は必ず立ち直れる」
願望ではない、確信だ。
聞けば、魔王は勇者の手によって倒されたと言うではないか。
かつては届かなかった相手でも、たったひとりの特別な人間がそれを変えてしまう。
その例を思えば、ユーゴにその素質が無いなどとは誰も思わない筈だ。
「……合図だ、馬車を出せ」
「陛下、出来る限り奥へ。ここからは魔獣の出現も多くなるでしょう」
「貴女を失うわけにはいきません、どうか我々の背に」
「ありがとうございます。皆もどうか気を付けて」
合図を受けたらしく、馬車はまた走り出した。
ユーゴはまだ戻ってきていないのだから、魔獣自体は残っているのだろう。
それでも、立ち止まっていては到着出来ない。
日暮れまでになんとしてもカンビレッジに到着しなければ。
その為にも、多少の無茶は承知で馬車を走らせるのだ。
馬車はその後何度も停車した。
無視出来ないだけの魔獣の群れが現れる度、それを蹴散らすまでの間を静かに待たされる。
そして、日が高くなるまで――いくつも町や村を通り過ぎて、馬を休ませる補給の時間になるまで、ユーゴが馬車に戻ってくることはなかった。
ずっとずっと、あの子は最前線で戦い続けてくれた。
戦い続けなければならなかった。
「フィリア、なんで止まってるんだ? 急ぐんだろ、魔獣は倒したんだから早く行こう」
そんな彼が馬車に戻ってきたと思えば、お疲れ様ですと言う間もなく、そんなことを言い出した。
もう眠たそうな顔はどこにもなくて、ずっとずっと興奮した状態にあるのがよく分かる。
「そう焦らないでください。一度休みましょう。人間にも、それに馬にも、休憩は必要です」
「ユーゴ、貴方も中へ入ってください。食事にしましょう」
「別に、俺は平気だよ」
平気なものか。
今は気分が高揚しているから気付かないだけで、必ず疲労は蓄積している。
食事だって、今朝は眠たそうにしていてあまり食べていなかった。
それなのに、最前線で戦い続けていたのだ。
どれだけ強い力を有していようと、それを振り回すのが人間の身体である以上は休まねば。
「いいから、ここへ座ってください。飲み物も準備します。さあ」
「平気だって言ってんのに……」
今は平気でも、後々平気でなくなってしまったら困るのだから。
悲しいかな、ユーゴがいなければ、こんな少人数での遠征は不可能だ。
作戦の根幹に、ユーゴの無事とその力がある。
彼の万全は私達全員の無事に繋がる。
そしてそれは、当然ながら私の義務でもある。
ここにいる全員が無事に帰る為にも、嫌がられようが、ユーゴにはご飯を食べさせなければ。
「それで、どのような魔獣がいましたか?」
「この近辺の情報は、それなりには報告として伺っていますが……」
「別に、いつものと変わんないよ。なんか、変なぐちゃぐちゃの豚みたいなやつとか。面白い奴はいなかった」
ランデルの近くで見かける魔獣とそう変わらない、と。
ならば、ここを解放することで、ラピエス地区に魔獣が再発生する可能性を無くせるのではないだろうか。
同じ群れかは定かではないが、しかし生息域が同じなのだろうから。
「……あ。でも、変なニオイはあったな」
「生臭いって言うか、死んでる魔獣のニオイが固まってるような」
「魔獣の死骸がどこかに集められている……ということでしょうか」
「しかし、ここらにそんなことが出来るだけの戦力は……」
それはきっと、人間によるものではない……のだろうな。
となればきっと、より強く大きな魔獣による餌の貯蓄といったところか。
もしそうだとすれば、少々気掛かりだ。
ユーゴが後れを取る相手とは思えないが、しかしユーゴが他の魔獣と戦っている最中に兵士や町が襲われては……
「……ユーゴ、そのニオイの場所は分かりますか? 可能なら避けて通りましょう」
「欲を言えば倒してしまいたいですが、今回はあくまでカンビレッジの視察が目的。可能な限り安全に到着しなければ」
「場所……までは分からなかった。でも、そいつが近付いてくれば分かると思う」
ユーゴには不思議な力がある。
私が付与したのは、あくまでも最強であるという力だけ。
けれど、彼はどうも……真贋を見極めたり、危険を察知したり、純粋に五感が鋭かったりと、どうも戦う以外の力も優れているようだ。
それが生前の彼に由来するものなのか、それとも無関係なのかも分からないが。
「……万が一、その魔獣が現れた時には……」
「分かってる、俺がやる。魔獣を食って集めてるやつだとしたら、俺じゃないと無理だろうし」
ここにいる彼らの力を信じていないわけではないが、しかしユーゴの言う通りだとも思う。
他の誰に任せたとしても、無傷の勝利は難しいだろう。
今はひとりも失うわけにはいかない。
身構えた私の緊張は、幸運にも無駄なものとなった。
休憩を終えると馬車はまた走り出し、そして何ごとも無かったかのように、カンビレッジを目指して進み続けた。
そこからも魔獣は頻繁に現れたし、ユーゴもその度に馬車から飛び出していったが、しかしずっと戦い続けているという事態にはならなかった。
それに、ユーゴの言っていたニオイの原因となっている魔獣も、姿を見せることはなかった。
場所も分かっていない住処に、こちらが近付かなかったのだろう。
そういう意味でも、やはり運に恵まれた。
そうして、私達はなんの被害を負うことも無く、カンビレッジへと辿り着いたのだ。
「到着しましたね。では、荷物を降ろしましょう」
「ユーゴ、お疲れさまでした。先に宿へ入っていてください。貴方には負担を掛けてしまいましたから」
「別に、こんなの平気だってば。荷物くらい運ぶよ」
気を使ったつもりだったが、ユーゴはどこか拗ねた様子で、自分の荷物と手近な木箱ひとつを運び出してくれた。
休ませたい、負担を軽くしたいというのは本音だったのだが……
「ありがとうございます。今晩はしっかり休んでくださいね。貴方でも疲れは溜まるのですから」
「分かってるって、うるさいな」
お、怒られてしまった。
前から思っていたのだが、ユーゴはどうやら心配されるのが好きではないらしい。
頼って貰いたい、心配されたくない。
なんとも背伸びした子供のようで、歳相応と言えばそうなのだが……
もう外は暗い、私も兵士達も手続きを済ませるとすぐに部屋に入った。
今日は休んで、明日は一日調査に費やす。
それが終われば、また明朝に出発してバンガムへと戻る。
服を着替えてベッドに入ると、疲れと睡眠不足もあって、私はすぐに意識を失った。
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