第六話【建】


——雄叫びが聞こえて、そしてそれを上書きするように断末魔が轟く。


 行く先には魔獣の群れが見えて、しかしそれが動かなくなるのも——細切れになるのも見えた。


「——お疲れ様です、ユーゴ」


「ふん。こんなの、弱過ぎて疲れないよ」


 少年はいつものように——息も切らさず、顔色も変えず、それが恐ろしいことだなどと認識もせずに——魔獣の群れを退治した。

 心底不満げに、つまらなさげに。それでも、目を輝かせて。


 吸血鬼騒動から少し経って、私はユーゴと共に、建設中の軍事拠点を訪れることになった。


 まだ、ラピエス地区という、国の一区画を解放したに過ぎない。

 されど、その第一歩にケチが付いては、これからの計画に差し障るというもの。


 兵士達の、国民の、国の士気を高めていかなければ。

 私だけが空回りしていたのでは意味が無い。


「フィリア。もっと別の場所に行こう。ここらのめぼしい魔獣は大体倒しちゃったから、もう面白いものなんて残ってない」


「そうですね。貴方が面白いからと倒してくださったから、ここの人々は安全を手に入れることが出来る。今日はその成果を……」


 そう。この地区の解放はユーゴのおかげなのだ。

 彼がいなければ成し得なかった。それを自覚して貰いたい、自分の行いが素晴らしいものなのだと気付いて貰いたい。


 目的意識の希薄なまま戦う彼に、私はそれを願ってここまで連れて来た。けれど……


 ユーゴは私の話を聞いてはくれなかった。


 貴方のおかげで皆が平和を取り戻せるのだ、と。


 皆の平和を——国の平和を、幸福を、本来望むまでもなく手に入るべき当たり前を取り戻す。

 そんなにも素晴らしい偉業を、これからいくつも成すのだ……と。

 それを知って、励みにして貰いたかったのだけれど……


「……つまんない……」


「ユーゴ……」


 少年にとって、それは理解し難いものなのだろうか。

 それほどまでに他者に関心が無いのだろうか。


 生前の彼は、果たしてどのような人物だった——どのような環境で暮らしていたのだろうか。


 その後、馬車は魔獣に襲われることも無く、無事に砦の建設地へと辿り着いた。


 道中は心底つまらなさそうにしていたユーゴだったが、建設中の大きな砦を前には、目を輝かせて笑みもこぼしてくれた。無邪気な子供の顔を。


「女王陛下。ご足労いただき、ありがとうございます」


「ご苦労。それで、完成まではどの程度かかりますか?」


 現場指揮の建築士から聞かされたのは、当初予定していた日取りよりも、圧倒的に遅い完成予定だった。


 資材が足りない。人手が足りない。総括すると、資金が足りていない。


「……そうでしたか……申し訳ありません、私の見積もりが間違っていました」

「予算をもう少し増やしますので、可能な限り工期を短く出来るよう取り計らってください」


 露呈したのは、王としての——指揮を取るべき人間としての、能力と経験の無さだった。


 リリィもパールも、私の決定には基本的に口を挟まない。

 私が相談した時にだけ、答えを導く為のヒントを出してくれるに過ぎない。


 それは、未熟過ぎる私に経験を積ませる為……なのだろう。

 こうして思い知る機会が増えれば、実感としてその知識を蓄えられるだろう、と。


「……はあ。砦とは、工事とは、これほどまでに予算と時間を要するものなのですね。であれば……」


 今までの決定の中には、かなりの無茶を要求してしまったものがあっただろうか。

 その者達は、或いはその決定を下した無能を憎んだだろうか。


 配慮が足りなかった。何に配慮すべきかという知識が足りなかった。

 このままでは、私もいつか無能な暗君として……


「フィリア。おい、フィリア。これ、中入っても良いのか?」


「ええと……いえ、まだ入るべきではないかと。どうやら、かなりの無理を強いてしまっているらしくて……」


 ちぇっ。と、ユーゴは口を尖らせて、しかし素直に言うことを聞いてくれた。


 彼はわがままだが、しかしダメと言われたことはやらない。

 色んな意味で素直なのだろう。そういう点は、歳相応の少年像とは近しいものが多い。


 このままではいけない。

 ユーゴが退屈そうに砦の建築現場を眺める姿を見て、私はひとつの決意を固めた。


 彼が退屈そうにしているのは、工事が遅れて砦の完成が遠いから。

 工事が遅れているのは、現場に予算が足りていないから。

 予算が足りなかったのは、私の至らなさが原因だ。


 ならば、解決するしかない。

 それも、私の成長などを待つ、のんびりしたものではダメだ。


「……ユーゴ。このまま、もう少し南へ向かいましょう。次の解放予定地の下見へ」


「……そこには強い魔獣がいるのか?」


 ユーゴは期待を込めた視線を私に送る。

 が……その期待は、出来れば完全に否定してしまいたいものだ。


 そんなものがいるとしたら——いる上で、なんの報告も無いのだとしたら……っ。


「……いるかは分かりませんが、しかし戦わなければならない理由はあります。また、力を貸してください」


 頭を下げれば、ユーゴは少し照れ臭そうに頷いてくれる。

 頼られるのは嬉しい……のだろうか。やはり、素直な少年だったのだ。


 ユーゴと共に馬車へ戻り、私達はまた南の未開地へと向かった。


 街があるのは分かっている。

 そこが無事なことも、しかし安全ではないことも。


 危険地帯にも関わらず、そこから逃げる先も無かったという事実も、しっかりと把握している。


「ユーゴ。もしも魔獣を見かけたら、倒す前にどのようなものかを観察していただけませんか?」

「生息分布を調べなければ、根本的な部分の解決にはなりません。ただ倒すのではなく、根絶やしにしなければ」


「観察……って、めんどくさいな」

「そもそも俺にはどれも同じに見えるし。どれもこれも弱くて、ちょっと気持ち悪い」


 それでも彼はやってくれるだろう。

 その能力も、余裕も、優しさも、彼には備わっているのだから。


 魔獣という大きな括りで見ていてはキリがない。

 どの種がどれだけの勢力を持っているのか、どこに巣を作っているのか。

 獣という括りではなく、もっと細かく見極めないと。


 鹿には鹿の、熊には熊の、鼠には鼠の特性がある。

 それと同じように、魔獣にだって……


「——フィリア。首の長いのがいる。足が短くて、胴体が太くて、首が長くて顔が小さいやつだ」


「っ! 数はどうでしょうか。群れていますか? それと、その群れの中に全く別の個体は混じっていませんか?」


 数は五。

 全て同じ見た目の魔獣——同種だろう、と。


 めんどくさいと言ったばかりの口で、ユーゴは懸命に魔獣の様子を伝えてくれた。


 私がそれを記帳するのを見届けると、彼はまたいつものように馬車から飛び出していった。

 たった今数えた魔獣の数を、五からゼロに減らす為に。


「……やはり、貴方とならば……」


 少年は素直だ。

 それは、悪い意味も孕むかもしれない。


 けれど、適切な指導があれば——誰かがキチンと導いてさえあげれば、あの子は本当に世界を救ってみせるだろう。


 下手に経験のある兵士の魂でなくて、かえって良かったのかもしれない。

 私が彼を率いて歩いて行けたなら——



 ラピエスから南は、まだそれほど魔獣の被害は出ていなかった。

 しかしそれは、安堵の理由にはならない。


 魔獣がいて、人々がそれに怯えながら、生き抜く為に必死に我慢して生活を送っている。

 この結果は、そんな悲しい証拠でしかないのだ。


「戻りましょう、ユーゴ。貴方にばかり危険を押し付けて申し訳ありません。宮に着き次第、食事と浴室を準備させます」


「疲れてない。こんなの、別に」


 いつもの強がりを言うユーゴを少し無理矢理馬車に乗せて、私達は宮へと帰還した。

 それが少し気に食わなかったのか、それともいつもの人嫌いか。

 彼はすぐに自室に入ってしまって、今日の出来事を振り返る暇も無かった。


「……食事が出来次第、また来ます。それまで、ゆっくりと休んでください。お疲れ様でした」


 疲れてない。と、ちょっとだけ怒鳴った声がドア越しに聞こえた。


 強がりと言うか、強情と言うか。弱音は絶対に吐きたくないという強い意志を感じる。

 それがいいことか悪いことかは、もう少し一緒にいないと分からないのかもしれない。


「……なら、今は自分のすべきことを」


 ユーゴの部屋を後にして、私は執務室へと足を向ける。

 まだ仕事が残っているから……というのもある。しかし、今は何より……


「おかえりなさいませ。お疲れ様です、女王陛下」


「——パール。話が……いえ。お願いがあります」


 人を——私よりも統治に優れた人材を——


 経済について、軍事について、あらゆるまつりごとについて。

 それぞれの分野で突出した人材を、もう一度集め直して欲しい。


 前王暗殺の折に崩壊したこの国の政治を立て直す、その一歩目として。

 不足した人材を急遽取り繕っただけのこの宮を、また政治の中枢として機能させなければ。

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