第二話【優しい心】


 馬車は森を抜け、そして岩肌を露出させた山の麓へと辿り着いた。


 古くは食料の貯蔵に用いられていた洞窟だったが、しかし魔獣の繁殖と共に人の出入りは無くなってしまった。


 奥行きが深いにも関わらず、空気の循環も悪くない。湧水も豊富だった。

 皮肉にも、そんな人が利用したいと思わせる要素の全てが、魔獣を惹き付ける売り文句となってしまっている。


「しかし——いつからか、魔獣でないものの生息が噂されるようになりました。その名を——吸血鬼——と」

「知能の高い新たな魔獣か、それとも魔人と呼ばれるものの誰かか。なんにせよ、貴方の敵ではありません」


「そんなこと、今更言わなくてもいい。この奥に入ってそいつを倒せばいいんだろ、簡単だ」


 洞窟の前で荷を下ろし、ユーゴを先頭に私達はその横穴へと踏み入った。


 ようやく射した陽の光もまた遠くなり、ランタンのか細い灯りだけが行き道を照らす。

 音も、私達の足音以外には聞こえなくなってしまった。


「ユーゴ、離れ過ぎないでください。貴方といえど、完全な暗闇には適応出来ません」


「うるさい。だったらお前達が俺に追い付いてこい」


 暗闇に全員の歩みが慎重になる中、ユーゴだけが戸惑うこと無く歩調を早めていった。


 彼の眼は、確かに闇をものともしない。

 しかし、それにも限度がある。


 完全に逸れてしまえば、彼といえども不意打ちに遭いかねない。


「……ペースを上げます。ユーゴに遅れないよう、付いて来てください」


「陛下。お言葉ですが、これ以上は危険です。隊列を崩せば陛下の身も危険に晒されます。周囲への警戒を考えれば……」


 振り返れば、既に隊の最後尾は見えなくなっていた。

 視界が狭い、ランタンでは照らせる範囲が限られ過ぎる。


 狭くなった道、曲がりくねった穴を進む以上、どうしても縦長に列を組まなければならないが……


「……では、私はユーゴと共に先行します。皆は背後の警戒を」


「陛下! どうかお考え直しください。いくらあの少年が強いと言っても、彼ひとりに護衛を任せるなど……」


 そうこう言っている間に、ユーゴの背中は見えなくなってしまう。


 彼は剣以外のものを持っていない。持ちたがらないのだ。


 これが、ユーゴの欠点——その精神を未熟であるとする所以。

 強大な力を持つが故に、それ以外のものに頼ろうとしない。


 たとえ完全に視界を失ったとしても、彼はランタンを持とうとはしないのだろう。


「陛下——っ! お戻りください、陛下!」


 お前達、急げ! 陛下から離れるな! そんな声もすぐに遠くなった。


 最優先すべきはユーゴの安全。私

 は歩みを早め、隊から離れて少年の背中に追い付いた。


 やっと顔が見えた頃には、彼がこちらを振り返っているのが分かった。


「待っていてくれたのですね、ユーゴ」


「違う、お前を待ってたんじゃない」


 そう言ってユーゴは行き先を睨み付ける。


 ランタンをかざせば、どうやら穴が二手に分かれているのだと分かった。

 大きな横穴と、少し小さな縦穴のふたつに。


「どっちに行けばいい。地図に書いてないのか」


「申し訳ありません。この洞窟を利用していた頃も、ここまで深くに足を運ぶことは無かったようなので。ですが、生息という条件を考えれば……」


 横穴——の、その先だろう。


 湧水が出ている以上、下に潜れば湖にぶつかるかもしれない。

 天候によっては縦穴そのものが水没する可能性もある。

 それに、崩落の危険が無いとも限らない。


 ならば、知能の高い生物は——恐れを持つ生物ならば、ここを降りたりはしないだろう。


「——分かった。なら——こっちだ」


「——っ! ユーゴ、待ってください!」


 私の説明を受けて、ユーゴは横穴を睨み付けた。


 そう、そちらだ。

 吸血鬼というのが特別な生き物だというのなら、間違いなくその先に住み着いているだろう。


 しかし彼が選んだのは、人がひとりやっと通れるような細い縦の道だった。


「待ってください! ユーゴ————っ! これは——」


 穴の壁は途中からツルツルとしたものになり、ここを何かが出入りしているのだと教えてくれた。


 そんな道を滑り落ちるようにして下まで辿り着くと、ユーゴは広い空間を前に私を待ってくれていた。

 広い——広い広い、地底湖を前に。


「——向こうだ。この湖の向こう、あっち側。穴が続いてる」


「対岸……ですか。しかし……」


 湖は広く、洞窟いっぱいに広がっていた。


 歩いて渡る為の橋など当然存在せず、壁もまた滑らかに磨かれていて、手も足も掛からない。

 船など持ち込んでいるわけも無く、ここを渡る方法はひとつしかなかった。


「お前はここで待ってろ。俺ひとりで泳いで渡る」


「……いえ、そういうわけにはいきません。私も同行します」


 もしも彼の言う通り、この先に吸血鬼が棲家を作っているとすれば……罠を構えている可能性は高い。


 それでも彼が遅れを取るとは思わないが、しかし戦いへ恐怖を感じるようになってしまうかもしれない。

 そうなれば、今は盲信して振り回せているその力の使い方も……


「……おい、フィリア。待ってろって、俺ひとりで大丈夫だから」


「いえ、私も。幸い、この湖は浅い。対岸までは距離がありますが、私でも渡れるでしょう」


 ランタンと食料の一部を除く荷物を降ろし、私はユーゴよりも先に水に入った。


 入ってみれば、それは膝下を濡らす程度の深さしかなく、これならばどこかで多少深くなっても、泳いで渡ってしまえるだろう。


 ざぶざぶと水の中を歩く私を、ユーゴは不満げな顔で睨んでいた。


「女王様のくせに、無茶するなよ。待ってれば全部解決してくるって言ってるのに」


「いいえ、そういうわけにはいきません。貴方の活躍を見届ける責務がありますから」


 不満げに私を睨み付け、憎まれ口を聞いて、それでも彼は私の少し前までしか離れていかなかった。

 彼はもともと、心の優しい少年だったのだろう。


 ここからは深くなってる。ここは足元が滑る。ランタンの火を消されると困るから、転ぶんじゃない。

 ユーゴは私にそう声を掛けてくれた。

 おかげで足を捻ることも転ぶことも無かった——が……


「——結局、胸まで濡れてしまいましたね。ユーゴ、身体は大丈夫ですか?」

「強いと言っても、それは力の話。身体が冷えれば、どんな猛者でも能力のほとんどを制限されます。少し、待っていてください」


 私は着ていた上着を脱ぎ、ナイフで細く裂いてランタンの油を染み込ませた。

 それに火を移せば、彼の冷えた身体を温める為の焚き火になる。


 彼には経験が少ない。戦うという行為においてもそうだが、凍えた状況で活動する術を知っているとは思えない。

 少しでも身体を乾かして、万全でこの先に臨まなくては。


「さあ、温まってください。幸い、燃料はまだあります」

「せめて吸血鬼と戦うまでは、体調を万全に……? ユーゴ?」


 そうだ。万全の状態で挑まなければならない。

 私は彼に、力を全て引き出させる手伝いをしなければならない。


 しかし、ユーゴは火から離れてそっぽを向いてしまっている。

 洞窟内が冷えていないから……と、油断しているのだろうか。

 それとも、火に対する恐怖心が……? まさか、彼の死因は——


「……っ。ユーゴ、もしや貴方は……」


「っ。う、うるさい! 近寄るな! デブ!」


 で——っ。


 もしや、彼は以前の生を火によって終わらせてしまったのではないか——と、そう危惧した私を、ユーゴは……デ……ふくよかだと罵倒して、火を挟んで向こう側に座り込んでしまった。

 どうやら、火に対する恐怖心は私の思い過ごし……らしい。だが……


「……み、見苦しい姿をお見せして、申し訳ありません……」


 自覚は……うっすらとだが、あった。


 使用人には、女性的で美しい姿だ、と。そう褒められていた。

 褒めるしかない立場の人間には、だ。


 鏡で見て知っていた。

 私の身体は、周囲のものに比べて……その……いくらかふくよかに見える。

 下を向けば、自分のお腹など見えない有様だ。

 しかし……しかし……


「……なんだよ」


「……いえ……」


 仲の良いものには、胸が大きいからそう見えるだけだと言われていた。

 仲が良く、私を貶さないものには……だ。


 おそらく、彼の言葉こそが真実なのだろう。

 女王という肩書きを無視した彼の言葉こそ、私の真実の姿を表すものだ。


 その事実は……正直……落胆せざるを得ないもので……


「……もう、火が消えますね。少し待っていてください、もう少し燃料を……」


「——っ! い、いい! もう行くぞ! さっさと終わらせれば、それで解決なんだ!」


 ユーゴは消え掛かった火を背に、穴の奥へと歩いて行った。


 荷物を纏め、私も大急ぎで彼を追い掛ける。


 きっと、ユーゴはひとりでも——真っ暗闇でも、吸血鬼とやらを簡単に倒してしまうのだろう。

 それでも、私は彼と共に——

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