第十二話【数日ぶりの再会】
リリィとパールの手伝いもあって、私の目の前に積もっていた業務はまる二日で完了した。
これで心置きなく出掛けられる。
吸血伯爵、バスカーク=グレイムの屋敷……もとい、洞窟へ行って真相を確かめなければ。
その旨を伝えると、パールは、溜まっていた分が終わっただけで、まだ新たな執務があるのですが……と、嫌な顔をした……けれど。
「ユーゴ、今日もお願いします」
「解放したとはいえ、まだ魔獣の残党はいますから。そうでなくとも、洞窟内は危険が多いです」
「私も気を引き締めますが、やはり貴方の力に頼らざるを得ない状況も考えられるでしょうから」
「……だったら俺ひとりで行かせて欲しいんだけどな」
「別に、カスタードのやつと話するだけだろ? なら、フィリアまで行く必要無いのに」
いいえ、それはむしろ逆。王である私が赴かずしては、あの男性にも無礼というもの。
なにせ、盗賊団の首魁ではないかと疑って掛かるのだ。
首魁と言わずとも、関係者である可能性は否定出来ない。
ただ、コウモリというひとつの手掛かりが一致するだけで、そんな言い掛かりを付けに行くのだから。
「やはり、私自ら出向かなければ」
「調べてみた結果、バスカーク伯爵やグレイム家なる貴族は存在せず、あの人物が伯爵と勝手に名乗っているだけだと知ってもなお。敬意は払わねばなりません」
「……払ってるならそんなの突っ込んでやるなよ」
……やはり、あの男性はただの虚言癖の浮浪者なのではないだろうか。
いえ、信じる心が大切なのです。
「なんの情報を得られなくても、それは氏の潔癖の証明ですから」
「疑ってしまった以上、それを晴らすのは私達の義務でしょう」
なんでもいいけど。と、ユーゴは少しだけ呆れた様子でため息をついた。
ユーゴの中のやる気が下がってしまっているのかもしれない。
やはり、気付いたあの日に出発するべきだった。
時間が経てば、人のやる気や興味は薄れてしまうのだから。
宮を出た馬車はまた暗い森を進み、途中二度の停車を挟んで洞窟へと到着した。
ここからはまた私とユーゴだけで……と、そう伝えると、兵士達は青ざめた顔で私達を引き止める。
「お考え直しください、陛下」
「ここまでに二度、魔獣と遭遇しているのです。たった数日前ですよ、ここを訪れたのは」
「その間に、もう新たな魔獣が巣を作り始めている」
「だというのに、洞窟という住処にうってつけの場所に、護衛も連れずなど……」
「護衛ならばユーゴがいます」
「それに、目的地は細い縦穴を通った先。私も身体の大きな方ですが、しかし皆はそれよりも更に屈強です。およそ通れる道ではありません」
それに、これもまたただの憶測でしかないのだが、バスカーク伯爵はあまり人と関わりたがらないのではないだろうか。
でなければ、こんな所を屋敷と呼んだりはしない。
陽の光が苦手だとか、涼しいとか、それだけなら、何もあんなにも奥深くに住む必要はないだろう。
「とにかく、皆はここで馬車と入口の護衛をお願いします」
「氏との対話を終え、有益な情報を得られたとしても、ここから宮まで帰れぬのでは意味がありませんから」
「……承知しました。どうか、ご無事で」
兵士の誰もが不服そうだったが、しかしそうする他に無いのだ。
私はどこか苦い顔のユーゴと共に、この真っ暗な洞窟へと再び足を踏み入れる。
ランタンのオイルはしっかり持ってきた。
憂いは、あの地底湖の水位がどの程度かという点だけだ。
「…………船になるものを持って来るべきでしたね」
「いえ、あまり大きな荷物ではあの穴を通れないので、そう立派なものも準備出来ませんが」
「っ。船……そうだな、もっと早くに気付くべきだった……」
まだ外の明かりが途切れていない、多少明るい中で、ユーゴはひどく落ち込んだ様子で私から目を背けた。
その姿は以前にも——今話に上がった地底湖を越えたすぐ後にも見た気が……
「……もしや……貴方は……」
火を怖がっていると最初は思った。
けれど、どうやらそれは違う様子だった。
しかし、今もまた同じ顔をしている。
ならば——もしや、ユーゴは水に恐怖を感じているのだろうか。
いや、けれど彼は、躊躇無く湖に飛び込んだではないか。すると……
「……なんだよ。フィリア、足下見て歩けよ。俺の顔照らしてどうすんだ」
「あ……っ。す、すみません。つい、考えごとを……」
生前の彼は、水の事故によって悲劇を見たのではないか。
家族か、或いは他の近しい人物に、水難があったのではないか。
そうなれば、ずぶ濡れになった私を見て動揺したのにも納得がいく。
もしそうだとすれば……船を持って来なかったこと、私が同行することは、彼にとって大きなストレスなのかもしれない。
「……ユーゴ。その……」
「……? な、なんだよ」
大丈夫ですか? などと、どうして尋ねられよう。
もしや貴方には、水についての悪い思い出があるのではないですか。と、そう問うて、果たして何が好転する。
ああ……いけない、悪い癖だ。
どうにも、彼が死者だという認識が抜けてしまう。
生きている姿しか知らないから、そのことをすぐに忘れてしまう。
うっかりが多いと昔からパールにも口うるさく言われていたのに。
「……その、バスカーク伯爵が何か知っているといいですね」
「出来れば、彼は無関係で。その……悪い人物には見えなかったので……」
「それを疑ったのはフィリアだけどな。まあでも……悪いことする奴には俺も見えなかった。バカそうだったし」
ユーゴは少しだけ……さっき落ち込んでいたところから、少しだけ元気になってそう言った。
口は悪いものの、バスカーク伯爵と会うのを楽しみにしているのだろうか。
愉快な人物だった、接していて悪い気分にならない性格だった。
それに、吸血鬼を名乗る変人ぶりだ。
人が嫌いなユーゴでも、人と違う彼は好ましいのかもしれない。
以前同様に暗い道を進み、そして地底湖へと続く縦穴へ辿り着いた。
足下は随分湿っており、水の流入があったことを感じさせる。
この様子だと、湖の水位は高くなってしまっているかも……
「っと、ほっ。うっ……結構……だな、これ」
「よい……しょ。待ってください、ユーゴ……っ。これは……」
ランタンで行く先を照らすまでもない。
既にゆらゆらと光を映す湖面は、私達の足下にまで迫っていた。
以前はもう少し地面があったのに、それもほとんど見当たらない。
それに、ひたひたと水の滴る音も遠くに聞こえる。
どうやら、今なおこの湖はカサを増しているようだ。
「以前を思えば……そうですね。これでは、途中で足が付かなくなる場所があるかもしれません。いえ……私は大丈夫そうですが……」
「……なんだよ。俺がチビだって言いたいのかよ」
いえ……私が……私の身体が無駄に大きいのです……
っと、今それを嘆いても始まりません。
不安があるとすれば、ランタンに水が入ってしまうこと。
それが防がれるのなら、この大きな身体にも感謝しよう。感謝……しよう……
湖を渡りきり、そして今回は身体も乾かさずにそのまま奥へと向かう。
最終到達地点が分かっているのだし、吸血鬼伯爵も危険な人物ではない。
凍えてしまっては問題だが、しかし慌てて暖を取るほどではないと判断した。のだけど……
「あの、ユーゴ? どうかなさいましたか?」
「べ、別に。俺は平気だけど、寒くねえのかなって」
ユーゴはこちらを振り返りもせずにそう言った。
心配してくれているのだろうか。
やはり、この子は優しくて素直な子だ。
ただ、いつも冷たい態度を取るから、そういう言葉を掛けるのが照れくさいのかもしれない。
だとすると、そういう意味では素直ではないのかもしれない。
ぴしゃぴしゃと水を滴らせながら洞窟を進み、そして以前にはコウモリに襲われた場所まで辿り着く。
この時点でバスカーク伯爵には私達が見えていたようだったが、今回は出迎えの声もコウモリも来ない。
眠っているか、或いは出掛けているのだろうか。
「もし不在でしたら……困りますね。いつ戻るのかも分かりませんし、連絡の手段もありませんから」
「なんだったら生きてるかどうかも怪しいしな。マヌケだし、魔獣に食われててもおかしくないだろ」
失礼ですよ。と、私がそう注意するよりも前。不敬であーる。と、洞窟内に大きな声が響いた。
どうやら、先の不安は杞憂だったようだ。
それにしても、声に反応したということは、彼は音で私達を認識したのだろうか。
使役するだけあって、自身にもコウモリのような能力が備わっているのか。
「不敬であーる! そち、相変わらず不敬であーる! まったく、我輩を誰と心得るか!」
「だから、カスタードクリームだろ?」
バスカーク=グレイムであーる! と、地団駄を踏むその姿が徐々に見えてきた。
ユーゴにはとっくに見えていたらしくて、伯爵の元へと真っ直ぐに進んで行く。
その背中は、やはりどこか楽しそうに見えた。
「ごきげんよう、バスカーク伯爵。連日押し掛けてしまって申し訳ありません。本日伺ったのは——」
ぷぉお! と、私の話を遮って、バスカーク伯爵は奇声を上げた。
な、なんだ、どうしたことだ。
その姿がハッキリと見えた頃——或いは、彼から私の姿がハッキリと見えた頃、だろうか。
伯爵は目を丸くして、わなわなと震えながら私を指差して……
「——ハレンチであーる! フィリア嬢! いくらなんでもそんな格好はハレンチであーる!」
「今すぐ着替えるのである! 奥の部屋で、今すぐに!」
「……え。えっと……すみません、以前と服装はあまり変わらないと思うのですが……」
変わるのであーる! びっしょびしょであーる! と、伯爵はバタバタと手足を振って慌てた様子だった。
破廉恥……なるほど、それは道理だ。
伯爵を名乗る人物を相手に、どうしてこんなに汚らしい格好で良いと思ってしまったのだろう。
侮りがあった。
確かにこれは、恥知らずと罵られても文句は言えない。
「申し訳ありません、バスカーク伯爵」
「ですが、着替えは持ち合わせておらず……火に当たらせて頂いてもよろしいですか?」
「身体を乾かせば、多少はマシになると思いますので」
「もうなんでもいいから早く奥へ行くのであーる! いくらなんでも目の毒であーる。まったく……そちも大変であるな」
ううっ……
目の毒……とまで言われると、自分の行いがどれだけ非礼なものだったかと思い知る。
女王である私の振る舞いによって、ユーゴに恥をかかせてしまうとは。猛省しよう。
それと……っ。
私の身体は……やはり……その……相当に醜いものなのだな……
奥。と、そう指示された場所には、入り口の狭い小穴があって、そこで私は身体を乾かしてふたりの元へと戻った。
ユーゴはまだ目を合わせてくれなかったが、伯爵はにこにこ笑って歓迎してくれた。
やはり、この人物を疑うのは筋が違う……だろうか。
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