第九話【自分の中だけの誓い】
「————お疲れ様です、ユーゴ」
森より飛来した魔獣の全ては、ユーゴの活躍によって討伐された。
喜ぶべき……ではないと分かっている。
分かっているが、それが街の中で行われた事実に私は胸を震わせた。
期待通り、街の住民はユーゴに希望を見ている。
これがただの流浪の猛者だったならこうはならなかっただろうが、しかし彼は私自らが——女王という立場の人間が連れてきた戦士なのだ。
そうなれば、当然扱いは——
「————救世主だ————っ。女王様は救世主を連れて来てくださったんだ!」
救世主。英雄。勇者。
人々を護るもの、希望を期待出来るもの。
この瞬間、ユーゴは私が期待した最大の称号を手に入れた。
これで、国に——人々の中に光が芽生える。
機能しているのかどうかも分からない国の軍事政策よりも、目に見えて活躍してくれるひとりの英雄。
結果どちらが多くを救うかなど関係無い。
多くを救ってくれと願う先があるという事実こそが希望なのだ。
「——フィリア。救世主って……俺は……」
「はい。貴方は、この街の人々を救いました。そんな貴方の姿に、皆が期待を抱いたのですよ」
俺はそんなのどうでもいい。ユーゴはそう言って、少しだけ拗ねたように顔を背けた。
けれど、その目はいつもより少しだけキラキラして見えた。
少年なのだ、彼は。
たった今、途方も無い数の祈りを背負ったとはいえ、彼はまだ幼い少年。
誰かに褒め称えられることが嬉しくないわけがない。
認められることに喜びを覚えぬわけがないのだ。
「——っ。そ、外行くぞ、フィリア。あのネズミ全部片付けて、森にいるデカいやつも倒すんだろ」
「はい。ですが、一度休憩にしましょう。食事も摂らずでは、貴方といえど……」
いらない! と、ユーゴは街の外へ走って行ってしまった。
褒められ慣れていない……ようにも見えた。
もしそうだとするなら、それは少しだけ寂しい話だ。
あの歳の子供が、誰からも褒められぬとは考え難い。
故に、もしも……と。
兵士を連れて急いで後を追えば、ユーゴは既に小型の魔獣と戦闘に入っていた。
そこに油断や慢心が無いかと言われたならば、否定は出来ないのだろう。
それでも、ユーゴは圧倒的な力で魔獣を蹴散らしていく。
「——フィリア、遅い! 早く、全部さっさと倒すぞ!」
「は、はい!」
焦っている……? いや、そんな筈はない。
浮かれているというのならまだしも、何かに追われる理由は無い筈だ。しかし……
「陛下、どうかなさいましたか? 先ほどから何か悩まれておられるようですが……」
「……いえ、大丈夫です。さあ、彼を追いかけましょう」
私以外の誰も、彼の出自を知らない。誰にも伝えていない。
パールにも、リリィにも。
知っているのは私と、もう口を聞けぬ五人の魔術師のみ。
誰も——その強さの根源を知らない——
だからだろうか。彼の表情の違和感に、私以外の誰もが気付いていない様子だった。
それとも、むしろ私が変な勘違いをしてしまっているのだろうか。
彼は見たまま、褒められて喜んでいるだけ……なのだろうか……
ネズミの魔獣はあらかた退治された。
と言っても、街の外周に潜んでいるものだけではあるが。
しかし、これで緊急の事態は解決出来ただろう。
「お疲れ様でした。今日はもう休みましょう」
「今から森へ向かっていては、またここへ戻る頃には陽が沈んで昇り直してしまいます」
飛来した魔獣は殲滅したが、しかしそれが全てとは限らない。
ネズミの魔獣も、きっと街から離れた場所にも巣を作っている筈だ。
しかし、今晩街を脅かすものは取り除けたのだ。
「別に……俺は平気なのに……」
私の提案に、ユーゴはやはり不満げな様子だった。
戦いたがっている。手にした力を試したがっている。
やはり、私にはそう見える。だが……
ならば、先ほど感じた、焦っているようだという印象は、果たしてどこからやって来たのだろう。
「……ユーゴは本当に頼もしいですね。ですが、無理はいけません」
「貴方の代わりはいないのです。貴方だけが、あれだけの魔獣を一度に倒してしまえる」
「貴方にしか出来なかったのです。この街の人々から、魔獣の脅威を遠ざけることは」
「……別に、そんなのどうでもいいってば」
でも、分かった。と、ユーゴは顔を伏せたままそう言った。やはり不満があるらしい。
そして、やはり素直な少年の精神をしている。
都合が良い……と、身勝手にもそう考えてしまう自分がいた。
その後、兵士に手配させた宿に泊まり、私達は一晩をこのバリスの街で過ごした。
ユーゴにとっては、宮の自室以外での寝泊まりは初めてのことだ。
その点だけがやや不安だったが、朝になれば元気な姿を——大きなあくびをして、すっかり寝ぼけた姿を見せてくれた。
「ふわぁ……フィリア、飯くれ。無いなら無いで平気だけど」
「おはようございます、ユーゴ。すぐに準備させます、少々お待ちください」
ユーゴは珍しく自分から食事を要求してくれた。
いつもは食べろと言っても、お皿を片付けるその時まで食べるかどうか分からない態度なのに。
昨日の戦いが、本人の想像以上に消費させたのだろうか。
「女王陛下。先遣隊の準備が整いました。いつでも出られます」
「ご苦労。では、補給が済み次第出発してください」
先遣隊? と、ユーゴはやや不満げな、怪訝な顔をした。
そんなものを送るなら、最初から自分が行けば早いのに。と、小さな声で——それでも私に聞こえる声で——わざとらしくぼやいてみせる。
そういうあからさまな態度も、これが初めてな気がした。
「そう言わないでください。先日も申した通り、貴方は何があっても欠かせない存在なのです」
「その力には疑う余地などありませんが、だからと言って準備を怠るわけにはいきません」
「……もう聞き飽きたよ、それも。分かってるって」
ユーゴはバツの悪そうな顔をして、それを隠そうとするように大きなパンに齧り付いた。
自分が特別なのだと、出会った時からずっと言われているのだ。
そろそろうんざりしているのかもしれない。
だが、それについては文句を言う気配も無い。
力の自覚はあるが故に……だろうか。
食事を終えると、私達も馬車に乗って、街から少し遠い森へ——魔獣の住処があるという森へと向かった。
恐らくだが、その途中にもネズミの魔獣と戦うことになるだろう。
それに、空を飛ぶ魔獣も森にはまだ残っている筈だ。
昨日と同じか、それ以上の連戦が予想される。
「あとは、現場でどれだけの情報を集められたか……ですが……」
ユーゴには拗ねられてしまったが、しかし先遣隊を送った意味はある筈だ。
先が見えない状況ほど、精神を疲弊させるものもない。
多過ぎる課題であれば、見えている方が疲弊する場合もあるが……それは別として。
「では、私達も準備をして向かいましょう」
「ユーゴ、何か欲しいもの——必要になりそうなものはありますか? 戦ってみて、何か装備が欲しいと感じたりしませんでしたか?」
「食料や飲料についても、欲しいものがあれば言ってください」
「何もないよ。それより早く行こう。デカイの倒すんだろ」
昨日感じた焦りのようなものは、やはり私の杞憂だったのだろうか。
少年は嬉々とした笑みを浮かべ、早く大型の魔獣を倒すのだと息巻いている。
今までの魔獣では物足りなかった、と。
新しいおもちゃが手に入るのだと、期待して興奮しているようにさえ見えた。
そして馬車に乗り込む頃には、ユーゴはもう寝ぼけた顔も焦った顔も、それに浮かれた顔もしていなかった。
相変わらず誰とも話をせずに、覗き窓から外を眺めているだけ。
それでも、いつもよりずっと真面目な顔だった。
「……緊張していますか? 今までのどれよりも大きく、強力な相手となります。どうか、無理はなさらぬように」
「別に、緊張とかしてないし。でも……ちょっとは期待してる」
これがもし、期待されたことによる自覚だったとしたら。そんなに望ましい話はない。
救世主として、英雄として、勇者として、自立しようという前触れなのだとしたら、そんなんも喜ばしい話はないだろう。しかし……
何も分からない。
私には、彼の考えや望み、或いは忌避するものが何も分からない。
分かっているのは、彼がこれから魔獣を蹴散らすという結果だけ。
大型だろうと、飛行型だろうと、なんだろうと。
私がすべきこと。
国を守る。国を立て直す。国を——政治を組み上げる。立て直す、機能させる。
その為に必要な人材を掻き集める。
そして、魔獣をこの国から排除する。その為にはユーゴの力が欠かせない。
ならば、私がすべきもうひとつの答えは決まった。
きっとあっさり終わるであろうこの戦いの後、宮に帰ってから。
私は彼について多くを知ろう。
これから幾度も戦いを繰り返す中で、少しずつでも彼を理解しよう。
「……なんだよ。なんでこっち見てるんだ」
「いえ。今日も期待しています、ユーゴ」
馬車はいつもより速く感じた。
やっと、希望を見出せたのだ。
私の中にあった暗くて遠くて重たい理想が、やっと目で見て手で触れられる実感のあるものに変わった。
ふたつの答えを揃えた時に、私の中で何かが変わったらしい。
次第に森が近付いてきて、ユーゴの横顔はどんどん険しいものに……は、ならない。
これから行楽地へ向かう子供のように、どうしても口角が上がるのを抑えられないでいる。
そんなユーゴと共に、私は——いや。この国は、闇を払って前へと進むのだ。
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