第17話 理想的な相手

「緊張している?」


 馬車が動き出し、ソワソワしているリリーシュを見て、ロードバルトが尋ねた。


「あ、当たり前です。これから陛下に会うわけですし、こんな豪華な馬車に乗るのも初めてで、緊張しかありません」

「なんだ。私と二人きりになったからかと思っていたのに」


 残念そうにそう呟かれる。本気なのか、冗談なのかわからず、リリーシュはどう切り返すべきか迷う。


「他の令嬢なら王家の紋章入りの馬車に乗れて、まずは光栄だと言うが、つくづく君は他の者とは違うな」

「すみません」


 自分が他の人と違うのは、わかっていた。


「すまない。責めているのではない。リリーシュが謝ることはない。そこが君の良いところで、私が気に入っている部分のひとつでもある」


 気に入っているという言葉に、リリーシュは目を瞠る。


「そ、それは…ありがとうございます。殿下にそう言って」

「ロイだ。私達はこれから兄上に将来を約束した者同士として、会うんだ。そんな『殿下』などと、他人行儀は止めてほしい」


 ロードバルトが前かがみになって膝の上に肘を乗せると、ずっと顔が近くなる。

 緑の瞳にじっと見つめられ、途端に広い馬車の中で、リリーシュは息苦しさを覚える。

 

(う、遠目からでも綺麗な顔立ちだけど、近くで見ると、凄い迫力だわ)


 他の令嬢たちのように、彼を見ていなかったとは言え、リリーシュにも審美眼はある。


「あの、で……ロイ様、お聞きしてもいいですか?」

「……まあ、いいか。何だ? 何でも遠慮なく聞いて」

「その、陛下は私とロイ様の……関係について」

「ギルドを通じて君が夫探しを依頼したことは、もちろんご存知ではない。私達は学園在学時代から、互いに意識しあい、恋仲になったと思われている」

「そ、そうですよね……」

「だから私達は、そういう雰囲気を見せつけなければならない」

「そ、そういう…雰囲気?」


 どんな雰囲気かと、リリーシュが首を傾げると、彼はクスリと笑い、さっと移動して隣に座り直した。


「で、ロ、ロイ様?」


 ピタリと肩を寄せてくると、彼はリリーシュの三編みのひとつを掬い上げた。


「な、なに…を」

「綺麗な髪だ」


 指で髪を撫で、その手触りを確認する。


「あ、ありがとうございます。シャンプーやトリートメントを使っていますので」

「マキャベリ商会の人気商品だね。私も男性用を使っているよ。触って見るか? リリーシュならいいよ」

「ひゃっ!!」


 空いた方の手でリリーシュの手を掴むと、自分の耳の横に持っていく。

 触れた彼の髪は、とても滑らかだった。


(や、やだ。私…殿下の髪を……)


 いきなりの接触に、リリーシュは気が動転する。

 この前のキスも思い出され、ますます焦る。


「わ、わかりましたから…あ、ありがとう…ございました」


 急いで手を引っ込めたが、彼はまだリリーシュの髪を触ったままだ。

 マキャベリ商会で販売しているシャンプーとリンス、トリートメントは販売してから十年になる。

 それまで人々は小麦粉を水と混ぜたものや、灰汁で髪を洗っていた。そこに植物から抽出した精油や香料を加えた。さらにそれまでなかったリンスやトリートメントを併せて使うと、洗髪できしんだ髪が、驚くほど滑らかになった。

 貴族用には多少費用はかかっても、厳選した原料を使ったものを作り、庶民用には材料費もぐっと抑え、その分安く販売している。

 もちろん、王室にも納品している。最近では男性用も販売し始めた。

 そして水が使えない場所用には、水なしで使えるものを開発し、旅人や冒険者、それに野戦を行う騎士たちに広がり、密かに売上を伸ばしている。


「マキャベリ商会の品は質が良い。それに価格も良心的で、物珍しいものや、便利なものが多い。この三十年ほどで皇国でも一、ニを誇る商会になった。一体その発想はどこから来るのかな」

「あの、そ、それは…こんなのがあったらいいな、と常に考えていたそうです」


 父の商品開発に関する発想の源について、その秘密を知るのはリリーシュだけだ。

 父が残したノートに書かれたもので、既に商品化されているものは、まだノート一冊分程度。きっとリリーシュが生きている間に、全てを商品化するのは無理だろう。


「ああ、詮索するつもりはないんだ。単なる好奇心だ」


 言葉に詰まったリリーシュを見て、ロードバルトが謝った。

  

「いえ、でん…、ロイ様は悪くありません。少し父のことを思い出してしまって……父はいつも、どうすれば人々の暮らしが豊かになるか、喜んで貰えるかを考えておりました」

「知っている。価格も良心的で、儲けたお金を孤児院や治療院に寄付し、決してあこぎなことはしなかった」

「ありがとうございます」


 彼の口から父の賛辞が聞けて、リリーシュは嬉しくなって笑顔で礼を言った。


「君との結婚が、彼の死がきっかけなのは残念だ。彼のことを『義父上ちちうえ』とお呼びしたかった」


 父の死がなければ、ロードバルトとの縁もなかった。リリーシュが思っていた展開とは違うが、少なくともロードバルトは父の死を悼む思いやりは持ち合わせている。

 それだけで、ロードバルトは、ウスルとはまるで違う。ある意味理想的な相手だ。


「話を元に戻すが、陛下は……兄は私の父親代わりと言っていいお方だ。知っての通り、私の父は先王陛下で、私が物心つく前に身罷られている。なので、父のことは肖像画と、周りから聞いた話しか知らない」

「確か、お母様は」

「母は、私を産んですぐに亡くなっている。だから私はちょうどフェリクスを出産したばかりのメロディーナ妃に預けられ、彼女の実家に世話になった」

 

 庶子で、味方となる先王陛下も亡くなられ、寄る辺ない立場の彼の生い立ちは、実両親に見守られぬくぬく育ったリリーシュには想像もつかない苦労もあったのだろう。


「そんな顔をしなくてもいい。常に周りに人がいたし、フェリクスと兄弟のように育ててもらって、寂しいと感じたことはない」


 リリーシュが悲しそうな表情を見て、ロードバルトがにこりと笑った。


「でも、君に気にかけてもらえるなら、それを利用するのも一手かも知れないな。何しろ女性は不遇な生い立ちとか、影を背負った男性に魅力を感じるんだろう」

「事情は人それぞれですが、ロイ様は御自分を不幸だと思っているのですか?」


 さらりと流し目を向けるロードバルトに対し、リリーシュは逆に問いかけた。


「産まれて来なければ良かったとか、思われます?」

 


 

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