第四話【一件目の落着】


「――むっふ……えらい目に遭ったのであーる……。そち、我輩をもう少し敬うであーる……」


 吸血鬼——と、噂される、バスカーク伯爵と名乗る男は、ユーゴに叩きのめされたにも関わらず、平然と起き上がって悪態をついた。

 この体力は確かに異常、異様だ。しかし……あまり脅威を感じはしなかった。


「おい、カスタードクリーム。お前、本当に吸血鬼なのか?」

「吸血鬼っていったら、もっとこう……空を飛べたり、不死身だったり、血を吸ったり……」


「バスカーク! バスカーク=グレイム伯爵であーる! 敬えと言ったばかりだというのに!」


 不死身——か。

 ユーゴの知る吸血鬼とこの国にある伝承とは少し噛み合わないが、しかし彼の言うその言葉には妙な説得力がある。

 事実、不死身に近いだけの耐力はあるだろう。


 ただ、彼に任せていては話が進まない。ユーゴはバスカーク伯爵をからかうばかりだ。


「……バスカーク=グレイム。力の差は分かったでしょう。大人しく投降しなさい」

「そして、目的を——この国で何をするつもりなのかを話していただきます」


「目的——であるか。しかし、ならば我輩からもそちらに問いたいのであーる」


 どうして……我輩は殴られたのであるか……? と、吸血鬼はなんとも間の抜けた問いを私達に投げ掛ける。

 それは……それは……国を荒らす危険を早く摘んでおこうと……


「…………バスカーク=グレイム。貴方は……ええと……そうです。吸血鬼だというのであれば、貴方は人を襲って血を吸うのでしょう」

「そんな存在を放置するわけには……」


「血……であるか。確かに、我輩は処女の血を吸う趣味も持ち合わせたのであーる」

「しかし、それも若い頃の話。食の趣味は、年を経ると変わるものであーる」

「今の我輩は、リージィの街のプッディングが大好物であーる」


 プディング……。彼の名はカスタードクリーム伯爵……であっただろうか。


 いや、いや。騙されてはならない。

 こんな場所に隠れ住んでいるということは、何かやましい事情があるということ。

 隠れ住まなければならない事情が、何か……


「……ごほん。どうしてこのような場所に住処を……?」

「屋敷とは言いつつも、しかしここは天然の洞窟そのまま」

「伯爵を名乗るのであれば、もっと立派な住居を構えても……」


「我輩は陽の光が苦手であーる。それに、ここは涼しいのであーる」

「もちろん出掛けるには不便であるが、しかしこの静けさには代えられぬのであーる」


…………彼は、何かを隠したくてここに住んでいる……わけではない……?

 ならば……ならば……ええと……


「して、そちらは我輩の屋敷へ何をしに来たのであーる?」

「盗人かと思いきや、何やら物盗りの様子も無し」

「ただの来客というのなら、我輩は大歓迎であーる」

「フィリア嬢のような美人であれば、毎日でももてなすのであーる」


「フィリア。コイツ、ダメだ。ただのおっさんだ。それも、とびきり変なおっさんだ」


 そちは本当に不敬であーる! と、バスカーク伯爵は声を荒げた。


 ユーゴはまだ怪訝な顔をしているけれど、この吸血鬼には既に敵意のようなものを感じなくなった。

 むしろ、勝手に住居に押し入られた身としては、寛大過ぎる対応とさえ言えるだろう。


「……どうやら、国に害をもたらすものではないようですね。申し訳ありません、こちらの勘違いでした」


「勘違いで叩きのめされてはかなわんであーる……」

「しかし、フィリア嬢の美しさに免じてここは許してしんぜよう。そち、感謝するであーる」


 思い返せば、そもそも吸血鬼が住まうという噂だけだった。

 いえ、伝承にしか存在せず、それも危険な存在として描かれるものがあるというだけで、警戒には値するのですが……


 しかし、それが何か悪さをしたという話までは確かに聞いていない。とんだはやとちりだ。


「なら、もう帰るのか?」

「ちぇっ。吸血鬼だなんて言うから、魔獣なんかよりずっと強い敵を想像してたのに」

「それがこんな、クリームパンみたいな身体のおっさんなんてな」


「……そち、我輩を敬う気は無いであるか……? まったく、言わせておけば好き放題」

「我輩が本気になれば、そちなど一瞬にして干物であーる」

「自らが赦され見逃されている立場だということを自覚するのであーる」


 バスカーク伯爵は、どうやら本当に私達に敵意が無いらしい。

 それと同時に、家に勝手に入ってきた不審者を罪に問うつもりも無いようだ。


 好都合……と、そう捉えることも出来るが……


「フィリア嬢、もう帰ってしまうのであるか? 残念であーる。来客など百何年ぶりであったというのに……」


「ひゃ――おっさん、何歳なんだよ。実はもう爺さんだったのか……?」


 いい加減敬うのであーる! と、バスカーク伯爵の調子は変わらない。


 しかしとんでもない話が飛び出した。

 百何年……と、そんなにも長い間この場所で暮らしていたというのか。

 いや、そもそもいったいどれだけ生きているのだ。


 もしや、ユーゴの知る伝承の通り、この吸血鬼は不死なのだろうか。


「ごっほん。我輩は……えーと……細かい歳は忘れたのであーる」

「ただ、山の麓に町が出来るよりも前から、ここには暮らしているのであーる」


 山の麓……とは、先ほど名前の上がったリージィだろうか。

 もしそうだとするなら、既に八十年以上……その前身の小さな町から数えるのなら、百二十年は経過している筈だ。


 もしも……もしも、リージィではない他の街——もっと古い街の話をしているのだとしたら……っ。


「まさか……建国以前からこの洞窟に……?」


「建国……そうであった、そんな話で盛り上がっていた時期も覚えているのであーる」

「あの頃に比べ、今は本当に美味なるものが増えたのであーる」

「もしもまだ口にしていないのであれば、リージィのプッディングは絶対に食べるべきであーる」

「若い娘がやっている、黄色い屋根の小さな店のプッディングが最高なのであーる」


 と、とんでもない歴史的財産を掘り当ててしまったのかもしれない……?


 けれど、当の本人はプディングの話で勝手に盛り上がるばかりで、その話の真偽は分からない。


 だが、こんな嘘をつく理由が無いのも事実。

 虚言癖の浮浪者……というのでなければ、だが。


「……帰りましょう、ユーゴ。どうやらここは、危険視する場所では無いようです」

「バスカーク伯爵。突然押し掛けてしまい、申し訳ありませんでした」


「フィリア嬢は礼儀もしっかりしていて、それに美しいのであーる。今度は我輩が遊びに行くのであーる」

「その暁には、大量のプッディングと若い娘を準備して、我輩を心の底からもてなすのであーる」


 是非とも来ないで欲しい……とは言えない。


 噂の吸血鬼は危険な存在ではなかった。

 それどころか、友好的な関係さえも築くことが出来た。


 表面上の結果だけを纏めれば、上々の成果と言えるだろう。

 その実、全く意味の無い徒労だったとしても。


 暗い中でもハッキリ分かるほどにこやかな笑みを浮かべた伯爵に見送られ、私達はまた洞窟を戻った。

 湖を渡り、縦穴をユーゴに助けて貰いながら登って、そして護衛の隊と合流する。


 濡れたままの姿には驚かれてしまったが、ことの顛末を伝えれば皆安心してくれた。


 どうやら、相当に肝を冷やしたらしい。

 先行した筈の私達が、行き止まりまで行っても見つからなかったとのことだから、どうやら縦穴には気付かなかったのだろう。


「お疲れ様でした、ユーゴ。今晩はしっかりと休んでください」


「疲れてない。結局何も無かったんだから」


 そうして私達は宮へと帰ってきた。


 ユーゴは強がりを言ってすぐ自室に入ってしまったが、しかし身体は疲れている筈だ。


 強さと疲労とは関係無い。

 どれだけ屈強な兵士であろうと、視界の悪い夜行を続ければ、精神的にも肉体的にもひどく疲弊する。


 せめて、素直に弱音を吐いて貰えるだけの信頼を得られれば良いのだが……


「お疲れ様です、女王陛下。ご無事で何よりでございます」


 ユーゴを部屋に送り届け、私はひとり執務室へと戻った。

 見張りとも思える秘書に出迎えられて。


 そう、どれだけ強い戦士でも疲れはある。

 だが、女王という肩書きは、そんな疲労も言い訳にはさせてくれない。


 この一件が徒労に終わったのであれば、当然次なる一手を打たなければならないのだから。


「……ああ、脚が棒のようです。こんな日にはゆっくり湯浴みをして……」


「かしこまりました。浴場の準備をさせますので、ご公務の暁に堪能なさってください」


 ゆっくり……はあ。していられないのだと分かっていても、つい泣き言を言いたくなってしまう。


 このあまり優しくない短髪の男性の名は、パール=クーという。

 身体は大きくないが、頭の良い秘書だ。


 彼とは王の椅子に座るよりも前からの付き合いだが、子供の私にも容赦はしてくれなかった。

 そんな彼に泣き言を言って期待した私が……


「……リリィなら、すぐにも休ませてくださるでしょう。貴方は変わりませんね」


「貴女も……でしょう。あまりリリィに甘やかさぬよう伝えておきます」


 パールはにこりとも笑わずに、私の訴えを棄却した。

 こんな仏頂面よりも、まだあのカスタード伯爵の方が人間味に溢れていただろう。


 おや、あの吸血鬼はそんな名前だっただろうか。

 プディングが好物の……うん、やはりカスタード伯爵だっただろう。


「――? 陛下――――起き――女王陛下――――」


 気付けばパールの声は遠くなっていて、私の視界は真っ暗になっていた。


 ああ——眠ってしまいそう。

 けれど、このまま落ちていけば、起きた時には彼に叱られるのだろう。

 それでも……この泥のような睡魔には敵わない。


 フィリア。と、昔のように私を呼ぶ声が聞こえて、身体が少し暖かくなった。


 起きたらキチンとしますから。どうか――ほんの僅かな仮眠だけですので――

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