第十一話【蝙蝠の団】


 執務室に戻り、机に向かってすぐのことだった。


 リリィはやりかけだった書類を机の上から退けて、手に持っていた紙束を私の目の前に広げ始める。

 優しい笑みも無く、やや焦った様子だった。


「最優先事項です。陛下、ご確認ください」


「最優先事項……ですか。ええと…………っ!」


 そこに書かれていたのは、盗賊による直近の被害だった。


 一番古いもので十日、新しいものとなると昨日。

 そんな僅かな期間に、机が見えなくなるほどの被害が出たというのか。


「そもそも問題として認識していましたが……急に活発化しましたね。それに、これは……」


「はい。奇しくも、これからの解放予定地と被っています」

「このままいけば、魔獣との戦いだけでなく、彼らへの対応も迫られるでしょう」


 それは……少々厄介だ。


 なにも、盗賊団が魔獣と手を組んで襲ってくるわけではないが、しかしこちらには彼らを鎮圧する為の戦力が足りていない。


 魔獣を蹴散らす最強の戦士を有しつつも、彼らを押さえ込む戦力にはまだ目処が立っていないのだ。


「……ユーゴは、人を相手にも力を振るえるのでしょうか。異形の化物ではない、ただの人間を相手に」


「難しいでしょう。少なくとも、私は振るって欲しくないと願います。まだ、子供なのですから」


 だが、ユーゴを戦力に数えられない場合、対処する為の人員が本当に足りていない。

 あまりに致命的な問題だ。


 国軍の大半は、魔獣の侵攻を押し留める為に割いてしまっているし、建設中の拠点の防衛にも向かわせてしまっている。

 それらを手薄にすれば、せっかく解放した地区も、また魔獣で埋め尽くされかねない。


「加減を覚えさせるしかない……と、子供であるユーゴさんに、我々大人の都合を押し付けるのも良い気分ではありませんが。しかし、現状を鑑みると……」


「……そうですね。彼は優しい子です。出来るか出来ないかという話以前に、させるべきでないでしょう」

「結果がどうであれ、彼の胸の内には深く傷が残ってしまいかねませんから」


 人が嫌い。人と関わるのが嫌い。

 それは、まだ彼を理解出来ていない私から見た、勝手な彼のイメージ。

 優しくて素直だというのも、また同じく。


 けれど、人を殴って倒して、あまつさえ手にかけて、それで平気でいられる人物にはとても見えない。

 先ほども、リリィの手を払うことさえしなかったのだから。


「……? リリィ、この資料はなんでしょう。なにやら……コウモリ……?」


「ええ、はい。どうやら、盗賊団のシンボルのようなものらしく」

「各地でポツポツと現れていただけの野盗だった筈が、いつの間にか大きな集団となっていたようで……」


 紙の山の下の方に埋れていた一枚に、幾つかのマークが書き込まれたものがあった。


 そのどれもに、多少の差異はあれど、翼を広げたコウモリのシルエットを模しているのは共通らしい。これが、盗賊団の……


「…………コウモリ? まさか……いえ、しかし。あの方にはそんな邪気は……」


「陛下? 何か心当たりでも?」


 心当たりは……あった。しかし、その心当たりもまた、人を傷つけるものかどうか。


 吸血鬼伯爵、バスカーク=グレイム。


 なんだか間抜けな喋り方と、危機感の無さと、それに甘いものが好きだということ。

 そして、虚言癖でないのであれば、異常な長寿であることだけを知っている、洞窟の奥に住まう男性。


 彼もまた、コウモリを使役していた。


「……確認してみる価値はあるでしょうか」

「しかし……もしも前回の接触の折、彼が私達を上手く騙していたのだとしたら……」


 直接尋ねたとて、果たして真実を語ってくれるだろうか。


 世間に興味が無さそうなフリを貫き通したあの男が、今回だけはボロを出す……という可能性は低い。

 それにそもそも、彼が一切の嘘をついていなかったとしたら……


「……不信ばかりでは関係が悪くなってしまう……でしょうか」

「リリィ。この資料、ユーゴにも見せて構いませんね?」

「彼の意見も……もしも戦うことになれば、彼が知っておかねばならぬ情報も多いですから」


「そうですね。可能なら、そんなことにならないよう祈るばかりですが」


 それでは早速……と、席を立とうとする私の肩を、リリィは両手で押さえ付けた。

 おや……? リリィもたった今同意してくれた筈でしたが。この資料をユーゴに見せに行かねば……


「ユーゴさんをこちらへ呼びましょう。私が声を掛けに行きます。陛下はこのまま公務を続行してください」


「……り、リリィ……」


 別に……別に逃げるつもりなんて無かったのに……


 彼女からの信頼が厚過ぎる。

 私は何かあればサボりたがるのだと、そう強く認識されてしまっている。


 遺憾ながら、しかし反論の余地も無い。

 リリィとパールには、私という人物を理解され過ぎてしまっていた。


 それからリリィは執務室を飛び出していって、私はユーゴが来るまでの間を申請書類との格闘に充てることとなった。

 しかし、どれだけ待てどもリリィは戻って来ない。


 やはり、まだ不安だ。

 ユーゴは私以外の誰ともロクに会話をしなかったのだ。それをいきなりでは……


「……よし」


 意を決し、私も執務室を後にする。


 少年は彼女に対して嫌悪感を抱いてるふうでもなかったが、しかし苦手意識を持った可能性は高い。

 今頃部屋の中で逃げ回っているのかも。


 もしそうでも、私が出向いてその場で話をすれば良い。

 優先すべきは、ユーゴにこれからの敵を認識させることなのだから。


「——ユーゴ、入りますよ」


 こんこんと二度ドアを叩き、返事も待たずに部屋へと入る。


 するとそこには、ベッドを前に立ち尽くすリリィと、そしてシーツに隠れたユーゴの姿があった。


「リリィ、あまり怯えさせてはいけません」

「ユーゴ、大丈夫ですよ。リリィは厳しい人ですが、優しい人でもあります。どうか怖がらずに……」


「怖がってない!」


 怖がってない。と、そう言ってはいるものの、ユーゴがシーツから出て来る気配は無い。

 これでは話にならない。


 リリィに慣れて貰うのが難しいなら、やはりここは私が一対一で……


「……陛下、ご公務はどうなさったんですか? 私が執務室を後にして、まだどれだけも経っていない筈ですが……?」


「ひっ。い、いえ……やはりユーゴのことが心配で」

「まだ私以外とは話をした経験もほとんど無いですし、不慣れな以上は慎重にすべきかと……」


 リリィは私の言い訳になど耳を貸さず、優しい笑顔のままずんずんと詰め寄ってきた。

 ああ、この顔だ。この優しげな顔で怒られると……


「ひぃ……」


「……はあ。確かに、おっしゃる通りです。ユーゴさんはまだ私には心を開いてくださっていません。陛下からお伝えしてください」


 怒られる、もう一切の抵抗が出来なくなる……と、身構えていると、意外なことに……意外ではないのかもしれないけれど、リリィは私にユーゴを任せてくれた。


 しかし……ベッドを見れば、ユーゴは既に顔を覗かせていて、緊張した空気はどこにも無くて……


「……ええと……ユーゴ、少しよろしいですか? その……リリィは怖いですか?」


「何を聞いているんですか、陛下。違うでしょう。本題に入ってください」


 ひぃ。


 私とリリィのやり取りで緩んだのか、ユーゴは呆れた顔でこちらを見つめていた。

 それとも、そもそも怖がってはいなかった?


 なんにせよ、話を出来ない状況ではないらしい。


「ごほん。ユーゴ、この資料を見てください」

「現在、この国を脅かしている盗賊団についての資料なのですが……」


「盗賊団……? 魔獣の次はそいつを倒せばいいのか?」


 話が早過ぎる。

 いえ、出来るならそれに越したことは無いのですが。


 しかし、もう少し疑問を持ったり、抵抗を感じたりしないのだろうか。


 もしかして、本当に彼は戦いたがりなだけ……なんて話があるでしょうか。


「こちらが、その盗賊団のシンボル……らしいのです」

「翼を広げたコウモリのシルエット……ということで、その……コウモリというシンボルには、少し覚えがありませんか?」


「コウモリ……カスタードクリームのことか? まさか、アイツが盗賊団を?」


 そんな美味しそうな名前だっただろうか……?


 しかし、やはり話が早い。


 その吸血鬼伯爵がこの件に深く関わっているのではないか……と、疑っている。

 それを確かめたいのだが、果たしてどうすべきか……と。


「なら、直接聞きに行けばいい」

「アイツ、嘘が得意な感じもしなかったし、そんな悪巧み出来るほど賢いとも思わなかったけど」

「百年以上生きてるって言ってたし、なんか知ってるかもしれない」


「そうですね。あの人物が首魁かどうかは別として、有益な情報を得られる可能性はあります」


 そうと決まったら早速出発しましょう。と、そう息巻くと、リリィにまたガッチリと肩を掴まれた。


 いえ、せっかくユーゴも乗り気なのですから……あまり熱が冷めるようなことはしたくない……のですが……


「では、話がついたところで公務にお戻りください」

「出発はせめて、今積み上がっている仕事が済んでからでお願いします」


 リリィはユーゴに頭を下げて、お騒がせしましたと言い残すと、そのまま私を執務室へと引きずっていった。

 外へ……書類の無い宮の外へ逃げ出したいのに……

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