第十六話【調べ】


「――っくしゅん! ううっ……さすがに冷えてしまいましたね……」


 宮へ戻り、ユーゴの部屋へと入ると、私達はすぐに暖炉に火を灯した。


 外ではしゃいでいる間はなんともなかったのに、いざ建物の中へ戻ってきたら、その寒さに身体が震え始めてしまった。


「まったく、何をなさっているんですか、陛下。こんな雨の中を、どうして外になんて」

「この際、何も言わずに出かけたことはパールには黙っておきます。が、もう二度としないでくださいね」

「無事に帰ってきたから良いものの……」


「すみません、リリィ。その……どうしても気になることがありまして……」


 表向きには、なんらかの調査ということにしておこう。

 と、帰りにユーゴと決めた言い訳は、明朝や深夜など、普段の調査では見られない魔獣の生態を把握したかった……という、少し無理のあるものだった。


 だが、そんな言い訳にも、リリィは一応納得という形を見せてくれた。


「ユーゴさん。出来れば貴方からも陛下の無茶を咎めていただきたいです」

「この方は女王で、この国にとって欠かせない人物です」

「ただの統治者という意味ではなく、未来を切り拓く能力を持つものとして」


 っ!? こ、今回はユーゴが私を引っ張り出したのに。


 日頃の行いの所為と言ってしまえばそこまでですが、私にはそれほど信用が無かったのですね……


 しかし、恨み言もこんな時に口にすればただの言い訳。大人しく反省しましょう。


「くしゅんっ。ユーゴは凄いですね」

「あれだけの雨に打たれたというのに、そしてあれだけ唇を青くしていたというのに。もうすっかり元気になってしまって」


「別に。フィリアが弱っちいだけだ」


 彼に与えたギフトは、この世のあらゆるものよりも強いというもの。

 もしかしたら、身体の強さ――健康という面でも、その恩恵を受けているのだろうか。


 もしもそうだとしたら、これ以上無い朗報だ。

 この子は、健康に生きていける絶対の保証を持ってこの先を過ごせるのだから。


「それで、そんな建前を準備したからには、何か得られましたか? 魔獣の新たな一面とか」


「た、建前ではなくて……ごほん。はい。新たな一面、習性と言うものではありませんが、魔獣の……あの地域の現状は把握出来ました」


 魔獣は、自らの子を食ってまで生きながらえようとしていた。


 なんとたくましい生物だろうと感心しても良いが、しかしここで必要なのはそんな視点ではない。


 魔獣は既に、食料の確保すら覚束なくなっている。


 そもそも、普通の獣はほとんど魔獣に食い荒らされてしまった後なのだ。

 当然、私達が討伐作戦を決行する以前から、魔獣同士での食い合いがあったことだろう。


「あの場所では、魔獣と魔獣による生存競争があった筈。しかし、それも今となっては崩壊してしまったのでしょう」


「もはや同種以外に、食料を確保することもままならない……と。もしそうだとしたら、魔獣の完全消滅も近いですね」


 食って食われてを繰り返す相手を失い、食うべきでない自らの子を手にかける。

 獣の知性ではそれもやむなしだが、そんなことでは繁栄はあり得ない。


 弱いものから食われるという掟を鑑みれば、魔獣の子供は全て親によって食い尽くされるだろう。

 絶滅までの秒読みは、既に始まっていると言って良い。


「収穫としてはそれなりでした。何が変わるというものでもありませんが、気は楽になります」

「解放した地点には、魔獣も再繁殖しづらいのだと分かったのですから」


「全ての場所、全ての魔獣でこのケースが当てはまるかは不明ですが、概ねそうだと言って差し支えないでしょう」

「陛下の無茶も報われますね、それならば」


 いえ、ですから今回はユーゴが……ごほん。

 当のユーゴは、私達のやりとりになど興味も示さず、既に布団に入って眠ろうとしていた。


 今日はもう外に出られそうにない。と、リリィの態度にそう察したのだろう。


「……お疲れさまでした、ユーゴ。ゆっくり休んでください。昼食はまた一緒に食べましょうね」


 返事は無かった。だが、以前の彼なら拒絶しただろうから、それだけでも進歩だ。

 さて、しかし……


 魔獣と戦う。それ以外の予定が無い場合、彼はこの部屋の中で眠って過ごすしかないのか。


 娯楽らしい娯楽も無いというのは、この歳の少年にはあまりに酷な環境だろう。

 と、今更になってそんなことに気付いてしまった。


 これでは、嵐だろうと、出掛けられる日には出掛けたくもなるわけだ。


「せめて、本を揃えますね。東国の冒険譚や、大陸の伝記。それに、魔王と戦った勇者の物語。この国には御伽噺も多いですから」


「……別に、いらない」


 返事をした。ということは、多少なりとも興味があるのだろう。

 素直な少年だけに、素直でない態度を取っても、分かりやすいことこの上ない。


「さて。それでは陛下、そろそろご公務にお戻りください」

「日頃からこまめに進めておけば、こんな日に無理に出掛けずとも良いのですから」


「うう……そうですね。それでは失礼します、ユーゴ。またお昼に伺いますね」


 リリィはやはり今回の件を腹に据えかねているのだろうか。

 先ほどから微妙にちくちくと刺してくる言葉が痛い。


 そんな彼女に連れられて、私はユーゴの部屋を後にした。


「では、本日の分を。こんな大雨は久しぶりですから、水道や道路の整備依頼の激増が予想されます」

「明日へ持ち越すと、もう眠る暇さえ無い可能性が高いです。必ず本日中に終わらせてください」


「そ、そんな……いえ、そうですね」

「この大雨は雨季以来のもの。季節外れの嵐に備えている余裕など、どの街にも無かったでしょうから」


 水道、道路……か。

 生活には欠かせないものなのに、それらへ予算を充てる余裕すらない街は多い。


 工事の見積もり自体は、それぞれの自治体で出すだろうが、しかし肝心の予算は不足するだろう。

 故に、給付を求める声が殺到する、と。


「頭が痛くなりますね。こんな日常的なトラブルにまで、宮への要請を必要とするなんて。あまりに非効率的な体系です」


「古い時代の制度そのままですからね」

「前王は関心こそ示したものの、しかしそれに着手する余裕もありませんでした」

「陛下も、今でこそこうしてご公務に携わられていますが、しかし幼い頃にそれを全て任せるのは酷でしたので」


 ここ数年になるまでは、公務の大半を、パールとリリィをはじめとした宮の役人で受け持ってくれていた。

 故に、か。


 改革らしい改革は、しようにも出来なかったのだ。


 私が王として働き始めた時に、引き継いだものと仕事が違っては困るだろう、と。


「ならば、私が変えねばなりませんね。それだけ皆に過保護にされたのですから」


「国民も陛下には期待している筈です。私も尽力いたしますので、どうかこの国に希望をもたらしてください」


 リリィは私の肩を優しく揉んでそう言った。


 皆が期待してくれているのなら、私はそれに応えねばならない。

 父上はそれが成せなかった。ならば、子である私こそが。




 水道や道路の工事の見積もりと給付の申請は、それから三日間に渡って毎日届き続けた。


 文字通り山のような書類仕事に追われた私は、ユーゴに本をプレゼントする暇さえも作れなかった。のだから……


「……ユーゴ。すみません、今日もまだ……」


「分かってるって、リリィからも聞いてる」


 ユーゴはすっかりヘソを曲げてしまっていた。


 雨もあがって久しいのに、一向に出掛けられない。その気配すら無い。約束の本も届かない。

 これでどう機嫌を損ねるなと言えよう。


「必ず……必ずすぐに終わらせますから。今届いている公務を終わらせたなら、また泊まりがけで街へ出ましょう」

「いいえ、次は街から街へと渡り歩くのです。まるで旅人のように」


「別に、怒ってるわけじゃないって」

「フィリアにはやらなきゃならないことが沢山ある。女王なんだから。それは知ってるよ」


 いいえ、完全に拗ねています。


 食事も普段より早く食べ終わっていたし、それに今もベッドでうつ伏せになって足をバタバタさせている。

 こういうところまで素直なのだから、隠しようもない。

 ユーゴは完全にふてくされてしまっていた。


「必ずですから。旅の暁にはきっと本も準備します。本以外にも、この部屋に欲しいものがあればおっしゃってください」


「だから、平気だってば」


 平気なものか。


 拗ねているから機嫌を取ろう……という目論み以前に、こんなにも退屈な部屋に押し込んでしまったことを後悔している。

 いいえ、宮にある部屋など、どれも退屈極まりないものばかりですが。


 しかし、せめて……せめて、窓から街の様子を一望出来る……ような部屋もありませんが……

 し、しかし……せめて……


 なんとかしてユーゴにまた関心を取り戻して貰おうとあれこれ説得していると、ドンドンと珍しく大きな音でドアが叩かれた。


 陛下! と、私を呼ぶ声は、リリィのものだった。


「陛下! 連絡が――くだんの吸血鬼伯爵から文が届きました!」


「――っ! すぐに戻ります! ユーゴ、準備をしておいてくださいませんか。数日中に外へ出ます。公務としてなので、必ず」


 リリィの言葉は、ユーゴの下がりきっていたテンションにも熱を持たせた。

 私の確認などよりも前に、既にユーゴの目にはキラキラとした期待がこもっていた。


 遂にやってきた伯爵からの連絡。

 何も分からなかったであーる。なんて間抜けな話で無ければ、これで盗賊団へかなり近付ける筈だ。


 私もきっとユーゴと変わらぬくらいに期待に胸を高鳴らせ、リリィと共に執務室へと戻った。

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