第一章【信じるものと裏切られたもの】
第十話【多分、ズレている】
バリスの街を完全に解放してから三日が経った。
結局、ユーゴはどの魔獣にも苦戦などしなかった。
空を飛ぶ魔獣は飛び立つ前に全て斬り落とされ、大型の猪魔獣は一撃で仕留められた。
ネズミの魔獣も、どうやら群れ単位での伝達力が高いらしく、ユーゴが姿を表すだけで逃げ出すようになる始末。
これで、あの街はしばらく平和になるだろう。
「——これで——ふたつ目——」
そして、今日までのたった三日の間に、ユーゴはバリスから近い集落をふたつ解放してみせた。
まだ地区の完全解放は成されていないが、しかしこれでふたつ目の拠点建設に取り掛かれる。
また一歩、この国は明るい方向へと漕ぎ出したのだ。
さて。それとは別に、この三日で変わったことがもうひとつある。
いいや。変えようとしていることが、か。それは……
「……おい。フィリア。なんか最近変だぞ」
「変……ですか? そうでしょうか」
私は今、ユーゴとの部屋で彼と食事を共にしている。
と言っても、ユーゴは同じテーブルには着いてくれない。
部屋の片隅、床にトレーを置いてそこでご飯を食べていた。
バリスから帰った晩は、私が床で食べていた。
けれど、それを見かねてなのか、二日目にはテーブルを私が使うようにと言ってきた。
三日目、それでも床に座り込んでいた私の手を引っ張って、無理矢理椅子に座らせた。
そして、この試みを始めて四日目の今日。遂にユーゴの口から現状への疑問が飛び出した。
「……ユーゴ。大切な話があります。どうか、共に席に着いてください。食事はそのついでで構いません」
「いや、俺が構うんだってば。ひとりで食べたいって言ってるだろ。話があるなら、その後でも……」
いいえ。食事を共にするからこそ——生活を近しくするからこそ、出来る話というものがある。
私がやろうとしていること。それは、ユーゴがどんな人物であるのかの理解を深めるというものだった。
「貴方のことを教えて欲しいのです。これから共に戦う間柄ですから、関係は良好な方が望ましいでしょう」
「もしも苦手なものがあったとしても、それを知っていればカバーすることが出来ます」
「なので、どうか共に食卓に着いてください」
「……いきなり変になったと思ったら……もしかして、この前の魔獣に齧られてたのか……?」
ユーゴはひどく訝しげな眼を私に向ける。
けれど、それも折り込み済みだ。
彼はまだ誰にも心を開いていない。
だから、彼の心の底が誰にも分からない。
彼が無理をしていても、心を殺していても、胸を痛めていても、誰も気付いてあげられないのだ。
それではダメだ、必ずいつか潰れてしまう。
「私はなんともありません。至って健康で、至って真面目です」
「さあ、ユーゴ。そんな冷たい床で食べてないで、どうかこちらへ」
「……フィリアが出てったら、こんな冷たい床で食べなくて済むんだよ」
まだ……まだ、距離がありますね。
簡単にいかないことは分かっていたのです、この程度では挫けません。
「ユーゴ。食事とは、本来ひとりでするものではありません。家族とテーブルを囲み、団らんの中で絆を育む。ならば……」
「じゃあ、なおさらひとりで食べるよ。家族なんて、いないんだし」
ああっ、そういうことを言いたいのではないのです。
ユーゴには家族がいない。
この世界には、彼と血縁関係のある人物がいない。
けれど、それはひとりで食事に向かう理由にはならない。
子供にそんな孤独を味合わせていい理由にはならないのです。
「いいえ。なおさらという話なら、むしろユーゴは私と共に食事をすべきです」
「貴方にとって、この宮は家です。そして、その家の家長は女王である私です」
「ならば、私はユーゴの母親に相当する筈でしょう」
「……やっぱり齧られたのか……?」
距離が——っ! ユーゴとの距離が、物理的に開いてしまった。
ユーゴはおかしなものを見る目で私を睨んで、やや怯えた顔で更に遠い部屋の対角にまで逃げてしまった。どうして……
人嫌いなのだとは感じていましたが、しかし素直な子だとも思っていたのに。
「……なんかあったのかよ。その……今までのやり方じゃダメなのか? 俺が戦って、それで終わりじゃ……」
「っ。そう……ですね。重要な出来事があったのです」
「ユーゴが戦う為に、変えねばならないものがあると、それに気付かされる出来事が」
少年はやっと私の言葉に耳を傾けてくれた。
やはり、戦うことには興味関心が強いのだろうか。
戦いそのものというよりも、自身の力に……なのだろうが。
なんにしても、やっとこちらを向いたのだ。これでようやく——
「——女王陛下。お食事が済んだのでしたら、すぐに公務にお戻りください。いつまでも遊んでいる場合ではありませんよ」
「り、リリィっ! ま、待ってください! 遊んでいるわけではありません! これも大切な使命で!」
ようやく、面と向かって話が出来る……と、思っていたところに乗り込んで来たのは、大量の紙の束を持ったリリィだった。
い、今戻っては、これまでの駆け引きが台無しです。ここはなんとか引き退らせて……
「リリィ、聞いてください。私にはやらねばならないことがあります」
「貴女の言う公務も、確かにそれに含まれています。ですが、それよりも急がねばならないことが……」
「滞りに滞っているご公務よりも優先されるべきことは、陛下の身の安全と健康だけです。さあ、食事が済んだなら戻ってください」
うう……ダメです。リリィを相手にしては、何をどうしても言い負かすことが出来ません。
しかし……しかし、ようやくユーゴがこちらに興味を持ってくれたのだから。
なんとかしてこの機を活かす方法は……
「……ゆ、ユーゴ……貴方からも何か言ってください……」
「な、なんで俺に振るんだよ」
もう、これしかない……
私とリリィでは昔からの馴染み過ぎて、今更何も変わりはしない。
リリィが叱り、私が叱られる。
私がぼうっとして、リリィが肩を叩く。
ずっとずっとそうだったのだから、それを変えるには外からの力に頼るしかない。
「お願いです、ユーゴ。貴方の為でもあるのです。どうか、どうかリリィを説得してください……」
「……連れて出て行って貰えるなら、俺はその方が良いんだって。ずっとそう言ってるのに」
一縷の望みをかけての選択だったのですが……残念ながら、ユーゴの力は借りられなさそうですね……
今日のところは……せっかくユーゴが興味をこちらへ向けてくれた貴重な機会でしたが、いたしかたありません。
また、ゆっくりと時間をかけて……
「——初めまして、ではありませんよね。しかし、面と向かって話をするのは初めてですね。私はリリィ=クーと申します」
「——っ。あ、あっそ」
諦めてリリィに連れ出されようとしていると、意外なことにそのリリィ本人からユーゴへの干渉があった。
もしかして、彼女も私の考えを理解してくれたのだろうか。
そして、ユーゴの硬い心の壁を壊そうと、手伝ってく————
「——なっていませんね。あまりにも教育がなっていません」
「ユーゴさん。貴方、ここでそんな態度を取って、それが何を意味するか理解出来ていますか?」
「——り、リリィ……?」
リリィはいつも通りの優しい口調で、優しい笑顔でそう言った。
そう言って……つかつかと部屋の隅まで——ユーゴの側まで歩み寄った。
そして——背中を向けていたユーゴの肩を掴んでこちらを振り向かせ、そして右手で少年の頬をつねった。
「い、いてててっ⁈ なんだよ、何するんだよっ! は、離せよ!」
「まず、言葉遣いがなっていません」
「相手が女王陛下だと理解しての言動ですか? それとも、そこから既に理解出来ていませんでしたか?」
「どちらにせよ、愚かしい姿をこれ以上見てはいられません」
リリィは思いの外強い力で頬をつねっているらしく、ユーゴはたまらず立ち上がって引っ張られる方へと顔を逃していた。
それでもずいぶん痛がっている様子で、眼には少し涙が浮かんで見える。
「い、痛いって! 離せよ!」
「では、陛下にこれ以上の無礼を働かないことを約束出来ますか? 出来ないのであれば、もう少し折檻を続けます」
折檻——と、リリィはそう言った。
確かに、子供に対する大人の説教だろう。
しかし、意外だった……わけでもないのだが。
ユーゴがリリィにされるがままになっているのは、少しだけ予想外だった。
もっと抵抗するか、逃げ出すかのどちらかはすると思っていたのに。
「わ、分かった! 分かったってば!」
「……分かっていただけたのなら幸いです」
リリィはユーゴの反省の言葉を聞くと、手を離して優しく微笑んだ。
たった今まで頬をつねっていた手は、少年の頭の上に優しく添えられて、子供をあやす母親の姿にさえ見えた。
「……アンタ、よくそんなこと出来るな。俺の方がずっと強いのに」
「怖くないのかよ。俺に殴られたら、多分アンタ……」
「リリィです。リリィ=クーです、覚えてください」
「そして——貴方なんて、これっぽっちも怖くないです」
リリィは笑っていた。優しく、暖かく、笑顔を向けていた。
けれど、その言葉には少しだけ怒りの感情が見えた気がした。
「貴方を怒らせて殺されてしまうことなんて、これっぽっちも怖くなんてありません」
「私が怖いのは、貴方がダメになって国が救われないことだけ。女王陛下の望みが成就しない、その最低の結末だけです」
「であれば、私は臆すること無く貴方に説教をします」
「必要だと思えば、折檻も
それだけ言うと、リリィはユーゴの頭をポンと撫でて踵を返した。
そして……さっきまでユーゴに向けられていた優しい笑みを私に向けて、両手でしっかりと手を握って……
「さあ、陛下。ご公務にお戻りください。それとも、お説教か折檻が必要ですか?」
「ひっ。も、戻ります、戻りますから……」
それは良かった。と、そう言いながら、リリィは私の手を引いて、執務室までの道をずんずんと進んで行く。
もしかして、彼女には何か特別な力があるのだろうか。
相対すると、自分が子供になったような錯覚を覚えてしまう。
どうにも抵抗出来ない、そんな圧力が……
ユーゴとは結局話が出来なかった。
しかし、その日の晩からユーゴが一緒のテーブルで食事をしてくれるようになることを、この時の私はまだ知らなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます