第三話【吸血伯爵】


 地底湖を越えた先の横穴は、それまでのものとは根本的に違う作りをしていた。


 恐らくだが、ここは水の流れによって削られて出来た穴なのだろう。

 壁面は艶やかで、足下は濡れていて滑りやすくなっている。

 それに——圧倒的に、広い。


「——これならば、水位の上昇にあっても、水没することは無いかもしれませんね」

「しかし……だからといって、その度に外界と遮断されていては……」


 食料を溜め込んだとて、それにも限度がある。


 雨季が来れば、短くとも数日——長ければ数十日もの間ここに閉じ込められる可能性がある。

 居住用の空間としては成立しない。


 ならば、この先——私達が入ってきたのとは違う場所から出られるか、或いは吸血鬼は長時間の潜水が可能な生物なのだろうか。


「ユーゴ、何か痕跡は見当たりますか? 動物の死骸——貯蓄された食料など……」


「無いよ、そんなの。今のところ、どこ見ても岩ばっかりだ」


 私の少し前を歩くユーゴの背中には、いくらか苛立ちが見え始めていた。

 長い時間を閉鎖空間にいるのだから無理も無い。

 少年の精神には過酷で、そして恐ろしいものであろう。


 湖からの水音が聞こえなくなった頃、私達は再び別れ道にぶつかってしまった。

 右か左か、今度は単純な二択のように思える。


 しかし、だからこそ答えを導き出すすべが無い。

 そのどちらにも、これといった差異は見当たらないのだ。


「——こっちだ。こっちに何かいる」


「ユーゴ……? 何か手掛かりがあったのですか? 私には何も……」


 いいから付いて来い。と、鼻息を荒げる姿を見るに、きっと彼もそこに差は見付けられなかったのだろう。

 なんの成果も無くひたすらに歩かされて、ピリピリしているのだ。

 半ばヤケクソじみた決定で、彼は右の道を選んだ。


 根拠が無いのだから、当然成果を望むべくもない。

 それが分かっているからなお、歩けど歩けど何も出て来ない事実に苛立ちが増す。


 どこかで選択を間違えたのか——と、ユーゴの背中には、歩みには、迷いや不安が浮かび上がっていた。


「……ユーゴ、一度休みましょう。温かいものではありませんが、食事の準備もあります」


「いらない。さっさと終わらせて帰ればそれで済むんだ、そんなのいらない」


 しかし、それを解す手立てが私には無い。


 ユーゴはもともと意固地な性格ではあった。

 自分のこだわりを曲げることを極端に嫌う頑固者。


 しかしそれでも、戦場での指示は比較的素直に聞いてくれていた。


 それはまだ、彼の中に経験とそれに基づくこだわりが無かったから……だけなのだろうか。

 やはり、この状況が……


「————誰だ——我輩の屋敷に忍び込むものは————」


「——っ! 声——まさか、吸血鬼——」


——いかにも——。と、私の咄嗟の呟きに、その声は返事をした。


 こちらの声が聞こえている……もう近くに潜んでいるのか。

 とすると、ユーゴが見付けられないような場所に隠れている……?


 声は空洞に響いていて、それがどこから出ているのかまでは探れない。

 やはり——罠——


「——出てこい! 吸血鬼でも魔獣でもなんでもいい! さっさと出てきて俺に倒されろ——っ!」


「————不敬である————」


 ユーゴの宣戦布告に、洞窟の声は不満げにそう答えた。


 それからは何を言っても返事は無く、また無音の洞窟の中に取り残されてしまって……?

 いいや、無音などではない。

 音が——私達が向かっていた先から、バタバタという不快な音が大量に迫って——


「——フィリア! しゃがんでろ!」


「——っ。はい!」


 真っ暗な穴の奥から現れたのは、飛行型の魔獣————いいや、違う。

 犬や猫ほどの大きさをしているが、しかしそれは魔獣ではなくコウモリだった。


 どこにも継ぎ接ぎの様子が見られない、自然な生物——の、不自然に肥大化した群体だ。


「————ここが我輩の——バスカーク=グレイム伯爵の居城と知っての狼藉か————」

「不埒者には裁きを——無知なる者には鉄槌を——」


 コウモリたちは、響く声に指示されるようにユーゴへと襲い掛かった。

 完全に使役している……? とすると……もしや、本当に吸血鬼なのだろうか。


 伝承の中に存在する、闇夜に生きる人ならざる人。

 歪んでしまっただけの魔獣とは違う、根本的なところからズレている存在。

 まさか本物の——


「————うるさい————っ!」


 コウモリの羽音と鳴き声を消したのは、やはりユーゴの剣だった。


 私の目には一振りにしか見えない太刀筋で、宙を自在に舞う有翼の獣を微塵に斬り捨てる。


 それも、一匹一匹という話ではない。

 まるで空間そのものを滅多斬りにしたかのように、その場にいたコウモリの全ては等しく斬り刻まれていた。


「——そこにいるんだな——カスタードクリームパクパク! フィリア! 付いて来い!」


「——はい!」


 はて、そんな名前だったろうか。

 ユーゴはなんだか可愛らしい名前を叫びながら、コウモリの死骸を蹴飛ばして穴の奥へと突き進む。


 それに対しての返答は——やはり、同じような使い魔による迎撃だった。


「——無駄だぁ——っ! フィリア、あんまり遅れるな! 戻るのはめんどくさい!」


「はい! 足は引っ張りません、前だけを向いていてください!」


 どうやら吸血鬼は、私達を明確に敵と判断したらしい。

 ただの侵入者から、害を為すものへと認識を改めた。

 やってくるコウモリの数が激増したのが根拠だ。


 しかし、コウモリはコウモリ、大きくなってもただの動物だ。

 特殊な力を持つわけでもなく、単独で策を巡らす知能もない。


 ならば、それよりももっと大型の魔獣さえ蹴散らすユーゴの前では————


「——おらぁあ——っ! これで打ち止めか! カスタード!」


「————バスカーク=グレイム伯爵である————っ!」

「身の程を弁えぬ不埒者めが————我輩自ら裁きを下してやろう————」


 襲い来るコウモリの大群を四度斬り捨て、そして私達はこれまでで一番広い空間に飛び出した。


 ここに住んでいるというのならば、当然ここが——


「————ユーゴ!」


「分かってる——っ! コイツは——ちょっと強そうだ——っ!」


 少年の声は、いつもよりもずっとずっと明るく楽しそうなものだった。


 間違いなく只者ではない。そう確信させるだけの要因がこれまでに幾つもあった。


 そんな吸血鬼が、自ら手を下すと宣言したのだ。

 人間でも魔獣でもない、全く別の脅威が。


 その事実を前に、ユーゴは笑っていた。

 まるでこれが娯楽であるかのように。


「——っ! またコウモリ——うっとうしい!」


 宣言の直後に差し向けられたのは、それまでに比べてもぬるい攻撃——数匹のコウモリの、あまりに愚直な突進だった。

 まさか、これが裁きとやらなわけがない。


 これはきっと陽動——ユーゴもそれは理解している様子だ。

 簡単にそれを蹴散らすと、周囲への警戒を強めて剣を構え直す。


 そして——それが訪れるその瞬間を、笑って迎えた。


「——これが——」


「——吸血鬼——」


 暗い暗い洞窟の中で、私達の目の前の一点が更に闇を濃くしていった。


 光源など手元のランタンしかないというのに、まるで強い光が射しているかのように深い影だ。


 異常な光景の後には、必ず異常な何かが現れる。


 それこそが——この洞穴の主人——本物の吸血鬼で——


「————我輩がバスカーク伯爵であーる————っ! ひれ伏せい——愚民ども——っ!」


「————っ」


 闇は段々と形を取っていき、そして声と共にその姿を人に似せたものとして完成させた——のだが……


 先ほどまで響いていた昏い声はどこにもなく、またそれを感じさせる姿も見当たらない。


 現れたのは、少年ユーゴよりも更に小柄で、まるまると太った、大きくカールした口髭が特徴的な……吸血鬼……? だった。


「——ひれ伏せい! 我輩自らが出向いたのであーる、こうべを垂れて敬うのであーる!」


「……お前が……カスタードクリームパクパクか……?」


 バスカーク=グレイム伯爵であーる! と、ユーゴの言葉に憤慨する姿からして、これが吸血鬼……らしい。


 いや、騙されてはならない。

 外見はただの小さな中年男性だが、しかしたった今あり得ない現れ方をしたばかりではないか。


 これは間違いなく異常なもので、間違いなく危険な——


「————少年、名をなんと申す」

「そちは非常に強い、それはよく分かった」

「であれば——我輩の家来にしてやっても良いのであーる! 光栄に思————」


「————うるさい————っ!」


 危険な……存在だったのかもしれない。


 しかし、その真偽はなんだっていい。

 あるのはひとつの事実。


 どんなに異様で異常な吸血鬼であろうと、ユーゴのゲンコツひとつでそれは呆気なく黙らされてしまったということだけ。


 頭上から振り下ろされた一撃に、吸血鬼は顔面をひしゃげさせながら地面に叩き付けられた。


 危険な……これが危険な吸血鬼だったのだろうか……?


「——っ。油断はしません」

「バスカーク=グレイムと言いましたね。貴方の目的はなんですか」

「返答いかんでは、私自ら——女王フィリア=ネイ自ら貴方に刑を————」


「————女子おなご————っ! なんと——なんと! グラマラスな美女がいるのであーる——っ!」

「ジョオ=フィリア=ネイと申したか! そちを我輩の側室に迎え入れるのであーる!」


 危険な……吸血鬼では……なかったのかもしれない。


 私の声に飛び起きたと思えば、吸血鬼は目を輝かせて私の手を握った。

 そして……すぐ、ユーゴによってまた叩き伏せられてしまった。


 彼の強さを鑑みても、とても脅威になりうるとは……


「フィリア、帰ろう。こいつ、弱過ぎて面白くない」


「むぐ……もご……で……あーる……」


 いや、しかし……彼の腕力で二度殴られて無事というのは、確かに脅威的な体力であると言わざるを……?


 ともかく、吸血鬼の騒動はひと段落しそうだ。

 まだ何か言いたげなバスカーク伯爵なるものの再起を、私達は暗闇の中で待つことにした。

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