第10話 冴えない子
何が起こったのかリリーシュが状況を判断する前に、唇は離れた。
「な……!!」
「おや、いきなりノックもなしに乱入してくるとは、礼儀も何もあったものではありませんね」
ロードバルトは呆然とするリリーシュの顔を自分の胸に隠し、冷静に言葉を発した。
(え、な、なに…今の……キ、キス!? 私、殿下と……)
顔を埋めているため、ロードバルトの心臓の音が規則正しく打つのが聞こえる。対して自分の鼓動は、ドクドクと通常の倍は速くなっている。
「あ、ああああ、あなた達、な、なななな何を」
「何…とは? 結婚をたった今彼女が承諾してくれて、愛を確かめ合っていただけですが」
「け、けけけけけ、けっこんんんん」
耳をつんざくような声で、伯母は興奮のあまり言葉になっていない。
「あなたは、リリーシュの伯母君ですね。はじめまして、私は」
「ね、姉さん……その方は……」
ロードバルト殿下が伯母に自己紹介しようとした時、ユージーンの声が聞こえた。
「ユージーン、あの、こ、これは……」
ロードバルトの胸から顔を上げ、リリーシュはパッとユージーンの方を見た。
「君がユージーン。こんにちは」
「こ、こんにちは……あの、姉さん、この方って……」
「そ、そうよ。リリーシュ、どういうこと、この男は誰? 結婚って……あなたはうちのウルスと……」
「その件について、彼女はずっと拒んでいた筈です。あなたもご存知ですよね」
「あ、あなたに何がわかるの。こ、これはマキャベリ家の問題で…あなたこそ、マキャベリ家の爵位と財産を狙って、リリーシュを誑かしたのではなくて?」
ロードバルトを自分たちと同じ目的で近づいたならず者とでも思ったのか、グラシアは彼を非難する。
「おばさん、この方はそんな……」
「あなたは黙りなさい!! いいこと、まだ成人前の弟と世間知らずのあなたのためを思って、私はどれだけ心を砕いているか。それを、こんなどこの馬の骨ともわからない……身なりはそれなりに整えているようだけど、当主が亡くなったと聞きつけて、のこのこと」
「やめておばさん、それ以上は……」
それ以上彼を罵れば、不敬と断罪されかねない。伯母を庇うつもりはないが、ロードバルトが罵られるのは我慢できない。
「ロードバルト殿下……ですよね」
リリーシュが止める前に、ユージーンが先んじてロードバルトの正体を口にした。
「え……ロ……?」
驚く伯母の横をすり抜けユージーンが近づき、ロードバルトの目の前で膝をつく。
「お会い出来て光栄です。お噂はかねがね姉から聞いておりましたが、お会いするのは初めてですね。リリーシュ・マキャベリの弟、ユージーン・マキャベリです。以後お見知り置きください」
どこで覚えたのか。丁寧な口調でユージーンは恭しくロードバルトに挨拶した。
(え? 噂って……私、殿下のことユージーンに話したことあったっけ?)
学園長の部屋でのことは、卒業してからも特に誰にも話していない。今の今までリリーシュ自身も気にしていなかったくらいだ。
王宮で時折見かけたとしても、今日ロードバルト様を見たよ、とか話したことはなかったはず。
「立ちなさい。私とリリーシュが夫婦になったら、君は私の
「はい」
ロードバルトに促され、ユージーンはすっとその場に立ち上がった。
「ロードバルト…ロードバルト殿下……こ、国王陛下の……お、弟君」
グラシアはまだ状況についていけず、同じ言葉を繰り返している。
リリーシュも状況は同じで、ようやく事態に頭が追いついてきた。
(あれって……あれって……私の……ファ、ファースト……)
「リリーシュ、こうなったからには、はっきり伯母様に告げるべきだ。兄にも君との結婚について既に伝えていて、承諾はもらってある。後は君の唯一の家族であるユージーン君が、認めてくれれば私達の結婚には何の支障もない」
「僕は賛成「私は許しませんよ」」
ユージーンの言葉に被せて、グラシアが負けじと叫んだ。
「あなたの意見は聞いていない」
明らかに機嫌を損ね、一段階も二段階も低い声でロードバルトが凄んだ。
「………わ、私は……この子のお、伯母として……」
グラシアは気丈にも何とか口を開いたが、最後まで言い切ることは出来なかった。
「リリーシュは既に成人している。しかもマキャベリ商会で立派に働いている。保護者は必要ない」
「で、でも…この子は…研究ばかりで、世間知らずの……それに、ユージーンはまだ成人前で……体も弱くて」
「それはあなたの心配することではない。それに成人前と言っても彼はもう十五歳だ。三年後には成人を迎える。でも、あなたもさっきの彼の挨拶を聞いていただろう? 立派なものだった。彼には私と、姉のリリーシュがついています。文句はないでしょう?」
「……し、信じられないわ。リリーシュがロードバルト殿下となんて……こんな、こんな研究ばかりしか脳のない売れ残りの冴えない子……」
伯母がリリーシュのことを、頭でっかちの冴えない姪だと思っているのは知っていた。彼女自身も、目の覚めるような美人とはかけ離れていることはわかっている。
しかし、面と向かって言われると、それなりに傷つく。
「黙れ!!それ以上、口を開くとただではおかないぞ!!」
「ヒイィィィ」
ロードバルトが怒号を放つ。グラシアは今度は耐えきれずにその場にドシンと尻もちをついた。
「リリーシュを愚弄するな、彼女の素晴らしさをお前如きにわかってたまるか!! 彼女は見た目も頭も性格も素晴らしい」
「ヒイィィィ、お、お許しを……で、殿下……」
「さっさとこの場から立ち去れ!! マキャベリ家のことに二度と口を挟むな!! 次に何かあれば王室侮辱罪に問うぞ」
「お、お許しを……お許しを〜」
ビシッとロードバルトが出口に向かって手を伸ばすと、グラシアは這いずりながらマキャベリ家を逃げるように出ていった。
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